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行こう、城塞都市! 本番のち展望台

「まずは鳴らない鐘で、力加減を練習する。一番うまくできた者が最初の四半時鐘を鳴らす」

 そう言われて三人は鳴らないよう(ぜつ)にカバーをつけた鐘を何度も揺らし、ひと引きで一度だけ鳴らす力加減を学んだ。

 案の定というか、キャットにとってはやや悔しいことに最初の鐘を任されたのはチップだった。全員で耳栓をつけ、トマスの合図でチップは無事に鐘を鳴らした。

 次の三十分の鐘はキャットが担当した。最初のうちは体重の軽さが不利に働いていたが、勢いをつけて綱を引き下ろすことで引きしろを稼いだ。その分他のふたりより体力を使うことになったが、幸いもちあわせは多い。

 最後の四十五分はショーンだった。彼は力自体はキャットに勝っていたのだが、加減が苦手だったため仕上がりが最後になった。そんな彼も実際の鐘を三回鳴らしたことで一番の見せ場、時鐘に挑む自信をつけたようだ。

 実はキャットは彼の自慢のローブがこの一時間でややくたびれてきたことに気づいていたのだが、「これが本物の暮らしってやつだよね」と思い指摘はしなかった。大事にしまっておくつもりなら、わざわざオルチャミベリーに着てはこないだろう、たぶん。


 次の回の見習いたちが鐘楼守に引き連れられてやってきた。さっき順番を譲ってくれた家族だ。母親が長い階段のせいかげっそりして見える。子供の体重でちゃんと綱が引けるのだろうか。

 キャットも他人の心配をしている場合ではなかった。トマスに鐘の担当が決められ、配置につかされた。どうやらトマスは最初の鐘に一番もたつきそうなショーンを配置することにしたらしい。キャットは二番目に鳴らす鐘、チップは最後だ。


 ディン・ドン・ダン、ディン・ドン・ダン、ディン・ドン・ダン。

 トマスの合図で三人は無事に短いジングルを終えた。

 肝心の時を告げる鐘はトマスが、規則正しい動きで十一回綱を引いて鳴らした。

 最後の鐘の音が小さくなっていく。


 トマスの合図で見習いたちは耳栓を外し、引き綱の前を次回の見習いたちに譲った。まだ鐘の余韻が空耳で聞こえるようだ。

 三人にトマスが言った。

「まだまだ覚えることはあるが、はじめての鐘楼守見習いとしてはなかなかの出来だった。真面目に手伝いを終えたと認めてやろう。身分証を出せ」

 まずショーンが誇らしげにローブの下から銀色の身分証を取り出し、トマスに差し出した。

 キャットたちの仮身分証と色が違う。紐も光沢のあるものだ。

 トマスは壁際の机に移動し、ショーンの身分証を無造作に机の上の木の台に置いた。

 次に、腰の鍵束からひとつ鍵を選びだし机の引き出しを開けた。

 そこから出したのは標準的なペンより少し細長い金属製の棒だ。釘のように上がすこし大きく平たく、叩きやすくなっている。

 トマスはそれを片手で支え、身分証の上で位置をずらしながらハンマーを三回ふるった。

 同じような凹みがいくつも入った身分証がショーンに返却された。

 キャットとチップもショーンを見習って金色の仮身分証をトマスに渡した。こちらは紐も支給されたときのまま、漂白していない植物繊維のものだ。トマスはふたりの身分証にも同じように三回ずつ印を刻んだ。

 

 キャットは戻ってきた身分証を両手で受け取った。小さな鐘形の凹みが並んで刻印されている。仕事によって印が違うのか、あとでショーンの身分証を見せてもらおうとキャットは考えた。

「見習いの報酬は、集会所に行ってその身分証を見せて受け取れ。またやってみたければいつでも来い」

 トマスはそう言ってから先に立って階段を下り始めた。

 階段の出入口に鍵がかかっていたことを思い出してキャットたちも後を追う。

 下りは上りと比べてあっという間だった。トマスが鍵を開け、四人は展望台に出た。

「ここで解散だ。よい一日を」

 トマスが今日初めての笑顔で言った。

 まさか今までの愛想のない態度は全部ロールプレイだったのか? それとも見習いたちの上達がよほど満足だったのか?(そんなはずはないが)

 キャットが呆然としていると、チップが立ち去ろうとしたトマスを追いかけて小声で何か話しかけた。トマスがにやりとしてチップの肩を小突く。メルシエではまず見ることのない乱暴な扱いに、見ていたキャットはひやりとしたが、チップは笑って受け流していた。

 

 ふたりを見守るキャットと違い、ショーンはもうここですべき事はないらしい。

「じゃあもう行くね、チアース」

 どうもね、程度の軽いあいさつを残して彼はさっさと展望台を後にした。

「あ! 身分証見せてもらおうと思ったのに忘れてた」

 ひとりになったキャットが小さく叫んだところに、チップが戻ってきた。

「どうしたの?」

「ショーンの身分証見せてもらおうと思ってたの。他にどんな刻印があるのか……フライディこそトマスに何言ったの?」

「後で教えてあげるよ。それよりせっかくだから、外を眺めてから帰ろうよ」

「うん。そうだね。仕事して報酬もらえて、展望台まで登れちゃってお得だったね」

「この仕事を三時間やってもさっきのエール一杯が買えないと思うと、そこまでわりのいい仕事とは言えないけど、一度やってみる分には楽しかったよ」

 チップは話しながら後ろからキャットを囲い込み、身長差を利用してふたりで同じ窓を覗いた。

「わあ、あの堀みたいなとこ、船が通ってる!」

「乗れるようなら後で乗ってみよう」

「あ、馬がいた! 見てほら」

「面白い。低地は水路で荷運びをして、高低差のある場所では馬を使ってるんだね。ほら、馬の歩く場所は歩行者より低くなって専用の道があるみたいだ。町中で馬が暴走する事故を防ぐためかな」

「……私フライディと話してると時々自分がすごく馬鹿に見える」

 キャットがややしおれて言うと、チップが後ろから回した腕に力を込めた。

「ごめん、つい習慣で。一覧して特徴を見つけて質問してって、僕の仕事の一部だから。君が楽しそうに見つけたものを教えてくれるのは幸せを分けてくれるみたいで嬉しいし、やめないで。君と一緒にここに来られて僕もすごく楽しいんだ」

「ありがとう。私も楽しんでるし、フライディが私と違う感じ方してそれを教えてくれるのも面白いから謝らなくていいよ」

 こめかみにキスを落とされたキャットは、回された腕に自分の腕を絡めてぎゅっと握った。


 ふたりは真剣な話をしているつもりでも、周囲からはそれは、仲のいい恋人同士がぴったり寄り添って更に距離を近づけようとしているようにしか見えなかった。

 ショーンがさっさとこの場を離れたのはまことに良い判断だったと言えるだろう。

 

 キャットはついでにさっき感じたことを言った。

「さっきはちょっとびっくりしちゃった、トマスに肩を小突かれてたとき」

「彼は師匠で僕らは見習いなんだから、小突かれるくらい当たり前だと思うよ」

 笑いを含んだ声だが、チップはキャットが何を心配したのか正確に理解しているようだった。ふたりが普段過ごしているメルシエ王国で、見ず知らずの相手がチップの身体に触れることはまずない。せいぜいが握手を求めてどこかでぬぐった手を差し出すくらいだ。

 チップがそういった特別扱いを望んでいないのは知っているが、キャットは無意識に自分の恋人を特別な人間だと区別していたらしい。これは私が自分で気をつけて直さなくちゃ駄目なやつ、とキャットは心の隅にメモした。

「それで、何を話してたの?」

 チップがキャットの耳元に口を寄せた。

「これを聞いたら鐘楼守見習いが減りそうだから大きな声では言えないけど、あの引き綱って床の穴から下に伸びていただろう? だから『二度目の見習いは三百段の階段を上らず階下でやらせてもらえませんか?』って聞いたんだ」

「えっ!? もしかして」

「たぶん見習いがいない時間帯は、彼ら鐘楼守は一階で引き綱を引いているんだと思うよ。トマスには見習いにはまだ早いって怒られたから」

「そうなんだ!!」

「もちろん綱を引いた加減と鐘の揺れを直接目で確かめることに意味はあるんだろうと思うけどね」

「景色とか鍵を開けて入る特別な扉とか、楽しかったしね」

「こうして展望台にも来られたし」

 ふたりは同時に満足げなため息をついて、再び窓の外を見た。

 頭の上から、十五分の四半時鍾が聞こえてきた。


「そろそろ降りて次の手伝いを探そうか、その前に食事でもいいし」

「食事にしようよ!」

「中世風ランチはどんな感じか楽しみだね」

「豚の丸焼きとかあるかな」

 わくわくしながら振り向いたキャットの頭巾の下の額に、チップが素早くキスを落とした。

「可哀想で食べられないとか言わない君が大好きだよ」


 ふたりは手をつないで階段を下りた。チップはまた一段とばしで、キャットも今度は一段おきに飛び降りながら。

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