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遅れてきた人魚姫 09

 ベンはトリクシーの『あなたのファンじゃない』宣言は聞こえなかったように流してキャットに訊いた。

「チップは?」

「今、ちょっと外へ」

「手伝いが必要なら」

 とげとげしい口調でトリクシーがベンの言葉を遮った。

「いいえ。もし殿下が親切を施そうと思われたのなら、何も見なかったことにしてこの部屋からいなくなって下さるのが一番の助けだわ」


 二人が知り合いなのは例のお見合いがあったからなのだろう、何か事情があるのだろうと思いつつもキャットは、その場の空気を何とか和ませようとした。

「ベンは来ないと思ってた。チップに聞いてたでしょう?」

「これの続きを捜しに」

 ベンの手には一冊の本があった。どうやら本の世界に没頭して続きを捜すこと以外考えずに来たらしい。

 

 その時、ようやく工具箱を手にしたチップが戻ってきた。

「お待たせ――うわっ」

 ドアを開けながら残していった二人に呼びかけたチップが、すぐ上の兄に気付いて驚きの声をあげた。

「ベーンッ!」

 

 その様々な感情が込められた一言に、キャットは不謹慎だと思いつつも笑いが込み上げた。

 家族に一人でも夢想家がいると、こういう目に遭うのは珍しくない。キャットも、父ジャックが食事の途中で考え事をしながら三度同じ質問をして三度答えさせた揚句に、翌日になって何も覚えていないと分かった時にはチップと同じように叫びたくなる。

 

 ベンは近づいてきたチップの手元を見つめて静かに言った。

「その工具は」

「……できれば何も見なかったことにしてくれないか?」

 チップのいたずらっぽい笑顔の魅力は、当然ながら実の兄には効果がなかった。とうの昔にその効力は切れていた。

 弟たちのいたずら(主にチップ)や失敗(主にエド)に鉄拳制裁を加えて後の始末をつけるのは兄二人の役目だったのだ。

「勝手に壊すな」

 ベンはチップの頭を小突いて短く言った。

 

「ここを開けたいんだな」

 そう言ってベンはキャットが試行錯誤していた棚の前に立ち、視線でキャットを下がらせた。

 ベンはまず無言で目の前の棚から本を数冊抜き出して天板の上に置いた。

 そこに手を入れて何か奥で操作した後、今度は膝をつき、チップとキャットが叩いていた前板の右端を押した。

 回転扉のように回った前板の左側が手前に出てくると、ベンはそこを取っ手代わりに前板を棚と垂直になるまで開き、さっき鈍い音がしたあたり、一番下の段の棚板の裏側に手を差し入れ何かを引き出した。

 

「すごーい!」

 キャットは思わず小さく拍手していた。やっぱり最初からベンに訊いていれば、あんなに下手なキツツキみたいな真似をしなくて済んだのにと思った。……あれはあれで楽しかったけれど。

 チップはその手際よりも中身を気にしていた。まだほんの少ししか現れていない引き出しを上から覗き込むようにして訊いた。

「中は?」

 チップはベンの肩越しに、キャットはチップの腕につかまって横から顔を出して、ベンの手元を覗き込んだ。

 

「あった、箱だっ!」

 キャットが声を弾ませた。

 引き出しの中には、引き出しよりひとまわり小さい象嵌細工の小さな箱が収まっていた。

 大きさは、大人の男性のてのひらに載るくらい。知識のないキャットにはその箱がどんな様式で、いつ頃作られ、どれくらい価値のあるものかはさっぱり分からなかったが、蓋だけでなく箱全体に象嵌されたつる草の模様は素晴らしく精巧だった。

「トリクシー! これ……」

 振り向いたキャットはトリクシーが小さく首を横に振ったのを見て、言いかけた言葉を喉に詰まらせた。


「これは何だ?」

 チップが言った。 

「嗅ぎ煙草入れだ」

 ベンが答えた。

「嗅ぎ煙草?」

「心臓を悪くして煙草を禁止されてたリチャード曽祖父の」

「リチャード曽祖父?」

 チップはオウムのようにベンの言葉を繰り返すだけだった。キャットもまるで煙に巻かれたような気持ちだった。

 

 隠し戸棚はあった。

 でも、そこにトリクシーの箱はなかった。

 あったのは、見事な細工の嗅ぎ煙草入れ。

 

 チップより早く自分を取り戻したキャットが、素早くベンに訊いた。

「ねえっ、他の戸棚は? 他にはないのっ?」

 

 その時、ずっと無言だったトリクシーが口を開いた。

「……いいの、もう」

 引き出しを囲む三人の後ろから静かな声がした。

「トリクシー?」

 振り向いたキャットはトリクシーの顔を見て、彼女が何かに耐えるような顔をしているのに気付いて驚いて言った。

「大丈夫?」

「ええ、大丈夫。分かったからいいの。見つからないということは、そういうことなんだと思う」

「ミズ・モーガン?」

 チップも心配そうに言った。

「帰るわ」

 トリクシーは表情を消すときっぱりと言った。仔細を語る気がないのは明らかだった。

 彼女に振り回されたチップとキャットには抗議し説明を受ける権利があるはずだが、二人は彼女に何も言えなかった。

 ベンだけがトリクシーに訊いた。

「もういいとは?」

「探し物なんて最初からなかった、という意味」

「それがあなたの望みか」

 

 トリクシーは一瞬、泣き笑いのような表情になり、それから冷静さを取り戻してひとこと言った。

「そうよ」

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