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黄金の王とちいさな姫君  作者: 杏輔
3/21

3

馬車が山道を通る振動が酷く体内に響く。


 ぞっとするような激痛に冷や汗が浮かぶリリゼットの額を、暖かい手がそうっと撫でた。




 知らないうちに硬く閉じていたまぶたをそろそろと持ち上げると、焦燥を浮かべた琥珀の瞳と視線がぶつかった。




「すまない、……痛むな」


「……っだい、じょうぶ、です……っ」




 気遣う言葉に、荒い呼吸の隙間を縫うようにして、喘ぎながらようやくそう応える。


 なるべく振動を抑えようと、やわらかなクッションを敷き詰めて、ふわふわした毛布にくるまれ、さらにカイゼルの腕に抱かれてその膝のうえにいるという状態で、これ以上を望むべくもない。


 なんとかほほ笑むこともできたと思うのに、カイゼルはその男らしい眉を顰めてまたそっとリリゼットの頬を撫でた。剣だこのある大きな手は、少し荒れている。王子の手というよりは、戦士の手だなと思った。でもそれはリリゼットにとっては安心できる手だった。


 カイゼルの手に励まされながらしばらく馬車は走って、途中少し気を失っていたのかもしれない――――振動が止まったと思ったら、あっというまに城の中に運び込まれていた。




 ベッドの上に降ろされて、離れていきかけた大きな手を無意識で追いかけてぎゅっと握る。この手がなくなってしまったら、もういろんなことに耐えられず泣き叫んでしまいそうだった。戸惑うような気配を感じたけれどそれは一瞬で、リリゼットの小さな手はまた大きな手にそっと包み込まれた。


 ほっとしてゆっくりと目を開けると、そこにはやっぱりあの琥珀の瞳があって、リリゼットはようやく安堵することができた。




「……でんか、」


「大丈夫だ、ここにいる」




 低く耳障りのよい声が、染みるような甘さを含んで耳に届いて、そのときようやくリリゼットの瞳からほろほろと涙が零れた。張り詰めていた緊張の糸が解けて溢れたそれを、大きな手が、その無骨さにそぐわないやさしさで拭っていく。




 薄れていく意識の隅で、まるでひどく愛おしいものにそうするように、そっと額に押し当てられた唇の感触が、最後の記憶だった。








***








 暗闇に引きずり込まれていたような意識が唐突に浮上して、ひどく重いまぶたをようやくの持ち上げると、見覚えのない部屋の天井が視界に映った。


 薄暗い部屋は、わずかなランプの灯りが揺らめいていて、状況が呑み込めずにがんがんと痛む頭を呻きながら動かすと、突然大きな掌が頬を包んだ




「目が覚めたのか」




 低く滑らかな声。


 視界に入り込んできた朱金に思わず瞳を瞬かせる。


 少し視線をずらせば、心配そうな琥珀の瞳にぶつかって、乾ききった唇からかすれた声が漏れた。




「で、んか……」


「ああ、もう大丈夫だ」




 汗で額に貼りつく前髪を、無骨な男の指がそぐわないような慎重さで、そうっと払いのける。大丈夫。彼がそういうのならきっと大丈夫なのだろう。


 カイゼルの言葉を無意識に信頼しきっているリリゼットは、朦朧とする意識の隅でそう思う。身体中痛くて、指一本満足には動かせないし、おそらく発熱しているせいでまともに頭も働かないけれど、そばにカイゼルがいてくれるだけで心はひどく落ち着いた。




「まだ夜更けだ。もう少し眠るといい」




 甘やかすような声に、かすれた声ではい、と答える。


 殴られて腫れの引かない頬を、湿布の上からそうっと撫でて離れていきかけた指になぜか、胸の奥がひどく疼いた。






***






 それから何度か目を覚ましたけれど、助けられたときにいた美貌の黒い騎士と、見たことのない長い銀髪の、おそらく―――あんまりきれいなので最初は女神さまかと思った―――男性、そしてカイゼル。この三人のうちの誰かは必ずそばにいたようだった。


 特に夜に目を覚ました時はかならずカイゼルがいてくれて、それがひどくリリゼットを安心させた。


 そんなふうに寝込んだリリゼットが、ようやくはっきりとした意識で目を覚ましたのは一週間ほど経ったころで、早朝の空気に珍しくすっきりとした頭で起きることができたとき、やっぱり一番最初に目に入ったのはカイゼルだった。




 広いベッドの上で、リリゼットの隣で眠る彼の精悍な顔をしばらくぼんやり見つめたあと、我に返って飛び起きかけて―――全身を走った痛みにぶざまな呻き声を上げてまた寝台に逆戻りした。


 そんなわずかな動きに素早く反応したのは隣で眠っていたカイゼルで、寝起きとは思えないほどはっきりとした顔つきでリリゼットを覗き込んでくる。




「リリゼット、目が覚めたか?」


「あ、はい、あの……あの、どうして、わたし」


「ああ……まあ、詳しいことは後でな……。うん、熱はだいぶ下がったようだ」




大きな掌が額を押さえて、ほっとしたようにカイゼルが微笑んだ。




「まだ少し早い時刻だがもう起きるか?少しは食事をとれるといいんだが」


「は、はい……おき、ます」


「わかった」




 ガウンを羽織りながら寝台を降りたカイゼルをぼんやり見送って、これはいったいどうしたことだと回らない頭の隅で考えるけれど、何もわからないので結局考えることをやめて視線をあたりに廻らせる。


 天蓋付きの大きな寝台が据えられた中央から、豪奢な意匠の天井と家具。王宮の部屋に入ったことはないけれど、たぶん故郷にもこんな立派な部屋はないのではないだろうか。


 王太子殿下と同衾していた事実から若干逃避気味になっていると、再度部屋の扉が開いてカイゼルが戻ってきた。寝間着から着替えたようで、白いシャツと黒いズボンというシンプルながら質の良い動きやすそうな服に着替えている。


 そんな彼の後ろから、寝込んでいるときに何度か見かけた黒い騎士と銀の髪の青年も入ってきて、さらにその後ろから年配の女性がワゴンを押しながら続く。


 咄嗟に身を起こそうとして、また全身を走った激痛に顔をゆがめて倒れこむと、カイゼルが慌ててリリゼットのそばに近寄って寝台の端に腰を下ろす。




「こら、急に動くな。まだ傷は癒えてないんだぞ」


「す、すいません……」




 恐縮して小さくなるリリゼットの身体をカイゼルが慎重に起こして、背にふかふかしたクッションを詰め込んでくれてようやく身を起こすことができた。


 甲斐甲斐しく世話をやくカイゼルの様子を面白そうに見ていた黒い騎士と銀髪の青年が、胸に手を当て優雅に一礼する。まるで絵物語の姫に仕える騎士のような仕草になんとなく挙動不審になるリリゼットに、意外に人懐こい笑みを浮かべて黒い騎士が口を開いた。




「改めまして姫君。近衛騎士団の副団長をしておりますレンブロント・エーデルハイズと申します。レンとお呼びください。お目が覚めてよかった」


「私は初めましてですね―――宰相補佐官、シンディアス・ローゼンバルドと申します。シンとお呼びいただけると嬉しいです」




 続いて銀色の男性が微笑みながらそう名乗った。晴天の空を思わせる鮮やかな青の瞳をやんわり細めると、冷たい印象が和らいでその美貌が際立つ。


 目がちかちかするような美形にそろって微笑みかけられて、思わず助けを求めるようにそばにいたカイゼルにすり寄る。苦笑する気配がして、大きな手がそっとリリゼットの肩を抱いた。




「そう怖がらなくていい。この二人は信頼できる。これから私がそばにいられないときはふたりがお前を守ってくれる」




 カイゼルの言葉に小さく首を傾ける。


 近衛騎士団副団長に宰相補佐官。そんな方々についていてもらうようなたいそうな人間ではないのに、と思わずリリゼットは俯く。




「あの。わたし、ひとりでも平気です……」




 申し訳なさに顔の上げられないリリゼットの背を、暖かい掌が傷に響かないような柔らかさでやさしく摩った。顔を上げるよううながされているように感じてそろそろ視線を上げると、困ったように微笑みながらシンディアスとレンブロントがリリゼットの視線に合わせるように寝台のそばに膝をついた。




「お守りさせてください……殿下の大切な方は我々にとっても大切な方です。ご迷惑ならけしてお邪魔にならないようにいたしますから」




 穏やかに紡がれるシンディアスの言葉の意味をよく考える間もなく、咄嗟に弱弱しく首を振る。




「邪魔なんてそんなこと思いません!で、でも……わたしなんかに時間をとらせてしまうことが、申し訳なくて」


「姫をお守りするのはむしろ誉れですよ―――なによりカイゼル殿下がそれで安心するんです。深く考えずに、暇つぶし相手ができたとでも思って」




 あっけらかんと笑いながらそう言うレンに、リリゼットも呆けたあと思わずくす、と笑みが漏れる。カイゼルが安心できる、という言葉にも心が動いた。




「殿下、あんしん、できますか?」




 相変わらず肩を抱いてくれている彼をその腕のなかから見上げておそるおそるそう問いかける。カイゼルは、ん?と首を傾けたあと、琥珀の瞳を細めた。それが彼が微笑む仕草だと感じて、リリゼットのちいさな胸の奥がまた、やけに忙しなくなる。




「そうだな、安心だ」




 頷いた彼がちいさなリリゼットの手を取って、その指先に唇を寄せながらそう言うから、せっかく下がった熱がまた上がったような気持ちになりつつ、おどおどと黒と銀の青年にぺこりと頭を下げた。




「あの、じゃあ……すいません、お願いします……」




 お任せください、と声を揃えて嬉しそうなふたりの青年に、リリゼットもようやく肩の力が抜けて、ちいさく微笑むことができたのだった。




「それではお食事のご用意をいたしますね」




 穏やかな声にはっと顔を上げると、年配の女性が品よくワゴンの側で一礼した。カイゼルが彼女を掌で示して紹介する。




「私の乳母でもあったメリッサだ。今は引退しているんだが、特別に来てもらった。彼女も信頼できる人間だから、君の世話を頼んだ」


「メリッサと申します。こんな可愛らしい姫様を堅物な殿下が連れてらっしゃるなんて……嬉しいことです。どうか遠慮せずに何でも言ってくださいましね」




 春の陽だまりのような微笑みに、リリゼットへの悪感情はかけらも感じられなくて、ふわふわとした彼女につられてリリゼットもにこにこしてしまう。そんな様子を満足そうに眺めていたカイゼルが、視線でメリッサに食事の用意を促して、それから腕の中のリリゼットに視線を落として言った。




「食事をしながら今までの経緯と―――これからのことを話そうか」

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