表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
146/208

遅れてきた人魚姫 16

 キャットは陸へ戻るまで、チップの(はかりごと)の邪魔をしないよう話しかけなかった。

 ボートハウスに着くとキャットはもやいロープの端を持って身軽に飛び降り、モーターボートの停泊を手伝った。

 チップはボートの中を点検し、荷物を入れた防水バッグを肩に背負ってキャットの横へ飛び降りた。

「車のキーを貸して」

 差し出された手にキャットは自分の車の鍵を乗せた。

 キャットのために助手席のドアを開けたチップは、運転席に座るとすぐに車を出した。

 キャットは無言で待った。

 

 信号を二つ過ぎてからようやく、チップが話をはじめた。

「君も知ってるとおり、僕の兄弟たちは皆、女性との付き合いに慎重だ」

「フライディ以外ね」

「ああ、僕以外はね――仕方ないだろう? 僕が初めて女の子とデートした頃、君はまだ卵の殻が頭に乗ってる歳だったんだぞ」

「別に責めてるわけじゃないよ。事実を言っただけだよ」

 生意気を言う恋人の口を、片手で器用につまんでぴよぴよさせてから、チップは横道にそれた話題を元に戻した。

「アートは何事にも慎重だしエドは元々引っ込み思案だから分からなくもないけど、ベンがどうして恋人を作らないのかは長い間不思議だった。僕はずっと、ベンがアートより目立たないようにしてるんだと思ってたんだ」

「女の人にあまり興味がなかっただけじゃないの?」

「あの噂のことを言ってる?」

 チップに訊かれたキャットは首を横に振って、運転しているチップには見えなかったかと口で言い直した。

「ううん。むかしうちのお父さんもそんな感じだったって、お母さんが言ってたから。お父さん昔モテたらしいよ」

 チップが横顔でにやりと笑った。

「なるほど。ジャックとリーのなれそめも今度ゆっくり聞かせてもらいたいね」

「それより続きを聞かせて」

「うん。理由はともかく、ベンは黙って立ってても女性が寄ってくるタイプだから、今まで恋人がいなかったのは本人にその気がなかったんだろう。

 もしかしたら兄弟たちの知らないところで秘密の恋人がいるのかなとも思ってたけど、どうもそうじゃなったらしい。

 ただ一度だけ僕が知ってるのは、ベンが顔をルージュで汚してたのが――」

 

 キャットがばね仕掛けのおもちゃのようにくるっとチップの方に首を向けた。

「顔のどこっ!?」

「子どもみたいなこと訊くなよ」

 チップは人の悪そうな微笑みを横顔に浮かべていた。キャットは矢継ぎ早に続けた。

「それってトリクシーの? フライディ知ってたの?」

 チップはわざとのんびりと答えた。

「あのベンが自分のことを話すわけないだろう? 僕が知ってるのは、それはアートの結婚式の日で、普段はチャンシリーにいるミズ・モーガンがあの日王宮に来ていたことだけだ。

 ……でもミズ・モーガンは昼食の席でベンの名前を聞いただけで全身にはりねずみみたいなトゲを立てた。逆にベンは普段なら近づかない筈の図書室に来て、自分から彼女に話しかけている。

 二人はチャンシリーで二年前に、多分それよりもっと前にも会っている。

 あの二人の間の妙な雰囲気には、僕たちが知らない、何かそれに先立つ出来事があるんじゃないかな。もしかしたらあの日ミズ・モーガンが平手打ちを食らわした相手は一人じゃなかったのかも」

 

 キャットはベンとトリクシーが並んだ姿を想像した。

 ベンとトリクシー。頭の中の二人に笑みはないが、何故かしっくりくる姿だった。お互いの存在感に負けていない。

 ベンの隣にただの美人が並んでも当たり前すぎてつまらない。トリクシーの個性的な美しさだからこそうまくバランスがとれる。

 にこりともしないトリクシーの隣に普通の男性が並んでもお付きの者にしかみえない。ベンならば必要なだけの威厳が身についている。

 

 キャットがはっと気づいて叫んだ。

「でもっ! 急がないとトリクシーがいとこと結婚しちゃうよ!」

「ああ。急いでるよ。本当は早くボートの上の続きをしたいけど、それより先に邪魔な草を刈らないとね」

 キャットが不思議そうな顔をして訊いた。

「ねえ、フライディ。その草って何のこと?」

 チップが(運転中にもかかわらず)キャットに一瞬うっとりするような微笑みを向けていった。

「スウィーティー。僕らの結婚に続く道に生えた草のことだよ」

 とたんにキャットは熟れたりんごのように真っ赤になり、あわてて目をそらして窓の外を眺めるふりをした。

 赤い頬を押さえたキャットはそれから王宮に着くまで口をきかなかったが、チップはあえて話しかけず、さっきの微笑みの代わりにチェシャ猫のようなにやにや笑いを顔に張り付けたままハンドルを握り続けた。

 

 チップは車をガレージに回すよう鍵を預け、キャットを伴ってベンの部屋のドアをノックした。

 室内からの応えを待ってチップが部屋に入ると、ベンは部屋の半ば、ソファの脇に立って二人を迎えた。

「ベン。ミズ・モーガンは帰国したよ」

「ああ」

 ベンの表情からは何も読み取れなかった。


 チップが壁の草花文様をしみじみと眺めながら言った。

「結婚するって」

「ありえない」

 ベンの口調は、腹を立てているようだった。

 何故ここでベンが怒る、とキャットは思ったが口には出せなかった。何といってもベンのことは兄弟であるチップが一番分かっているだろうから。

 チップが今度は天井を眺めて言った。

「いとこと結婚するんだって」

「ありえない」

 ベンは再びそう繰り返し、思い出したように続けた。

「そもそもチャンシリーはいとこ婚が禁止されてる」

「イスラム系住民に配慮してしばらく前に法律が改正されたらしいよ。それまでも罰則はなかったらしいけど、やっぱり非合法な結婚というのは気持ちのいいものじゃないだろうからね。僕にはいとこ婚の何がいけないのかよく分からないけど。お相手はブランドン第一王子だって。どうも第一王子が王太子じゃないっていうのは妙な感じがすると思わない?」

「そんなことはいい」

 ベンが話を遮った。

 キャットはもう黙っていられなかった。

「ベン。ベンがあの時の男の子なんでしょう? 『しるしの箱』持ってるんでしょう? それがないと結婚させられるって、トリクシー言ってたよ!」

 ベンが、一瞬で顔色を失った。が、すぐに顔つきが変わった。

「チップ」

「何?」

「何とかしろ」

 チップがにんまりと笑った。

「じゃあベンはプライベート用のパスポートと、かの有名な箱を用意して僕の部屋に。ロビン、君も手伝ってくれ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ