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不治のヤマイ

エリカ・リヒトは恋煩い

作者: 高里奏


 ロペルス・ヴィペールの朝は早い。

 隣で眠るエリカ姫を起こさないように慎重に寝台を抜け出し、そっと彼女の髪を撫で、身支度を整え温室に向かう。

 植物の水遣りと点検を済ませ、記録を付ける。

 そして、朝食の食材を選び料理人に指示をする。

 もう少しでエリカ姫が目覚める時刻だという頃に、朝摘みの薔薇を届けるために、厳選し、まだ、彼女が眠っている寝室に戻る。

 ドロテアより先に目覚めのお茶を用意できるかが勝負どころだ。

 城の使用人たちが朝一番の仕事を終えた頃、そっとエリカ姫の頬に触れ、優しく口づける。

「おはようございます。エリカ、目覚めの時間ですよ」

 そう、声を掛ければ愛しい婚約者は少しだるそうに呻く。

 朝が弱い。そこがまた愛しい。

「……ロペルス様?」

「エリカ、お茶の用意もできていますよ。本日のドレスは何色にしますか?」

 許されるなら彼女の身の回りの世話も全てしてしまいたい。

 しかし、それでは使用人の仕事を奪ってしまう。けれども、自分でやったほうが満足のできる仕事になることも明白だ。

 ロペルスは拘りが強い。物の配置一つにしろ、変ると落ち着かない程度には拘りがある。

 だから、研究室には誰も入れない。最愛のエリカ姫でさえ、まだ研究室には招いていない。

「……あなたは使用人じゃないんだからそんなことしなくていいの」

 寝ぼけながらも呆れた声で言うエリカ姫をゆっくり起き上がらせる。

「可愛いエリカを独り占めしたいので」

「……それにね、女の子の服は、その日の気分なの。緻密に計算して用意してもちょっとしたひらめきで全部変える事もあるのよ」

 エリカ姫は手を口に当てながらあくびをする。

「そういうものですか?」

「そういうものなの」

 ロペルスの着る物は全て緻密に計算され、一年のいつに何を着るかまでしっかりと決められている。温室や森に足を運ぶことが多いので、汚すことも考え、汚した際はなにに着替えるかまでしっかりと決めてある。それが狂ったことは、エリカに出会うまではなかった。

「今日のそのシャツ、イマイチよ。その線、黒じゃなくて赤の方が似合うと思うわ」

 エリカはロペルスの服を見て言う。

「そう、ですか?」

 着るものについて、誰かに指摘されたのは初めてだった。

 ロペルスは予定が狂うのが苦手だ。しかし、エリカ姫に乱されるのは嫌いではない。

「では、次に服を作らせる時はエリカに選んでもらいましょう」

 計画が狂うのであればまた立て直せばいい。

 そうして、エリカ姫がどんな要求をしていくのかを観察し、どう対処するのが最善かをつねに考えればいい。

「……ロペルス様って怒らないのね」

「え?」

「怒ってもいいのに」

 エリカ姫は少し困ったように言う。

「なぜ? 私がエリカを怒る理由など無いでしょう?」

「普通、着ているものに文句を言われたりしたら怒るんじゃない?」

「私は王族の品位を保てて衣服としての役割を果たしているのであればさほど拘りはありませんので、毎年職人に任せきりです」

 流石に式典用の服のまま森に入り植物採集をはじめた時は母に怒られたがそれ以外は特に問題は無い。

「ふうん、折角綺麗なお顔をしていらっしゃるのに、勿体無い。細くて見た目も美しいのだからもっと着飾ればいいのに」

「研究の邪魔にならない範囲でしたら、エリカの望むようにしますよ」

 やはりクリーヒプランツェの人間としては研究が優先される。

「そう言うのって、つまらないわ」

 彼女はそう言って、椅子に腰を降ろしカップに手を伸ばす。

「あら、これ、美味しい」

「それはよかった。エリカの為に取り寄せた茶葉です」

「……ふぅん」

 途端にエリカ姫は不機嫌になる。

 どうも、近頃彼女は不機嫌だ。

 やっと想いが通じ、愛し合えたと思ったのに、彼女は苛立っていることが多いように思える。

「エリカ、不満があるのでしたら言ってください。私は、あなたのためならばなんだってします」

「……別に、ロペルス様に不満があるわけじゃないわ」

 彼女はさらに不機嫌そうに言う。

「ではなにが?」

 訊ねれば、エリカ姫は黙り込んでしまう。

「エリカさん、言ってくださらなければわかりません。どうも、私は人の心を汲み取るのが下手なようで……あなたがなぜ不機嫌なのかわからないのです」

 エリカ姫の心が読めない自分に哀しくなる。

 彼女の前で泣いてはいけないとわかっているが、思わず涙が毀れそうになる。

「別に……私が……私が勝手に自分に苛立ってるだけ。ロペルス様は何も悪くないわ」

 彼女は視線を逸らして言う。

「なぜ、エリカさんが苛立つのです?」

「ああっ、もうっ、放っておいて! 優しくされたら甘えたくなっちゃうじゃない! 私はレーベンの王族なのよ! 陛下の為にも王族の務めを果たさなきゃいけないの! なのに、私……なにもできない……みんなに甘やかされて贅沢するだけ。こんなの、天帝も悲しむに決まってる……」

 彼女が天の名を口にするとき、必ずと言っていい程涙が毀れる。

 彼女は天に怯えている。

 そして、強い信仰を持っている。その癖にそれを認めようとはしない。

 形式的に、祈りを捧げたり、供物を捧げたりするわけではないが、彼女は天の存在を強く信じ、その力を畏れている。

「エリカ、それは、これから頑張ればいいだけの話です。それに、愛する人を甘やかしたいと思うのは悪いことではないはずです」

 そっと彼女を後ろから抱きしめれば、驚かせてしまったようだ。

「だって……ロペルス様は……国の為に沢山働いているわ。とても研究熱心だし、いつも民のことを大切に考えている……それだけでも大変なのに……私のこと、沢山甘やかして……私、自分が恥ずかしいわ。なんにもできないのに……」

 本格的に泣き出してしまったエリカ姫に戸惑う。

 こんな予定ではなかった。

 二人で朝食を楽しみ、少し城下を歩こうかなどと考えていたのに、今日の予定は完全に変更しなくてはいけない。

「エリカ、あなたが私の妻になるということは、この国の民のとってもとても意味のあることです。私のような……色々問題のある王子に嫁ぐ姫など居ないと、皆思っていたのですから。あなたは、この国の民にとってとても大切な存在です。まずは、この国に馴染んでください。王族の役目とか、面倒なことは後からどうにでもなります」

 エリカ姫はまだ若い。

 王族の役目など、実際は民の希望になることくらいだ。だとすれば、ロペルスはそれを果たせていないだろう。

「今のところ、民があなたに期待していることは、あなたが私に食べられずに生存することと、できるのならば私を真っ当な人間に矯正して欲しいということだけのようですし」

「……あなた、自国の民からまでそんな扱いなの?」

 エリカ姫の呆れた顔に思わず苦笑する。

「酷い扱いでしょう? ですが、これがクリーヒプランツェの実情です。大抵の民は自分の研究に忙しいので、あまり細かいことは気にしませんよ」

 ロペルスにとってエリカ姫の存在そのものが重要であって、特に彼女に何かを期待しているわけではない。

「私は、あなたが側に居てくださるだけで十分です。できれば沢山甘やかしたいくらいですかねぇ。愛しい妻が着飾ってくださるのも嬉しいですが、それは私の為に着飾ってくれるのなら、という意味です」

 抱きしめればふわりと甘い匂いがする。

 柔らかく温かい。

 それだけで、エリカ姫はロペルスの癒しだ。

「あなたが悲しむと、私はあなたのことしか考えられなくなります。エリカ、あなたと離れると、私は何にも集中できなくなってしまう。エリカが居なくなってしまっては、私はもう、研究などできなくなってしまうでしょう」

 そう告げると、彼女は本当に困り果ててしまったようだ。

「それはダメ。あなたは世界に必要な人なのだから。だって、ものすごい研究者なんでしょう? 私には難しくてよくわからないけど、でも、ロペルス様がとても優しくて、みんなに必要とされていることはわかるわ。私には勿体無いくらい立派な人だって」

「おや、困りましたね。私はエリカが居なくては生きていけないのに、エリカはまだ、私にはふさわしくないと?」

 ずるいとわかりつつも、そんな言い方になってしまう。

「今更結婚から逃げようなどと言っても、もう逃がしませんよ」

 わざと耳元で低い声で囁けば、びくりと震えて大人しくなる。

「……ずるい……」

「ええ、私はずるい大人ですから、エリカが好きだと言ってくださったこの声も、容姿も、全て利用してエリカを捕らえます。もう絶対に逃がしません。婚儀の日程も決まりましたし、諦めて変態王子の妻になってください」

 そう言って笑めば、とうとうエリカ姫が笑う。

「ロペルス様、自分で変態王子だなんて……まだ、あなたをそう呼ぶ方がいらっしゃるの?」

「ええ、それはもう、国民の八割は私を異常性癖の変態だと信じていますし、まぁ、自分でもそう言う部分もあるのかもしれない程度には思っていますよ。エリカ相手には」

 民は、ロペルスが妙な薬でも使ってエリカ姫を操っていると考えているかもしれない。

 けれど、エリカ姫は自分の意思でロペルスを受け入れてくれた。

「私は……あんまり素直じゃないから……沢山ロペルス様を傷つけるわ。きっと、これからも」

「エリカが素直でないことくらいわかっています。それに、大抵は、ただの照れ隠しだとも。なにせ、あなたは、驚くほど素直な女性ですから」

「え?」

「レーベンの女性とは思えないほど、気取らない人ですから」

 正確には、無理に気取ろうとしているところがすぐにわかってしまうような不器用な人なのだが、それを言うと機嫌を損ねてしまいそうなので口には出さない。

「つまり、私がエリカをとても愛しているということです」

 そう言って頬に口づければみるみる赤くなっていく。

「馬鹿っ、そういうことほいほいやらないで。恥ずかしい……」

「今は、二人きりですから」

 それに愛情表現は重要だ。

「愛しています。エリカ」

 真っ赤な顔で不満そうに睨むエリカ姫が愛おしい。

「ずるい。ロペルス様ばっかりいつも余裕で」

「おや? そう見えますか?」

 実際はいつエリカ姫に振られるのかと怯えているのに。

「そう見えるとすれば、やはり生きた年月の差というものでしょうね」

 そう言うと、エリカ姫はさらに不満そうな顔をする。

「ずるい」

「ずるいのはあなたです。そんなに愛らしい顔で私を惑わせないでください。エリカを見ていると、一日の時間が足りません。毎日毎日予定が狂わされるというのに、どうでもよくなってしまう」

 もう、研究は大分遅れてしまっている。

 次の学会までに論文が仕上がるだろうか。

「エリカについての論文でも書き上げてしまいそうなほどエリカのことしか考えられません」

「却下。そんなことしたらすぐ国に帰るから」

「帰しません。もう一生逃がしません」

 しっかりとエリカ姫を腕に捕らえる。

「クリーヒプランツェには離婚はありませんし、重婚も認められません。よってあなたを逃がしません」

「いや、まだ結婚前だから」

「おや、エリカさんは天を裏切るおつもりですか?」

 そう言うと、ぴたりと固まる。

 可愛い人だ。

 ロペルス自身、天は所謂宗教的なものでしかないと考えている。

 存在は人の頭が勝手に作り出したものだと。しかし、それを利用することでエリカを得られるのであれば喜んで利用する。

 ロペルスはずるい人間だ。その自覚もある。

「……でも、論文はダメだから」

「私が今、一番夢中なのはエリカなのに?」

「……ロペルス様が、誰もいないところで、一人で楽しむ分にはいいけど……どこかに発表したりしたら国ごと焼き尽くす」

「これは怖い……エリカさんなら本当にやりそうだ」

 思わず笑う。

 その程度にはエリカ姫の魔力は高い。

「ロペルス様が変なことをしなければ私だって暴れたりはしません」

「そうですか? しかし、なにがエリカの言う変なのかは私には判断できません」

「ロペルス様は龍も天帝も信じていらっしゃらないようだし、私とは何もかも違うわ」

「そもそもレーベンこそ、信仰を捨てた国では?」

 この百年ほどで急に信仰を捨てたと聞く。

「それは……祖母の姉が攫われたからです」

「彼女は、その後?」

「……遠い国で生涯を終えたと聞いています。レーベン陛下はそろそろ龍を受け入れてもいいのではないかとお考えですが、既に民の反発がすごくて……龍は不要だと考える者が多いの」

 エリカ姫は少し哀しそうに言う。

「エリカさんが龍を信仰していることに驚きましたが」

「馬鹿にしてもいいわ。でも、見たの。天高く駆け上る黄金の龍の姿を」

 エリカ姫の言葉を疑うわけではないがとても信じられない。

「それはいつ?」

「小さい頃よ。噴水を覗いていたの。そうしたら、声がして……そう、私の夫になる人は、私の魔力を抑えられるって教えてくれたわ」

 そして天に昇っていったと彼女は言う。

「小さい頃からその魔力に悩まされていたのですか?」

「ええ。うっかり火事を起こさないようにって、みんな怯えていたもの」

 少し、寂しそうに言う彼女を見ると胸が痛む。

「大丈夫。これからは、私がいます」

「……うん。頼り切っちゃうけど……」

「頼ってください。その分私のことも甘やかしてください」

「え?」

 エリカ姫は驚いたように見つめてきた。

「妻に甘えてはいけませんか?」

「……だって、ロペルス様は私より年上だし……」

「たまには甘えたい時もあります。エリカが優しく髪を撫でてくれるのは、私も嬉しい。あなたに抱きしめられるととても心地いい」

 そっと頬に口づければ、微かに拒絶を示される。しかし、それは照れなのだろう。

 それに、彼女はロペルスが妻と呼んだことを拒絶しなかった。

 ああ、このまま二人で幸せになるんだと思うと、それだけで胸が熱くなる。

「一生大切にしますから、末永くよろしくお願いします」

「……その味見癖を直してくれたらね」

 どうやら首筋に視線がいってしまったことがバレてしまったらしい。

「いやぁ、エリカさんはとっても美味しいので私の朝食になっていただこうかと」

「……ロペルス様、人間でしょう? そんな翼手みたいな……」

 エリカ姫は少し逃げようと身構える。

「エリカさんは……私のことが嫌いですか?」

 出来るだけ、悲しいという風に、口にすれば、彼女は微かに焦りを見せる。

「き……嫌いだったらさっさと国に帰ってるわよ」

 エリカ姫は人がいい。すぐに、ロペルスの言葉に惑わされてしまう。

 単純で可愛い人だ。

「よかった。まぁ、もう逃がす気は無いのですが」

 可愛いエリカ姫が逃げてしまわないように、窓に格子を嵌めようか。彼女の細い腕に枷を付けてしまおうか。

 時折、そんなことさえ考えてしまう。

「ロペルス様こそ、あきた、とか懲りたって言ってもずーっとつきまとってあげるんだから」

「それは大歓迎です。どうぞつきまとってください」

 束縛したい。束縛されたい。

 ロペルス・ヴィペールの人生の中心はエリカ・リヒトだ。

 しかし、まだその想いは胸の奥に封じよう。

 狡猾な罠で彼女を捕らえる。

 それが、ロペルスなのだから。


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