そして、少年は約束をした
泣いて泣いて、泣きつかれてしまった。
お互い目も鼻も頬も赤くて腫れぼったくなる。目を合わせるとあまりに不細工になっていて、笑ってしまった。
「酷い顔……」
メロがそう言うと、ははっとディーンが声を出して笑う。自然と口角は上がって、笑みが作れる。ディーンの心には絶えず揺るらかなメロディーが奏でられていた。
「メロ……」
呼びかれると、彼女は恥ずかしそうに目を泳がせる。それに目を細め、お別れをした時のように、細い指先を掬い上げた。
どんな言葉を口にしようか。何を言っても狂った音程になりそうだ。それが少し怖い。それでも、思いの込めかたは覚えているから。彼女が唄う時のように背筋を伸ばした。
「メロが辛いときは、僕を思い出して。会える距離にいるからね」
側にいるとは言えなかった。グランドールの口ぶりからして、二人の間に想像したくない何かがあったのだろう。音程は半音下がり、心は乱れ出すが、大したことではない。メロが笑顔でいてくれることが何よりも大事だと思うから。
ディーンは今、伝えられることを言ったと思い込んだ。メロが笑顔になってくれればよいと思っていた。
しかし……
「メロ……?」
彼女は笑わなかった。それどころか苦痛に顔を歪め、口をきつく結ぶ。傷ついた顔にディーンは動揺し、思わず掴んだ指先を離す。
メロはきつく結んだ唇を開き、二、三度音もなく動かした後、ゆっくりと残酷なことを口にした。
「……私はもう、唄えない」
震える声でメロは苦しいと訴える。
「ディーン……私……唄えなくなっちゃったのっ!」
子供のように泣きじゃくるメロにディーンは声を失い、ただ肩を抱き寄せることしかできなかった。
暫くして、メロは泣きながらもディーンと別れていた四年間のことを話し出した。
グランドールと契約して、唄歌いとなり、兵士の慰問をしていたこと。唄いながら、傷を癒やす勉強をして、医者の補佐をしていたこと。それでも、戦の中で絶望して救えなかった人がいたことを。
メロは暗澹とした気持ちにながらも唄い続けた。きっと救えるのだと、きっと道はあるのだと信じて声を出した。
でも、その時のメロは気づかなかった。
励ましと、救いたいでは、意味合いが違うことを。身の丈に合わない力は彼女自身を蝕んだ。
「最初は小さな違和感だったの。それが段々、広がって。足はもう……」
メロは膝掛けをかけられた足を見つめ、目を閉じた。
「あいつに言われてここに居るけど、私はもう役立たずなの」
「メロっ」
「だって、そうでしょ! もう唄えないのに、何の為にいるのか……」
メロの瞳から涙が零れる。そして、憎々しげに視線を逸らした。
「あんな人の話を聞かないやつの側になんかいたくないっ。いたくないのに」
動かない足が憎いのか、メロは乱暴にパシンと足を叩いた。
「メロっ!」
咄嗟に手を掴むが、強い力で引き戻そうとされる。それを阻み、ディーンは引かない。メロはディーンすら睨みながら、どうにか手を自分の元に引き寄せようとする。
力の攻防になったが、戦いに身を投じてきたディーンにはメロの力は弱々しいものだった。
やがて、メロは引き寄せるのをやめ、だらりと腕の力を抜いた。ディーンから視線を外した彼女の横顔は、苦痛に歪みだす。嘆きの言葉が彼女の口から零れ落ちた。
「……助けて」
――また、あの旋律だ。
戦え、戦えと、心が強く音を奏でる。
血が巡り、熱が高ぶる。この旋律は、怒りだ。
自分が言ったことが信じられないのか、メロはすぐ目を見開き、はっとした表情になる。
「違っ!……私は……」
「メロ」
ディーンはそれ以上、彼女が強がらなくていいように新たな約束を結ぶ。
「メロ、村に帰ろう」
「え……?」
ディーンは穏やかに微笑みながら、メロに約束する。
「メロを村に帰してほしいと、殿下にお願いしてみるよ」
「っ! そんな、こと、あいつが聞くわけ……何度も言ったのに、聞いちゃいなかったんだから……」
泣きながらも目を吊り上げるメロにディーンは大丈夫だよと微笑む。
「僕は、ほら。メロの近くに行くっていう約束を守ったでしょ? だから、今回も信じて」
「でも……ディーン……まさか。無茶する気じゃないでしょうね?」
ディーンは、ははっと軽やかに笑う。
「僕は丈夫なんだよ。だから、大丈夫」
「そんなことを言って……ダメよ! 無茶するくらいなら、私は……」
ディーンは彼女の口元に指を立てて、しーと、声を遮る。
「僕がそうしたいんだ。だから、やらせて」
ゆっくり手を離すが、メロはまだ不安そうな顔をする。
「……二人で村に帰るのよ。そうじゃないと、私はここを動かないわ」
メロは目を吊り上げて、ディーンに宣言する。
「私はしつこいのよ! ずーっと、待っていてやるんだから!」
メロは肩で息をしながら、大声を張り上げた。
「うん。村に帰ろう。だから、メロも約束して」
「え?」
ディーンは、願いを込めて言葉を紡ぐ。唄のように。
「メロは体を一番に考えてね」
それは「唄わないで」というお願いだ。メロは意図を汲み取ってくれたのか、こくりと頷いた。それに微笑んで、ディーンは部屋を後にした。
◇◇◇
赤い絨毯を踏みながら、ディーンの足取りはしっかりしていた。新たな約束のために迷いはない。
以前から考えていた案がある。争いを終結させるものだったが、それは多くの命を犠牲にするもの。無傷で得られるものではない。そのため、ディーンは二の足を踏んでいた。
だが、もし戦いが終わらせられたらどうなる。グランドールは、三番目という生まれ順から王位継承権から遠い、しかし戦いを終わらせられたら、その功績はグランドールのものとなる。国民の支持を得て、王として玉座に座れるかもしれない。そんな簡単にはいかないかもしれないが、彼という男が領主で治まる男には思えない。
そもそも、この戦いは最初からおかしい。防衛を繰り返すなら根本的に攻められないように国で交渉すればよいものを。それをする気配すらない。単に弱腰なだけか、あるいは……
国の交渉ごとはディーンにはどうすることもできない。彼の願いはメロを村に帰すことだ。
戦いの終結という案でグランドールは交渉の席に着くだろうか。
メロを手放すと……彼は言うだろうか。
ディーンの直感だが、メロは大事に扱われているような気がした。メロの部屋は日当たりがよく、目を見張るほどの贅沢な調度品で囲まれていた。着てる服も上質なものに見えた。メロ自身のも肌艶はよく、掴んだ指先はささくれひとつないキレイなものだった。
メロはこんな所にいたくないと言っていたが、戦いからは遠ざかった場所にはいる。グランドールとの関係は気になるが、メロの口ぶりからして、二人の関係はディーンが想像したようなことはないかもしれない。それは、希望的観測かもしれないが。
交渉についてくれるか。
いや、この場合、つかせないといけない。
唄えなくて心を痛めるメロを早く村へ。
ディーンはグランドールへの謁見を申し込んだ。
予想より早く謁見はかなった。
再び顔を合わせた時、グランドールに笑みはなかった。
「戦いを終結させる案があるというらしいな。やつらをねじ伏せられるのか」
「はい。好き勝手しているヤツらを野放しにしておいては兵士が疲弊するのみです。殿下もそろそろ潮時だと思ってらっしゃるのでは?」
この前とは違い、ディーンは饒舌だった。グランドールはディーンを見つめ、眼光を鋭くする。
「頭を叩くか。しかし、奴らの城は高い城壁で囲まれた要塞だ。しかも一夜のうちに直される。まさに鉄壁だ。どう崩すんだ」
「外と内から」
ディーンは作戦を告げた。
「間者として私が潜り込みます。外からは大砲で城壁を崩しつつ、攻めいれば宜しいかと」
「しかし、間者として潜り込めたとしても、どう寝首をかく」
「腕の良い壁職人がいるという噂があります。それを叩けば鉄壁ではなくなります」
「その壁職人をあぶり出すための砲撃か。しかし、あの面の皮が厚い領主がそんな事で降伏などするか?」
「民意に訴えましょう。疲弊しているのは彼らとて同じ。争いばかり強いる主に嫌気がさしているころです」
グランドールの口角が上がる。
「それは俺に対しての皮肉か」
「いえ。あくまでも彼らの状況を言ったまでです」
グランドールは面白くなさそうに鼻を鳴らしたが、ディーンの表情は変わらない。
「よかろう。その作戦にのる。俺とてケリを付けたいと思っていたところだ」
グランドールの瞳が鋭く光る。
「戦いばかり強いる無能な王にはそろそろご退場頂きたいところだったからな」
その言葉に、ディーンは確信を強めた。やはり、グランドールは玉座を欲している。交渉するなら今だ。
「殿下、この作戦が成功したあかつきには、私の望みをひとつ聞き入れてくださいませんか?」
「ほぉ……聞こう。何を望む?」
ディーンは真っ直ぐな瞳でグランドールを見た。
「唄歌いの聖女を……メロを村に帰してください」
グランドールの覇気が強まる。しかし、ディーンも負けてはいられない。
「彼女は唄えません。身を挺してまで兵士に尽くしました。彼女の役目は終わっています。ならば、彼女を村へ帰して頂きたいです」
グランドールは眉根を潜め、ゆるりと口元を歪める。
「あれに会って、話を聞いたか」
「…………」
「泣いて、助けてとでも言われたか」
語気が強まっていく。それと共にグランドールの瞳は狂気を帯びて、輝き出す。
「僕が彼女に村に帰ろうと言いました」
ディーンは静かに事実を話す。それにグランドールは眉をひくりと動かす。
「あれは俺のものだと言ったはずだが」
地を這うような声は威嚇に聞こえた。しかし、ディーンには通用しない。威嚇ごときで屈するなら自分は生きてはいない。
「殿下のものではありません。メロはメロ自身のものです。それにメロはあれではありません」
ずっと所有物のように言うのが気に障っていた。不敬だと罵られようと構わない。ディーンは我慢ができなかった。ここぞとばかりに感情を露にする。
「はっ……言うようになったな」
グランドールは愉快そうに笑みを深める。
「前は人形のような奴だと思ったが、あれに命を吹き込まれたか。それとも、嫉妬に狂って、ただの男になったか?」
グランドールの挑発にもディーンはのらない。彼と話すべきことはメロを村に返すという約束を取り付けるだけだ。
「どうとでも。お好きなように感じてください。あなたの尺度で僕は測れません」
「貴様っ。いくらなんでも無礼だぞ!」
今まで黙っていた側近が声を出す。それをディーンは視線のみを送る。視界の隅にある側近はぐっと喉を詰まらせた。それを確認して、またグランドールに視線を戻す。
「戦いが終わったら、メロを村に返すと約束してください」
グランドールは暫くディーンを見据えた。チリチリ肌を焼くような視線の絡み合いに側近はごくりと生唾を飲む。
「よかろう」
グランドールは静かに承諾した。だが、視線の攻めぎあいは終わっていない。
「首を城壁に晒されるという無様な姿だけは見せるなよ」
「御意」
ディーンは頭を垂れ、その場を後にした。
残されたグランドールは独り言のように呟いた。
「死神のカードを切るか……お前の道は破滅か…… それとも……」
最後の言葉は音にならずに空気に溶ける。
「バロック」
「はっ」
「戦を始めるぞ」
グランドールは長く座っていた椅子から立ち上がり、その足を動かす。
運命の分岐点ともいえる戦いがもうすぐ始まろうとしていた。




