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1st. セメスター 2(おわり)

「キャットって、持ってるのが同じような服だから余計にいつも同じ服着てるみたいに見えるんだよね」

「確かに、この学校では逆に目立つかも」

「だから目をつけられちゃったのかな」


 ローズとフェイスは、本人のいないカフェテリアでキャットについての噂をしていた。二人はキャットが服に気を使わない──あるいは気を使いすぎる理由を聞いて知っていた。


 ──何もないところで一ヶ月暮らした後、服とか食べ物とかCDとか見たら何見ても素敵に見えてちょっと皆には言えないくらいに買いまくったの。でもそのうち、たくさん持っててもちょっとしかなくても同じだなって思ったら、なんかあれもこれも欲しい気持ちが冷めちゃって。またそのうち欲しくなるかもしれないけど、今はまだ──


 キャットはいつも日常をすごく楽しんでいるように見える。実際に人一倍楽しんでいる。でもやはりそれは一方で日常の退屈さにまだ馴染めていないようにも見えた。


 ローズ達はキャットと一緒に行動することで、つまらない日常が思いがけず興味深いものになるという体験もできたけれど、時々キャットを抱きしめて大丈夫だと言ってあげたくなることがあった。そんなに一生懸命に楽しまなくても大丈夫だよ、あなたには時間がたっぷりあるんだよ、と。


「キャットってテニスがすごく上手なのかな」

「普通よりはもちろん上手いんだよね」

「大丈夫なのかな」

「負けたからって、テニス部を辞めたりしないよね?」

 何もしてあげられないことにお互い胸を痛めながら、二人はキャットの心配を続けた。


 試合は、予想外の接戦になった。


 パワーと打点の高さはもちろんリチャードの方が上だ。普通なら男子と女子の試合でこんなに接戦にはならない。

 リチャードも最初から本気で打ってはいたが、やはり女だと舐めている油断があった。


 最初のうちはキャットがパワーよりはコントロールで決めるサーブや、まぐれのようなボレーでポイントを取り、二ゲーム先に取った。そこから絶対に負けられないと巻き返しをはかったリチャードが二ゲーム追いついて接戦になり、六─六でタイブレークとなった。審判を引き受けた先輩たちはあわててルールブックを確認することになった。

 ポイントを取られては取り返すラリーの応酬でどちらも相手を引き離すことができない。見ている方はもうそろそろどちらかが譲ればいいんじゃないかと思い始めたが、今度のラリーもなかなか終わらなかった。

 先輩たちはさっきから時計に視線を送って、新入生歓迎会までの残り時間を測っていた。


 キャットはパワーでは叶わないが、勘の良さと体の軽さを最大限に利用していた。ひたすらボールに追いついて返す。その中に時折全身で打ち返すスマッシュもあれば、ただ当てるだけのボレーもあった。相手のリズムを崩す、リチャードの嫌いなテニスだった。

 リチャードは普段はパワーで相手を圧倒して打ち勝つタイプだったので、ライン際のボールさばきはどちらかといえば苦手だった。アウトボールに手を出してはとためらったものがギリギリでインになったりすると、いちいちキャットに馬鹿にされているような気になった。

(生意気だっ!)

 リチャードが力いっぱい打ち返した重たいボールを、キャットがなんとかラケットだけ間に合わせて受けた。

 ボールは高く打ち上がった後、ネットの上で一瞬迷ってからリチャードのコートに落ちた。

「くそっ!」

 リチャードが思わず悪態をついた。

 キャットは衝撃が響いたらしく利き腕を反対の手で押さえたが、すぐまたグリップを握り直した。


 次のサーブをキャットが打った。リチャードが返したボールを、ネットぎりぎりまで出たキャットがボレーで返し、リチャードが拾いに出た。


 ラケットを振りかぶった瞬間、いきなり背中から息が止まるような激痛に襲われ、リチャードはその場に倒れた。

 ギャラリーが口々に彼の名を呼んだ。


「リックッ!?」

 すぐにメディカル・タイムアウト(治療時間)が取られる。

 周囲が慌ててコートに入り、リチャードを助けようとしたが、背中に痙攣を起こしたリチャードは立ち上がることができなかった。


 治療を受けるリチャードから目をそらして時計をにらんでいたキャットが、ジャッジが終了を告げると同時につかつかとネットの前へ出た。

「棄権するんでしょ? 私の勝ちでいいよね」

「待てよっ」

 そう言ったものの、リチャードは立てなかった。ただの痙攣だ、治ればまだ続けられる、そう言い訳をしようとしたが、不意に気力が尽きてしまった。

「棄権する。でも、お前のテニスに負けたわけじゃないからな」

 悔しさのあまりそう言ったリチャードに、不意にキャットが笑いかけた。

「うん。認める。また試合してね」

 リチャードは悔しさも忘れてキャットの笑顔に見とれた。

 リチャードだけではなく他の皆も見とれるくらい、屈託のないいい笑顔だった。

 コートを出て心配して見守っていた友達のところへ向かうキャットの後姿は、実に晴れ晴れとしていた。


 夜になって開かれた新入生歓迎パーティは、教授や学校関係者なども出席する盛大なものだった。

 今年からベネディクト王子に代わって理事に加わったチャールズ王子も出席するというので、女子学生はシンデレラもかくやという姿で着飾っている。


 リチャードはその会場でキャットを探し回った。あちこち訊いてまわり、ようやく目立たない出窓の前の椅子に一人で座るキャットを見つけた。

 ぴんと伸びた背筋やしっかり筋肉のついた腕に華奢という印象はないが、細いこの体で自分と互角の試合をしたというのは、色々としゃくだがやはり相当のものだと改めて見直した。

(ドレスだってちゃんと持ってるんじゃないか)


「おい。壁の花」

 リチャードがキャットにそう呼びかけた。キャットはむっとした顔でリチャードを見上げたが返事はしなかった。

「ダンス踊れないのか。それとも誰にも誘ってもらえないのか」

「違うわよ」

 そう言って顔を背けたキャットが、しぶしぶ理由を告白した。

「試合で足を使いすぎたの」

 リチャードが小さく笑った。

 キャットがちらっとリチャードを見上げた。

「あなたこそどうして踊らないのよ。私は誘われても無理だから」

「誘う気ない」

「あなたもどこか痛いの?」

「あんな痙攣くらい、あれからすぐに治った。お前と一緒にするな」

 キャットは鼻を鳴らして横を向いた。

「でも……試合は、お前の勝ちだ」

 そう言ってリチャードが、コートで差し出せなかった手を差し出した。

 キャットは横を向いたまましぶしぶとその手に向かって自分の手を差し出し、二人はようやく試合終了の挨拶を終えた。


 そこへ、タキシード姿の男性が近づいてきてキャットに微笑みかけた。

「こんなところで密会? 踊らないの?」

「この人と先約があるのっ!」

「おっ、おいっ」

 いきなりダンスの相手にされて横にいるリチャードが慌てた。

 その二人に向かってチャールズ王子が笑いながら言った。

「本当は二人とも踊れないぐらい疲れ果ててるくせに」

「どうして知ってるのっ?」

「ご存知なんですか?」

 キャットとリチャードが口々に問いかけた。

 王子は人の悪そうな微笑を浮かべた。


「僕に勝つために秘密練習までする君がテニスを教えてくれって言い出したから、いったい何が起きたのかと思うじゃないか。リック、ごめんね、君が苦手なボレーの特訓をつけたのは僕だよ」

 キャットが座ったまま王子を睨み上げた。

「──教えてなんて言わなければよかった! 実力で勝ったのにこんな恩着せがましい言い方されるなんて!」

「でもぎりぎりだっただろう。相手の弱点を突くのは別に卑怯じゃない。君はフットワークに甘えて試合の組み立てが下手だ。もっと頭を使えよ。テニスは高度に数学的なスポーツだよ」

「私は数学マニアじゃないもん。いったいどこに隠れてみてたのよ」

「ひどい言い方だな。僕の名誉のための決闘に、知らん顔できるわけないだろう?」


 リチャードは呆然と二人の口論を見守った。

 ありえないと思いつつも彼は何となく事情を察し始めていた。


「隅で座ってるだけなら、この場にいる必要ないだろう。行こう、そこの窓から抜け出そう」

「断ったら?」

「力づくで抱き上げて会場の真ん中を突っ切って連れて行く」

「それじゃ選びようないじゃない、どっちにしろ連れて行くんでしょ」

「もちろん」

 そう言った王子をちらっと見上げてから、キャットが不意に微笑んだ。

「いいよ。連れて行って」

 キャットが王子に手を差し伸べた。


 王子がうやうやしくその手を取り、キャットが立ち上がった。

「殿下……?」

 その場に残されるリチャードが弱々しい声で王子を呼んだ。

「ああ、ごめんね。もう紹介は必要ないと思うけど、彼女が僕の最愛の恋人」

 王子の言葉にキャットがさっと頬を染めた。リチャードは最後の疑問を口にした。

「ロビンって……?」

「うん、それも彼女の名前。……でも君はそう呼ぶなよ」

 最後にリチャードにそう釘を刺してから、王子が先に立ち、辺りを見回すと窓枠に足をかけた。

「じゃあ僕達はお先に」

 そう言った王子が、頬を染めたキャットを抱き上げて窓から出て行った。


 自分がうまくはめられたような気がしてならなかったが、リチャードはどうやら間違った相手にケンカを売ったらしいことに今更ながら気付いていた。

 彼女がその気になれば別にテニスの試合などしなくても自分をへこませることができたことにも、気付いてしまった。


「悔しいけど負けだ」

 決して殿下の恋人だからではなく。

 あの生意気なキャットって女に負けた。


 女としては全然いいと思わないけど、あいつは男らしくフェアに戦って恋人の名誉を守った。それについては認めよう。

 人の好みはそれぞれだから。殿下の趣味についてはもうとやかく言うまい。


***


エピローグ

 だからといってリチャードがそのままおとなしくなったと思ったらそれは思い違いだ。リチャードはそれからもキャットに身なりに気を使えと言い続けたし、キャットはうるさそうにそれを聞き流し、時には噛み付いた。

 それは周りからすると、二人が遠慮なく言い合える親しい関係になったようにみえた。


「キャットってリックと付き合ってるの?」

「キャットは彼氏いないんじゃない? 部屋の壁に貼ってあるの、王子達だったよ」

「へえ……じゃあ付き合ってはいないのかな。それにしては仲いいよね」

 そんな無責任な会話の中身を知ったら、多分キャットは怒りで赤くなって、リックは恐怖で青くなって反論したことだろうが、幸か不幸か彼らはまだ自分たちについての噂を知らず……従って反論することもなかった。(何でも知っているキャットの恋人はもちろん知っていたが、それに関するコメントは彼から出ていない。)


end.(2009/04/23)

明日からはキャットの学生生活と恋愛の両立のお話。全三話。

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