第7話
翌日は、7時に起きた時から小雨が断続的に降っていたが、昼前には土砂降りになった。部屋は冷え切っていた。目覚めた時から、昨日の疲れがドッと出ていた、というか、肉体的な疲れではなく精神的な倦怠感が溢れ出てきたような感じだ。俺は寝間着のまま食堂でブルーベリージャム付きのパンとコーヒーを口にしたあと、ずっとベッドで横になっていた。
和はどうかというと、彼女もまた寝間着のままベッドの上で過ごしていた。でも、彼女には話し相手がいた。俺が貸したPALを手に取ってずっとそれに話しかけている。
「ウン、ウン、そうデスか……そんな事があったんデスか……」
「うん……」
それにしても、アイリーンの気遣いには感服させられる。映像で一部始終を見ていたはずなのだが、あたかも和の話を初めて聞くかのように相槌をうって、真摯に寄り添っているのだ。それを傍らで聞いていて、俺は少し安心した。でも少し淋しい気もした。
「でも、令君が守ってくれてね」
「ほう! それは心強いデス!」
その話になると、俺はいたたまれない気持ちになった。あれは死と紙一重だったのだ。守ったなんで言えるような行動ではないのだ。
俺はまた不貞寝することにした。
「ねえ」
しばらくすると、背を向けて寝ていた俺に、和が話しかけてきたようだった。
「寝てる?」
「いや」俺は振り向いて言った。
「そっち行っていい?」
和は、答えも待たずに立ち上がって、通路を横切って俺のベッドに来ると、布団をめくって入ってきた。
「なんだ」
「別に」
俺の背中に和がぴったりとくっついてきて、俺の胸あたりに手を回した。布団にはいって暖かくなり汗ばんだ俺の二の腕に、彼女のひんやりした腕がぴたっと挟まれて、固く、猫のように曲がった背中に、彼女の柔らかい胸が押し付けられた。耳元で、鼻息がスー、スー、っと囁いてこそばゆかった。
「怖くなかった?」
そう聞かれて、俺はやっと安心できたような気がした。
「怖いよ、そりゃ」
俺は実のところを言った。そんな弱音を吐いたところで、和が馬鹿にするようなことはないということは分かっていた。いや、むしろ俺がただ恐れていただけかもしれない、それこそ、俺が彼女を守ったことを頑なに否定する感情の裏返しなのかもしれない。
「……令君がいてくれたから、大丈夫だって思った」
「そう……」
「でも、あんまり令君が元気ないと思って」
「そんなことない」
「そうだよ・・・・・・だから私が勇気づけてあげられないかな……って」
「え、ああ、まあ……」
俺は言葉に詰まった。
「こっち向いて」
体に巻きついていた両腕を肩に乗せて言った。
俺はまず顔だけ和に向けた。彼女はまっすぐこっちを見つめている。
そして、俺は布団の中で窮屈に感じながらゆっくりと体をひねって彼女に向き合った。
「なに?」
和は何も言わない。胸を押し付けながら、そのまま目をつむって、口をとがらせて、顔を近づけた。俺は和が何を求めているのか大体分かった。そしてそのまま数秒見つめ合った。
俺がちょっと決心がついて、なんとなく顔を近づけて口づけしようとした。
彼女の顔にかかった髪を、そっと耳元までかきあげる。
柔らかい胸を伝って、心臓の鼓動が聞こえてくる。
和の火照った唇の熱が感じられるほど近づいた。
「わっ!!?」
と突然、和がぱっと目を見開いて驚き、痙攣したかのように体がぴくついた。俺も思わずつられてビクッとした。誰かが電話してきたらしい、PALから着信音が鳴っている。
俺は今しようとしていたことなんか忘れて、和のベッドの机に置かれていたPALを、手を伸ばしてとった。有坂さんからの電話だ。
「もしもし?」
「ああ、今大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です」
「実は少しまずい状況になってます」
「え、どういうことですか?」
俺は立ち上がって、窓の外を見ながら何があったのか不安になった。有坂さんの口調もいいニュースではないことを暗に伝えている。
「消防の視察が1か月後にあるって聞いてますか?」
「はい、聞いてます」
「それが、どうやら前倒しになるらしいのです」
「いつですか?」
「今週の金曜日です」
俺は一瞬わけが分からなかった。というのも、曜日を完全に忘れていたのだ。今日は木曜だから……。俺は耳を疑った。
「え、ちょっと待った!! 明日!!?」
「そうです」
俺が声を荒げたのに驚いたのか、和も立ち上がって不安そうに俺を見つめた。
「そんなこと急に言われても!」
「ええ、大門先生もそう聞いたらしいのですが“もしシステムが正常なら、視察はいつでもよろしいでしょう”って言われたそうです」
「まあ……そう言われれば……」
「鹿野さん、業者が来るのっていつですか?」
「依頼したのは火曜日だから、そこから一週間後です、少なくとも来週だ……間に合いませんよ?」
「そうですか」
俺は少し考えた。有坂さんもなにも言わなかった。そこで、黙っていた和が話しかけた。
「私たちでなんとかならないかな?」
「いや、そう言われても、どうすりゃいいんだ」
「アイちゃんに繋いで!」
「分かった」
俺はアイリーンに電話を掛けた。
「話は聞いてマス! 大変デスネ!!」
「お前の話だぞ」
「冗談デス」
「アイちゃん、何とかならないかな?」
「ウーン……」
「アイリーン」
俺には少しだけ、考えがあった。ふと思いついたことだが……。
「一応、作動させることはできるんだな?」
「二人も身をもって体験した通り、可能デス!」
「なら、なんとかごまかせるかもしれん。“正常に作動する”風に取り繕うんだ」
「おおっ、なるほど!!」
和も感心してパアっと笑顔を浮かべた。
「詳しい事は後で話そう」
取りあえず、話はそこで終わった。これから学校へ行くことになる。それにしても、なぜいきなり視察を前倒しにしたのだろう? 俺は少し疑心暗鬼になった。




