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黄金の王とちいさな姫君  作者: 杏輔
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閑話

 痩せこけた身体、骨と皮ばかりのような手、落ち窪んだうつろな瞳。


 艶の失せた黒い髪は化粧でも隠し切れないほど土気色の頬を隠すように覆い、幽鬼のような様相を呈している。




 記憶の中にある、咲き始めた花のような少女だった彼女とは、なにもかもが違う。


 きっとそれは、己の犯した罪なのだ。




「……待っていた」




 ようやくそれだけ呟いた声は、震えていなかっただろうか。


 それに応える年頃の娘とは思えないほどざらついてかすれた声が、静かな広間に響いた。




「はじめてお目にかかります、陛下。このたびは斯様にありがたきお話を頂き、誠に恐悦至極に存じます」




 遅かったのだ、と。


 まるで言葉に殴られたように思った。


 立つことがやっとなのだろう。よろよろと揺れる身体をなんとか自らの足で支えているような様子の少女に、カイゼルは初めて、五年の長さを思い知らされた。リリゼットには、きっと長すぎた五年をそのとき初めて、ようやく自覚したのだ。




 どれほどつらい思いをしたのだろう。




 けしてこんなに待たせるつもりではなかったのだと、伝えたとしてもきっと彼女には届かない。それほど硬い拒絶の気配を漂わせた少女に、不覚にもカイゼルは伝えるべき言葉を失ってしまった。


 しんと落ちた沈黙を破ったのは左後方に控えた銀の宰相で、さすがにというべきか、落ち着いた声音を保っている。―――その声が、少しだけ動揺で揺れていたことには、気づかないふりをした。




「……お顔をお上げください、姫君。長旅でお疲れでしょう……すぐに部屋へ案内を」




 さすがに長い付き合いで、シンディアスは今の国王が使い物にならないことを悟ったのだろう。カイゼルの指示を待たずに、場を動かすことに決めたようだった。




 ひどくゆっくりとした動作で顔を上げたリリゼットの瞳は、なんの感情も浮かべていない。せめてそこに、恨みでも憎しみでもいい、カイゼルに対する気持ちがひとかけらでも見えたならと、そんな愚かで淡い期待もすぐに掻き消えた。死人のような瞳。こんな風になってしまうほど、彼女の心を壊してしまったのは、きっと自分だ。




「こちらへどうぞ、姫君」




 シンディアスの声に、我に返る。


 骨と皮ばかりのような手を、なにかを守るように前で組み合わせたリリゼットは、促されるままカイゼルに背を向けてしまった。






「――――リリゼット」






 咄嗟に呼び止めたのは無意識だった。


 もう十五歳のはずなのに、あの頃とそう変わっていないような小さくか細い背は、一度立ち止まった。






「……失礼致します、陛下」






 静かな声に込められた、はっきりとした拒絶。


 それ以上引き留ることはできずに、去っていく背中を見送る。




「……陛下」




 静かなレンブロントの声が響く。


 気遣う気配に、思わず苦い笑みが唇に浮かぶのがわかった。




「レン……俺は、遅すぎたのか……?」




 今この手に触れられるほど近くにいる、あれほど求めた少女は、会えなかった五年間より、ひどく遠くに行ってしまったような、そんな気がした。






***






 その日の夜リリゼットが倒れたと知らせを受けた。


 カイゼル自身、まだ状況を整理しきれてはいなかったけれど、ずいぶん高熱を出していると聞いては心配にもなる。医者は疲労だろうと言っていたけれど、少しだけ様子を見ておきたいと、王の寝室からはすこしだけ離れた客室へと足を向けた。


 リリゼットがひとりだけ連れてきた侍女は、カイゼルを見てすこし若草色の瞳を見開いた。




「あとは私が看よう。君は休みなさい」




 少しためらいを見せた侍女は、それでもこくりと頷いた。声が出せないと聞いたけれど、間違いはないらしい。気立てのよさそうな娘だった。心配そうにリリゼットを見る様子に、こんな人間がひとりでも側にいてくれたのなら、それだけで少しはリリゼットも救われていたのだろうか、と考えてしまう。そうであってほしい、と思うのは、罪悪感のせいなのだろうか。


 そんなカイゼルをじっと見上げる侍女の瞳は物言いたげな様子であったけれど、結局そのまま視線を伏せて礼を取ると下がっていった。




 静かな部屋の空気を、苦し気な呼吸が揺らす。




 枕元に椅子を持ってきて腰かけると、リリゼットの額を冷やしていた布を取る。すっかりぬるくなったそれを桶の水で冷やして固く絞ると再びリリゼットの額に乗せる。汗で貼り付く髪をそっと指先で払っていると、長いまつ毛がゆるゆると持ち上がる。




 熱で潤んだ瞳が、朦朧とした様子でカイゼルを捉えた。


 一瞬拒まれるかと思ったけれど、頬に触れていたてのひらに、熱いそれがすりすりとこすりつけられる。甘えたような仕草に驚いていると、じっとカイゼルを見ていたリリゼットの瞳から、ぽろりと涙が零れた。




「ゼルさま。……わたしは、どうしたら、よかったのですか」




 苦しそうな呼吸の合間。ちいさな声で、そうなじるように問われる。


 あの頃呼んでくれていた、今はもう彼女だけに許した呼び名。たまらなくなって、黒い瞳からぽろぽろこぼれていく滴を唇で受け止めて、熱い額や頬に、なだめるように口づける。そのたび、ひどい、となじる力のない声が、それでもカイゼルには愛おしかった。




「お願いだから、思い出させないで」




 諦めたから、生きていられたの。


 あなたを愛していたことも、忘れたから、生きていられた。




 泣きながら、そう訴える声。


 胸の潰れるようなそれに、彼女の辛い五年を見て、カイゼルも堪らないような気持ちになる。






「すまない……それでも、愛してる」






 またひどい、と泣いたリリゼットの唇に、そっと触れるだけの口づけを落とす。


 再び意識を失ったリリゼットの髪を撫でていると、かすかなノックの音が響いた。相手はわかっていたのでそのまま促すと、予想にたがわずふたりの腹心が現れた。




「リリゼット様の具合はどうですか」


「熱が高い……。医師は疲労だと言っていたが」


「あまり身体も丈夫ではないのでしょう」




 レンブロントの問いに答えると、シンディアスも頷き、そして夜の空気に冷えていたカイゼルの肩にガウンを掛けた。




「陛下も。雨が降り出しました……痛むでしょう」




 ふ、と口元だけで苦く笑う。


 宥めるようになでられた左肩に残る古傷は、雨が降る日は鈍く痛む。


 それを知るのは、この腹心たちだけだ。




「リリゼット様に、ぜんぶ話せばわかってもらえると思いますよ」




 レンブロントの言葉に、溜息を吐く。


 そしてゆっくり首を振った。




「今何を言っても言い訳にしかならないだろう。結果的にリリゼットはここまで追い詰められているんだ」




 それでも今リリゼットの見せた涙には、まだカイゼルへのままならない感情が残っているように思えた。そう思いたい願望のせいかもしれないけれど。




 許してくれとは言えない。




 ただ、いつか。


 いつかは信じてほしい、と思うのは、過ぎた望みだろうか。








 側にいてくれるなら、もう二度と、誰にも傷つけさせたりはしないから。





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