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黄金の王とちいさな姫君  作者: 杏輔
12/21

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あれからカイゼルは頻繁にリリゼットの元を訪れるようになった。




 とくにリリゼットの食事に関しては神経質なまでに気を使っているようで、はじめて朝食を共にした時から、広間ではなくリリゼットに与えられた部屋に用意させ、可能な限りすぐ隣で共に食事をとるのが習慣になってしまった。


 すぐに食べやめるリリゼットの手からカトラリーを取り上げて、実に優雅な所作で国王みずから婚約者の口元に差し出す料理をめぐる攻防は毎回のことで、すでに見慣れたものになってしまった。




「……おなかがいっぱいです」


「あと少しだけ。これだけだ、頑張れ」


「………」


「これだけ。約束する」




 おだやかな声で苦笑交じりに繰り返される言葉に、心中でため息を吐く。


 リリゼットが本当に苦しいと感じる寸前の実に絶妙なラインをわきまえているせいで、頑なに拒むこともむずかしい。無表情で睨み付けたスプーンのうえのリゾットに罪はないのだからなおさら。


 食の細いリリゼットのために、料理人がいつも消化の良いものをと用意してくれているのだ。それはわかっている。せかしはしないが引く様子もないカイゼルに、無表情のまま口を開く。慣れた仕草で唇のあいだに差し込まれたスプーン。まだほのかに温かいリゾットをゆっくり咀嚼すると、ようやく彼はカトラリーを置いた。




 そんなふうになかば強引に摂らされる食事は、うんざりする本人とは裏腹に少しずつではあるものの、リリゼットの痩せ細った身体を健康にしつつある。骨と皮ばかりだった腕も、少しだけ柔らかみを帯びてきた。エレノアも、それを見て嬉しそうにしているから、なんとなく文句も言えない。


 リリゼットが食後のお茶を飲む間にあっという間に自分の食事を終わらせたカイゼルが立ち上がる。




「夕食は共に取れそうにない。ちゃんと食べるように」




 言い残して去り際に、大きな手が確かめるようにするりと頬を撫でていく。


 カイゼルからの接触は多い。そうすることでリリゼットに自分の体温を覚えさせようとしているようだった。もしかしたら思い出させようとしているのかもしれない。そしてそれは確実に、リリゼットの心まで侵食してこようとしている。離れていく手を、惜しんでしまうほどには。






***






 もっと慌ただしいものだと想像していたリリゼットの予想に反して、この国での日々はずいぶんと穏やかなものだ。一カ月ほど過ぎたけれど、当初となんら変わらないのんびりした毎日を送っている。


 本来ならもっとやることはあるはずなのに、今はまだその時ではないと言われるばかりなので、それ以上どうしようもない。 


 それでも変わったことはそれなりにあって、侍女が少し増えた。エレノアの負担が軽くなるのはうれしいけれど、一から十まで世話をされるのはやはり慣れない。そういうものだと知識で知ってはいても、育ちが育ちなので慣れるのは時間がかかりそうだった。




 静かな午後のひとときに、読書に勤しんでいたリリゼットの傍らに膝をついたエレノアが唇を動かす。その動きを読んで頷くと、またエレノアが部屋を出て行き、入れ替わりのように背の高い青年が訪れた。




「ごきげんいかがですか、リリゼット様」




 涼し気な声にゆっくりと手元の本を閉じる。もう何度か読んでいたから、栞を挟むこともしない。


 首を傾けて微笑む青年の肩口から、銀色の癖のない髪がするするとねじれておちて、さらりと揺れるさまをぼんやり眺める。随分と髪が伸びたのだな、と今更そんなことを考えながら、感傷を振り払うように一度瞬きをする。




「……閣下。なにか御用でしょうか」




 かつて兄と慕ったそのひとは、相変わらず感情のないリリゼットの声にすこしだけ哀しそうな顔をしたあとすぐにまた微笑んだ。そんな彼に手でソファを示すと美しい所作で失礼します、と礼をして座る。そして、その手にしていた数冊の本を目の前のテーブルに置いた。




「新しい本を何冊か見繕ってきました。気がまぎれるといいのですが」




 いつかもそうやって、リリゼットのために忙しい中面白い本を探しては持ってきてくれた。今手にしている本も数日前に差し入れてくれたものだ。宰相となった彼も、毎日とても忙しくしているはずなのに、こまめに顔を出してくれる。




「……この本も、おもしろかった、です」




 あの頃のように無邪気には甘えられないリリゼットの精一杯の言葉に、晴天の空を思わせる青い瞳を瞬かせた銀色の宰相は、ふわりと微笑んで、よかった、と笑った。




「今日は天気もいいので、散歩でもなさったらいかがですか。すぐにレンブロント将軍が迎えに参りますから」


「でも、ご迷惑でしょう。私は部屋にいます」


「少しは外に出ないといけませんよ。体力が付かないと、これからいろいろ大変ですから」




 シンディアスの言葉に首を傾げると、銀色の宰相はまたふふふ、と笑った。そうこうしているうちに再び部屋の扉がノックされて、エレノアが現れる。なんだか頬が赤らんでいるのは気のせいだろうか。いつになく落ち着かない様子でリリゼットの側に膝をついた彼女の唇の動きを読んで頷く。


 エレノアの退室と入れ替わりに現れたのは、予想通り黒い騎士だった。




「ご機嫌麗しゅうリリゼット様。今日はいい天気ですよ、少し外を歩きましょう。陛下の許可も取ってあります」




 にっこり笑って騎士の礼を取る青年を見上げて戸惑う。


 将軍という役職で、若いながらこの国の軍部の頂点に立つようになったレンブロントは、あの頃より精悍さも増した。それでもやさしいまなざしだけは変わらないまま、リリゼットに微笑む。もうひとりの兄のようだった彼の、笑顔のやさしさに、あの頃どれだけ救われていただろう。


 ちらりと宰相を見やると、こちらもにこにこしながら頷いている。


 リリゼットはため息を吐きながら、わかりましたと頷いて、差し出された騎士の手を取った。






***






 変わってしまったリリゼットを、厭うことなくあの頃と同じように慈しんでくれているひとたちのことを、突き放せるほどリリゼットも強くはない。


 裏庭をゆっくりゆっくりと歩くリリゼットの歩調に合わせて、本来なら少し後ろを歩くはずの騎士は、エスコートのため隣を歩いている。その腕に掛けた手は、歩調の違いに解かれることもなく、彼が随分気を使って歩いてくれていることがわかる。




 頬を撫でる風のさわやかさに目を細めて空を見上げる。昼を過ぎた空の濃い青さ。白い雲とのコントラストが鮮やかで、素直にきれいだと思えた。そういう風に何かを楽しめる気持ちが、まだ自分のなかに残っていたのだと少し驚く。




「……リリゼット様は―――」


「は、い?」




 隣を歩くレンブロントの声に意識を引き戻されて、背の高い騎士を見上げると、穏やかな紫水晶の瞳がリリゼットを見下ろしている。




「俺たちを―――陛下のことを、恨んでますか」




 やさしくさえ問われて、さすがにリリゼットも言葉を失った。


 頑なな己をとがめられているのかと思ったけれど、その瞳はおだやかなままで、唇は甘く弧を描いている。ぱちりと瞬きをひとつして、ふるふると首を振る。




「……恨んでなんて、いません」


「じゃあ許せない?」


「許す、許さないという問題でも、ないと思います」




 重ねて問われて、そういえば彼はこういう、はっきりとものを言う人間だったことを思い出す。ふしぎだと思えば素直に問うてくるし、思ったことは率直に口にする。そういうひとだった。思慮深く、唇に乗せる言葉ひとつにさえ考えを巡らせるあの銀色の宰相とは正反対で、だからきっと、彼らは信頼しあっているのだろう。


 首を傾けて問いかけてくるその姿は、ただ知りたいからだと告げているから、ふ、と吐息を吐いて、無表情のまま答える声に、それでも少しだけ、久しぶりに声に感情が滲んでいるような気がする。




「きっと私が、幼かったのです。待つことのつらさを知らなかった私が―――誰のせいでもない、私が弱かっただけ」


「リリゼット様」


「陛下は誠実な方なのでしょう。でも私には、それがいまは、……苦しい」




 国同士の取り決めでもなく、誰でもよかったわけでもないと―――初めから、リリゼットを望んでくれたのだと。そう言ってくれたあの人の言葉を信じて、また傷つくことが怖い。そもそもカイゼルを待つことを放棄した弱い自分に、あの人のやさしさを享受する資格だって、きっとないのに。




「リリゼット様」




 大きな手が、俯いたリリゼットの頭をぽんぽんと撫でた。


 のろのろと見上げた先で、やはりやさしいまなざしが、リリゼットを見詰めている。




「あなたがどれだけ苦しい思いをしたのか―――きっと俺たちにはわからないのだと思う。……でも、」




 そこではじめて言い淀んだレンブロントが、一瞬だけ唇を噛んで俯いたあと、滲むような笑みを見せて言った。




「あともう一度だけ、陛下を、信じてみることはできませんか」




 どうか、今そこにいるひとを、もう一度だけ。


 レンブロントの言葉に、答えられずに視線を伏せた。




 信じて、また傷ついてしまったら、そのとき自分はどうなってしまうのだろう。それを思えば一歩も動けなくなってしまう弱さをどうすることもできない。




 胸の奥に閉じ込めた感情の蓋が、開いてしまいそうでぎゅっと目を閉じる。


 目の裏に焼き付いたような、空の青さがやけに染みた。

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