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ウィンターローズ

※病気に関する話題を多く含みます。具体的な病名は挙げていませんが、苦手な方はご注意下さい

※今回のお話にはフライディ&ロビンは登場しません

「殿下がわざわざお運び下さるというのに、こちらからお断りするわけにはいかない」

 母親が低い声で何か言ったようだが、階段の踊り場にいたアンにはその内容までは聞き取れなかった。


「顔も合わせたくないというほど嫌っているのならともかく、楽しみにしているのだからいいじゃないか。そうたびたびいらっしゃるというわけでもないのだし。

 お前の心配も分かるが、私達からあえて言わずともアンは殿下のお立場も、自分の病気のこともよく分かっている。余計な忠告はアンを傷つけるだけだ。世の中には、はっきりさせない方がいいこともあるんだ」

 父親の言葉はまだ続いていたが、アンは静かにその場を離れた。


 では、自分がアーサー殿下のご来訪を楽しみにしていることは家族に知られていたのだ。


 両親の複雑な心中を想像して、アンは思わず溜息をついた。

 母の心配も、父のとりなしも、どちらも娘を思う気持ちから出たものだということはよく分かっている。

 アンに幼い頃から礼儀作法や教養を身につけさせ手をかけて育ててくれたのは両親だ。王太子妃の候補にまでなるとは思っていなかっただろうが、間違いのない相手にその価値を認められ幸せになれるよう、将来のことまで考えて育てた娘が、陽がさんさんと照る中にも出られずに人から忘れられていくことが辛くないはずはない。

 決して殿下のご来訪を歓迎していないわけではない。両親だってある種の慰めも得ているはずだ。

 しかしその一方でまた、娘に空しい期待を抱かせるのではないかと恐れもしているのだろう。


 病気が分かってからアンはめったに家から出ることなく静かな日々を送っている。

 もともとアンには男性の友人が少なかったし、病気が治るまで何年かかるか分からないアンにあえて近づこうとする男性はいない。女性の友人も自分達の恋愛や結婚、子育てで忙しくて見舞いは段々と間遠になっていた。

 アーサー殿下の見舞いはそれほどひんぱんではない。二、三ヶ月に一度といった程度だ。しかし途切れることも間遠になることもない。

 帰る時には次の訪問をいつごろと告げ、時期が近づくとアンの都合を聞いて訪問日を決めてくれる。

 最初の頃アンはその事務的なやりとりに戸惑ったが、今では信頼できると思うようになっていた。


 アンは殿下に一度だけ、何度も見舞いに来てくれるわけを尋ねたことがあった。「療養中の友人を見舞ってはいけないのか」と真顔でかえされ、アンはとても恥じ入って詫びた。

 何度も見舞いに来てくれるのは、つまりそれだけアンの療養期間が長いからだ。単純にいえばそうだ。しかしだからといって同じようできる人が多くないことを、アンは身を持って知っていた。


 昇りかけていた階段を降りたアンはそっと家を出て、庭の奥へ足を向けた。


 冬の日は早く暮れる。

 アンがローズガーデンに着いた頃には西の空はもう暗く、東の空に昇った月が、葉が落ちた薔薇の枝を白く照らしていた。

 花の季節には一般に開放され大勢が訪れるが、次の花の季節までここは忘れられた場所だ。


「アン」

 よく通る声が響いた。アンは声の方へと振り向いた。

「アーサー殿下、いらっしゃいませ」

「少し早く着いてしまった。散歩をしていたのか?」

「ええ、月が綺麗だったので。もう中に入ります」

 アンの言葉にアーサーが空を見上げ、初めて気付いたように言った。

「満月か」

「満月は昨日でした。でも昨夜は曇っていたから――」

 アンは言わなくてもいいことを言ったと後悔し、途中で口を閉じた。これではまるで毎晩月を眺めて暮らしているようではないか。


 続きを促すかわりに、アーサーが言った。

「今日は車での移動が多かったから少し歩きたい。……もし君が疲れていなければ」

「大丈夫です。ご一緒させて頂きます」

 アンは医者から、できるだけ紫外線に当たらないようにと注意されている。病気と薬の副作用で皮膚炎や色素沈着を起こしやすくなっているからだ。

 気を使わず長く外にいられるのは日没後だけだ。暖かい部屋で過ごす冬の夜長は昔から好きだったが、病気になってからは冬月夜の散歩という楽しみもできた。


 二人が踏む砂利の音が、静かな庭園に響いた。

「薔薇はもうすっかりなくなってしまったんだな」

 前に来た時には秋薔薇が盛りだったローズガーデンを見回すようにして、アーサーが言った。

「花をつけたままだと株が疲れますから、春まで休ませます。この季節に咲くのはこのウィンターローズだけです」

 そう言ってアンは足許に咲く花をアーサーに指し示した。

 花の形こそ一重の薔薇に似ているがバラ科ではなくキンポウゲ科の植物だ。薔薇のようで薔薇でない花は、その名のためか寂しい庭園に彩りを添えるためか、訪れる人もいない場所でひっそりと咲いていた。


 アーサーは月明かりに映える白い花に目をやって、またアンに視線を戻した。

「最近は、体調の方はどうだ?」

「ありがとうございます。ようやくなんとか落ち着いてきました。変えた薬が合っているようです」

 アンが、自己免疫疾患の一種を患っていると分かってから二年経っていた。

 病気の治療薬と不足を補うホルモン薬の量や組み合わせをあれこれと変えて、最近やっと検査の数値も落ち着き、薬の副作用にも慣れてきたところだった。

「それはよかった」

「まだ、しばらくはかかると思いますが……」

 アンは言葉を濁した。


 これから定期的に検査を受けながら徐々に薬を減らしていくことになっている。

 完治までには通常五年、長ければ十年と言われていた。五年としてもまだ半分も過ぎていない。

 その間ずっと薬で免疫を抑制しているので、違う病気を呼び込まないように体調を管理し、疲れすぎないように、なるべく人込みにも出ないようにしなくてはいけない。薬を飲んでいる間は妊娠を避けて下さい、とも言われていた。


 二十七歳で治療を始め、今は二十九。治療が終わる時には幾つになっているのだろうか……考えはじめると気持ちが沈むので、アンは急いで話題を変えた。


「このところ急に寒くなりましたね。殿下はお風邪など召されていませんか?」

「風邪か。ここ数年ひいた覚えはないな」

 その返事にアンが微笑んだ。

「去年も同じことをお訊きしましたね、私」

「そうだったか?」

「ええ。殿下のお答えを伺って思い出しました」


 病気との付き合いと、アーサーとの付き合いはほぼ同じになる。

 アンがこの二年間で重ねてきた記憶は、辛いものだけではない。


 物事には全て表と裏がある。

 王太子妃候補に選ばれなければ、病気の発覚はもっと遅れていた。長い治療期間を考えるとあの時に分かったのは幸いだった。

 めぐり合わせが違っていれば、顔見知り程度だったアンの病気をアーサーが知ることもなく、こうして二人で散歩をすることもなかっただろう。

 いろいろと合わせて考えれば自分は恵まれているのだ、とアンは思った。


「来年も同じ会話をしていそうだな」

 アーサーがひとりごとのように言った。

「どうでしょうか。先のことは、誰にも分かりません」

 アンは声が震えないよう気をつけながら、ゆっくりと言った。

 アーサーからはとぼけた返事が返ってきた。

「そうだな。風邪をひかないようにしよう」

 アンは一瞬だけ微笑んで、それから黙って月を見上げた。

 下を向くと涙が落ちそうだった。


 先の見えない病気を抱えたアンは、今の自分には愛することも愛されることもできないと分かっていた。

 だから胸の奥にあるこれはきっと、愛に似た何か別のものに違いない。アンは自分にそう言い聞かせた。


 しかしその何とも名付けがたい気持ちは、冬の庭園に咲いたウィンターローズのように、ひっそりと、でも確かにアンの心に彩りを添えていた。


end.(2011/09/30)


挿絵(By みてみん)

画像:Helleborus niger in our winter garden / brewbooks

ウィンターローズはクリスマスローズという名前の方が有名だと思います。花言葉は「慰め」……というのは後から調べて知ったのですがあんまりベタすぎて作中では使えませんでした。お借りした参考画像の著作権は撮影者に帰属します。


明日からはキャット視点で「金の鍵」全5話です。



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