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Night and Day 2

3.キャット


 その日の午後、クラブハウスにやってきたリックは先に来ていたキャットを見つけた。座っていたキャットもリックに気付いてぱっと笑顔になった。


(あれ?)

 リックはキャットを二度見した。


 財布から小切手を出すキャットは、どこがとは言えないがどことなく印象が柔らかくなっていた。

 大人っぽいというのともちょっと違う……。


「どうしたんだお前」

 リックがいぶかしげに言い、キャットはぽろりと財布を取り落とした。


 派手に散らばった小銭を集めるキャットはなかなか顔を上げなかった。ピアスをした耳が赤くなっていた。

 リックも顔には出さなかったものの言われたキャットと同じくらい動揺していた。


 キャットに対してリックはしょっちゅう意見している。服装については入学当初からずいぶんと改善されたものの、水道の下に頭を突っ込んで頭を冷やすなど、育ちの良い女性なら決してしない、リックの目に余る言動がまだまだ多いからだ。

 いつもならキャットは嫌そうに聞き流すか笑顔で無視するか、そうでなければ言い返してくる。キャットがこんな風にリックの言葉で赤くなるのは初めてだった。


「はい、小切手」

 キャットが目を合わせずに差し出した小切手を受け取ったリックが、領収書に金額を書きはじめた。


 宛先を書こうと振出人の名前を見たリックは、わざと意地の悪い言い方をした。

「パン屋の名前が『ベーカーズ(パン屋)』ってそのままだな」

 キャットが顔を上げた。

「そうだよ」

 顔つきが変わっていた。リックのよく知っているいつもの顔だ。


 その時近くにいた先輩が横からキャットに話しかけてきた。

「キャットの家ってあのベーカーズなの? セントラルにお店があるでしょう?」

「そうです。あそこは支店ですけど」

 キャットがリックに向けた怒り顔をぱっと笑顔にかえて答えた。

「うん、知ってる。本店まで二時間かけて限定パンを買いに行ったことがあるもの。こっちにはもっとお店出さないの? 通販とかもやらないの?」

「ありがとうございます。店のことは分からないけど、今度また実家に帰ったら限定パン持ってきます」

「わあ、嬉しい」

 和気藹々と話すキャット達を無視して、リックは丁寧に領収書の残りを埋め、預かった小切手をしまった。


 いつもの調子を取り戻したらしいキャットに、リックは何故かほっとしていた。


(こいつが一瞬でも女らしく見えたなんて気の迷い……いや目の錯覚……とにかく何かの間違いだ。)


4.チップ


 チップの日常は意外に多忙だ。

 例の事故後はしばらく暇を持て余していたが(片道二時間の道程をデートのためにひんぱんに行き来できたのはそのおかげだ)、次の年度からはアートとベンが引き受けていた公務や交流活動の一部を引き継いだ。

 王位継承権こそ放棄したものの、今まで海軍にいて免除されていた王族としての義務を積極的に果たすようになった。


 恋人が未成年で学生で、ついでに夜更かしが苦手なのもあって、プライベートで夜遊びに出ることはほとんどない。

 国民がきっと王子は今夜もどこかのパーティに出ているんだろうと思っている時間に、執務室で書類を読んだり手紙の返事を書いたりしていることも多かった。


 エドが本人と周囲の期待通りに今年修士号を取って卒業してくれれば今よりは楽になる筈だが、現在のところチップは名前だけのものも含めて百以上の団体の総裁や理事に名を連ね、それに伴って発生する書類の山もちゃんと引き受けていた。


 当人のチップ以外に、彼が恋人に会う時間をどうやってひねり出しているか分かる人はいない。

 チップ自身は時々『ロビンが留学してくれて本当に良かった』と思うものの、綱渡りのような、ジャグリングのような日常をできるだけ楽しく過ごしていた。


 今日も朝からチップは、全国から寄せられた環境問題をテーマとした子どもの絵の展覧会を見学し、海外からの使節団と接見して昼食会を主催し、今は慈善パーティで寄付集めのスピーチをするために会場に向かう車中にいた。


(ロビンは今頃どうしてるかな。)

 恋人のことを思えば、チップはいつでも日常から意識を切り離すことができた。あまりストレスをためない性質だ。


 結婚すれば夫婦単位の公務が増える。そうしたら移動の車中でもくだらないジョークで笑わせたり(呆れさせたり)、手をつないだり、髪に触れたりもできる。

 そこまで考えて、チップはつぶやいた。

「あと三年」


「いかがいたしました?」

 秘書官のフィッツアランが訊いた。

「あと三年は一人で真面目に公務に励む。僕の評判があんまり悪いとキャットが可哀想だからね。それからは夫婦揃っての公務が増えるから移動時間も今よりもっと楽しくなる」

「お言葉を返すようですが」

 フィッツアランが冷静に言った。

「殿下は年数を三年と区切ってお考えのようですが、かの女性が三年で無事ご卒業されるという保障はどこにもございません」

「……ひどい奴だな」

「失礼を申し上げました」

 フィッツアランは慣れた様子で詫びた。つまり何も反省などしていない。チップも慣れたものでそれ以上追及しなかった。

「今晩は何も予定はなかったな」

「はい。ですが週末に届いた招待状のお返事をされると仰っておいででした」

「ああ。それは分かってる。では夕食は七時に用意するように言っておいてくれ。八時には外出する。それからは明日の朝までプライベートタイムだ」

「承知しました。では明朝九時にお迎えに上がります」

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