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Goin' to the Zoo 1

プロローグ


「ねえ、フライディ」

 キャットはその日会った時からずっと落ち着かない様子で何か言いたげな顔をしていた。

 景色のいい海沿いの道をドライブしているというのに、ろくに外を眺める様子もないキャットをさっきから横目で窺っていたフライディことチップは、ようやく口を開いたキャットに、運転中にもかかわらずわざわざ顔を向けてにっこりと笑いかけた。


「なあに、ロビン」

「あのね……駄目だと思うんだけど……他の男の子とデートしていい?」

「だめだ」


*** 


 考える間もなくそう答えたチップが、語気の鋭さに自分で驚いたような顔をした。

 キャットは小さな声で詫びた。

「そうだよね。ごめんね、変なこと訊いて。今の忘れて」

「待てよ」

 チップが運転席から右手を伸ばしてキャットの腕に手をかけた。対向車が来ているので今は目を前方から離せなかった。

「忘れられるわけないだろ。話だけでも聞くから話してみろよ」

「いいよ。駄目だって分かったから、もう」

「駄目でも気になるじゃないか。ああっ、もうっ! お願いだから教えてくれ。運転に集中できない」

 チップはそう言いながら急ハンドルを切って道を外れ、車を砂浜に乗り入れて止めた。

 

 チップがエンジンを切ると波の音と時折通る車の音以外は聞こえなくなった。

 キャットに向き直ったチップに向かって、キャットはもじもじして目を伏せたまま話を始めた。

「同じ講義をとってる男の子に、一回だけデートして欲しいって頼まれたの」

「君はその子のことが好きなのか?」

「何言ってるのよ。私が好きなのはフライディでしょ」

 キャットがかっとなって顔を上げ言い返したが、チップは容赦なく責めた。

「じゃあ何で断らないんだよ。まさか『じゃあ恋人に訊いてからね』なんて答えたんじゃないだろうね」

「その子も留学生なの。でもお父さんが亡くなられて帰らなくちゃいけないんだって」

「そんなことで同情してたら、僕なんか毎日デートの約束だらけになるよ。君はそれでもいいのか?」

「フライディ、フライディ。怒らないでよ」

「怒ってないよ」

 明らかに機嫌を損ねているチップにキャットが切なげに訴えた。

「じゃあもっと……優しく言ってよ」


 チップはすぐに後悔してキャットの頬に両手を添えた。

 そのままキャットの目を覗き込み反省した様子で言った。

「ロビン、愛してる。そんな顔しないで。君を責めるつもりじゃなかった」

 いけないとは思ったがキャットは噴き出してしまった。

「責めてたよ、おもいっきり」

 チップも一緒に笑い出した。

「そうだったかもしれない。うん、そうだね。君のことになると僕はちょっとおかしくなるんだよ」

 二人を包んでいた不穏な空気が笑い飛ばされて、二人ともほっとした顔をした。


 どちらからともなく額を合わせ仲直りのキスになった。

「君のここから、僕をおかしくする何か未知の物質が分泌されてるんだ」

 キスの後でチップが、キャットの唇に指先で触れた。

「どうやら中毒性もある」

 触れた指でキャットの口を開かせて、チップが再びキスをした。キャットが喉を鳴らした。

 

 会話が再開するまでにはもうしばらくかかった。

 しかし今度はチップも話を聞くだけの余裕ができたし、キャットはちゃんとチップの目を見て話すことができた。

「その男は前から君の事が好きだったの?」

「そんなことは言ってなかったよ。国に帰る前に勉強以外の思い出も作りたいって言ってた。喋る方はあんまりうまくなかったけど真面目ですごくレポートの評価は高かったんだよ。前にグループワークで組んだ発表では私もいい評価もらえたの」

「ずいぶんな借りをつくったんだな」

 チップがわざと顔をしかめて見せた。今度はキャットも機嫌よく、いーっとしかめっ面を作って返した。

「そんなことありませんよーだ。でも留学って色々大変なことが多いでしょ。私はすぐ家に帰れるしフライディや皆のおかげですごく楽してるけど、同じ留学生だから力になれるものならなってあげたいなって思っちゃったんだ」

 それはいかにもキャットらしい言葉だった。

 そう言ったキャットも言われたチップも、キャットのルームメイトのフィレンザのことが頭にあった。

 さらにチップはあの島で自分を支えてくれた優しい腕のことまで思い出していた。あの時はまだ好きでも何でもなかった筈のチップにも、キャットは同じように優しかった。


 もちろん恋人としてのキャットを誰かと共有するつもりは一切ない。しかしキャットの純粋な親切心も分かるだけに、チップは迷った。

「君が断ったら誰か他の相手に頼むのかな」

「どうだろう。あんまり他の人と話してるとこ見たことない。私達はクラスで二人だけの留学生だったから」

 キャットはもう言いにくいことを言い尽くしたおかげでチップの顔が正面から見られるようになっていた。

 まっすぐ見るキャットから、今度はチップの方が目をそらして黙り込んだ。


 ずいぶん経ってからチップが目をそらしたまま口を開いた。

「握手までならいい」

「えっ?」

「ハグは駄目。キスももちろん駄目。暗くなる前に帰ってくること。あまり遠出したり二人きりになったりしないこと。つまりドライブは駄目」

 目を合わせないまま次々と条件を挙げていくチップに驚いて、キャットがチップの顔を覗き込もうとした。

「フライディ? それっていいってこと?」

「今回だけだ。今度から君のところにデートしたいって留学生が押し寄せてきてもちゃんと断るって約束するなら今回だけ目をつぶる」

「絶対駄目って言うと思ったのに」 

 キャットはチップの態度の変化に驚いた。


 もちろんキャットだって真剣に付き合っている相手がいるのに他の相手とデートするというのがいいことでないことくらいは最初から分かっていたから、駄目と言われた時も当然だと思っていた。

 それなら最初にデートを申し込まれた時点で断っておけばよかったのだが、男の子に誘われることにもそれを断ることにも慣れていないキャットは、「返事は今じゃなくていい」という誘いをその場ですげなく断ることができなかったのだ。


「僕の女性関係で君はあてこすられたり叩かれたことまであるのに、君のことをこんな風に囲い込んで他の男を一切知らずに過ごさせるのもフェアじゃないかなと思ってさ。……もしかしたら僕とデートするより楽しいかもしれないしね」

 チップは目をそらしたままそう答えて、少し拗ねたように最後にひとこと付け足した。キャットが微笑んだ。

「ねえ、フライディ。ハグさせて」

 助手席から身を乗り出したキャットが、運転席に手を伸ばしてチップを促し、その頭に自分の腕を回した。

 キャットは腕の中のチップに向かって囁いた。

「フライディ。フライディのこと大好き。フライディが嫌ならちゃんと断るよ」

「僕は君の聖母みたいに優しいところが大好きだから、それが他の人に向けられたからってわがままで君を引き止めるのは間違ってるように思うんだ。決して嬉しくはないけど我慢するよ。君は断りたくないんだろう?」

「……うん」

 キャットが返事を迷ってから答えた。

 断るべきだとは思っていたが、やはり断るのはしのびなかった。


 だからチップに駄目と言ってもらって、それを理由にして罪悪感も肩代わりしてもらおうとしたのだと、自分の無意識の計算に今になってキャットは気がついた。

 誰でもよくやることだ。でも気付いてしまったキャットは自分を恥ずかしく思った。


「私の方こそ間違ってるかもしれないよ」

「失敗を恐れずチャレンジするのが君のいいところじゃないか」

 チップがキャットの腕から抜け出して、キャットの頬を軽くつまんだ。

「行っておいで。せっかくだから楽しんで」


 晴れてチップに認めてもらったというのに、キャットは全く気乗りしなかった。チップに嬉しくないことを我慢させてまで行く価値があるとはとても思えなかった。

 でも……これでやっぱり行かないなんて言ったら、チップは今度はきっと、全力で行かせたくもないデートに行くようにと勧めるだろう。ここで『やっぱり』と言うくらいなら最初にチップに訊いてはいけなかったのだ。


 そこでキャットは息を吸ってひとこと、力強く答えた。

「分かった」

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