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エリザベスと僕 2(おわり)

 隣にエリザベスがいる。二人きりで星を見てる。本当に夢みたいだ。


 横目でエリザベスを(うかが)った。

 絹のような髪がすぐ目の前にあった。

 この髪に触れたくて触れたくて、比喩ではなく夢にまで見たこともあった。起きた時は叶わない夢を見た自分が(みじ)めで泣けた。

 あの時もし今こうしている未来を誰かに教えられたとしても、ありえないと一蹴していたに違いない。あの頃は、エリザベスはいずれベンかチップと結婚して義姉になるのだと思っていた。


 でも今、現実にすぐ触れる場所にあるのに、やっぱり僕はまだ彼女の髪に触れることができなかった。


 小さい頃からエリザベスの髪は長くて綺麗だった。僕はずっとエリザベスを、なんて綺麗でいい匂いがする人なんだろうと思っていた。


 ずっとエリザベスだけを見ていたから、本当はエリザベスがベンを意識していたことも、違う意味でチップを意識していたことも知ってるし、僕はたまたま次に生まれたというだけで、消去法でエリザベスに選んでもらえたことも分かっている。うぬぼれたりはしていない。

 それでもエリザベスに嫌われたりせず、少しずつでも好きになってもらえたらいつか──


「キャットって可愛い人ね?」

「そうだね」

 エリザベスの低い声が心地よく、夢の中にいるような気分で相槌を打った。

「キャットみたいになれたらって思うけど、なかなか難しいわね」

 いきなり現実に引き戻された。のぼせた頭からさっと血が下がった。


 チップの馬鹿野郎。やっぱりエリザベスはチップとの婚約解消で傷ついていたんじゃないか。

 あんな風にエリザベスの前でまでキャットにでれでれするなんて本当に無神経だ。それなのにエリザベスはキャットと仲良くしたりして、なんて健気なんだろう。


 と、多分一秒ほどで色々な考えが頭の中をかけめぐった。

 でも口に出しては違うことを言った。

「エリザベスは今のままでいいと思う」

「ありがとう。でもキャットの素直なところは(うらや)ましいわ」

「そんなことでエリザベスが誰かを(うらや)む必要なんてないよっ」


 僕はそれから十五分間、エリザベスは素直じゃないのではなくいつも周囲に気を使っているから感情を露わにせず言葉を選んで話すので、それはエリザベスの立場では必要だしむしろ尊敬されるべき長所だからキャットを(うらや)む必要など全くないこととか、いかにその姿が美しく見た人を幸せにするか、低い声や仕草が上品で清楚か、思いやりがあって人当たりが優しいか、時々寄稿している文章がウィットに富んでいるか、若い女性王族として様々な組織のために日々活動をして王室のイメージ向上に貢献しているか、などなど僕が知る限りの彼女の美点を言葉を尽くして褒め上げていた。エリザベスの手を取りその手の美しさについても言及した。

 エリザベスは僕の勢いに圧倒されたようにただ黙って顔を真っ赤にして目を見開いていた。


 小さい頃からずっと、その美しい髪にどんなに触れたいと思ってきたか、何度も夢に……そう言いかけ我に返った時はもう遅かった。


 時は戻せない。一度口から出た言葉も取り戻せない。

 僕は他に何を言った? 何かいろいろとまずいことを言ったような気がする。変な汗が出てきた。


「あんまり細かすぎて変に思ったと思うけど」

「いいえ、そんな」

 絶対に変に思ったはずだ。ストーカーだと思われたかもしれない。エリザベスが匿名でしている寄稿まで読んでるなんて言うんじゃなかった。

「さっきの話が不愉快だったらごめん。でもエリザベスについて言ったことは全部間違いなく本当だ。エリザベスは今のままでいいんだ」


 少しずつでも好きになってもらえたらなんて嘘だ。


 臆病で髪にすら触れられない。ただ見ているだけの時間が長すぎて、二人でいてもどうしていいのか分からない。言葉はいつも足りないか過剰かでちっともうまく喋れない。

 そんな情けない僕を好きになって欲しいなんてとても口に出しては言えないけど、本当はエリザベスに気に入られたい気持ちが強すぎて空回りするんだってことは自分でもよく分かってる。


 さっきので好かれるどころか嫌われてしまったかもしれない。でも、エリザベスが自分を卑下するのに黙ってなどいられなかった。

 だってエリザベスは本当にずっとずっと僕の憧れの人だったんだ。エリザベスがどんなに素晴らしい人なのか、僕は本当に他の誰よりもよく知っているんだから。

 僕が握ったままだった手をエリザベスが優しくふりほどいた。僕はあわてて手を開いた。


 次の瞬間、ふわっといい香りに包まれた。

 何が起こったのか気付いた時にはエリザベスが僕の腕の中にいて、僕はそのエリザベスに腕を回し強く抱きしめていた。いつ自分の身体が動いたのか、まったく記憶がない。


 エリザベスの低い声が囁くように言った。

「大好きよ、エド。私もキャットみたいにこうやって、あなたに言いたかったの。やっと言えたわ」


 僕を見上げたエリザベスの目にシャンデリアが映りこんできらきらと輝いて見えた。それともこれは、エリザベス自身の中から溢れる輝きだろうか。


「あなたは私と二人でいるとあまり喋らなくなるでしょう。今日のキャットとチップのやりとりを見て、私も自分からあなたに近づかなくちゃいけないと思ったの。それで夕食に誘ったんだけど、すごく緊張したわ。いつもエドが誘ってくれる時もそうだったのかしらって。今まで気付かなくてごめんなさい」

 そう言ってエリザベスはふふふっと笑った。

 僕は信じられない気持ちだった。エリザベスが続けた。


「私ずっと友達に茨姫(いばらひめ)って呼ばれていたの。男の人に一度も声をかけられなくて自分には何が足りないんだろうって思っていたけど、きっと私の方から声をかけたらよかったのね」


 (いばら)の茂みの中で眠るエリザベスの幻が不意に浮かんだ。

 僕が辿りつくまでエリザベスを守っていた(いばら)に感謝した。


「僕がこんなにエリザベスのこと好きだったって知っても迷惑じゃない?」

「とても恥ずかしかったけど嬉しかった」

 キスしてもいい、って訊こうとしたらエリザベスが目を伏せて続けた。

「今日いとこだって紹介された時はすごく悲しかったのよ」

 血の気が引いて寒気までした。僕はなんてヘマを。

 エリザベスを傷つけたのはチップじゃなくて僕だったのか。


「ごめんなさい。キャットがどこまでエリザベスのことを知ってるのか分からなくて、余計なことを言わないほうがいいかと思ったんだ」

「知らない人に紹介されるの、初めてだったのよ。チップのようじゃ困るけどもうちょっと違う紹介を期待していたのに」

 エリザベスが()ねたようにそう言って僕を見上げた。さっき引いた血の気がまた逆流して顔が熱くなった。

 エリザベスが拗ねるなんて。それも僕になんて。ああ、エリザベスに申し込んだ日と同じくらい嬉しい。


「エリザベス……僕、エリザベスっていう響きも大好きなんだ。高貴だし清楚だし……でも……もし嫌じゃなかったらこういう時だけ……エリスって呼んでも構わない?」

 エリザベスが幸せそうに微笑んだ。その目を覗き込むようにして再び言った。

「それから……キスしていい? エリス」

 エリスは目を閉じる代わりに右手を伸ばし片手で僕を引き寄せた。

 僕達は至近距離で見つめあった。慎重派の彼女らしく、間違いのないように唇を一瞬触れさせてから、エリスが僕にキスをしてくれた。

 幸せで気が遠くなりそうだった。


 こんなキスが待ってるのなら、僕はどんな(いばら)の中にでもいつでも何度でも君を求めていくよ、エリス。


 ──って言えば良かったと気がついたのは、またしてもその日の夜、ベッドに入ってからのことだった。


end.(2009/08/08)

今日はこの次にもうひとつショートショートをアップしています。

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