くろいとり
書く、ということは生活の一部。
そういうふうに生きていけたらいいのに、と思う。
わたしはカラスに対して、とても複雑な気持ちを抱いている。
この国に住んでいたら、けっこうな確率の人々がそう感じているに違いないけれど。
カラスを見ると、わけもなく不安にかられたり、ただそこにいる、というだけで恐ろしくて、後ずさりする。
たとえば、田圃から、たおやかに飛び立つ鷺を視界にとらえたときには、わあ、素敵と感嘆の声をあげたくなる。
けれどカラスがフェンスから飛び立ったときには、恐怖に叫びたくなる。
彼らはとても賢いと言われている。
わたしは、彼らの姿を何度もみているけれど、彼らが何を考えているのかさっぱりわからない。
近づくと彼らは思いのほか大きい。
それに恐怖は更にあおられる。
カラスにもいろいろと事情はあるのだろうが、人間との距離感がかなり近いと感じる。
それが恐ろしさを増幅させる原因のひとつなのだろうか。
もちろん、彼らの外見や鳴き声にも起因していると思うけれど。
わたしには流産の経験がある。それがわかった日、わたしが当時住んでいたアパートの部屋の真上の屋根に、カラスが飛んできて、少しためらってから、とまった。
その瞬間をちょうどわたしは見ていた。
そのとき、ああ、やっぱりだめなんだな、と妙に納得して、号泣した。
それから、カラスについていろいろと調べたけれど、疑問がすっきり解決するような記述は見当たらなかった。
カラスについての諸説は、都市伝説のようなものも含めて、いくつかあったけれど、けっきょく鳥の考えていることは、人間にはわからない。
確かなことは、カラスはとても賢くて、異常に目が良いということ。
わたしは田舎に住んでいるため、夏場は特に、鳥、虫、蛙の大合唱。
夜中は牛ガエルのボォーボォーという声。
近くに貯水池があるから、どうやらそこに住みついているらしい。
夜明けまえは、カラスのガァガァガァという声。
これは日によるけれど、それによって起きてしまうくらいだから、よほど近くで鳴いているか、声が大きいのか。
このときばかりは、どうしてくれようかと怒りに燃えた。
けっきょく、カラスの復讐を恐れて、耳栓をして眠るという泣き寝入り作戦に落ちついたけれど。
夜が明けてしまうと、スズメたちのチュンチュンチチチという声。
それから夕方はポォーポォーポポーという鳩の声。
夏が深まれば、はちきれんばかりの蝉の声だろうと予感している。
「カラスって怖いよね」
同僚のTに言ってみたことがある。
「わかるよ。そういう迷信、わたし信じるタイプだから」
彼女は仕事の手を止めて、真剣な目で答えてくれた。
「でも彼らも生活を守るために必死なんだよねぇ」
わたしがボソッとつぶやいたら、彼女は目を見開いて、
「そんなこと言ったって、ゴミあさったり、襲いかかったり、迷惑をかけたらだめでしょう」
と切り捨てた。
それらは、彼らにとっては生きる術にはちがいないのだけれど。
人間にとっては、まあ迷惑な話だ。
自転車で走っていたら、カラスが低空飛行してきたので、とっさに腰をかがめて避けたら、ギックリ腰になったというひともいた。
カラスは生きるためにエサを狙って、ヒナを守るために人間を襲って、合図を出すためにガァガァと鳴いているのはわかっているけれど。
そんなに賢いのなら、どうにかしてコミュニケーションをとって、お互いが気持ちよく暮らせたらいいのに、と思う。
カラスの死を嗅ぎ分ける能力については、諸説がありすぎてわからないけれど、わたしはなんだかまんざら嘘でもないような気がしている。
でも、嘘であってほしいと思う。
だって、カラスを見るたびに怯えないといけなくなってしまうのも、なんだか疲れるから。