プロローグ:飛空艇というものは
小さい頃の私は、飛空艇が空を飛んでいるのを見るのが好きだった。
はるか空高く、日差しを受けてキラリと輝いていた飛空艇は、当時の私にとって宝石よりもずっと綺麗なものだった。
初めて見た飛空艇には、確か白熊の模様が描かれていたっけ。
飛空艇が何であるかと言うと、文字通り空を飛ぶ乗り物だ。
動力源は『飛空結晶』という青色の半透明な鉱石。動力と浮遊の力を併せ持つこの不思議な鉱石のおかげで飛空艇は生まれ、普及することとなった。
ちなみに飛空結晶は、我がシャヘル国の特産品である。
飛空艇がどんな形をしているかと言うと、海を走る船を想像すると分かりやすいだろう。あれからちょうど帆をなくした形だ。その形を基本に、風の抵抗等を考えて設計されたフォルムとなっている。
そんな形なので飛空艇は『船』とも呼ばれていた。
飛空結晶が積極的に採掘されるようになって八十年。飛空艇だけではなく、他にも色々な物に使われている。
飛空結晶の登場により、世界の技術は大きく変化し、前に進んだ。飛空艇を見ると今でもその進歩にちょっと感動したりする。
東の国から嫁いできた母は飛空艇を見ると、
「意外と乗り心地が悪かったわね。でも、すごく感動したわ」
と言っていた。母がこちらへ来たのは今からおおよそ二十年くらい前だそうだから、それはそうだろう。
特にその二十年の間の、飛空艇に関する技術の進歩は目覚ましかった。
その立役者だったのが『リジー・グロウ』という一人の工学者だ。彼女が飛空艇をより安全に、そしてより速く飛ぶように改良してくれたおかげで、私達の今がある。
私が留学している隣国のカベルネでも知られているくらい有名人だ。残念な事に彼女は数年前に体調を崩して亡くなったそうだが、残してくれた功績はとても大きい。
ある意味で伝説のような人だ。
まさかそんな人と、意外な形で関わることになるとは、飛空艇を見上げて楽しんでいた子供の私は、思いもしなかっただろうけれど。
そう言えば自己紹介が遅れたが、私の名前はフォルテ・フロスト。歳は十七、三人兄妹の真ん中だ。
大変こっぱずかしい話だが『フロスト家の魔弾娘』なんてあだ名つきで呼ばれている。
そんなあだ名がついたのは私が十二歳の時。理由は射撃の命中精度が高かったからだ。
動かない的なら心臓ど真ん中に十発中十発、動いている的でも最低九発は当てられる。
もちろん名付けられた当初は何となく響きが格好良かったので嬉しかった。しかし私はもう十七だ。五年も経てば『魔弾娘』なんてあだ名は勘弁してもらいたい。なのに私の生まれ故郷のシャヘル国では、実家が有名である事も合わさって、ちっとも忘れてくれる事はなかった。誠に遺憾である。
だからという訳ではないが、十六になると隣国のカベルネ国に留学に行く事を決めた。元々そういうお誘いがあったからだ。
うちのフロスト家はシャヘル国の東部にある。ちょうどカベルネ国との国境側だ。カベルネ国とうちの国は昔から友好関係を結んでいるが、その橋渡し役を担っているのが我が家である。なので我が家の子供は代々、一人か二人、カベルネ国に留学する事になっていた。それがたまたま私だった。
理由は幾つかあるが、世間的な理由は年齢的にわたしがちょうど良かったのが一番だ。
私は三人兄妹の真ん中だ。二つ上に兄のノア、五つ下に妹のリリティアがいる。
兄のノアは将来フロスト家を継ぐ事になるため、父から仕事を教わっている最中で留学に出る余裕がない。
妹のリリティアの場合は年齢の関係だ。留学先のカベルネ・アカデミーは十六歳から入学を受け付けているので直ぐには無理だった。
そんな理由から私にお話が来たというわけだ。
もちろん個人的な理由もある。
この留学は友好関係の延長線で行われているもので、いわば伝統で続いているものだ。なので強制力はない。実際に最初に話を聞かれた時も「留学しないかって話が来てるけどどうする?」くらいのノリだった。断りたいなら断って良いよ、とも言われたものだ。
それでも留学を決めたのは、その方が兄や妹が楽かなと思っただけだ。
将来的に兄が継いだフロスト家が隣国と上手くやるなら顔を繋いだ人間がいた方が良いだろうし、私が断ったら数年後に妹のリリティアに留学の話が行くかもしれない。
別に留学自体は良い事だが、仲の良い友達と楽しそうに笑っている妹をそこから引き離す事になりかねないのがとても嫌だった。兄も、勉強の間にシャヘル国の友人たちと息抜きに楽しそうに話をしている様子を見ると、そのまま笑っていて欲しいとも思ったからだ。
私は兄や妹が楽しそうにしているのを見るのがとても好きだ。三度の飯と同じくらい好きだ。家族が幸せならそれでいい。
……なんて言えば聖人のようだが、まぁ自己満足である。
そんな事情で私は留学を決めた。
留学の話をした時に、妹は行かないでと抱き着いて一日中泣いてくれていた。兄や両親に説得されて「連絡してね」「お手紙書いてね」と指切りまでして約束をしてようやく離れてくれた。
そのいじらしさったら。私としては可愛い妹にならずっと抱き着いてもらっても構わなかったのだが、残念な事に出発日は待ってくれない。ある意味で私の留学は国と国との取り決めのようなものだ。いくら妹が可愛くても、出発日を伸ばす訳にはいかなかった。
さて、そうして留学して一年。向こうでも気の置けない友達も出来たし、充実した留学生活を送っていた。
ただ実習で出向いた先で、酒を飲んで暴れている奴らが抜いた銃を、自分の銃で一つ残らず吹き飛ばしたものだから、一緒にいた先生が「フロスト家の魔弾娘」なんて呟いたせいで、ここでも私のあだ名それになった。
油断した。本当に油断した。
普通ならば、隣国の変なあだ名をつけられた小娘の事など知らないと思うだろう。しかしここは隣国で、我がフロスト家はシャヘル国の東部――つまりはカベルネと隣接した土地――を守る治安組織『東部シルトムーロ』の代表である。それなりに有名であったため、どうやら私の事も知られていたようだ。その日からわたしは再び「魔弾娘」と呼ばれるようになってしまった。くそったれ。
おっと失礼、淑女としては少々口が悪くなってしまった。お前のどこが淑女なんだと良く言われたが、自分という領域は他人の物差しではかれるものではない。自分が淑女と思っていれば淑女なのだ。
まぁ別に淑女でなくても良いのだけど。
さてそんな私だが、その事件がきっかけでとある騒動に関わる事になってしまったのだ。これからその話を語ろうと思う。
巻き込まれた、首を突っ込んだ、気が付いたら穴に落ちていた、たぶん二割程度は自業自得――始まりはそんなニュアンスだ。
全然違うって?
いやいやいや。まぁそう言わず。ちょっとだけでも耳を傾けてくれたら嬉しい。
それでは、始めようか。
ことの始まりは、夏の長期休暇に入る手前に来た、私の兄からの連絡だった。