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ロビンと僕 1

 第三王子というのはスペアとしてもかなり微妙なポジションだ。王太子が花形、第二王子が補欠、じゃあ第三王子には何が求められる?

 というようなことをつらつら考えた結果、第三王子である僕は軍隊に入ることにした。


「チップ、海軍に志願するというのは本当か?」

 入隊志願の翌日、兄のアートが家族の居間に入ってきて僕にそう訊いた。さすが未来の国王、情報が早い。

「ああ。うちの空軍は装備がいまいちだし、陸軍は泥まみれになるからね。マスコミの取材でも海軍の制服が一番見栄えしそうだろう?」

「お前はそんなことばっかりだな」

「王室の宣伝担当と呼んでくれ」

 アートはそう言った僕を無言で一瞥(いちべつ)し、部屋を出ていった。結局何をしに来たんだか分からない。代わりに黙って本を読んでいた弟のエドが口を開いた。

「チップ、本当はどこかのカレッジで数学の勉強したかったんじゃないの? いいの?」

「アート達は表に出して何かあると危ないからね、僕くらいは国民にアピールしないとまた王室廃止論が沸き起こる。まあせいぜい人気者になってくるよ」

「そんなに甘く見てると、きっと後悔するよ」

 エドが呪いのような予言をした。縁起でもない。

 

 軍に入隊して二日目に、もうエドの呪いは成就した。後悔しまくりだ。

 泳ぎにはちょっと自信があるつもりだった。その僕がまさか足のつくプールで溺れるとは思わなかった。

 誤解しないで欲しい。溺れたのは僕だけじゃない。新兵は皆一度ならず溺れた。

 映画なんかで立てなくなるまで走らせる訓練があるじゃないか、陸上で。あれをプールでやるわけだ。そして誰かが溺れると、プールの縁で見守る教官がのんびりとやってきてデッキブラシの柄で人を引き上げる。水溜りに落ちた虫のように、細い棒に掴まってひきあげられる屈辱を想像して欲しい。

 しばらくはそんな後悔の日々が続いたが、軍隊は馴染んでしまえばなかなかいい場所だった。プライバシーはない。が、皆にも同じようになかった。僕だけが注目される環境よりはずっと快適だった。お互い遠慮もしなかった。国内で軍の仕事といえば災害救助が主だったが、最近は海外派兵の要請があったりもするし、遠慮なんかしてたらいざという時に背中を預けられない。

 

 軍隊に入って得たものは多いが、その中で一番価値があるのは、多分ここ以外では得られなかったであろう仲間との友情かもしれない。まあ他の場所では、背中を預ける仲間なんてものは必要ないからしょうがないのかもしれないけどね。


 しかし僕は今、そんな友情を育んだ仲間たちから一人離れて無人島にいた。

 訓練船で爆発が起きた。

 気付いたら海上を漂流していた。


 落水から半日以上経過して、ライフジャケットに装備された捜索位置を知らせるための蛍光マーカーも全部溶けて流れてしまった。島影をみつけて遠泳を試み、沿岸流と戦って岸にたどり着いた。

 ようやく足が底についた時には、あのデッキブラシの教官に感謝のキスを贈りたい気分だった。


 溺れずには済んだが、僕がここにいることは誰も知らない。今いるのはおそらく隣国ノーサンリンブラムとの国境地帯にある群島の一つ。微妙な位置だ。よりによって国を挙げての大捜索(されていたとして)が難しい場所にたどり着いてしまったらしい。


 この群島は十年以上前にリゾートブームで次々と開発されていた。上陸した島には、ブームが去って廃墟となったリゾートホテルがあり、宿泊客用にホテルの周りに植えられた果樹が手入れもされずにたわわに実をつけていた。

 持ち帰るのに費用がかかるものは全部放置されていたから、虫が占有権を主張するベッドにバスローブをはじめとしたリネン類、業務用のボトルに入ったボディソープやシャンプーまであった。換金しやすいテレビなどの電化製品は大元の自家発電装置ごと持ち去られていたが、そんなものは惜しいとも思わない。どうせ発電機は燃料がないと動かない。

 リネン類やボディソープが嬉しかったのは何も快適なホテル滞在のためじゃない。採った果物を持ち運んだり虫よけや防寒に使ったり、怪我の時に止血したりするのに清潔な布は重要だ。リゾートホテルがあったこの島にヘビや危険な虫が多いとは思えないが、細く切って足に巻けばつまらないアクシデントが避けられる。

 最大の幸運は、雨水槽が生きていたことだった。落下式だから電気がなくても栓をひねれば浄化された(フィルターの掃除はここしばらくしてないみたいだけど)真水が水道から出てくる。

 人は食べ物がなくてもかなり長期間生きられるが、水がないと生きられない。そんな基本は海軍のサバイバル訓練で叩き込まれていたし、いざとなれば真水を得るために穴を掘るとか水分を草木から集めるとかの手がないわけじゃないが、こんな島で一人で無理して怪我でもしたら命取りだ。

 骨折で動けなくなっても、切り傷から敗血症になっても、治療は石器時代水準。祈るしかないんだから、余計なことはなるべくしない方がいい。

 海軍で採用されているライフジャケットにはこういった事故に備えたサバイバルキットが格納されていた。中身は浄水タブレットと非常食、マグネシウムのファイアスターター、合図用のミニライトと鏡、ホイッスル、綿とテープ、針と糸、刃のついたワイヤー、衛生用品。これとは別に折り畳みナイフとコンパス付の腕時計も持っている。

 全般的にみて、僕の漂流はかなり恵まれていたといえるだろう。


 こうして僕の原始的採取生活が始まった。

 思い通りにいかないことは色々あったが、辛くてたまらなかったといえば嘘になる。「ロビンソン・クルーソー」をはじめとした冒険小説は子供の頃からの愛読書だったし、本好きな二番目の兄と一緒に海水から塩をつくったり、作った罠を沈めて魚を捕ったりした経験もあった。

 たくさんの幸運に恵まれたおかげでイージーモードだったことは否定しないが、知識と経験を活かして様々な工夫をするのは、うまくいかない試行錯誤も含めて楽しかった。

 島について三日目に、なにも救助がくるまで味気ない食事を我慢する必要はないのだと悟って塩を作った。サラリーの語源を語るまでもなく、健康のためにも塩は必要だ。火を熾し、ホテルの厨房から持ち出した網と鍋で海水を煮詰めた。

 半日かけて塩ができてから分かったこと。

 この島で毎日こんな調子に火を焚き続けると、じきに燃料が足りなくなる。

 乾いたマングローブの枝はあっという間に燃えるが、燃え尽きるのも早い。そしてサバイバルキットに入っていた刃のついたワイヤーは燃料用の薪を作るには明らかに力不足だ。

 この島には加熱しなくても食べられる果物がたくさんある。貝だって掘れる。今はまだ焚火で暖をとらなくても体調を崩すほど寒くもない。生魚はどうも好きになれないし寄生虫の問題もあるから魚は焼くにしても、それは毎日じゃなくてもいい。そう、金曜日とか。そう思ってから身についた習慣がふと可笑しくなった。魚を食べるのは別に金曜日じゃなくてもいい。他の日に食べる肉があるわけでもないんだから。

 どうしても肉が食べたくなったらあいつを捕まえる方法を考えなきゃいけないな、と楽しげにさえずる鳥の声を聞きながら血なまぐさいことを考えたが、警戒心のない鳥は僕を見て小首をかしげるだけだった。


 いつかはこの島から出られるだろう。それは間違いない。でも、それがいつか分からないのは辛かった。この島に着いた時に自分の幸運を使い果たしていないことを祈った。

 

 腕時計にカレンダーがついていたので、僕はロビンソン・クルーソーのように手書きで日数を数える必要がなかった。

 島に着いて一ヶ月ほど経ったある日のこと。気が抜けないわりに単調な毎日を大きく変える出来事が起こった。


 僕はその朝流れ着いたモノを遠くから見守っていた。それは満潮の時に流れ着いてマングローブの林にひっかかったように思えた。最初に見つけた時から動きはなかった。

 近くに行って確かめるべきか? 何を? 流れ着いたのが死体かどうかを?


 その死体モドキはウェットスーツの上にBC(浮力調整)ジャケットを着た姿だった。ダイビング中に何かアクシデントが起こったらしい。


「死体だったら埋めなくちゃいけない。あるいは海に流すか。海に流すのは遺族に気の毒だし、埋めるのは手間だ。放置するのはぞっとしない。僕は毎日あそこの海岸で貝を掘っているんだ。

 ああ、こんな時、もし流れ着いたのがクジラやイルカだったらまだあきらめもつくのに。ウェットスーツは自然に帰らない。地球に優しくない。生分解性のウェットスーツを作るべきじゃないか。文明社会に戻れた暁にはぜひ提案してみよう」

 そんなことを一人で想像上のボイスレコーダーに向かって喋っていたら、死体モドキが動いた。


 僕はおそるおそる死体モドキに近づいた。遠目で見た時に予想していた通り、女性、かなり若い。近くで見るとうつ伏せになった背中がかすかに上下していた。

 生きていたからと言って喜べたかというと、それも微妙なところだ。息をしているからと言って目を覚ますとも限らない。もし潜水病を起こしていたりしたら、治療法のないこの島では命取りになる。この島に漂着した時点で僕に劣らない幸運の持ち主なのははっきりしてるから、何とか……

 心配しながら顔を覗き込んでいたら、まぶたがぴくぴくっと動いて、彼女はゆっくりと目を開けた。


 よかった。心からそう思った。

 でも彼女はそう思わなかったらしい。かすれた悲鳴をあげながら這うようにして逃げた。立てないのかと心配したが手足はちゃんと動くようだ。腰が抜けているのか。

 僕がここまで観察したところで彼女は波打ち際にへたり込み、水平線を呆然と眺めた。

「残念だけど、その先は行き止まりなんだ」

 僕はこれ以上彼女を驚かせないよう、ゆっくりと動いた。動物の傍にいるときのように。そして背中に向かって呼びかけた。

「僕の言葉、分かる?」

 返事はない。いくつかの言葉で呼びかけたが反応がない。

 急に浮上して鼓膜でも破ったのかと考え始めた頃になってようやく彼女が口を開いた。

「ここ、どこ?」

 それが、ロビンとの出会いだった。


 彼女が落ち着いてから話を聞くことが出来た。ダイビング中の漂流事故だったそうだ。報道されないがわりとよくある。たいていは捜索隊に救出されるが、そのまま二度と行方が分からないこともある。こうやって自力で上陸したケースは以前にも何度か聞いたことがある。


 彼女がやってきたことには良い点と悪い点があった。

 良い点。ここがやっぱり隣国との国境の群島の一つであると確認できた。当座の話し相手ができた。彼女の捜索がされていれば救出の可能性が増える。

 悪い点。どうもサバイバルの手助けはしてもらえそうにない。十六歳の少女と二人きりでどう過ごしたらいいか分からない。救出されたら周囲から何を邪推されるかが想像できる。王子だと知れると後々面倒が起こることは間違いない。服を着なくちゃいけない。

 良い点の方が少ないような気がしたけど、それでも僕は嬉しかった。ミズ・クルーソーに会えたことで僕は自分が群れを作る動物であることを思い出した。


 不安そうなミズ・クルーソーにこの島にたどり着いた彼女の幸運を数え上げた。ちょっとないくらいの幸運だというのに、彼女には物事の明るい面だけを見る習慣はなかったらしい。早く身につけたほうがいい。ここでは必要なものだ。

「……私達、いつまでここで暮らすの?」

 絶望的な表情でそんなことを聞くからわざと楽観的に答えたのに、いきなり声を上げて泣き出したので参った。

 そういえば昔、弟のエドを泣かせた時にこんな居心地の悪い思いをしたな、そんな古い記憶がふと甦った。


 ようやく落ち着いてきたミズ・クルーソーを、シェルターであるホテルの廃墟に案内することにした。

 彼女はミズ・クルーソーと呼ばれるのが気に入らないみたいだったので、ロビンと呼び名を改めた。彼女はロビン、僕は下僕のフライディでいい。僕は昔からごっこ遊びが好きなんだ。そう、これは壮大なごっこ遊びだ。無人島でやるロビンソン・クルーソーごっこだ。

 僕のことをフライディと呼んでくれるように頼んだら、信じられない言葉が返ってきた。「変わった名前ね」、そう言った。

 なんてことだ。まさかと思ってはいたけど……女の子は冒険小説は読まないのか? まさか「シンデレラ」や「赤毛のアン」だけ読んで育つのか? いや、それにしても名前くらいは知っていそうなものじゃないか?

「おかしいと思ってたんだ。もしかして『ロビンソン・クルーソー』読んだことないの?」

 そう訊くと、あっさりした返事が返ってきた。

「ない」

「……貸してあげたいけどあいにく持ってくるのを忘れてね。家に帰ったらぜひ読んでごらん。君がどんなにラッキーなのか実感できると思うから」

 そう言ったら、せっかく泣き止んだ筈のロビンがまた泣き出した。僕は仕方なく黙って先に立ち、ロビンをシェルターに案内した。


 ロビンにガイドよろしくシェルターの説明をしていたら、ちょっと眉をひそめるようにして彼女が僕に「普通に喋って」と言い出した。

 すごく真面目なのか? 余裕がないのか? 僕がふざけすぎてるのか? おそらく全部正解だ。もしかしたらウェットスーツを着たままなのが不愉快なのかもしれない。脱いでくつろぐようにと言って、僕は少しその場を離れることにした。

 彼女にも一人の時間が必要だろうが、僕にも必要だった。


 とりあえず死体や死体モドキより、やや泣き虫とはいえぴんぴんしてるロビンが漂着してくれたことはとても嬉しい。が、この切り傷ひとつで命に関わるような島で、僕は彼女の生命にも責任を負ってしまった。僕は軍人で、年上で、男で、ついでに紳士で、そのどれをとってもロビンを庇護しなくてはいけない立場だ。

 ……できるだろうか。


『変えられないことを受け入れる心の平穏を、変えられることを変える勇気を、それらを見分けるだけの知恵を』

 例のニーバーの祈りを心でつぶやいた。今の僕に必要なものが、そこには全て含まれていた。

ニーバーの祈り:Reinhold Niebuhrが作者であるとされる祈りの言葉(翻訳はページのP)

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