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行こう、城塞都市! 晩鐘ののち

(都合により予定より1日早く更新)

「おおおっ、久々の缶ビール!!」

「久々っていうほどじゃないでしょ、ほんの二日」

「飲めないと思うとやたら飲みたくなるんだよ」

「わかる、カフェイン切れよりもコーヒー飲むことができないと考えるストレスの方がつらかった」

「飲み物全員回った?」


 晩鐘から一刻ほど経ったころ。

 あまり広くないオルチャミベリー従業員社宅の一室を、声と言葉が重なったざわめきが満たした。これがもしマンガの一コマだったら、曇天のようにそれぞれのフキダシ(スピーチバルーン)で天井が全部埋まっているだろう。


 無事イベントを終え、テーマパーク「錬金術城塞オルチャミベリー」を退園した算術師たちは、打ち上げのためアダムの家に再集合していた。


「ではギルドマスター、乾杯の挨拶をお願いします」

「え、まだその設定続けるの?」

「お願いします」

 ハーヴェイに強く促され、アダムがおずおずと前に出る。


 あの馬鹿げた数学マスクを外したアダムはどこにでもいる普通の中学生だ。

 部屋を満たすざわめきが引き、しんと静まった中でみんなの注目を浴びたアダムが一瞬ひるんだ様子を見せた。

 しかし向けられた顔が好意的であることに気付いたのか、ほっと身体の力を抜いて口を開いた。

「昨日と今日のイベントに参加してくれた算術師たち、企画から手伝ってくれたハーヴェイとチップ、協力してくれたキャットとサラとオスカー、みんなありがとう。

 えーと……数学はひとりでも遊べる遊びだと思ってたけど、みんなと一緒に遊べてひとりよりも楽しかった」

「俺たちも楽しかったよ!」

 合いの手のように挟まれた発言に、アダムがぐっとあごをひいた。手の甲で目のあたりを強く押さえる。

「またオルチャミベリーに遊びに来てください! 乾杯!」


 強引にスピーチを締め、カップを掲げたアダムは返礼に応えるより早く注目の場から去った。そのアダムを中年男性が腕を回してつかまえる。アダムは男性の胸に顔を押し当てて、周囲の視線から泣き顔を隠した。

 算術師ギルドにいた中年男女はやはりアダムの両親だった。母親はアダムの背中に手を当てて何事かしきりに話しかけ、その横では兄のオスカーが、家族の様子を微笑ましそうに見守る客たちに弟がすみませんというような詫びめいた苦笑を返している。


 キャットもまた、アダムたち家族やそれを見守る周囲の暖かい雰囲気に笑顔を浮かべたひとりだった。

「楽しかったし、よかった。ファインアファインの人たちともお話できたし」

 チップが横から、ほんの少し申し訳なさをにじませて言った。

「君には雑用をいろいろ頼んじゃってごめん。助かったよ」

「全然いいよ。サークルのひとたちには純粋にお客さんとして遊んで欲しかったんでしょ。手伝っちゃうとどうしてもイベントの進行とか気になってお客さん目線になれないし、流れを知らない人が多い方がリアクションが楽しいもんね」

 キャットはしたり顔で恋人を見上げた。チップがにこりとした。

「詳しいね」

「詳しいの」

 身軽で骨惜しみしないキャットは、今回のようにブレインではなくブローンとしてイベントの手伝いを頼まれることが多い。だから企画側(ブレインたち)の苦労と本番の緊張をそばで見て、気楽な立場が申し訳ないなぁと思うことも多い。

「手伝いのお礼で先にしっかり遊ばせてもらったし、お知らせの紙をちょっと壁にテープで貼るみたいな、当たり前のことが当たり前にできないのがいちいち面白かった。ただ遊んでるだけじゃそういうことまで分からないし、何よりも、数学ってキレイだなっていうのもこれを手伝わなきゃ分からなかったでしょ?」


 こちらを見上げる真っ直ぐな笑顔に、チップはとっさに何も返せなかった。

 一瞬の間を空け、彼はゆっくりと笑顔になって言った。

「君から『数学が綺麗だ』って言葉が聞けたのが、僕にとってはこのイベント最大の報酬だな。もっと前に教えてあげられなかったことが悔しくもあるけど。

 そう、数学は美しいんだ。解けなくて気持ちの悪い問題は、解にたどり着くと美しい姿に変わる。まるで魔法みたいだけど、むしろそれは悪い魔法が解けて真実の姿を現す瞬間なんだ」


 キャットにとっては強制的にやらされる苦行めいた学問が、チップやファインアファインのメンバーにとっては楽しい遊びで、魔法を引き合いに出すほどロマンティックなものだというのは不思議なことだ。

 きっとそれは、ばらばらのパズルのピースとピースがカチリとはまる瞬間の快感と同じものなのだろう。


「パズルみたいだね」

「君がそれを言うなんて」

 チップは驚きを顔に出し、それからまたやわらかな笑みを浮かべた。

「子供の頃に思ったことがあるんだ。『神の作った完璧な世界はパズルになっていて、そのピースをはめていくのが数学者の仕事なんだ』と。僕はピースをはめる仕事には向いていないけど、ピースをはめた誰かに拍手できる自分でいたいから、こうやって今でも数学から離れずに周りをうろうろしてるんだ」

「フライディは数学者になりたかったの?」

「そこまでの才能はないけどね」

 チップが自分から何かを『できない』と言うのが珍しく感じたキャットは、それを顔に出していたらしい。チップが付け加えた。

「数字を覚えるのが得意だし、一度見た問題の解法は忘れないからテストの成績はよかったけど、ひらめきに欠けるんだ。創造性は人並みだよ」

「そうなの?」

「そう」

 チップの打ち明け話を聞いたキャットは、一瞬同情しかけたが……内容を理解するにつれじわじわと胸にわきあがる思いがあった。


 『一度見た問題の解法は忘れない』?

 それってありなの??


 才能に恵まれなかったという本人にとっては無念な告白をしたチップを追い打ちで責めるつもりはないが、なんだかまたちょっとだけ世の中の不公平さに怒りを覚えたキャットだった。


 しかし他人を羨ましがることの虚しさを知るキャットは、気持ちを切り替えるために話題を変えた。

「ところでこの炭酸水、錬金術で作ったの知ってた?」

「知らなかった、そうなの?」

「うん。重曹とクエン酸に水を入れてハーブも足して冷やしたの。ここの社宅で流行ってるんだって。これも中で売ればいいのにね」

「時代設定的にクエン酸の抽出が難しいんじゃないかな。それとも冷やさないとあまり美味しくないとか」

「そうか、中では冷蔵庫使えないもんね」

 キャットが残念そうに言った。彼女はもうさっきの怒りを忘れていた。


 アダムとオスカーが住む従業員社宅には備え付けの冷凍冷蔵庫があった。電気なしでいったいどうやって動かしているのかと思ったら天然ガス式なのだという。

「サラみたいに仕事の都合だけでここに住んでる人はできる限り現代の生活に近づけて暮らしてるって言ってたけど、中世のままの生活がしたくてここに移住した人は『冷蔵庫なんかなくっても生活できる』って家でも使わないんだって。夏に冷たい飲み物とかないのは辛そう」

 会話を聞きつけたヤエルが横から会話に加わった。

「オルチャミベリーでは夏には硝石の吸熱反応を使ったアイスクリームの屋台が出るよ」

「そうなんだ? 面白いね! さすが年パス持ち、詳しいねヤエル」

 ヤエルはショーンと一緒に打ち上げにも参加していた。

 実はオルチャミベリーの年間パスポート持ちでしょっちゅう来ているそうだ。算術師見習いの修行を受けたのも、自分の知らない修行が気になったという理由らしい。

「でも従業員社宅の中まで入れてもらったのは初めてだ。あの時クエスト受けて良かった。ショーンに声かけたおかげだ」

「俺も『モリエヌス』つながりでヤエルと知り合えてよかったよ。ゲームでもフレンドになったんだ」

 ショーンが嬉しそうにキャット達に告げた。仲良くなったようで何よりだ。

「ふたりとも、社交性高いね」

「「まさか」」

 ふたりがほぼ同時にキャットの言葉を否定した。

「外ではゲームの話とかあんまりしないし」

「なんかここでは半分ゲームの中にいるみたいで特別なんだよ」

「あとなんか、ゲーム関係なくてもみんな個人的な話しないから楽」


 ヤエルとショーンが口々に訴える内容に、キャットは頷くものがあった。

 好きな数字についてはまだ誰からも聞かれていないが、チップが予想した通り、キャットのこともチップのガールフレンドという情報以外に触れようとしないのでとても気楽に過ごしている。


「まあこれは、ファインアファインが特にそういう雰囲気っていうのがあるんだけど」

 と三人の会話を聞いていたチップが前置きをして続けた。

「基本的に僕らは数学の話をするために集まってるからね。その分、数学に興味ない人にはつまらない集まりじゃないかと心配だったけど、彼らが普通の会話もできないわけじゃないってことが証明されて安心したよ」

「本当にみんな『あまり人間に興味がない』の?」

 キャットが重ねて聞くと、チップが頷いてちょっと笑い、また続けた。

「でも面白いのはね。数学史っていう数学の進歩の歴史についての学問があるんだけど、その中では数学者たちのエピソードがよく取り上げられるんだ。僕らは神の手跡を求めているくせに、その発見がどんな人によってなされたかが気になる人間臭さを残しているんだよ」

「いや、あれは数学に興味のない生徒とかに興味を持ってもらうための釣り針(フック)にいいからだって聞いたぞ」

 やってきたハーヴェイが会話に加わった。

「ハンドルじゃなくてフックなの?」

「ハンドルは向こうが積極的に握ってくれないと駄目じゃん。フックなら相手が油断した隙にこうやって引っ掛けられるから」


 詐欺師のようなことを言いだしたハーヴェイにキャットが何か言い返そうとした時、玄関のドアが開いた。


「こんばんは、まだやってる? 差し入れに飲み物持ってきた」

「エミリー、ありがとう。何か食べていって」

 オスカーが女性を迎え入れた。ショート丈のパンツにTシャツで、髪は大きな櫛で無造作にまとめた、本当にご近所さんが遊びに来たという感じの人だ。

「もちろんそのつもり。これアルコール度数わりと高いから割って飲んでね。アダムはまだ飲んじゃ駄目よー」

 通常のワインボトルの倍はある大きなガラスのボトルを差し出す女性の顔に、キャットは見覚えがあった。

「ホーエンヘイム女史!!」

「あら、それは仕事中だけのワーキングネームなの」

 そう言ったホーエンヘイム女史──ただのエミリーがにっこりと笑った。

「でもその名前を知ってるなら、あなた運がいいわ。二年もののオイノメルが味見できるわよ。ちょっとそのカップ持ってこっちにいらっしゃい」

「うわぁい!」

 キャットはいそいそとカップを手に人波の間を抜けていった。


 残された四人はその後姿を見送った。

「行っちゃったよ」

「行っちゃったね」

「あの女の人、あんなに足出てて寒くないのかな」

「大丈夫だろう、隅に寄れば」


「「角は九十度だから」」


 数学ジョークのオチを同時に言ったヤエルの肩を、ハーヴェイが嬉しそうにばんばん叩いた。

「いいなあ、ヤエル。うちのサークルに入れよ! ほら、このTシャツいかしてるだろ」

 そう言ってハーヴェイは『170度のオーヴンに入れます』という文字と転びそうに傾いたオーブンのイラストが描かれたTシャツを広げてアピールしてみせる。


「それで猫を……」

「ぎゃー!」

 楽しそうなエミリーからエグい中世の生薬レシピを聞かされているらしいキャットの悲鳴が、遠くから漏れ聞こえてくる。


* * *


 ──混乱を増大させながら、秩序ある世界の神秘を追い求める学究の徒の集まりはにぎやかに続き、夜は更けていった。


end.(2019/01/21-07/14)

「行こう、城塞都市!」篇はこれで終了です。

また準備ができ次第、次のエピソードを連載します。

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