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遅れてきた人魚姫 07

 翌朝、チップは昼食に客を迎える準備のため早々と出かけて行った。

 そのチップを車まで見送ったキャットは、玄関の扉を開けたところで、階段を途中まで降りてきたトリクシーと顔を合わせた。

「おはよう」

「おはよう、トリクシー。チップは先に王宮に戻るって今出て行ったところ。あなたと私は、お昼より少し前にここを出ていくことになってるから、まだゆっくりしてて大丈夫です」

 トリクシーはキャットの言葉ににっこりした。

「よかった。朝は弱くて」

「朝食はいつも何を?」

「スプーンが立つくらい濃いコーヒー」

 トリクシーの答えにキャットはぎょっとして口をゆがめ、それから急にあることを思い出して笑った。

「『カフェ・ラ・ニュイ』のコーヒー飲んだことありますか?」

「いいえ」

 トリクシーが答えた。泥の色をしたとびきり苦いコーヒーで有名なそのカフェを、彼女は知らないらしかった。

もっともそういうキャットも、大学の入学初日に友達に連れて行かれるまで知らなかったのだが。

「私この国に来て初めて友達に連れていかれた時、あんまり苦いから舌がしびれて戻らなくなるかと思ったんです。それこそスプーンが立つくらい砂糖を入れないと飲めなかった。トリクシーなら砂糖を入れずに飲めるかな」

「試す価値がありそうね」

 トリクシーがにやりと笑った。

 ああ、やっぱり好きだ。

 キャットはそう思った。この自信家なところも、トリクシーとチップはよく似ていた。

 

 手回しの良いチップが回送を頼んでくれていたので、キャットは屋敷に届けられた自分の車にトリクシーを乗せ、王宮に向けて安全運転で車を走らせた。

 今日はトリクシーは毛布の役ではなく、ちゃんと助手席に座っていた。万が一にも警察に職務尋問を受けたりしたら困ったことになるのは分かりきっていたが、もっと困るのは王宮の門をくぐる時に車の中に誰かが隠れていると発覚することだった。正攻法でいくしかなかった。


 トリクシーはあまり喋らなかった。キャットも気軽に話しかけられなかった。

 もし今日の午後の捜索で、トネリコの木で作られたという王位継承の『しるしの箱』が見つからなければ、トリクシーは好きでもない人と結婚しなくてはいけないというのだ。軽い世間話をする気にはならないだろう。

「……あ」

 キャットが思わず声を上げた。

「何か?」

「何でもないんです」

 そう言ってから、キャットはすぐに思い直して言った。

「あの、朝言ってた『カフェ・ラ・ニュイ』って、あの店です」

 進行方向の右手に、店先にテーブルを出した風情のあるカフェがあった。キャットの言葉でトリクシーが助手席の窓から通り過ぎる噂の名店を目で追った。

「いつか来てみたいわ。この国に来るのは三回目だけど、一度も観光をしたことがなくて。ほとんど王宮の中しか知らないの」

 キャットは返事ができなかった。帰りにでも寄れたらいいですね、と社交辞令を言う気にはなれなかった。

 

 キャットは正門ではなく通用門に回り、表情のない守衛に会釈した。伺っております、という言葉より先に門が開く。トランクを開けたり身分証を呈示しなくてもいい程度にキャットの顔は知られていた。

 

 プライベート用の玄関には、もうチップが立って待っていた。

「いらっしゃい、トリクシー。お疲れ様、キャット」

 トリクシーには握手、キャットには抱擁とキスの挨拶をしてチップが二人を自分用の応接室へ誘った。

「まずは昼食にしよう。午後は図書室の人払いをしてあるから制限時間ぎりぎりまで図書室の中を捜索して、それからトリクシーを迎えの船に引き渡す。それでいいね?」

 トリクシーが頷いた。

 

 前菜のアスパラガスに、サワークリームのソースを絡めながらキャットがチップに訊いた。

「人払いって、どうやったの?」

「簡単だよ」

 前菜に合わせた辛口の白ワインを片手に、チップがにやりと笑った。

「ベンに『今日来るキャットの友達は、ベンの大ファンだそうだよ』って言ったんだよ」

 キャットは笑い出し、勝手にベンの大ファンにされたトリクシーは静かに言った。

「よくもそんなことを」

「いけなかったかな? 君はなるべくベンと顔を合わせない方がいいかと思ってのことだけど」

 罪のなさそうな顔でチップが訊いた。

 言ってみればほんのささやかな仕返しだ。振り回されっぱなしはチップの性分に合わない。チップが振り回されてもいいと思えるのは、キャットただ一人だ。

「……私の立場を深く慮って下さったことに感謝しなくてはいけないのでしょうね。よく覚えておくわ」

 トリクシーが感情を抑えた平坦な声で言った。キャットだけが話についていけずに二人の間で困った顔をしていた。

 トリクシーがためらった後で、キャットに説明をした。

「ベネディクト王子は、従妹のビアンカとお見合いをしたことがあるのよ」

 

 キャットが言葉にならない奇声をあげかけてなんとか飲み込み、矢継ぎ早に訊いた。

「ベンが? ベンを? それで?」

「僕たちは何があったか詳しく聞けなかったんだけど、結局あれはビアンカ王女に断られたのかな? それともベンから?」

「さあ、お互いに気が合わなかったのではないかしら」

 つんと澄ましたトリクシーは、それ以上の事情を漏らすつもりがないらしかった。

 そこへメインの肉とデキャンタに移した赤ワインが運ばれてきたので、会話はそこで終わった。

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