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1st. セメスター 1

「入学初日」の続きから始まるキャットの大学生活。全二話。

プロローグ


「もう……フライディってば。私、ほんとに怒ってたんだからね」

「まだキスが足りないみたいだね?」

 そう言って、チップがキャットの頬に手を伸ばした。

「駄目」

 キャットはそう言ったのに、チップはまた長いキスをした。


 ようやくおとなしくなったキャットをチップが抱き寄せて(ささや)いた。

「きみはすぐそばにいるのに、会いたいときに会えないなんて。……本当に、どうして君は寮になんか入ることにしたんだよ」

「もう何度も話したじゃない。勉強も学生生活も一生懸命やりたいの」

「分かってるけど、僕を後回しにされるのが気にいらないんだよ」

「自分だって公務優先するくせに」

 もう一度キスが始まりそうだったが、廊下の向こうから足音が響いてきたので、チップはキャットの肩を抱いて歩き出した。

「寮まで送っていくよ」

「お願いだから、あの赤い車はやめてくれる? 目立ちすぎるから」

「分かった。じゃあ違う車で。それならいい?」

 キャットは頷いた。

「本当に偶然だったの?」

「そうだよ。信じてなかった?」

「うん」

「相変わらず君はひどいね。まあ君に声をかける誘惑に抗えなかったことについては謝るよ。自分から僕と付き合ってるって言い出しにくいだろうと思った、僕の思いやりでもあるんだけど」

「分かってる。我慢できなかったのは私だし。でもこれからはなるべくおとなしく目立たなくするからね。協力してね」

 チップが返事がわりの流し目を送った。キャットはすまなそうな笑顔で言い訳をした。

「だってそのためにこっちの大学に来たんだよ?」

「君がおとなしくしてられるとは思えないけどね」

 チップが予言のような言葉を吐いた。


***


 今をさかのぼること数ヶ月前のある日、キャットは両親から進路について話をされた。

 もしキャット本人が希望するなら、隣国の大学に進学することも選択肢の中に含んではどうかと。

「……いいのっ?」

「チップとも話をしたんだが」

「フラ……チップと? いつ?」

「ちょうどいい折があってね」

「……お父さんには一度話したよね」

「ああ。今決めてしまうのは少々気が早すぎると思うが、あちらの国についてお前はまだよく知らないところもあるし、実際に知り合いも少ない。実際に住んでみないと分からないことはたくさんある。相談できる相手は多すぎても良くないが、困った時に誰もいないよりはいい。それにこちらでは、大学に入るとまた煩わしいことがあるだろう」

「……うん」

 この国でキャットは二度メディアに出た。

 一度目は遭難事故の小さな記事で。二度目は帰還のあの大騒ぎで。二度目の記事は隣国王室の圧力でプライバシーへの配慮がかなりされたが、一度目の記事を捜すのは容易だった。

 今でも、人の集まる場所で誰かの囁き声が耳に届いたり、初対面の人にまじまじと顔を見直されたりすることがある。


 今になってキャットは、あの島でフライディと会った時に彼が素性を隠した理由がほんの少しわかるようになった。自分は相手のことを知らないのに、相手は一方的に自分を知っている、いや真偽も定かでない情報から勝手に知っていると思われているというのは、ごく控えめに言ってもいい気持ちとはいえなかった。


「私がこの国に来たのも今のお前くらいの歳の頃だ。国が違えば常識も違う。自分が正しいと思っていたことの多くがただの思い込みだったと気づいたりもする。チップとのことは別としても視野がひろがっていいだろう。もちろん戻りたければいつでも戻っておいで」

 そう言われたキャットは両親に黙って手を回した。キャットは一度行方不明になって戻ってきた身だ。両親がどんなに自分を大切に思っているのか、骨身に染みて知っていた。

 その両親がまた自分を手放そうとしてくれている。


 両親の気持ちに応えるためにも、勉強も頑張り、学生の時しかできない経験を重ねようと決意した。寮に入ることもその決意の一環だった。


 というようなことでキャットは、寮の一ブロック手前で決意に満ちて車を降り、歩いて入寮した。


 その寮は女性だけが数十人で共同生活を送る場所だった。部屋も下級生は相部屋だ。

 フィレンザはごく少ない荷物が届いただけで本人の現れない状況に、まだ見ぬルームメイトに様々な想像を膨らませていた。


「フィレンザ。あなたのルームメイトの到着よ」

 ミセス・テイラーがそう言って彼女を連れてきたのは、入学式の日の夜だった。

「ありがとうございます、ミセス・テイラー」

「じゃあ後はフィレンザと細かいルールを決めてね」

 そう言ってミセス・テイラーは部屋に二人を残してドアを閉めた。フィレンザと彼女は一瞬無言で見つめあい、彼女の方が一瞬先ににこっと微笑みかけた。

「はじめまして、フィレンザ。綺麗な名前だね。私はキャサリン・ベーカー。キャットって呼んで」

「よろしく、キャット。待ってたわ。フィレンザ・ディリヴォーリよ」

 キャットの気持ちのいい微笑に、どんな人だろうかと期待と不安を抱いていたフィレンザがほっとして微笑み返した。ルームメイトが人づきあいが苦手なタイプだったらというフィレンザの心配は杞憂だったらしかった。

「私は外国語学部。フィレンザは理学部なんだよね?」

「ええ。ずいぶん到着が遅かったのね」

「こちらにいる知り合いのところに泊めてもらっていたんだけど、引き止められちゃって。寮に入るのも反対されてたの」

「私は、キャットが来てくれて嬉しいわ」

「私も嬉しい」

 そう言って微笑みあった二人は、キャットの荷物を片付けながらお互いについての雑談をした。キャットの荷物はテニスの用意だけはひととおり以上あったが、洋服が驚くほど少なかった。

「荷物、これだけ?」

「うん。そんなに要らないと思って。実家も車で二時間だからいざとなれば取りに行けるし」

「そうなの。じゃあ週末は家に帰るの?」

「ああ、週末は……そうね、帰るかもしれないし、こっちにいても知り合いのところに泊まることが多いかも」

「知り合いって?」

「……親戚みたいなものかな」

 そう答えたキャットが、昼間買ったばかりの絵葉書を壁に並べて飾った。フィレンザが盛装の四王子を眺めて感想を洩らした。

「よりどりみどりねぇ。こうして見ると」

「入学式の後、同じクラスの子に街に連れて行ってもらって買ってきたの」

「エドワード王子には学校で会えるかもしれないわね。院に残っているそうだから。でも私はベネディクト王子が素敵だと思うわ」

 フィレンザがそう言うと、キャットがふふっと笑った。

「私の友達もベネディクト王子が一番好きだったんだって」

「キャットは誰が好き?」

「……私は……チャールズ王子かな」

「一番人気よね。目立つし」

「そうなんだ」

「なんといっても『理想の恋人』だしね」

 フィレンザの言葉にキャットが声をたてて笑った。

「私、それ全然分からないんだけど」

 こうして、フィレンザとキャットの大学生活は始まった。


 どの講義を取るかキャットは熱心にスケジュールを組んで、どうしても出たい講義が重なっているのにうーんと頭を悩ませてペンを転がして決めたりしながら、大学生としての生活を整えていった。

 もちろんキャットの生活にテニスは欠かせないから、テニス部にも入った。王族も多く所属していた伝統ある部で練習も厳しいし色々細かい規則があったが、キャットはもう一つの特徴に気付かなかった。

 ここは、ある意味でとてもスノビッシュな部だった。


 それは新入部員と先輩の顔合わせのミーティングの前に起きた。

「おい平民」

 そう呼びかけられて相手をきっと見返したキャットは、爽やかな外見に似合わない険しい顔をした男に向かって三歩踏み込んだ。同じ新入部員だった。確か名前はリチャードと言った。

「今何か言った?」

「もうちょっと身なりに気を使え。テニスは貴族のスポーツだ。コートの外でももうちょっとテニス部員らしい格好をしろ」

 キャットは息を吸って吐いて吸って吐いて、怒鳴り返す代わりにようやく一言答えた。

「ルールブックには書いてないし、部の決まりにもないよね」

「わざわざ書かないと分からないような奴が入るところじゃない」

「あなたに言われたことに従う理由もないんじゃない」

「生意気な女だ」

「私が生意気なら、あなたは失礼だよ。私は平民であることを別に恥じてはいないけど、あなたの言い方は気に入らない」

 周囲は徐々に二人の口論の行方に関心を持ち始めた。

「いるんだよな、こうやって男を言い負かそうとする奴。お前、モテないだろ」

「ボーイフレンドならいるのでご心配なく」

「趣味の悪い男だな」

「彼のこと侮辱しないで。もしかして私に言い負かされそうで焦ってるの?」

「お前テニスより口の方が上手いんじゃないか?」

「あなたこそ」

 気付いた時には、リチャードもキャットも後にひけなくなっていた。


 いつの間にか先輩達が、来週早々、新入生歓迎パーティの前に試合をセッティングしてくれるということになり、二人は頷いた。頷くしかなかった。


 その週末、リチャードは不本意ながら自宅でテニスの練習に打ち込んだ。

 よく実力も分からない相手だ。女とはいえ万一にも負けるわけにはいかない。

「やあ、リック。熱心だね」

「殿下……」

 

 フェンスの向こうから声をかけてきたのは、リチャードが尊敬するチャールズ王子殿下だった。父親と同じ財団で理事をしている関係で、リチャードにも気軽に話しかけてくれる。近くはないが親戚でもあった。

 

「よかったら相手しようか」

「宜しいんですか?」

「ああ。ちょうど午後にも人の練習に付き合うことになってるんだ。ウォーミングアップさせてもらえたらちょうどいい」

 そう言った王子が上着を脱ぎながらコートに入ってきた。


 軽く打ち合ってから段々と激しいラリーになってきた。

「君のテニスは力任せだな」

「あまり小技は好きじゃないんです。必要もないし」

 そう言ってリチャードが激しく打ち込んだボールを、王子が軽く打ち返した。

「分かりやすいといえば分かりやすい」

 王子がそう言ったところで、携帯電話がなった。彼は片手を挙げてラリーを中断し、上着のところへ戻った。

「ああ、ああ。もう用事は済んだよ。これから迎えに行ってもいい? 駄目? 相変わらずつれないな、ロビン。じゃあ後で。愛してるよ」

 そう言って笑った王子が電話を切った。

「すまない、そろそろ行くよ。デートの約束があるんだ」

「ありがとうございました」

 礼を言うリチャードに、王子が爽やかな笑顔で答えた。

「礼なんて、いいんだよ」

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