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王太子の結婚 13

 国を挙げての一大祝典翌日の日曜日。

 兄の結婚を無事終えて、やっと家族行事から開放されたチップがまず向かったのは、キャットが暮らす学生寮だった。

 今日は久しぶりにフルタイムの、デートらしいデートだ。

 しかしそのわりにチップは浮かない顔だった。

 

 キャットを助手席に乗せたチップは、挨拶のキスを普段より短く済ませて、すぐキャットに訊いた。

「何か変わったことは? 変な電話や手紙が来たりしていない?」

「うん、大丈夫。それに昨日の今日じゃまだ手紙は届かないと思うよ?」

 キャットは屈託なくそう言ってチップに笑いかけた。

 

 キャットの存在は決して忘れられてはいなかった。

 名前こそ出なかったものの、チャールズ王子のガールフレンドというコメントつきで、キャットが大聖堂に入る前の姿や、ほんの数分しか一緒にいなかったチップとのツーショットまでが外国のメディアによって撮影され公表されていた。

 メルシエ王国王太子の結婚式で撮影された何万枚もの写真の内のほんの数枚ではあるが、公表された中にはキャットの顔がはっきりと分かるものもあった。

 チップの力が及ぶのはメルシエ王国内に限られる。

 鎖国しているわけはないメルシエ王国では他国メディアの視聴は規制されていない。

 

 チップは真面目な顔で言った。

「もし身の回りに何かいつも違ったことがあったら、どんなに小さなことでもいいから僕に教えて」

「分かった」

 その返事でやっと微笑らしいものを浮かべたチップが、ギアを一速に入れながら訊いた。

「君はもっと写真が出たのを嫌がってるかと思ってた。心境の変化があった?」

 キャットがにこりと笑ってみせた。

「あまり目立ちたくないって思ってたのは本当だけど、隠し撮りされたり追いかけられたわけじゃないし、写真だけだもん。

 フライディのガールフレンドって報道されたのは全然嫌じゃないよ。関係ないただの知り合いだって報道されるよりずっといい」

 そこでいったん言葉を切って、聞こえないくらいの声で付け加えた。

「自分ではフライディと一緒の写真撮れなかったから、ちょっと嬉しかったし」

 

 もちろんチップには全部聞こえた。

 チップは急ブレーキで停車してキャットの顔中にキスしようかどうか一瞬真剣に迷った。

 しかし今日は早く二人きりになる方を優先し、運転しながら片手でキャットの手を捉え、指先から手首まで順番に口づけするだけで我慢して、最後に言った。

「ロビン、僕のロビン。昨日のドレス姿も輝いてたけど、君の本当の素晴らしさはこういうところだって僕はよく知ってるよ。君は最高のバディだ」

 キャットの胸に暖かいものが溢れた。

 キスを受けた手でチップの頬に触れると、チップがその手に更に自分の手を重ねた。

 

 しばらく満ち足りた沈黙が続いた後、手を持ち主に返したチップが、いつものふざけた口調に戻って言った。

「確かに、関係ないただの知り合いだって報道されるより僕にとってもずっとずっといい。これで君には僕というボーイフレンドがいるって全世界に報道されたわけだしね」

「そんなことは誰も気にしてないでしょう?」

 笑いながらそう言ったキャットを、チップがちらりと見た。

「本当にそう思えたらいいんだけど」

「えっ?」

「僕はたまたま君が今着てるのとそっくりなセーターが『J』にあったのを見ていて、それに君がドン・カルロと一緒に『J』から出てくるところも見かけているんだよね。……もしかして最近プレゼントに関するポリシーを改めたりした?」

 キャットが叫んだ。

「まさかフライディ私のこと疑ってるの!? 私、そんなに趣味悪くないよ!」

「ドン・カルロを悪趣味だなんて言ったら、彼のファンにチレニア海に沈められるぞ」

 チップの陰気な警告に、キャットは何を思ったか狂ったように笑い出した。

 残念ながらチップはまだキャットと一緒には笑うことができなかった。

 

 やがてキャットは笑い涙を拭いて説明した。

「趣味が悪いっていうのは男の人の好みじゃなくて、他の男の人に貰った服をデートに着てくることだよ。私がそんなことするわけないじゃない。

 確かにこれは『J』のセーターだけど、フィレンザから聖キャサリンの日のプレゼントに貰ったの」

「聖キャサリンの日のプレゼント?」

 キャットが頷いて、詳細を語りはじめた。

「最初カルロはお友達の開店祝いにってフィレンザと私を連れていって、『二人にプレゼントする服を選んでくれ』と言ったの。それをその場で断わって顔をつぶすような真似はできないでしょ。

 でもお母さんにも『男の人から婚約指輪より前に身につけるものを貰ってはいけない』と言われてるし」

 そこでチップは素早く口を挟んだ。

「ロビン、お母さんの教えをドン・カルロに話したりはしてないよな?」

「もちろん! 『顔をつぶせなかった』ってさっき説明したじゃない!」

 

 カルロに婚約指輪を差し出す口実を与えなかったことを確認し、安心したチップは続きを促した。

 キャットが続けた。

「それでフィレンザに相談したの。刃物を贈られる時みたいに、私がカルロから買ったってことにさせてって言ったらカルロは気を悪くするかなって。そうしたらフィレンザが『もうすぐ聖カテリーナの日だからキャットに贈り物をしようと思ってたの』って言ってくれて」

 聖キャサリンの日までまだ一ヶ月以上あるのはともかくとして、同じ名をもつ守護聖人にちなんだ日に、友達から花やささやかなプレゼントを贈ったり、親から子どもに特別におこずかいを渡したりすること自体は珍しくない習慣だ。

 結局カルロは可愛い妹のためのセーターとドレスとスカートと冬物のコートに加えて、カルロではなくフィレンザからキャットに贈るセーターの費用までを快く受け持ってくれた。

「カルロが帰りに『あの店には男性用の服を置いていないから、開店祝いに二人を連れてきてよかった。協力してくれてありがとう』って。

 ねえ、ずいぶん丸くおさまったと思わない? 誰も嫌な思いをしなくてすんだんだよ」

 

 キャットが得意そうな顔で話を締めくくった。

 それでもチップには、キャットがこのセーターを着てきた本当の理由がその得意そうな顔の下に透けてみえた。


 フィレンザの機転でその場が丸く収まったものの、キャットはどこか気持ちが治まらないのだ。

 そして多分、チップがこのことをどう思うかも知りたがっていた。

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