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ロビンズエッグブルー

(3/25話順入替。3/23投稿分を繰り上げ移動しました。ここにあった「マリッジ・グリーン2」は163話に繰り下がります)

挿絵(By みてみん)

Bird Eggs / KaneJamison.com

クリエイティブ・コモンズ 表示-改変禁止 2.1


 

「どうしたの、これ?」

 受け取った小箱を開いたキャットは、小鳥のように首を傾げて恋人を見上げた。

「君のものだよ、ロビン。君に幸運がやってくるように」

 そう言ってチップは微笑んだ。


 プレゼントは銀細工だった。

 銀製の鳥の巣の中に、これも銀製のコマドリ(ロビン)のチャームと、トルコ石でできた小さな卵が入っていた。


 このチャームはチップが去年のクリスマスにプディングの皿から引き当てたものだ。

 しかしチップは念願だったロビンを手に入れたとたん、それを同じ名をもつ恋人に贈りたくなった。


 チップは王室御用達のジュエラーに、チャームに合う大きさの卵と鳥の巣を注文した。

 天然物である宝石にはそれぞれに一番美しいとされる色合いがあり、ルビーはピジョンブラッド、サファイアはコーンフラワーブルーというようにそれぞれ決まった表現が使われる。

 トルコ石の場合はロビンズエッグブルーといい、これはアメリカンロビンという名をもつ北米大陸に住むコマツグミの卵にちなんでいる……と教えられたチップは、その響きが気に入って卵をロビンズエッグブルーのトルコ石で作ってもらうことにした。

 コマツグミは胸が赤いところが似ているというだけでコマドリとは別の鳥なのだが、ジュエラーは、チップに「巣はコマドリのものとコマツグミのもの、どちらになさいますか」と訊いただけだった。

 第三王子が望むならばコマドリの巣にコマツグミの卵を入れるくらいは何でもない。贈り物においては学術的正確さより目を楽しませることの方が優先されるのだ。

 そうして作られた一品もののコマドリの巣と水色の卵を一緒にすると、銀を鋳型に流して作った大量生産のコマドリのチャームは粗が目立った。

 しかしチップにとっては注文すればいくらでも手に入る巣や卵より、自分が幸運にも皿から引き当てたロビンの方が価値があった。だからこのプレゼントはチャームが主で、巣と水色の卵はおまけだ。


 ――という贈り物の由来を聞いて、キャットは優しい心配をした。

「これフライディのチャームなんでしょ? よかったの?」

 チップはにこやかに答えた。 

「君が幸せでいることが僕の幸せだ。それに僕はもう強力なラッキー・チャームを持ってるんだよ」

 そう言いながらチップは恋人を抱き寄せ、自分が誰のことを言っているのか分かるように口づけた。

 キャットがしっかりと抱きついてキスに応え、耳元でありがとう、だいすき、と言ってくれたので、チップはもう十分に報われた思いだった。


 しかしキャットの方は、キスだけでは贈り物に込められた気持ちに応えられないと思ったらしい。


 次のデートで寮の玄関に立つ恋人の姿を目にしたとたん、チップの足はマシュマロに変わった。

 少なくともチップの知覚ではそうだった。

 キャットは新しいドレスを着ていた。柔らかそうな素材のドレスは膝上丈で胸元も開いていたが、テニスウェアの露出と比べればおとなしいものだ。

 チップの足をマシュマロに変えたのはその色だった。

 チップが贈った卵と同じロビンズエッグブルーのドレス。

 襟ぐりはリボンで絞って調整できるようだった。そこが大きめに開けてあるのは細い首に巻かれた同じ色のリボンとのバランスがあるからだろう。

 リボンチョーカーから下がる銀のこまどりは、キャットの喉のくぼみで気持ちよさそうに安らいでいた。


「ロビン、僕を殺す気なのか」

 いきなり物騒な疑いをかけられたキャットに弁明の暇も与えず、チップは続けた。

「君が愛しくて心臓が張り裂けそうだ。その小さな頭で何て可愛らしいことを思いつくんだよ」

「フライディ?」

「僕が騎士なら、君のその首のリボンのために槍試合に出る」

「フライディ、ちょっとやめて」

 キャットが心配そうに自分の背後を振り返って、この睦言というよりうわごとのような台詞を誰かに聞かれていなかったかと確かめた。

「僕は世界中の誰に恥じることなく言える」

「分かったから」

 嫌がらせのように迫り続けるチップを止めようと、キャットが一瞬だけ秘密めいた笑みを浮かべた。

「二人きりになったら続きを聞かせて、ね」

「……分かってるんだぞ、君がそうやって僕を手玉にとろうとしてるってことは」

 チップは口でこそ不満げだったが、案外素直に『ステイ(お預け)』の命令に従った。たぶん今ならキャットは、棒を投げてチップに追わせることもできただろう。


 その後出かけた店で二人で食事をしている最中も、キャットはたびたびチップの熱を帯びた視線が自分の喉元に向けられるのに気付いてロビンの名にふさわしく胸元を朱に染め、チップはその恥じらいの色とロビンズエッグブルーの対比を極上の芸術品のように目で味わった。

 しかし落ち着かない様子でちらちらと周囲を気にするキャットの様子にチップは、少し熱心に迫りすぎたかと思いはじめた。


 七歳という歳の差と、恋人の純情を感じるのはこんな時だ。

 恋人にこんな視線で見つめられることを女性として誇るには、キャットはまだ幼い。

 できれば食事の後で恋人とどう過ごすのか周囲に想像されたくないというのがありありと見て取れた。


 チップは小さく笑って、自分の熱情を冷まそうと炭酸入りの水を口にした。

 例えば帆船にとって風はまったく無ければ前に進むことができないが、強すぎれば帆を破り船を転覆させる脅威にもなる。愛情もそれと同じだ。

 チップはキャットに、彼女自身が舵を切った方向へ進むのを助ける風だと思って欲しかった。

 嵐のように恐れられるのではなく。


「そろそろ出ようか」

 そう声をかけられたキャットが、はっとした顔で頷いた。


 帰りの車を運転しながらチップが訊いた。

「君に、猫のロビンの話をしたことはあったかな?」

 キャットは助手席で首を横に振った。

「前に『拾った猫にロビンって名前をつけた』って言ってたことはあったけど、あれ嘘じゃなかったの?」

「嘘じゃないよ。黒白の猫だった。瞳はそのドレスみたいな水色で」

 そう言ってチップは、幼い日の思い出を語り始めた。


* * *


 まだ父が王太子だった頃、祖父の離宮に遊びに行って、ロビンと会ったんだ。あれは七歳くらいの頃かな。

 僕はもうアートとは遊ばないって決めた後だったから、アートともいつも一緒にいるベンとも遊べなくて、でもエドはまだ小さすぎて物足りない退屈な夏だった。

 このロビンは君とは違って、ロビン・フッドからとったんだ。鼻のすぐ上まで黒いフードをかぶったみたいな柄だった。

 ……その頃から勝手に物語からとった名前で皆を呼んでたのかって? 綽名をつけるっていうのは相手に親しみを込めてすることだよ。いいじゃないか。 

 ロビンはその春に生まれた、子猫じゃないけど大人にもなりきってない年頃の猫でね。大きな耳がピンと立ってて、まるで大きなリボンを頭の上に飾ったみたいだった。

 そう、このロビンも君と同じで女の子だったんだよ。君みたいに細くてつんと鼻先を上げて、離宮の中庭をしなやかな足取りで歩いてくる姿に僕の目は釘づけになった。胸元の柔らかい白い毛がたんぽぽの綿毛みたいに光ってたのを、今でも覚えてるよ。

 僕はすぐ厨房に行って、チーズをもらって戻ってきた。でももうロビンはいなくなった後だった。

 次の日、僕は牛乳を入れた皿とチーズを前に置いて、ロビンを待った。ずいぶん待ったけどロビンはやってきて、でも僕を警戒して近づいてこなかった。僕が少し離れたら、チーズだけをさっとくわえて逃げていった。

 さらに次の日は、チーズに紐をつけてロビンを待った。ロビンが近づいてきたところで紐を引いたら、ロビンがつっと追いかけた。もう僕は思い通りになったことが嬉しくて誇らしくて、チーズを引いてはロビンとの距離を縮めていった。だけど、途中でロビンは僕の思惑に気づいて飛び上がって、あわてて遠くへ逃げて行った。

 それからは毎日がロビンとの我慢比べだよ。僕はロビンに近づきたい。ロビンはチーズは欲しいけど僕には近づきたくない。


 僕はその駆け引きが楽しかった。いつか触れさせてくれるんじゃないかって期待して、せっせとチーズを貢いだ。

 一度はもう少しで触れそうだったんだけど、ロビンには可愛い声で威嚇されて逃げられた。


 でもそんなある日、僕は見たんだ。

 あの警戒心の強いロビンが、庭師の足に狂ったように体をこすりつけて、しっぽをぴんと立てて、甘えた声で鳴きながら可愛がってもらおうと彼を一心に見上げている姿を。


 怒りで目の前が赤くなるっていうのを、僕はその時初めて体験したよ。もちろんその頃はそんな表現は知らなかったけど。

 それから僕はもうチーズも紐も見るのも嫌になって中庭にも出なくなった。

 僕じゃない誰かになついてるロビンなんて、もうちっとも欲しくなんかないって腹を立てたまま残りの日々を過ごした。


 帰る日に、厨房でいつもチーズをくれてたコックから聞いたんだ。

 庭師が、ロビンがチーズを前足で転がしてるのを見て、誰かが彼女を餌付けしてるのに気付いてあわてて昼食の肉をみんなロビンにやってしまったって話してたんだって。

 僕も短気を起こしたりせず、チーズだけじゃなく色々なものを贈っていたら、ロビンの気持ちをこちらに向けることができたかもしれなかったんだ。


* * *


 キャットは話を邪魔しない短い相槌をはさんだり、時には声を立てて笑いながらチップの思い出話を聞いた。


「猫のロビンとの出会いで、僕はたくさんのことを学んだ」

 チップはそこで彼の無人の屋敷、『九月三十日荘』に着いたのでいったん話を止めた。


 チップは玄関ポーチに車を止め、助手席に回ってドアを開けてキャットに手を差し出した。

 キャットがその手を取りながら訊いた。

「例えばどんな?」

「まずはつんと上げた鼻先や、つれない後ろ姿の魅力について」

 くすっと笑ったキャットとチップは手をつないだままポーチの階段を上がった。

 つないだ手を離さず、チップは片手で鍵を出して扉を開けた。

「それから、好きな子に同じように好きになってもらうには短気を起こしてはいけないとか、無理に近づきすぎると逃げられるとか」

「女の子はプレゼントに弱いとか?」

 キャットがからかうようにチップを見上げた。

 チップは、いつもの調子を取り戻したキャットを愛おしそうに見下ろし、うなじから指を差し入れて柔らかい髪を梳いた。

「何よりも、猫みたいな女の子にめちゃくちゃに甘えられたいっていう憧れを僕に植え付けたのはロビンだ。彼女がいなかったら、もしかしたら君と僕は一緒にこうしてはいないかも」

 キャットがチップに体をこすりつけて猫に似た甘えた声を出した。

「チーズちょうだい」

 チップは嬉しくて身震いした。

「ああ、何だってあげるよ。僕のロビン、僕の可愛いロビン」

 柔らかいドレスごと恋人の体を腕の中に閉じ込め、チップが恋人のつむじや耳や目の上に口づけを落としながら囁いた。

 キャットが顔を上げた。チップは無言の期待に応えて唇を重ねながらキャットの身体を片手で支え、もう片方の手を自分とキャットの間に滑り込ませた。

 一目見たときからじゃれつきたいと思っていたリボンを指先で捕らえたチップは、プレゼントを開ける時のように胸をときめかせてそれを引いた。


 するりと解けるはずのリボンから嫌な抵抗が返ってきて、チップは思わず目を開けた。

 キャットが、気がそれたチップを引き戻そうとチップのシャツを掴んで引き寄せた。


 チップはキスを続けながら固い結び目を解こうとしたが、キャットがすりよせてくる体に集中を乱された。

 制止の言葉を発しようにもキャットは一向にチップを離してくれない。

「ロビン、ちょっとだけ待って」

 ようやくチップは、一瞬の隙をついて恋人を押し留めた。

「このリボン切るよ」

「だめ」

 キャットが甘えた声を上げた。


 チップがうめくように言った。

「小悪魔が水色の卵から生まれるなんて聞いたことないぞ」

「確かめてみる?」

 次の瞬間、チップは返事の代わりにキャットを片手で肩に背負った。

 嬉しそうな悲鳴を上げたキャットが、ロビンズエッグブルーのリボンをひらひらとさせながら寝室へと運ばれていった。


end.(2013/02/13)

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