夜の街
音もなく表れたのは春枝だった。
はじめは驚きを隠せず、ただ茫然とその場に立ち尽くしていただけだったが、春枝の声が聞こえて意識が戻ってきた。
「こんな夜遅くに、何してるんですか? 真奈は一緒じゃないんですか?」
「実は、真奈と喧嘩してしまったんですよ。それで、自分の心を落ち着けるために外の風に当たろうと思って」
僕はさっき起きたことを少し春枝に話した。
話しながら、あの時自分はどうしたらよかったのか、自分が間違っていたことはあったのか。
いや、僕は自分が悪いのは当然のように理解していた。
思っていることを口に出して良い時と悪い時があるのをきちんと理解すべきだったのだ。
確かに、自分が悪いところもあったが、真奈も部屋を飛び出すのはよくないと思う。
けれど、そんなことを嘆いていても後の祭りだ。
そんなことを考えていると、春枝が話しかけてきた。
「そうなんですか。それは大変ですね。何か困ったことでもありましたら、私が相談に乗りますよ?」
春枝は優しく微笑み、僕の顔をじっと見つめてきた。
僕はその優しさに包まれたいと思った。
他人からは僕が全く傷ついていないように見えるかもしれないが、結構傷ついているのだ。
しかも、仲直りできたと思ったらまた喧嘩が始まってしまったからだ。
春枝の瞳はとても暖かく、母親がわが子を大事に見守るかのような優しさに満ち溢れていたので、心に傷を負った僕はその瞳に引きずり込まれた。
「あの、答えにくかったら答えなくてもいいのですが……。昔、春枝さんと源太郎さんは友達だったのですか?」
春枝は一度、顔をしかめ俯いたが、しばらく経って顔をあげると口を開いた。
「そうです。昔は友達でした。あの時は毎日が楽しかったのですが、あんなことが起こるなんて……」
そこまで話すと、また春枝は俯いてしまった。
僕はどうすることも出来ず、ただ茫然とその場に立っていることしか出来なかった。
春枝の過去になにかあったことは確かだが、その内容まで聞かないと僕は納得できず、仲直りをすることも出来なくなるだろう。
そう考えた僕は、声をかける機会を見極めていた。
ほどなくして、春枝はまた、口を開き始めた。
「あれは何年も前の出来事でした。源太郎の父親が熊に襲われて亡くなったんです。この話が何に関係しているかとお思いになるかもしれませんが、これからが大事な話です」
春枝は一息ついてから遠くを見つめながら話を進めた。
「源太郎の父親は私の父親を助けるために命を落としたのです。しかし、場所が場所でした。立ち入り禁止と言われている場所に私の父親は入っていたのです。そこは熊がたくさん目撃されていたので立ち入り禁止になっていたのです。それにもかかわらず、父親は入っていたのです。そこに偶然通りかかった源太郎の父親に助けられたのです。それから、私と源太郎はだんだん口を利かなくなったんです」
それっきり、口を開かなくなった春枝の話を聞いて、今まで考えてきたこと全てがひっくり返された気分になった。
ここまで深刻な問題であったことも理解せずに、今まで話していたのだと思うと、心が痛んだ。
しかし、同時に仲直りをする勇気が出てきた。
「話しにくいことを聞いてしまい、本当にすみませんでした。けれども、おかげで仲直りする勇気が出てきました。本当にありがとうございます」
春枝はとてもうれしそうに笑みを浮かべていた。
そのまま、春枝はどこかに行こうとしてたが、僕が引き留めて、今でも源太郎と友達になりたいと思っているか尋ねた。
「私は友達でいたいとは思いますが、源太郎はそうは思ってないでしょうね。今なら落ち着いて派内が出来るとは思いますが、万が一の場合もありますので。もう大丈夫です」
しかし、春枝の顔には寂しさがにじみ出ていた。
見逃すことも出来たが、あえて僕は見逃さずに言った。
「僕が源太郎と春枝さんの間に立つので一度話してみてはどうですか?」
それを聞いた春枝はうれしそうに答えた。
「本当ですか? 本当に迷惑でなければそうしていただけると嬉しいです」
うれしさの中に申し訳なさも交じっていたが、僕は二人の仲を取り戻すことに決めた。