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宇宙よりもっと 7

「前よりずいぶん多い額をね。払わなければ、最初に金を払って俺を引き取ったことをばらすって」

「九年前なら時効は過ぎている。罪には問われない筈だ」

「それでもそれがばらされたら、養子縁組は認められなくなる。……馬鹿だろ、ダディとマミーはまた金を払うつもりらしいんだよ」

 ケイトーが、歳に似合わない疲れた笑い方をした。


 チップが冷静に訊いた。

「君がこんなことをしたら、君のダディとマミーはもっと困った立場になるんじゃないのか?」

「里子の監督責任は親権者にある。迷惑するのは親権を持ってるあいつらの方だ」

 チップの『小賢しいガキだな』というつぶやきは、キャットにしか聞こえなかった筈だ。しかしケイトーには何を言われたか見当がついたのだろう、チップをきっとにらみつけた。


 チップの方はケイトーの視線を無視して、どこか中空を見つめて何事か考えていた。

「……なるほど。それで父親。父親がいれば親権は父親に移るのか。……いや、それより母親を捜す方が……」

 

 チップがやっとケイトーの視線を受けとめてにこりと笑い返した。

「君を更生させるには、要するにダディとマミーに親権を移せばいいんだろう? 親権者との交渉は僕が引き受ける。君はダディとマミーの養子になってどこでも好きな国へ行ってくれ。その代わり、今後は誰のためであろうと二度と犯罪はおかすな」

 

 ぽかんと口を開いたケイトーは、しばらくその表情で固まっていたと思ったらいきなり顔を歪めた。


 ケイトーが号泣というより咆哮と呼ぶのにふさわしい声を上げるより早く、キャットがチップの腕から抜けだしてケイトーのところへ駆け寄った。

 ケイトーの隣に座ったキャットは声を上げて泣くケイトーを片手で抱き、もう片方の手でケイトーを後ろ手に縛ったタッセルをほどこうと苦心した。

 その時、頼もしい手がもう二つ加わった。キャットはタッセルの方はチップに任せて、両手でケイトーをぎゅっと抱きしめた。

 タッセルがほどけたとたん、ケイトーも両腕でキャットにしがみついた。


 ケイトーの足元にかがんで足を縛った方のタッセルもほどいたチップが立ち上がり、キャットの頬に片手を添えて自分の方を向かせ、ケイトーの頭越しにキスをしてうそぶいた。

「これでもし君が夜中に目を覚ましても、ケイトーのことを心配せずにぐっすり眠れるだろう? 君は皆に幸運をもたらすラッキー・ガールだ。彼は君に会えて幸運だったね」

 

「──フライディ、愛してる」

「僕も愛してるよ、ロビン」

 チップが満足げに答えた。

 キャットは自分が人質にされたこと、チップが脅迫されたことへの怒りを、きれいさっぱり忘れ去っていた。

 ケイトーの話を聞いた今ではキャットは彼の境遇に心から同情し胸を痛めていた。

 ケイトーは本気で撃つつもりがなかった。彼自身、うまくいくとは思っていなかったに違いない。

 きっとそれでも、ケイトーは何かせずにはいられなかったのだ。


 こんなに幼い少年が大切な人達を守るために、自分の力ではどうにもならないような問題を何とか解決しようとしたことに、キャットはいたく心を動かされていた。彼の力になってあげたいと思った。


 多分チップも同じように思ったはずだ。

 なのにチップはさっきの一言で、それがケイトーのためではなくキャットのためだということにしてしまった。

 これもきっと、ケイトーに恩をきせないための思いやりだ。チップは誰よりも優しくて、誰よりもひねくれたうそつきなのだ。


(本当にもう──大好き。フライディのこと好きになってよかった)

 

 泣き疲れたケイトーを客用寝室のひとつに案内して、ケイトーの里親に彼を一晩預かる了承をとってから、キャットはケイトーの涙で濡れたシャツを新しいものに着替えて先程の応接間に戻った。


 黒い服を着た見知らぬ男性と話し込んでいたチップが顔を上げた。

「ケイトーは?」

「私が部屋を出る時はまだ起きてたけど、すぐ寝ると思う」

 

 チップが自分の隣にキャットを呼び、向かい側に座ったチップより年上らしい男性に紹介した。

「マーク、僕の最愛の恋人にしてバディのキャットだ。キャット、僕の海軍時代の友人マークだ。ここの警備を頼んでる」

「お会いするのは初めてですね。しかし勇ましいお嬢さんだ。チップが惚れ込むわけだ」

「え?」

「次の機会にはまずは手首より先を押さえた方がいいですよ。慌てた犯人ともみ合ってる間に撃たれる可能性もありますから」

 

 キャットはその言葉にひっかかりを覚えた。

 そういえばマークはいったいいつ現れたんだろう。


 マークは今度はチップに向かって言った。

「チップ、前から言ってるがあの庭は整備した方がいい。カモフラージュには役立つが、俺達と同じように侵入者が身を隠すのにも使えるんだぞ」

「嫌だね。そのためにあなたに頼んでるんじゃないか。クライアントの意向を尊重してくれ」

「相変わらずわがままな男だな」

「王子だからね」

「犯人を隠匿しておいて『二度と犯罪をおかすな』なんてよく言えたもんだな。今は封建時代じゃないんだぞ」

「事務所荒しの被害届けは取り下げる。他はあの歳だし、いたずらの範疇(はんちゅう)だ」

「王子様はお優しいこった」

「あの子のためじゃない。僕がキャットに事情聴取なんか受けさせるわけないだろう」


 ぽんぽんと言い合う二人の会話に、キャットが控えめに割り込んだ。

「……もしかしてさっきもずっと、私達三人だけじゃなかったの?」

「ええ。庭に二人、屋敷の中に三人スタッフが待機していました。状況が悪化した時には犯人を確保する予定で」

「窓から見てたんですかっ?」

 キャットが叫ぶと、マークはあっさりと答えた。

「いえ、天井にカメラと集音マイクがあります」

「えっ!?」

 マークに言われて見上げてはみたものの、キャットにはいったいどこにカメラとマイクがあるのか見つけることはできなかった。

「目立たないようにしろという『クライアント』の意向で。探知機を持っていなければ分かりませんよ。設置にはずいぶん手間と時間がかかりました。『クライアント』が自分もやりたがって邪魔するから余計にね」

 

「──あーっ!!!」

 

 キャットが突然叫んだ。

 過去のいろいろな光景が今ひとつにつながった。

 チップがDIYにはまっていたと思ってたのは実は全然そんなんじゃなくて、警備装置をつける工事をしてたんだ!


 口をぱくぱくさせるキャットに、チップが甘い声で告白した。

「僕が安全を確認できない場所に君を一人で来させるわけがないだろう。もっとも寝室は安全よりプライバシーを優先してるから、悲鳴をあげても誰も助けには来ないよ」

 その言葉が暗示する何かに思い至り、キャットが真っ赤になった。

 

 マークとチップは時間をかけて今後の相談をし、話しながら何本か電話をかけた。

 キャットはしばらくそれに付き合ったが、自分がいても役に立たないどころか、キャットに分かるよう話をかみくだいて説明するため二人に気を使わせていることに途中で気付いて、席を立った。


 それからキャットはケイトーの寝室を覗いて涙の跡が残る頬にキスを落とし、廊下に出てきょろきょろと屋敷内を見て回った。


 どこかについているという前提で捜しているのに、しかも何箇所かは工事していた場所も知っているのに、キャットにはひとつの警備装置も見つけることができなかった。

 

「ロビン、ここにいたのか。先に寝室に行ってるのかと思ったのに」

 廊下の向こうから顔をだしたチップが、キャットに呼びかけた。


 二人は顔を見合わせるとどちらからともなく駆け寄って、しっかりと抱き合った。

 言葉のないキスが何度も交わされた。何度目かのキスの後でチップがキャットにささやいた。


「ロビン、話さなきゃいけないことがいろいろ残ってるけど、それは明日の朝にしよう」

「うん……朝……フライディ……愛してる」

 キャットの返事はチップのキスで何度も途切れた。


 チップは更にもう何度かキスをしてから名残惜しそうにいったんキャットの唇から離れ、腕の中の恋人を抱き上げた。

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