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Necessity 1

Necessity;必要、必需品


王太子アートの恋のお話。全4話です。

プロローグ


 その日、王太子アートはプライベートな用事で王立病院を訪れていた。

 患者や見舞い客の中にはアートが誰か気付く者もいたが、職員達は特に言われない限りアートを特別扱いはしないようあらかじめ言い含められているので、アートも他の見舞い客と同じように病院の玄関から外来を通って入院棟へ向かっていった。


 救急外来の前を通ったところで、アートはざわついた一団に出くわした。

「患者は未成年ですね。もし入院になった場合は保護者のサインが必要です。あなたが保護者ですか?」

「いえ、校医です。彼女は留学生で、ガーディアン(未成年留学生の身元引受人兼監督責任者)とはまだ連絡がとれていません」

「連絡なんてやめて下さい! 本当に大したことありませんから」

 やりとりを聞いたアートは、その場を離れて歩きながら胸ポケットから携帯電話を取り出した。五回目の呼び出し音で電話は相手につながった。

「チップか、ああ、会議中なのは知ってる。王立病院にいるんだが……いや、アンのことじゃない。ミス・ベーカーが救急外来に来てる。元気そうだが誰かがお前と連絡」

 アートは耳障りな音で切れた電話を胸ポケットに戻した。


*** 


「こういう時に連絡がとれないならいったい何のための連絡先だ」

 携帯電話の向こうから誰かの声が漏れてきた。

「認めない。全ての書類の連絡先をこの携帯に訂正しろ。今・すぐ」

 チップは自分の言いたいことだけ言って、電話を一方的に切った。隣に座ったキャットは居心地が悪くて、もじもじした。


 キャットがレントゲン撮影の用意ができるのを待っている間に魔法のようにチップが現れた。その後レントゲン撮影、CT撮影に付き添い、一緒に医者の所見を聞いた。

 チップは終始にこやかに医者や看護師に応対していたが、キャットだけは時折ぴりぴりした不穏な気配を感じていた。


 二人が休憩エリアに移動した途端に、チップは立ったまま電話を取り出して静かな声で自分の秘書を呼び出すと、何故キャットの大学に提出した書類の緊急連絡先が自分の携帯電話ではないのか聞いた。

 ほんの数秒で相手のいいわけを遮ると、あとはあのとおりだった。


 キャットからみると、自分のせいで他の人が怒られたように思えた。


「フライディ、あんまり怒らないでよ。可哀想だよ」

「可哀想なもんか。あいつは僕に確認するべきだった。職務怠慢だ」

 厳しい口調でそう言ったチップが、口調を和らげてキャットに向き直った。

「来るのが遅れてごめん。君に何かあったとき一番に駆けつけられるようにガーディアンになったのに、大事な書類の提出をく……秘書に任せた僕の責任だ。すまなかった」

「本当に大丈夫だよ。お医者さんの話も聞いたでしょ? それに私がラッキーなの知ってるでしょ?」

「今は大丈夫だと思っても頭を打ってるんだ。今こうやって話してることだって、明日起きたらまるっきり忘れてるかもしれないじゃないか」


 真剣な目で見つめるチップを、ソファに座ったキャットがいいことを聞いたという顔で見返した。

「じゃあ試験の結果が悪かった時はそのせいだって思ってくれる?」


 キャットが話題を変えたがっていることに気付いたチップが、どちらの意味でも苦笑しながら答えた。

「あーあ、留学したての頃の決意に満ちた君に聞かせてやりたいね」

 チップは返事を待たず、見上げるキャットにキスをした。


「大丈夫だったみたいだな」

 アートの声で二人は目を開けた。

 後ろについてきた警護官は廊下に残り、アートだけが休憩エリアに入ってきたところだった。


 キャットがあわててチップを押しのけるようにしてソファから立ち上がった。

「チップに連絡して下さってありがとうございました」

「ちょうど通りすがってよかった」

「……でも本当に大丈夫だったんですよ」

  キャットが小声で付け足した一言を、アートがすぐ聞きとがめた。

「結果的に大丈夫だったとしても、後で聞かされる方の身になってみろ。本当に心配をかけないつもりなら、連絡だけはきちんとしないと次から信用されなくなるぞ」

「はい」

 アートに叱られてキャットがしおれた。


 親子までは離れていないもののやはり十四歳の差は大きくて、キャットは今までこのチップの一番上の兄とはほとんど話をしたことがなかった。

 迷いのない叱り方が少しチップに似ていた。

 相手が言うことを聞いて当然、という口調もだ。

 

 チップがとりなすように話題を変えた。

「アートはもう帰るところ?」

「いや、ちょっと様子が気になって見にきた。まだもう少しいるつもりだ。何もなければ」

「キャットを連れて後でお見舞いに行くよ」

「言っておく」

 そう言うとアートは休憩エリアを出て行った。

 

 キャットがチップを見上げた。

「いいの、私も行って」

「もちろん。アートもそう言ってたの聞いただろ」

 そういいながらチップが、心配そうな顔をしたキャットの頬を軽くつまんだ。

「アンのこと、ちゃんと説明したことなかったね」

「うん」

 チップがキャットを促し、さっきまでキャットが座っていたソファに二人で座りなおした。


 キャットは今まで、アートと親しいらしいアンという女性については、名前と病気らしいということしか知らなかった。

 皆がその話題にあまり触れないようにしていたのでキャットとしても話題にしにくくて、何故おおやけにされていないのかも不思議に思いつつはっきりと尋ねることができずにいた。


「アンは一応アートの『友人』ということになるのかな、今は。歳はアートのひとつ上。五年くらい前にアートの結婚相手を周囲が捜した時、何人か候補が挙がったうちの一人だった。王太子妃候補として健康診断を受けた時に病気が見つかったらしい」

 心配そうに眉を寄せたキャットに、チップが安心させるように笑いかけた。

「病気自体は治療を受ければ治るものだ。でも治療と経過観察に長い時間がかかるし王太子妃ってわりと忙しい役目だからね、アン側から候補を降りた。その直後にアート本人が時期尚早ということで結婚問題を棚上げにした。

 アンはそれから治療に専念しているんだけど、アートはアンを『友人として』見舞い続けている。まあそういう微妙な関係だからはっきりと恋人とも言い切れないし、アートもアンも認めないらしいけど、実際のところアートはアンの病気が完治するのを待ってるんだろうと周囲は皆思ってる。

 さっきアートが君に厳しいことを言ったのは、多分アンのことがあるからだ。アートも後から聞かされたりするのが嫌なんじゃないかな」


「そうだったの。悪いことした。言い返したりしなければよかった」

 しょんぼりしてしまったキャットにチップがにやりとして見せた。

「君がこんなにしおらしくなるなら、僕もアートみたいにいつも不機嫌そうにしてようかな。アン本人については僕から聞くより直接会った方がいいだろ。下の花屋に寄ってからアンのところへ行こう」

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