第3話
放課後になった。結局、俺はその日を悶々とした感情で過ごすことになった。
授業中に行われた重要なオリエンテーションも、昼休みの和や知り合いとの何気ない会話も、何から何までおぼつかない時間を過ごした。俺は座ったまま考えに耽っていた。
「令くん?」
この二日間でいろいろなことが目まぐるしく起こった。学校生活に不安を覚えていたかと思えば、幼馴染の和に会って、アイリーンにも会って、楽しい生活が始まったかと思えば、今度はテロリストから犯行声明が届いた! 一体どうすればいいのか自分でも分からなくなっている。
「聞いてんのか~!!」
突然、右肩に感触があったかと思うと、体を揺さぶられて驚いた。無防備だった頭が右に左に揺さぶられて吐きそうになった。だが幸いにも考え事から脱することができた。
「なんだよ・・・・・・」
俺は肩に置かれた和の手をゆっくりどかして言った。
「帰るよ~」
和はいつも通り、いや、いつもよりだいぶ穏やかな口調のように感じたが、俺はそこに怖さとか緊張を隠すような意図をかすかに感じた。ほんの少しわざとらしかったのだ。
俺たちが荷物をまとめて、寮に行こうとしていたが、後ろの席の一ノ瀬が声を掛けてきた。
「おう、お前のお兄さんにあったぜ」
「ああそうなのか、そのことで言っとくことがあるんだ」
「なんだ?」
「実は兄貴に頼まれたことがあってな、ふたりの家にいって荷物を取りに行ってこいだってさ」
「ああ、そうか」
「なんか大変なことになってるそうだな」
「なんだ、みんな知ってるのか?」
「んなわけ無いだろ? 俺は兄貴から聞いたのさ。こう見えて俺は口の堅い方だからさ」
「そうか、迷惑かけるな」
「いいってことよ! それで住所を聞いておきたいんだが」
俺は住所を伝えた。和も俺の家に住んでると伝えると・・・・・・。
「ほう・・・・・・」
一ノ瀬が、小学生のアホ面のように、にやりとした顔になった。
「もしかして、二人は付き合ってんのか?」
「いやいや違うって!!」
俺は必死で否定したが、一ノ瀬の冷やかしの眼差しが止むことはなかった。
「ほらっ和もなんか言え!」
「うーん・・・・・・違うとも言えるしそうだとも言える!」
「誤解を招くようなこと言うなよ・・・・・・」
あっはっはっ! と一ノ瀬は豪快に笑った。こりゃ完全に勘違いしているな・・・・・・。
「まあいいや、荷物のことは任せておいてくれ! PALの配車サービスで夕方までには届けられるはずだ!」
「助かる!」
俺はあらかじめ作っておいた持ち物リストを一ノ瀬に渡した。彼はサンキューと言ってその場を後にした。
やるべきことは済ませたので、俺たちは寮に行くことにした。敷地内ではあるが、校舎とは完全に離れていて、少し歩く必要があった。色の違うレンガが敷き詰められた広場を歩いていくと、やがて寮が見えてきた。
「あ、あった。あれが寮か~」
寮は、見た目は3階建ての校舎とそれほど変わりない造りであったが、壁の所々にスプレーで落書きがあって、治安がすこし悪そうだった。校舎からは何本かの並木で隔てられているため、平愛高校の裏の顔、といった印象が強かった。
玄関に近づくと、3人の白衣を着た女子学生がなにか作業しているのに気づいた。床に建てられた2メートルくらいの円筒の周りにたむろしていろいろといじっていた。おそらく上級生なのだろうが、なんだか怖い感じがしたので素通りしようとした。
「こんにちは~」
と和が3人に挨拶をした。
「おっ、ちわ~」と一人の女性が気さくに返した。明るい茶色だがボサボサの髪を後ろで無造作に束ねていて、独特のダミ声だった。
「何してるんですか?」
「ロケット作ってるんだよ。週末飛ばすんだ」
「へえ」と俺も思わず相槌を打った。
俺たちの部屋は、寮の一番端の日当たりが悪い部屋だった。安いビジネスホテルくらいの狭い部屋だったが、思っていたよりも清潔だった。ベッドが二つ、その横にそれぞれひとつ机とランプが置かれている。玄関のすぐそばにユニットバスが備え付けられている。
「ちょっとくらいね・・・・・・電気!」
と和が言った。だが何も反応が無かった。俺は明かりが切れているのかと不審に思った。
「電気つけて!」
と俺も叫んだが、やっぱり反応がない。
「電気! 電気! デ・ン・キ~!」
和が一生懸命、いろいろな言い方で悪戦苦闘しているのを横目に、俺は別の方法があるのではないかと壁を探してみた。
すると、玄関のインターホン装置のそばに、白い板状のものが付いていることに気づいた。
それは、どうやら中心が押せるようになっており、小さく緑の光が付いている。俺がそれをカチっと押してみると、部屋の電気が着いた。
「わっ!?」と和は驚いた。
「どうやってつけたの!?」
「これがスイッチらしいな」俺はスイッチを指さした。
俺も内心驚いていた。祖父の家でしかこんなスイッチを見たことがなかったのだ。となると、寮が造られたのはずいぶん前になるな。
見たこともないスイッチに、和は興味を示して、何度も何度も押していた。
夕方になって、俺たちが喋ってくつろいでいると、インターホンがなった。俺が画面を確認してみると、そこには有坂さんと一ノ瀬さん、配送業者の2人の男が荷物を持って立っていた。俺は玄関に行って戸を開けた。
「こんばんは」
「ああ、どうも有坂さん」
「頼まれた荷物持ってきてやったぜ」
「ああ、すまんな・・・・・・有坂さんはなんか用でも」
「そのことですが・・・・・・いろいろあって私があなたたち二人を見張ることにしました」
「えっ!? そうなんだ」
「私はここの寮に一人暮らししているので、何かあったら呼んでください。すぐに行きます」
俺たちは荷物を受け取って、有坂さんたちはすぐに帰っていった。
その日は、何も起こることはなかった。寮の食堂で夕食を済ませて、それぞれ風呂に入ったあとパソコンは後付けだったが1、2年前に発売されたもので、古いわけではなかった。ネットでニュースを聞きながら、俺たちは寝る準備をした。
「―今朝、北海道大学で、大学助成金の大幅な減額に抗議した学生らが講堂に立てこもり、火炎瓶などで機動隊に抵抗しました。警官2名が負傷し、およそ30名の学生が拘束されました―」
正直俺は、自分が危機的な状況にあることを完全に自覚してはいなかった。実際に現実で起こっていることでさえ現実ではないと感じるのだ。いままで、一体どうすればいいか、そんな堂々巡りを続けていたが、それはただ自分がその状況にいることを否定したかったが故に、考えたくなかっただけなのだと、冷静になった今はよくわかる。だからといって、そこで結論が出るかといえばそうではないのだが・・・・・・。
「和」
俺は和を呼んだ。布団を整えていた和は振り向いて「何?」と答えた。
「お前、怖いか」
「うーん」ちょっと考えてから
「怖いかな」
「そっか・・・・・・」
俺は率直に怖いと言おうと思ったが、それより前に和が答えた。
「でも、令くんがいるし、多分大丈夫かな!」
そのとき、俺の心の中に浮かぶ感情がひとつあった。恐怖で濁った心の底から沸々と沸き上がってくるものがあった。俺が和を守らなければならない。そんな気持ちを抱きながら、俺は床についた。