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遅れてきた人魚姫 14

 第三王子を除き、メルシエの王子たちが異性関係の噂でゴシップ誌の売り上げに貢献することはほとんどない。

 確かに異性関係に関してはそうだが、ベネディクト王子に関してはその繊細そうな見た目と、常に王太子の陰となる立ち位置、それに加えて社交の場にいとこのエリザベス王女以外を同伴することがなかったせいで、実は同性愛者ではないかとほのめかす記事が不定期に掲載されてきた。

 そのたびに王室寄りのメディアからは「それはまったくの事実無根で、過去に好きな女性のタイプを聞かれて『自分から話しかけてくるような積極的な女性が苦手』と答えたのが湾曲されているだけだ」という反論記事があがった。


 ベネディクト王子本人はどちらの記事も肯定も否定もしていない。成人してからは公の場で自分の恋愛観について語ったことはない。

 

 そんなベネディクト王子が自然保護活動の視察招へいに応じ、チャンシリー王国を訪れたのは今から二年ほど前のことだ。

 美文で綴られ、ビアンカ王女の署名が入ったチャンシリーからのインビテーション・レターには、二国の王室による次世代交流という目的だけでなく、外交辞令に幾重にも包まれた『交流』の真の意味もまた書かれていた。

 

 であるからして、視察団の代表がベネディクト王子だと知らされてチャンシリー側はあまり喜ばなかった。

 摂政のアーサー王太子は国を離れる筈がないので除外するにしても、王位継承順位第二位のベネディクト王子がその権利を放棄して他国に入り婿としてやってくるかどうか疑わしかったからだ。

 チャンシリーではビアンカ王女の年齢に近いチャールズ王子かエドワード王子が来るものと予想していた。

 これはメルシエ王国からの遠まわしな拒絶か、それとも第二王子にも王冠を戴くチャンスを与えたいということか、もしやベネディクト王子がいとこの王女としか出かけなかったというのは同等婚にこだわりがあったからか、などとメルシエとベネディクト王子の本意について裏でずいぶん議論がもたれたらしい。

 

 この壮大なブラインド・デート計画に、トリクシーは全く無関係だった。

 少なくともトリクシー自身はそう思っていた。

 ……自宅フラットの玄関モニター画面に、警護官を従えたいとこのビアンカの姿を見るまでは。

 

「ビアンカ、今週はずっと視察団の案内役じゃなかったの?」

「全然しゃべらない人をどうやって案内しろって? メルシエは何を考えてあんな非社交的な人を代表にしてきたのかしら。視察ってビデオカメラみたいに黙って辺りを眺めることじゃないわよね? ボディ・ランゲージの通訳でもつけて寄越してくれたらよかったのに。通訳を間に挟んだ方がまだ会話が弾みそう」


 玄関からキッチンへお茶の支度のため移動したトリクシーをビアンカと愚痴が後ろから追いかけ、ソファに座ってからもトリクシーが焼いたケーキと紅茶のカップを口に運ぶ短い時間だけは口をつぐんでいたものの、それが空になると再び愚痴がはじまった。

 おかげでトリクシーは視察団の見学スケジュールとこの期間の国王一家の動向についてどのメディアより詳しく知ることができた。まったく興味がないことをトリクシー自身も残念に思ったくらいだ。

「何のために来たんだと思う?」

「視察」

 トリクシーの身も蓋もない返答にもビアンカはひるまなかった。

「交流のためにも来てるのよ? なのに一緒にいても全然話しかけてくれないし、こちらからは話しかけるなって言われてるし。もう毎日その日のスケジュールが終わるのが待ち遠しくてたまらないの。口をテープでふさがれた気分だわ」

「それじゃ交流どころか案内もできないでしょう」

「仕方ないじゃない」

 ビアンカはぷうっと頬をふくらませた。

「自分から話しかけてくるような女性が苦手だっていうから」

 世の中の女性を沈黙に耐えられる女性と耐えられない女性の二つに分けたとしたら、ビアンカは間違いなく耐えられない方だ。

 王女という立場から、どんなにつまらない話題でも聞いてくれる相手に事欠かなかったからなおさらだ。

 

 鳥と魚のように生きる場所が最初から違っているのだ、とトリクシーは思った。

 殻の中からもう鳴きはじめる鳥が、水の中で暮らせるだろうか。

 ベネディクト王子が自分と同じような相手を探すつもりなら、空ではなく水の中で探せばいいのだ。

「相手がベネディクト王子っていう時点でもう最初から無理だったんじゃないの?」

「顔は無理じゃない」

 賢明なトリクシーは自分の意見を顔に出さなかった。

 子どもの頃ひどい乱視だったトリクシーは、美醜なんてものは角膜の角度に左右されるあいまいな基準だと思っている。しかし他人にとってそうでないことは理解していた。

 

 ビアンカが上目遣いでトリクシーを見上げた。

 ビアンカのこの顔は何かをねだる時の顔だ。

「……ねえ、トリクシー。ベネディクト王子がゲイだって噂、知ってる?」

 トリクシーは今度こそ遠慮せず嫌な顔をした。


 十一歳からほぼ十年を王宮で過ごした彼女にとって、ビアンカは歳の離れた妹のような存在ではあったが、そこにもうひとつ形容詞をつけ加えるとしたら『可愛い』ではなく『やっかいな』だ。

「知らないけど、ゲイかどうかでビアンカが好きな見た目が変わるわけじゃないでしょ」

「でも本当にゲイなら私が我慢しておとなしくしてる意味なくない?」

「そう思うならいつも通りにしてたらいいじゃない」

「確かめてよ。トリクシーの第六感で」

「そんなに都合よく分かるものじゃないってば」

「ねえ、お願い、外れても文句言ったりしないから」


 トリクシーは面倒なことが好きではない。好きではないから面倒なことは引き受けたくない。

 ――それが、面倒だからもう引き受けようになるまで、ビアンカはひたすら粘った。

 懇願よりも何よりも一番の決め手はビアンカの『引き受けてくれるまで帰らない』という一言だった。

「……後で文句言わないでよ」

 

 繰り返すようだがトリクシーは面倒なことが好きではない。だから、できるだけ早く片付けたい。

 フラットから帰るビアンカの車に同乗してトリクシーも王宮へ向かい、ベネディクト王子の秘書に取り次ぎを頼んだ。

「それほど長くはかかりません。五分か十分ほどお時間を頂ければ」

 秘書はすぐ王子に連絡をとった。

「すぐお会いになるそうです」

 

 王子が滞在するのは、主宮殿で二番目に良い部屋だった。

 王宮に住んでいたことのあるトリクシーも初めて入る部屋だ。

 外国からの賓客をもてなすため、ここかしこにチャンシリーの名物である寄せ木とクジラの骨細工がつかわれていた。

 どちらも元々は船乗りの手慰みで作られていたものだというが、ここにあるものはもちろん専門の職人によって作られたもので、よく訓練された家令の手で磨き上げられつやのある光を放っていた。

「ミズ・モーガン。お会いできて嬉しく思います」

 ベネディクト王子がトリクシーに手を差し出した。

 トリクシーが差し出した手は力強く握られた。

「殿下。お忙しい中、お時間を割いて下さってありがとうございます。ビアンカ王女のいとこの、トリクシー・モーガンと申します」

「存じています」

 アイ・ノウ、という低い声と共に瞳をのぞきこまれ、思いがけずトリクシーの心臓が跳ねた。

 ビアンカは口数が少ないことを愚痴っていたけれど、こんな声でぺらぺら喋られたら危なくてしょうがないわ。

 トリクシーは内心そう思いつつ、勧められたソファに座ると用件を口にした。

「大変不躾であることは承知していますが、ひとつ質問をお許し下さい」

「何なりと」

 ビアンカはこれを無口というのだろうか。

 トリクシーは不思議に思った。

 向かい合っているだけで王子がこちらに注意と関心を向けてくれているのが分かる。

 無口なのは、相手の話を聞く待ちの姿勢でいるからだ。


 これでは王子が自分に関心をもってくれると誤解する女性が多いだろう。それなのにガールフレンドがいないなんてやっぱりゲイなのかしら。

 そう思ったところでトリクシーはやっと自分の用事を思い出した。

 トリクシーは気を引き締め、重々しい口調で質問した。

「ベネディクト王子殿下はホモセクシャルでしょうか?」


 あら、無口でもちゃんと驚いた顔はできるのね、とトリクシー自身はぴくりとも表情を変えずに思った。

 

 ビアンカがトリクシーに頼みたかったのはたぶんこういう直接的なやり方ではなかった。

 ビアンカがあてにしたのはトリクシーの第六感の方だ。

 『海の女王の娘たち』の中にときどき現れる勘の鋭い娘――トリクシーはその一人だった。

 乱視の矯正手術をうける前は余計な情報が入らなかったおかげか視力を補うためか、今よりももっと鋭かった。ぼやけた視界でもそれほど困らなかったのはこの力のおかげだ。

 とはいえ、他の感覚と同様に第六感もいつも正しいとは限らない。

 予感が間違うこともあるし、欲しい答えは全く浮かばず、その代わりに全く望んでもいなければ重要でもない出来事の答えが不意に頭に浮かぶこともある。

 だからトリクシーは自分の第六感を信用しすぎないようにしていた。

 言葉で質問すれば、相手は嘘であろうと真実であろうと望んだ答えを返せる。

 嘘をつくのは人間の素晴らしい能力のひとつだ。答えが嘘か真実かより、何故そう答えたかの方が重要だとトリクシーは思っている。だからトリクシーは、相手が動揺した時の答えより態度の方に注目する。

 

 気を取り直したらしいベネディクト王子が、質問の答えをくれた。

「私はヘテロセクシャルですが……それが、あなたの訊きたかったことですか?」

 王子が、今まで聞いた中で一番長く喋った。

 トリクシーの中で、ベネディクト王子の評価が上がった。


 これは文章の長さとは関係がない。初対面の相手から無礼な質問を受けたのに、王子が怒りもせず、はぐらかしもせず、なおかつ質問の意図を確かめようとしているからだ。

 トリクシーと同じで、話の内容より行動の方に注目しているということだ。

「いとこのためですが、お訊きしたのは私の独断です」

 トリクシーの答えは全くの嘘というわけではない。

 それに、ビアンカの愚痴ループを終わらせて追い出したかったからです、という真実よりは耳当たりよく響く。

 ベネディクト王子はトリクシーの答えに軽く眉を上げた。

「ビアンカ王女のため?」

「はい、殿下。ビアンカ王女は、殿下の性癖が交流の妨げになっているのではと心配しておりましたので」

「もし答えが『はい』だったら?」

 ベネディクト王子が真面目な顔で重ねて訊いたので、トリクシーも真面目な顔で答えた。

「案内役にブランドン王子を推薦いたします」


 ベネディクト王子は素早く横を向いた。肩を震わせて……笑いをこらえているようだ。

 顔に似合わずおおらかな性格らしい。少し意外だった。


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