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ひとりで食べれると主張したけれど、リリゼットのささやかな主張はあっさりと黙殺されて、ほどよい感覚で運ばれてくるスプーンで、あたたかいスープを飲んでいる。
スプーンを差し出すのはもちろんカイゼルで、シンディアスとレンブロントはソファに座ってその様子を生暖かい目で見守っているものだから、リリゼットもなんだかいたたまれなくてそわそわしてしまうのに、そんな空気を作っている王太子といえば何食わぬ顔で―――至極まじめに、リリゼットの食事を手ずから与えている。
「……もういいのか?」
「はい、おなか、いっぱい、です」
小鳥の餌ほどの食事量に、凛々しい眉を困ったように下げたカイゼルを見て、メリッサがころころと笑う。
「病み上がりですからね、無理のないていどでいいんですよ」
「そうか……それもそうだな」
「徐々に増やしていきましょう。胃がおどろかないように」
メリッサの言葉に納得したように頷いたカイゼルに、薬湯を差し出される。
「少し苦いが、我慢しなさい。痛み止めも入っているから、飲まないとあとがつらい」
「……はい……」
いかにも苦そうな、湯気の立つそれを両手で包んで、そろそろと口をつける。ひどく苦い。かわいげがない、と評されるほど大人びてはいても、リリゼットもまだ子どもで、子どもの味覚にはつらい苦みだ。
涙目になりながらなんとか薬を飲み干したリリゼットの髪を、カイゼルは苦笑しながらよく頑張ったと撫でて、からになったグラスの代わりに水の入ったグラスを差し出した。
苦みをどうにかしたくて慌ててそれも飲み干したら、口を開けてごらんと言われて言われるがまま口を開くと、ぽいと放り込まれたなにかがからんと口の中で音を立てて、それからじわりと甘さが広がる。
なんだろうと首を傾げてカイゼルを見上げると、琥珀色の、きらきらしたまるいなにかがたくさん詰まった瓶の蓋を閉めながら彼が笑う。
「蜂蜜飴。あまいか?」
「おいひい、です」
素朴なあまさのそれはとてもおいしくて、瞳を輝かせたリリゼットの手のひらにカイゼルがその瓶を乗せた。そっと掲げてみると、まるで彼の瞳のようにとろりとした色合いの飴が煌めいている。
「きれい」
「そうか?」
「はい、殿下の、瞳の色みたい」
とてもきれいです、と繰り返したら、何とも言えない顔をしたカイゼルがてのひらで口元を覆って、シンディアスとレンブロントがうつむいて肩を震わせている。食事の片づけを終えたメリッサが、あらあらと上品に微笑む。
「?変なこと、いいましたか」
「いや、いい……うん、何でもない。それよりも話をしようか」
「はい……」
そうだった、と気を取り直して聞く体制をとると、シンディアスとレンブロントも姿勢を正した。
「まず、誘拐犯たちは全員捕まえて処罰した。おまえにも随分つらい思いをさせてしまったな、すまなかった」
真摯にそう謝罪するカイゼルに、ふるふると首を振る。
カイゼルは助けてくれた。リリゼットにはそれだけで十分だった。
そんなリリゼットにまた瞳を細めた彼が口を開く。
「城に戻ってからのことは覚えているか?」
「あまり……たまに目が覚めて、殿下やシンディアス様とレンブロント様がいたことは、すこしだけ覚えています」
「そうか。……本来ならウィルステアの王族に用意していた部屋で療養してもらうべきなのだろうが―――いろいろ問題があった」
「もんだい?」
「……おまえの姉上だ」
びくっと肩が竦んだ。なだめるようにカイゼルの大きなてのひらが、リリゼットの細い肩を撫でる。
「おまえは重傷で、安静にしていなければならないのだと何度も説明したんだが……面会謝絶にしても部屋に乗り込もうとしてくるし、一介の侍女たちでは抑えきれないと判断してこちらに。そしてシンとレン、もしくは私が常にそばにいるようにした」
はっと控えるふたりを振り向くと、微笑んだ彼らが頷く。
「す、すいません……!」
「いえいえ、姫に何かあると大変ですからね」
「姫が謝るようなことではありませんよ」
レンブロントが明るく言うと、シンディアスも頷いて微笑む。
やさしいひとたちだと思った。
ここまでさせてしまう姉の行動には頭が痛くなるけれど、彼女がリリゼットを目の敵にしているのは昔からのことだった。おそらく父の愛情を母から奪った親子として憎まれてしまっているのだろう。それはもうどうしようもないことなので、何をされてもしかたがないとは思うけれど、それでこのやさしいひとたちに迷惑をかけることは本意ではなかった。
「ここは私の部屋の隣にある。限られた人間しかこの辺りには足を踏み入れることも出来ないし、安全は保障できる」
「はい……ほんとうに、ご迷惑を……」
「迷惑ではない。ただ……さすがにおまえの名誉もあるし、ごく一部の人間にしかお前がここにいることは知らない。だから行き届かない面もあるかと思うし、不自由もさせるかもしれないが、しばらく我慢してもらえるだろうか」
「不自由なんて、ありません!もともと、なんでもひとりでやってきたので……けがで、お手をわずらわせることが、申し訳ないくらいで」
すまなそうなカイゼルに、慌ててそう伝える。
普通の王女なら侍女がすべてやってくれるのだろうが、あいにくとリリゼットは普通の育ちをしていない。なんでも自分でやらなければならなかった今までにくらべたら、こんな待遇がもったいないくらい贅沢なのだということは、さすがに理解できた。
「それに、」
「うん?」
「それに、おとなりが殿下の部屋なら……それだけで、安心、できます」
「……そうか」
あのきれいな琥珀の瞳が細められて、思わずそれに見入ってしまうのも、もうしかたのないことかもしれなかった。どうしたってカイゼルは、リリゼットの心をかき乱してしまうから。
「それからウィルステア王の滞在期間もあと三日で終わる予定だが、リリゼットは動かすことはできないと伝えてある。……しばらく我が国で療養してもらうということで話はついているが……構わないだろうか」
「え、はい。それは、もちろん」
「帰国する際もきちんと送り届けるから心配しないでいい。今は怪我を治して、元気になることだけ考えてくれ」
リリゼットがいようがいまいが、父王にはあまり問題でもないだろう。どうせ帰ったところで離宮に引きこもって暮らすことに変わりはない。
とはいえ、本来なら迷惑をかけるまえに、無理を押してでも帰国するべきなのだということは、わかっていた。ここで面倒をみてもらったうえに、帰りも送り届けてもらうとなると相当に負担をかけることになる。
馬車で三日ほどの距離は、今なら耐えられない状態でもないような気がしたし、そうであるならきっと帰ることが正しいと思うのに、ほんの少しだけ―――欲がでてしまった。
……もうすこしだけ、おそばにいたい。
そう、思ってしまったから、帰ります、という言葉は喉の奥で消えてしまう。母を亡くしてから、だれかをこんなに近くに感じたことはなくて、触れたぬくもりや、守ってくれるてのひらを惜しむ弱さを、どうすることもできなかった。
「……ありがとう、ございます……」
消え入りそうな声でそうとだけ、ようやく囁いたリリゼットに、カイゼルの瞳がやさしく細められて、おおきなてのひらがそっとリリゼットの頬を撫でる。
知ってしまったぬくもりは、手放すときにどれだけ胸をいたませるだろう。
考えたくなくて、頬を包むてのひらに、そっと擦り寄って瞳を閉じた。
すくなくともいま―――カイゼルは、ここにいてくれるから。




