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黄金の王とちいさな姫君  作者: 杏輔
10/21

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 馬車の揺れに身をまかせて、ぼんやりと窓の外に移る景色を眺める。




 あれからほどなく正式に輿入れが決まり、いつもは人気のない離宮もこのひと月はずいぶんひとの出入りがあった。王太子の采配らしいけれど、さすがに輿入れの準備をふたりでするのは無理があったので、素直に助かったと思う。とはいえ、持っていくものもそれほどなかったし、いろいろ用意してくれようとしていた王太子には気持ちだけ頂くと伝えておいた。


 今までとは打って変わってしきりと食べ物をすすめてくるのにも閉口した。エレノアが食べるものに困らないことはうれしいけれど、リリゼットはもうそれほど食に意欲が沸かない。そもそも粗食で生きてきたのだから、急にあれこれ食べろと言われても困る。のらりくらりと躱すのにも疲れ果ててしまったので、わずか一カ月という準備期間ののち、城を出るのに寂しさより開放感しかないのが我ながらあきれてしまう。




 馬車の外の景色は、5年前とそれほど変わらない。


 リリゼットは変わってしまった。あのひとはどうなのだろう。


 聞いたところによると、リリゼットが国に戻ってすぐに、王位を継いだらしい。そんなことも、今の今まで知らなかった。


 黄金の面影を、胸の奥で押し殺す。思い出してはいけない。あの頃胸を占めていた感情なんて。




 結婚の申し込みに、思ったより心は落ち着いていた。もともとは姉への申し込みだと聞いたから、よけいかもしれない。アルガンド王国近隣が、ここ数年緊迫していたことはつい先日聞いた。同盟の強化のための婚姻だとも。


 そう言われてみればなるほどと納得もできた。ウィルステアの姫ならどちらでもよかったのだろう。姉でも、リリゼットでも。そう考えて、すこしだけほっとした。




 幼い娘との口約束に、あの黄金色の彼が縛られていなくてよかった、と。リリゼットは本気でそう思えてしまったのだ。




 来ない便りを待ち焦がれて泣いて、初心な恋心を諦めることができるまでそれこそ毎日泣き暮らしたけれど、最後にはふしぎとあのひとを恨んだり憎んだりする感情は残らなかった。ただ、幼かった己を悔やんだ。


 なんの寄す処もないまま、ただ待つことの苦しさを知らずに、淡い恋心ひとつで待てると思っていたリリゼットはきっと幼すぎたのだろう。容易く心を差し出した、おろかなこども。




 あのひとは、すこしでも、覚えていてくれるのだろうか。


 そんな詮無いことを、すこしだけ頭の隅で考えて、すぐに打ち消した。


 もう二度と、だれかに心を許したりはしない。








***








 ちいさな馬車と、わずかな荷物。そして侍女がひとり。


 大国であるアルガンドに輿入れするとは思えない質素さは、失礼にあたらないだろうか、とぼんやり考えながら馬車から降りる。三日の道程は長いような短いような、ふしぎな距離だった。久しぶりにいろいろ考え込んだせいかもしれない。


 さすがに新しく与えられたドレスは豪華で、やせ細った体にはひどく重く、まるでドレスに踊らされているようなありさまで、気を抜くとよろめきそうになる。踵の高い靴も足を傷ませるけれど、なんとか悟られないようにと普段通りを装って歩くしかない。




 ウィルステアより数倍広く大きな城は、けれど豪華さよりも堅実な印象だった。五年前と変わらない威容を、なんだかひとごとのように眺める。ここで暮らす自分が想像できない。ちっぽけなリリゼットには、大きすぎる城だ。




 案内された大広間の扉の前で、ふいにこの先に待つのであろうひとを思った。


 ゆっくりと開いていく扉の向こうの玉座に、胸を焦がした黄金を見て、咄嗟に視線を下げた。心臓の動きが、妙に速い気がする。表情には出ていないはずだ。




 案内の騎士に促されて、ゆっくりと痛む足を進める。


 赤い艶やかな絨毯だけを見詰めて歩く。視界の端におさめた騎士の動きが止まったので、リリゼットも止まる。ともすれば浅くなる呼吸を、意識して抑える。呼吸。息をしないと。無表情の下で、なんとか感情を制御しようとしているリリゼットの耳を、忘れたはずの声が打つ。








「……待っていた」








 甘く低い声だ。そう、滑らかな声だった。あの頃も。


 一瞬だけ喉の奥が引き攣ったけれど、反射のように零した言葉は、自分でも驚くくらいに平静だった。






「はじめてお目にかかります、陛下。このたびは斯様にありがたきお話を頂き、誠に恐悦至極に存じます」






 静かな広間に響いた声は、ひどく冷たい響きを帯びていた。


 はじめて。そう、初めて会うのだ。あの頃のリリゼットはもうどこにもいないのだから。


 ゆっくりと淑女の礼を取る。重いドレスに負けそうな身では、それもひどく滑稽なことのように思えた。




 しんとした沈黙が落ちた。


 わずかな間であったような気もするし、一瞬のことであったような気もする。




「……お顔をお上げください、姫君。長旅でお疲れでしょう……すぐに部屋へ案内を」




 涼し気な声が、少し震えてようやく応えた。この声も、聴いた覚えがある。


 そう、あの、銀色の青年。黒い騎士と一緒にいつも、寄り添ってくれた。




 苦い感傷を振り払うように身を起こして、ようやくリリゼットは視線を上げた。まっすぐに見据えた先、玉座の前で立ち尽くすひと――――。強張った表情で、リリゼットを見るそのひとと、ようやく視線を合わせた。


 伸ばし放題の髪は、エレノアが纏めてくれようとしていたけれど、ハーフアップにするだけにしておいてもらった。長く伸びた前髪はそのまま無造作に顔の両脇に垂らされているので、すこしは顔が隠れてくれていればいいと思う。




 朱金の髪も、琥珀の瞳も、あの頃のまま。


 すこしだけ、年齢を重ねた男らしさが加わって、彼はもう立派な一国の王だった。あの頃のちっぽけなリリゼットが、一瞬でも愛されているだなんて考えてしまったことが不思議なほど。




 カイゼルの両脇に立つのはシンディアスとレンブロントで、そこだけ見るとまるで昔に戻ってしまったような錯覚を覚えてしまう。振り切るように再び視線を落とす。みっともなくやせ細った手を、隠すように腹の前で組み合わせる。






「こちらへどうぞ、姫君」






 シンディアスが自ら案内するようで、促されるまま踵を返す。


 今は少しでも早く、ここから逃れたかった。






「――――リリゼット」






 言葉で殴られたような衝撃だった。


 あの声で、唇で、名前を呼ばれるだけで、こんなに―――。






「……失礼致します、陛下」






 リリゼットの声は、みっともなく震えてはいなかっただろうか。


 頑なな背に、それ以上の言葉はかけられず、ようやく広間を後にすることができた。じっとりと背に冷たい汗を掻いている。思うよりずっと緊張していたのかもしれない。






 ―――――リリゼット。






 名前を呼んだ声を、その響きを、惜しむような気持ちを無理やり抑え込んで、胸の奥の箱に押し込める。今日はそこから、なんだかいろんな感情が溢れてしまいそうになっているような気がする。危険な兆候だ。


 閉じ込めておかなければ、きっとリリゼットはまた壊れてしまうから。




 無表情の下で、改めて気を引き締めていると、何か言いたげな銀色の青年の視線に気が付いて、ふいと視線を反らす。もう今日はこれ以上、だれとも話したくはない。ちいさなため息のあと、淡く悲しそうな微笑みを浮かべて、こちらですと促されたので、頷きだけ返して、その背中を追って足を進める。






 こんなことで揺さぶられていてはいけない。


 もう二度と、あんなふうに胸をかきむしるような苦しい思いはしたくない。


 諦めたままでいれば、少なくとも心は穏やかでいられるのだから。












 もう二度と、心を明け渡したりしてはいけないのだ。




 ―――――誰にも。

















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