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黄金の王とちいさな姫君  作者: 杏輔
5/21

5

静かな夜の空気は、好きではなかった―――世界中で、ひとりみたいな気持ちにさせられるから。




 ようやくはっきりとした意識で迎えた夜は、やはりリリゼットをしくしくと苛む。曲がりなりにも馴染んだ自分の部屋ではないことが、余計に心細くさせるのかもしれない。


 容体が急変することを心配して、リリゼットの意識が戻るまではと床を同じくしていたらしいカイゼルが、さすがに共に眠るわけにはいかないな、と苦笑して言ったとき、それは当たり前のことであるはずなのに、いやだな、と感じてしまった。




 側にいてほしい、だなんて。


 一瞬でもそんなふうに願ってしまったことが自分でも信じられない。


 なんて甘えたことをと思うけれど、いつの間にかあのひとは、リリゼットの心の隙間にすんなりと入り込んでしまった。




「……だめ。ひとりで、へいきでいなくちゃ……」




 祈るように繰り返し、繰り返す。


 与えられるものを当然と思ってしまってはいけない。いつかは手放さなくてはならないものだからと―――わかっている。




 それなのに。


 どうしてこんなに、胸が騒ぐの。




 ぎゅうっと目を瞑ったら、眦がやけに熱くて、涙が零れたことを知った。


 それに気が付いたらもう止まらなくて、両手でごしごしと目を擦る。


 夜に怯えるから、こんなふうに心が弱ってしまうのだ。ちゃんとしないといけないのに。ひっく、と思わずしゃくりあげて、折れた肋骨の痛みに呻いたとき、囁くような声がしんとした部屋に響いた。




「―――…リリゼット?」




 低くてなめらかな声にはっと顔を向けると、扉がほんのすこし開いて真っ暗だった室内に、隣室から一筋の光が漏れて、そこからカイゼルが顔を覗かせていた。




「でんか……」




 思わず呼んだ声が、涙声だったことに聡いそのひとは簡単に気づいてしまって、静かに近づく気配がして、サイドテーブルのランプが灯される。


 やわらかな灯りがあたたかな色合いで部屋を照らす。そうするとふいに夜の気配が遠のいて、少し気持ちが落ち着いた。


 カイゼルが寝台に腰を下ろす。そろそろと視線を向けると、困ったような顔をした彼がリリゼットの髪を撫でた。ぱちりと瞬きをした瞬間、視界を潤ませていた涙がぽろりと頬を零れて落ちて、それを無骨な指がそっと拭った。




「……眠れないか?痛みは?」


「痛いのは、へいきです……」




 痛むのが怪我なら、耐えるのは平気だ。


 だけど。


 胸を苛むこのわけのわからない不安は、どう耐えていいのかわからない。




 しばらくそんなリリゼットの様子を見ていたカイゼルは、すぐに上掛けをめくると寝台に潜り込んできた。大きな寝台なので、ふたりで並んでも広々としたものだけれど、左隣で右肘をついてリリゼットを見下ろすカイゼルに驚いて、涙も止まってぽかんと彼を見上げていると、琥珀の瞳を細めた彼の大きな手が、またそっとリリゼットの頬を撫でる。




「こんなに泣いて……いやな夢でも見たか?」


「殿下……」


「殿下、というのも味気ないな。―――ゼル、と呼んでくれないか」


「ゼル、さま?」




 そう、とカイゼルが微笑む。




「幼い頃、両親がそう呼んでいた」


「わたしが、そうお呼びしても、いいのでしょうか」


「おまえは特別だから」




 はは、と軽い笑い声まで上げてそういったカイゼルの言葉に、ひえびえとしていた胸の奥があたたかくなる。とくべつ。そんな言葉がうれしくて、仰向けの状態でおそるおそる左手を伸ばすと、大きな左手に包まれた。




「……では、わたしのことも、リリィと呼んで、いただけますか」




 おかあさまだけが、そう呼んでくれていたのです。


 そう呟いたリリゼットの手の甲を、親指で摩りながら。




「リリィ」




 すこしのためらいもなく、耳障りの良い声が、甘やかすような響きで、もう二度と誰にも呼んでもらえないと思っていた名を呼んでくれる。




 その瞬間。


 リリゼットの心のもろい部分が、彼に掴まれてしまったような、そんな気がした。




「このままここで眠ってもいいだろうか。やはり夜様子を見れないのは不安だ」




 こくこく、と頷く。


 まるでそれが彼の望みだとでも言うような言葉だけれど、きっとそれを誰よりも望んだのはほかでもないリリゼットなのだ。




「メリッサに叱られるだろうが」




 苦笑しながらそういうカイゼルに、リリゼットはすこし考えて、まじめな顔でひとつ頷いて言った。




「わたしも一緒に、しかられます、ね」


「ふふ、そうか」


「はい、だいじょうぶ」




 しばらくふたりで見つめあって、それからくすくすと笑いあった。




「さあ、もう眠ろう。きっともう悪い夢は見ない」


「はい」




 そっと瞳を閉じたら、額にやさしい唇の感触。




「おやすみ、リリィ」




 繋いだ手があたたかくて、遠かった睡魔がするりと意識を絡めとる。


あれほど怖かった夜は、隣に彼がいるだけで、ひどくやさしいもののように、思えた。

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