まっしろい風景
書くことをしなくなると、なんとなく足りないような気がしてくる。
なにが、とは言えないけれど、「なにか」が。
早朝、いや、深夜の領域。
ひっそりと起きだし、近くの海へ向かう。
民家も、ガソリンスタンドも、路肩の木々も、大気の気配すらも、湿って濃い青色をした空の色を落としこんでいる気がする。この、夜と朝の隙間の時間は、すれ違う車もない。
暗闇に近い色をした雲の端は、水分をふくんで滲んでいて、そのまま溶けて空になるかもしれないとも思えた。
ああ、雨が近いのか。
予報では晴れときどき曇りのはずなのに。
わたしは落ち着かない気分になる。
日の出を撮るのは、今日が良い。そう思うと、もう絶対に今日だと思ってしまう自分にはあきれるけれど。
砂浜に着いたときは、すでにブルーアワーがはじまっていた。
慌ててカメラを構え、ファインダーをのぞく。最近購入した一眼レフは、慣れていないから、もたついてしまう。
雲がだいぶかかってはいるけれど、空と海の境界は、あざやかにわかる。
ああ、船がいくつか出ている。
波は整然と打ち寄せている。とても、静かに。
何度かシャッターを押し、そのときを待つ。
カメラの位置を確認して、一度、深呼吸してみる。時間は、わたしのすぐそばを通りすぎていく。波音と同じリズムで、懐かしい音をたてて。
次第に白々と世界があかるくなっていく。
この世界の、それぞれの大切な一日は、こうしてはじまっていくのだ。
いま、この瞬間から。
はじまりは、生きている限り、いつもいつも、かならず、誰にも何にも、同じように告げられる。
どんなに悲しくても、苦しくても、もう前は向けないだろうと思っていても。
このはじまりの明るい色は、その一瞬だけでも、支えになりうる。
家に帰ると、物音で起きてしまったらしい夫が聞いてくる。
「どうだったの、日の出」
わたしは布団にもぐりこみながら答える。
「雲が多かったけれど、きれいだったよ」
「ふうん。日の出ってさ、その存在がポジティブだよね。また起きたら写真見せて」
夫は気のなさそうに言って、再び眠る姿勢にはいった。
「うん」
わたしは薄い掛け布団をお腹にかけながら、返事をする。
それから、心にあったことを言うかどうか、少し迷う。どうせ夫は夢のなかだし、言わなくてもいいか、と思ったけれど、誰かに聞いてほしかったから、やはり声に出してみた。
「波がね、とぎれることなく寄せてくるでしょう。それをじっと見て、その音をじっと聞いていると、地球ってやっぱり生きているんだなって思ったの。地球の鼓動みたいで、なんていうか、ちょっと温かい気持ちになった」
言い終わると、少し間があく。
砂浜で垣間みた、この世界の普遍的な営みは、わたしの心にどうにも残っていた。
それから、たいして期待してなかったけれど、思いのほか夫の声が返ってきて驚く。
「それ、ちょっとわかるよ」
意外だと思ったけれど、わたしもうとうとしていたから、そのまま眠りにはいってしまう。
早朝の日射しが、穏やかに部屋を照らしてるのを感じるのは心地よかった。