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ロビンと僕 6(おわり)

 翌日の記者会見で、僕は海軍の予備役となることと、王位継承権を放棄したことを発表した。ロビンの元には例の弁護士が行き、うまく対応してくれたらしい。

 ロビンが言ったとおり、僕が電話する必要は全くなかった。全てうまくいっていた。今回はさほど迷惑をかけずに済んだようだ。


 僕は入隊前の生活に戻り、一層熱心に色々なコンサートを貴賓席(ロイヤルシート)で鑑賞したり、ボランティア団体を支援したり、スポーツにいそしんだりした。日々はさまざまな予定で一杯で、にぎやかに過ぎていった。


 そんなある日、頭から湯気を上げて(もちろん比喩だ)弟のエドがノックもせずに部屋に飛び込んできた。

「エド、ノックを忘れてるぞ」

「チップ……どういうことなんだ」

 エドは歯をくいしばるようにしてそのすきまから喋った。相当腹を立てているらしい。

「婚約をとりやめるって本当なのか」

「そんな嘘ついてもしょうがないだろう?」

「エリザベスに不誠実だと思わないのか?」

「僕達は婚約するように周囲から期待されてるからしようとしてただけで、別に僕から長年の愛を告白して申し込んだわけじゃない。多分ベスも喜んでるよ」

 エドはいきなり僕の襟首を掴んで引っぱり上げると、拳を握った。

 こっちは素直に殴られてやる義理はないからエドのへなちょこパンチは避けさせてもらった。

「お前に殴られる理由はない」

「わざわざ病院を抜け出して会いにいったあの子のせいか?」

「あの子は関係ない。ただのバディだ」

 自分で言って、自分で傷ついた。もうバディですらない。

「じゃあエリザベスと婚約しろよっ!」

「お前がな!」

 エドは目を見開いて動きをとめた。やつあたりもあって、僕は一発殴らせてもらった。

「今はお前が王位継承順位第三位なんだ。周囲からベスと婚約するよう期待されてるのはお前だよ、馬鹿エド」

「そんな……そんな簡単にいかないよっ!」

 僕を殴り返しもせず、赤くなったエドが僕の部屋を飛び出した。


 やっと静かになった。やれやれ。僕は読みかけていた興味深い数学書を取り上げてページを開いた。目は数字を追っていたが、中身は頭に入ってこなかった。

 エドが今になってようやく気付いたということは、根回しはかなりうまくいっているらしい。こういう事柄は慎重さが必要だ。前回の大騒ぎの二の舞にならないよう、今回は慎重に、できるだけ波紋を小さくするよう、僕も二人の兄も内密に動いている最中だ。特にエドがまともにベスに申し込みができるかどうかで三人で賭けをしていることは最高機密だ。


 さまざまな行事に満ち、飛ぶように過ぎる日々の下で、慎重に、じりじりと、地雷原を歩くようにして進められた僕の内々で直前まで整っていた婚約とりやめと弟の内々で直前まで整いつつある婚約は、最終的に誰も傷つくことなく(エドは僕から一発殴られてるが自業自得だ)ワルツのパートナーチェンジよりもスムーズに行われた。


 僕はようやく最後の懸案が解決したことでふたたび無駄なあがきをする決意を固めた。


 電話は一度失敗しているから駄目だ。直接顔を見て話すんじゃなければロビンが何を考えてどんな顔をしてるのか分からない。


 僕は王子としての立場を最大限アピールしようと、ロビンとの再会の舞台として王家が所有する島の別荘を使うことにした。ロビンに全然脈がなかった時にもあの島で過ごした思い出を話して楽しく過ごし、こいつの誘いに乗れば何か楽しいことがある位には思ってもらえる状態で過ごせたらとりあえずは成功だ。

 愛とか恋とかは重くて負担になるかもしれないから、今まで迷惑をかけたお詫びとでも言って招待すればいい。そうだ、数学も教えるって約束してたんだった。


 僕は全てを準備万端に整えて再びロビンに電話をかけた。

「フライディ!」

 電話の声がまた少し怒ってるように聞こえた。手が震え歯が鳴りそうなのを抑えて、わざと軽い調子で喋った。

「やあ、ロビン。今日は何か予定ある?」

「ないっ、全然ないっ!」

「迎えをやるから、会いに来ない?」

 ロビンの返事を聞いた僕は、電話を持ったのと反対の手で準備していたメールを送信し、彼女の気が変わらないうちに(さら)うように連れてくる手配をそのまま実行させた。

 僕自身もはやる心で別荘へ向かう。


 ロビンよりも先に着いた僕は、やたらと茶を飲んだり棚に並んだオーナメントを並べ替えたりして水上飛行機のエンジン音が響くのを全身で待ち構えた。

 やがて、音より先に空に浮かぶ点のような機影を見つけた。


 ロビンはワンピースにカーディガンを羽織った少女らしい姿だった。飛行機のドアの裏についたステップを身軽に降りてくるロビンの膝丈のスカートが、一段ごとにふわりふわりと揺れるのに見とれた。膝下が長くまっすぐで適度に筋肉がついた、スカートがよく似合う脚だ。僕の贔屓目(ひいきめ)かもしれないけど。

「久しぶり。大きくなったなぁ」

「ならないよっ!」

 くだらない冗談にいちいち真面目に反応するのは相変わらずだ。そんな反応のひとつひとつが嬉しくて仕方ない。

 初恋の相手にちょっかいを出しすぎて嫌われた過去から、僕は何も学習しなかったみたいだ。

「座って話そう」

 先に立って、海に面したフランス窓のある応接間に案内した。紅茶を頼んでから人払いをしてロビンに向き直った。

「何から話そうか。色々話したいことがあって決められないな。あの島で食べた採りたての貝の味は君としか語り合えないから寂しくてね。あ、そうだ。数学のテストはパーフェクトが取れるようになった?」

「ううん。だってあれから教えてくれてないじゃない」

「──そうか」

 思い出を話して楽しく過ごすとか数学を教えるとか、口実を色々考えていたはずなのに、いざ顔をみるとそんなくだらない話をするために呼びつけたのかと言われそうで言葉が出なくなってしまった。


「ねえ。健康上の理由って何?」

 黙った僕の代わりにロビンが話題を見つけてくれた。


「ああ、あれ。二ヶ月近く行方不明の間にどこかで洗脳されてたんじゃないかとか、公務が嫌で隠れてたんじゃないかとか、政治的な意図があっての行動だったんじゃないかとか色々言われて嫌になっただけ」


 われらがメルシエ王国をちょっとばかり拡げようと計画的に島に上陸したのではないかと訊かれた時には、あまりの荒唐無稽(こうとうむけい)さに辺りも(はばか)らずに笑い出してしまった。

 疑われたことを恨みはしない。きっと事故調査委員会はあらゆる可能性を検討しなくてはいけなかったのだろう。僕が誇大妄想を抱いた可能性も含めて。

 僕にも責任の一端はある。両親と兄達から(ほとんどは長兄のアートから)は捜索が不十分だったという謝罪とともに「あの思わせぶりな遺書はどういうつもりで書いた」という厳しい追及があった。

 実は大々的な捜索を妨害していたのは僕の不真面目な遺書だった。

 万一の事態に備え、海軍ではあらかじめ遺書を用意することが推奨されている。作戦行動の内容によっては必ず、普段は任意だ。

 僕はそれを用意した時にまさか本当に使うことがあるとは思わず、それでも万一の場合に備えてできるだけ家族が悲しまずに済むよう、「ちょっと行方をくらませるけど悲しまないで、後のことはよろしく」とできるだけ朗らかな内容に仕上げ、遺産の分配についても細かな指示を書いてロッカーにしまってあった。そして狙ったかのように国境近くの海上で行方不明になった。

 確かに、故意に消息を絶ったと疑われても仕方のない状況だった。今度遺書を残す時は、もう少し真面目に書こう。

 しかし一度でもこんなことがあれば、この先ずっと「もしかしたら」の疑惑がつきまとう。健康上の理由とはそういうこと。つまり自業自得だ。


 ロビンは真面目な顔でソファからするりと降り、僕の前に立った。

「ほんとに大丈夫なの? ……ひとりで大丈夫なの?」

 最後は囁くような声だった。

「君がいないと駄目」

 僕はいつかの失敗にちっとも学ぶことなく、ロビンの腕を掴むと、その腰に腕を回し抱きしめた。抱き心地は前より少し丸くなっていた。


 ああ、いきなりこんな重たい告白をするつもりじゃなかったのに。

 でも優しいロビンは僕の頭をしっかりと抱いてくれた。

「ねえ、貝の話するために私を呼んだんじゃないよね?」

「うん、違う」

「婚約してるって言ってたよね?」

 ロビンの声が震えた。気にしてくれて……いたんだろうか。

 僕は空に突き抜けるような幸福感の中で、報告できることを本当に誇らしく思いながら答えた。

「もうしてない。第三王子の冠ごと弟に押し付けてやったよ」

 ロビンの手がゆるみ、ロビンが僕の顔を見下ろした。

「それって、そんなのってありなの?」

「説明ならあとでいくらでもするから、まず君と僕の話をしたいんだ」


 あんな不器用な言葉でじゃなく、君が頬を染めて目を輝かせてくれるような甘い言葉で愛を囁くから。

 そう思った僕の提案は、あっさりロビンに却下された。


「ううん。話ならあとでいくらでもするから、まずキスしたい」

「いい思いつきだ。乗るよ」

 そう言って僕はロビンを膝に乗せた。


 逃げないように腕を回し、片方の手を頬に添えて唇を重ねた。怖がらせないよう、でも熱を込めて繰り返し。

 回数を重ねるごとに、ロビンの唇は甘く柔らかくなっていった。幸せでくらくらする。

「こんな可愛い子とキスできるなんて、信じられない。今日が誕生日だったかな」

 唇が触れそうな距離のまま僕がそう呟くと、ロビンが閉じた目を半分だけ開けて答えた。

「ううん、私が幸運の星を持ってるの」

「君の言うとおりだ、ラッキー・ガール。もう一度キスさせて」

 返事を聞かずにキスした唇が少し開いて、ロビンの小さな舌先が僕の唇を舐めた。

「ロビンっ!!」

 今度のキスで身を硬くしたのは僕だった。 

「この前僕とキスしてから誰かとキスしたっ?」

「してない」

 僕は体の力を抜いた……何だかひどく疲れた。

「良かった……これからは例え誰の誕生日でもキスなんかしちゃ駄目だ。君のキスは危険すぎるから、僕が全部預かっておく。僕は危険物取扱者免許を持ってるからね。海軍で取ったんだ」

 僕が重々しい口調で言うと、ロビンは無邪気そうな顔で目をおどらせて僕に言った。

「『キスも返せない子ども』じゃなかったの?」

「あの言葉は撤回する。あの時のことは君の気が済むまで謝る。許してくれる?」

 そう言った僕にロビンがまたキスをした。僕は存分に味わった後で言葉を接いだ。

「それからその後で、君の気が済むまで愛を囁く。一晩中」

「駄目だよ」

 ロビンはさっきと同じ無邪気そうな顔で目をおどらせていた。

「私明日、学校でテニスの試合があるの。帰らなくちゃ」


 恐るべき十六歳。

 僕はこれからロビンに翻弄される日々を予測して溜息が出た。ロビンこそがルール、僕はその下僕。

 やっぱり最初にフライディなんて名乗ったのが失敗だったかもしれない。


 もう一度溜息が出そうになった僕の唇を、ロビンがまたキスで優しく塞いだ。


end. (2009/02/07初出、2014/10/27-11/2加筆転載)

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