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行こう、城塞都市! 次の依頼

「それはどうする?」

 チップは、肉を食べきったキャットが手に持ったパイシェルを見た。

「トレンチャーと同じで、食べないで捨てていいはず」

「詳しいね」

「詳しいよ」

 キャットは得意げに胸を張った。

「パイシェルはもともと深皿の代わりだったからね。金属や陶器の器は高かったし、木の器も何度もオーブンに入れたら焦げちゃうでしょ。パイシェルなら欲しいだけ作れるし多少焦げても関係ないから使いやすかったんじゃないかな。もともと食べられるものだから安全性の問題もないし。今でもお鍋とか蒸留器のすきまを埋めるのには小麦粉を水で練ったものを使うんだよ」

 チップは、こちらを見上げて一生懸命喋る恋人はなんて可愛いんだろうと思いながら話を聞いていた。

「蒸留器といえば錬金術には欠かせないものだ。後で実物が見られるかもしれないね。器として作られたのなら味はついていないのかな」

「塩を入れないと生地がべたべたするから少しは入れてるかもしれないけど、昔は塩が高かったはずだから」

 キャットは硬いパイ皮の器に果敢に挑んだ。

「かったーい。これ食べきろうとしたら夜になっちゃうかも。あとやっぱり塩は入ってないみたい」

 早々に諦めたキャットからパイシェルを借りて、チップも試してみた。

「素焼きの壺をかじってる気分だ。シチューを食べている途中で穴が開いても困るから丈夫に出来てるんだろう」

 チップもこれは無理だと認めた。

 ふたりはトレンチャーも味見してみたが、こちらも塩は入っていなかった。キャットが記憶と照合しながら言った。

「大麦が入ってるみたいで窯伸びが悪くて重たいけど、前に作ったフィレンザの地元のパンに似てる。古いパンを砕いてサラダに入れるレシピがあるんだけど、トレンチャーもそうやって使えるかも」

「なるほど。さすがだね、ミズ・ベーカー」

 パン屋の娘であることとファミリーネームの両方の意味でチップが恋人をそう呼んだ。パンについて話すときのキャットの表情は、彼女の父親ジャックにそっくりだった。たぶんいつも見ていて移ったのだろう。


 ゴミ箱まで行くと、ごみの種類別に細かく捨てる場所が分かれていた。

「残飯とトレンチャー、パイシェルは豚のえさ!」

「天然ストロー(麦わら)や紙は畑の肥料に、割れたカップは砕いてリサイクル……素晴らしく環境負荷の低いシステムだね」

「意外と燃やさないんだね」

「錬金術でリサイクルしてるのかも」

 チップの言葉にキャットはふきだした。

「すごいね、錬金術城塞(オルチャミベリー)


 ふたりは本日二度目の集会所を訪れた。

「次はどんなのがいい?」

「朝からこの広場の周りだけしか見てないから、どこか違うところで仕事したいかな」

 相変わらず愛想のないスタッフが人々を誘導していた。壁に貼られた依頼票の中味はかなり入れ替わっていたが、これはぜひというものが見つからない。

「仕事についての相談っていうのをしてみる?」

「ああ、あそこで話を聞いてくれるって言ってたよね」

 ふたりは字が読めなかったり仕事についての相談がある人のための窓口を訪れた。窓口といってもカウンターがあるわけではなくいくつか木でできた背の高いテーブルが置かれ、そこにいる人が片手の人差し指を立てて「用件をどうぞ」と言うのに呼ばれていくだけだが。

「ふたりでできる仕事で、広場から離れたものはないですか?」

 キャットが代表して用件を述べた。

「見習い? それとも手伝い?」

「おすすめは?」

 チップが横から口を出す。

「なにか覚えたい仕事があるんじゃなければ、荷運びなんてどう? あちこちに行けるわよ」

「それは手押し車で?」

「そう。主に食料品、それと布類ね。背骨が折れるほど重くはないはず。あとは船荷の積み下ろしもあるわよ」

「馬は?」

 上から見た景色を思い出したのだろう、キャットが会話に参加した。

「馬に乗れるの?」

 キャットたちふたりはそろって頷いた。

「引き綱を持ってもらって短いコースを一周したとかではなく? ひとりで手綱を取って馬に指示を出して歩かせたり走らせたりして乗れるということ?」

 その確認の仕方には、数々の自称馬に乗れる客が現れたんだろうなと今までの苦労をうかがわせるものがあった。

「乗れます」

 ふたりの当然という顔つきに、窓口嬢が笑顔を見せた。

「報酬をもらうのではなく、謝礼を払って教わるのでもいいなら伝令の仕事は? 伝言や軽い荷物を預かって馬に乗って、門から門まで城壁に沿ってぐるっと町を回るのよ。一周一時間、前後の準備と合わせるとだいたい二時間。どう?」

 キャットたちは顔を見合わせ、お互いの顔つきで答えを決めた。キャットが代表で答えた。

「じゃあそれで」

「ただしスカートでは乗れないから、どこかでズボンを調達してね」

「あっ!」

 今の今まで自分の格好を忘れていたキャットが思わず声を上げた。


 幸い、広場に面した店の中に古着屋という名前のコスチュームレンタル店があった。(中世に既製服という概念は存在しない)

 試着室で着替えて出てきたキャットにチップが芝居がかった口調で言った。

「おお、我が小姓シザーリオよ!」

 キャットは恋人の台詞をまるっきり無視した。

「最初からこれ着て入ればよかった。長いスカートで階段上るの大変だったし」

「どの格好の君も可愛いくて好きだよ。でも馬に乗るならその方がいいね」

 チップも慣れたもので、無視されたくらいでへこたれることはなかった。通常運転だ。


 店を出たふたりは、依頼票で指示されたとおり広場から少し下ったところ、朝見かけた荷馬車が向かった坂道の先へ向かった。

 そこに、一本の羽の生えた杖に二匹の蛇がからまったケーリュケイオン(伝令の神ヘルメスが持つとされる杖)のシンボルを掲げた伝令所があった。狭いながらも馬場があり、数頭の馬がおとなしく収まっている。

「ようこそ、私はサラよ。伝令の手伝い?」

 伝令所から出てきた女性が声をかけてくれた。やはり馬に乗るためか半ズボンに長いブーツをはいている。彼女に続いて出てきた男性は、馬場に向かっていった。

「はい。これが依頼票です」

 集会所で渡された依頼票を女性に渡す。彼女は依頼票を一覧してすぐ目を上げた。

「キャットとチップね、よろしく。あちらの彼はオスカー。ひとりずつ私たちと組んでふたつのルートに分かれて回ります。まず伝令使の制服を着てもらうわね」

 ふたりは伝令所の中に案内された。

 タラリア(羽根の描かれた乗馬用すねあて)をズボンの上にはき、ペタソス(羽根の描かれた乗馬用ヘルメット)のサイズを合わせ、ケーリュケイオンの描かれた袖なしのサーコート(脊椎パッド入りプロテクター)とグローブを身につける。あっという間に見事なヘルメスの使徒の完成だ。

 ふたりは片手を挙げ、『城塞都市への奉仕、清廉、邁進』の誓いを立てた。


「それじゃあチップはオスカーのところへ。キャットはこの馬でどう?」

 キャットにと薦められたのは一番小柄な鹿毛かげだった。足が太くて全体に丸いシルエットの温厚そうな馬だ。

「この子の名前は?」

「ファン」

「よろしくファン」

 キャットは名前を呼ばれた馬が顔を上げたのを見てにこりとした。なるほど、名前のとおり額にある白い模様が広げた扇の形をしていた。

 ファンが近づいてきたので手を差し出すと、匂いを嗅がれた。あまり警戒はされていないようだ。キャットはそっとファンの長い鼻面に触れた。

「踏み台はいる?」

「大丈夫」

 キャットはファンの左側に回ってあぶみに左足をかけ、ぽんと身軽に馬上に身体を引きあげ鞍に座った。続いてサラの指示で基本の動きをそれぞれテストされた。

 馬場の反対側で同じようにテストを受けていたチップは、もうオスカーの先導で馬場の出口に向かっていた。

 少し遅れてキャットの方も、サラからの合格が出た。

「大丈夫そうね。でもしばらく乗ってない感じ?」

「そうですね、最近はあまり」

「彼は上手いわね」

 サラがチップとオスカーの方を見ながら言った。自分の馬を所有するチップと比べられては困るとキャットはひそかに苦笑した。

「じゃあ私たちも行きましょうか」

 そのサラの言葉で、キャットたちも馬場を出た。馬を引いて馬場を抜け、ゲートを閉めたサラが自分の馬に乗ってキャットを追い越した。

「少し先導するわ。前に荷馬車がいたら、待避所で除けてくれるまでは抜かさないで後ろをついていくからね」

「はい」

 馬場を出てまっすぐ続く専用道路を、サラの乗る白馬の後についてぽくぽくと常歩なみあしで追いかける。

 そのままほぼまっすぐ進み、城壁のすぐそばまで来たところで壁に沿って左に曲がった。そこからの道は少し広くなっていて、サラがキャットが追い付くのを待って隣に並んだ。 


「伝令使といっても特別なことをするわけじゃないの。何か連絡がないか聞いて回るのが主な仕事。あと子供たちがいたら手を振ってあげてね」

 立体交差の橋の上で手を振る子供たちに手を振り返しながらサラが言った。キャットも一緒に手を振る。

「はい。あの、サラが乗ってるその子はサラブレッド?」

「そう。時代考証に合ってないけどね」

 サラがぺろりと舌を出した。

「私の馬なの。引退馬でだいぶおじいちゃんなのよ」

「真っ白で綺麗」

「そうでしょう」

 サラが嬉しそうに言った。オルチャミベリーで働く人はみんな楽しそうでいいな、とキャットは思った。


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