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楽園までは何フィート 2

 大学のそばにある喫茶店の入り口で、一足先に店内をチェックした警護官が頷いた。

 エドはレディファーストでキャットを先に立たせ、ウェイターが二人を店の奥まった上席へ案内した。


 警護官の一人が少し離れたテーブルにつき、椅子を引いたウェイターが離れたところで、キャットがエドに言った。

「学位の授与式って卒業式と一緒にやるんでしょう?」

「うん」 

「卒業式でプロポーズする人って結構いるんだってね」

 キャットが『プロポーズ』という言葉を口にした瞬間にエドは一瞬身を硬くしたが、キャットは気付かなかった。

 エドはなんでもないように答えた。

「そうらしいね。過去には学生から教授にっていうのもあったみたいだよ」

「えー、そうなんだ! すごくドラマチックだね!」

 ちょうどそこで届いた飲み物がテーブルに置かれるのを待ってから、エドがキャットの思い込みを正した。

「結果がどうなったかは分からないよ。学生の指導に私情を交えたんじゃないかって思われたら教員としてマイナスになるから、実際は断わったんじゃないかな」

「そっかぁ。やっぱりそんなにうまくはいかないんだね」

 がっかりした顔のキャットに、エドがさりげなさを装って訊いた。

「やっぱりキャットもそういうドラマチックなプロポーズに憧れてるの?」

 

 途端にキャットが真っ赤になった。

「なんでそんなこと訊くのっ?」

「えっ!」

 エドが顔色を変えた。

 エドは思わずテーブルに手をつき、椅子から体を浮かせた。

「キャット、結婚──」

「しない、しない。全然しないよっ!」

 傍で聞いていたら、エドがキャットにプロポーズして断られたと誤解されそうな勢いだった。


 お互いの動揺に気付いた二人はほぼ同時に自分の飲み物に手を伸ばし、エドは紅茶、キャットはココアのカップに顔を伏せて気分を静めようとした。

 居心地の悪い沈黙がひろがった。

 

 カフェインとテオブロミンのおかげか暖かさのおかげか、しばらくすると二人は少し落ち着きと元の顔色をとりもどした。

 そこでエドが、まだぎこちなさは残るものの会話を再開した。

「えーと、その、さっきのは個人的な質問じゃなくて」

「う、うん」

「一般的な女の子のプロポーズ観について、気軽に訊ける相手としてキャットに訊いただけで他意はなかったんだ」

「うん、一般的な女の子のね。分かった、ちょっと友達にリサーチしてくる」

「いやっ、そんなに大げさなものじゃなくてっ」

「駄目なのっ」 

 また赤くなったキャットが強く主張した。

「私、どんな理由でも自分のプロポーズ観がどんなのか、エドには言いたくないのっ。ベスにも聞かないっ」 

 エドは理解した。

 誰かを使って相手の理想を聞き出すような真似は、するのもされるのも嫌だと言いたいのだろう。


 エドもそんなカンニングのような真似をするつもりは……ほんのちょっとはあったが。


「いいよ。キャットとエリザベス以外の一般的な女の子のプロポーズ観についての、ごくシンプルなリサーチで」

「分かった。それなら来週またお茶する? 彼女じゃなくて私と」

「……しつこいなぁ、キャットは」

 エドの、さっきのフォトジェニックな笑顔とは全然違うあきれ顔に、キャットがようやくいつもの生意気な笑顔を返した。

 

 そういった経緯で翌週の同じ日、同じ場所でキャットによるリサーチの結果がエドに手渡された。

 

「膝をついて。顔が見えない花束。貸切レストラン。管弦楽。デザートのお皿にエンゲージリング。夜景のきれいな場所。ナイトフライト/クルージング。二人だけの思い出の場所。彼の部屋。観覧車の一番上。スポーツ観戦中に大画面で。サプライズパーティで友達を呼ぶのもあり。ただし撮影はNG。

 一生に一度という特別な気合が必要」

 エドは箇条書きされたメモ(最後は太字)を読み上げた。


 わざわざ調べてくれたのに文句を言うつもりはないが、このメモをそのまままとめもせずに渡してくるキャットが、大学のレポートをちゃんと仕上げて出せているのか、エドはふと心配になった。

「そういうのが理想のプロポーズなんだって。……でも一般的な女の子にとっての特別なシチュエーションのほとんどはベスにはちっとも特別じゃないんだよねえ。

 普通の男の子が特別なデートにって計画するようなこと、エドは全部しちゃったでしょ」

 溜息交じりのキャットの言葉に、エドは可哀想なくらい動揺した。

「あっ……そっ……そうだね」

「え、してない?」

 キャットの瞳にまっすぐ見つめられて、エドは言葉に窮した。

 やがて目をそらして小声で言った。

「……全部はしてない……かな」

 

 ベスと外食するときは、警備の都合もあって個室を利用したり店を貸切にすることが多い。共通の友人に招かれてクルージングにも行く。貴賓席でコンサートや芝居を鑑賞するのは公務としてもそれ以外でも日常だ。

 確かにそれらはベスにとっても馴染みの、ごく普通のシチュエーションだ。


 しかし今までのデートで、キャットがいう「普通の男の子が特別なデートのために計画するような」ことをしたことがあるとはいえない。

 警備の都合もあってあまり変わったことをすると周囲に迷惑がかかるし、デートのための計画などというものにエドは元々関心がなかった。

 むしろそんなもので女性の歓心を買おうとする男(身近な例をあげると兄のチップ)を軽蔑していたと言ってもいい。

 

 エドとベスの婚約は内輪では既に決まったことだ。

 具体的な結婚の時期こそ未定だが、二人の交際は最初から二人だけの問題ではなく関係者全員が了解し結婚を前提として始まったものだった。

 エドが修士課程を修了した今、既に関係者の間で今後についての検討が始まっていてもおかしくない。


 しかし、生まれもったものではない称号を自分自身の力で手に入れた今こそ、エドは誰かに促されてではなく自分の意思で結婚を申し込むつもりでいた。

 それがあってもなくても経過も結果も変わらないことは分かっているが、障害がないことが唯一の障害である二人の交際を先に進めるタイミングは自分で決めたかった。プロポーズについてキャットに色々訊いたのはそのためだ。

 

 でももしかしたら、特別な計画のない今までのデートを、エリザベスは物足りないと思っていたんだろうか。

 エリザベスも一般的な女の子と同じように、そんな(準備する方にとっては)気恥ずかしい演出をして欲しかったんだろうか?

 エドの心に疑念がわいた。

 

「あのね、すごく余計なことだと思うけど、ベスはロマンチックなプロポーズを待ってると思うよ?」

 エドはキャットに視線を戻した。

 キャットは真剣だった。

「私がまだ前の婚約のこと気にしてた時、ベスが『すごく事務的に父から言われただけのロマンスのかけらもない婚約だったし、お互いしたくてしたんじゃないから全く気にしなくていい』って言ってくれたの。

 ロマンスが必要だと思ってなかったらそんなこと言わないでしょ。それに」

「それに?」

 聞き返したエドを見つめて急に赤くなったキャットが、ごまかすように急に声を大きくした。

「とにかく、女の子は男の子が思うよりずっとロマンチックだし、エドは途中でふざけたりしないと思うから、絶対うまくいくよっ!」

「ありがとう。リサーチの結果は参考にさせてもらうよ」

 そう言ったエドは、しかし最後に同情を込めてこう付け加えずにはいられなかった。


「それにしてもキャット……苦労してそうだね」

 キャットは力を込めて頷いた。

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