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王太子の結婚 9


 新郎新婦が退堂した後でまずは賓客が、続いて一般招待客が、出口に近い方から順番に大聖堂を出ることになっていた。

 鐘楼からは祝いの鐘が高らかに響き、外ではもうパレードが始まっているはずだった。

 

「レディ・アンのドレス、素敵だったわね」

 フィレンザがうっとりと言った。

 普段のフィレンザは服も持ち物もシンプルで機能的なデザインが多くいかにも理系美人といった印象が強いので、お姫様然としたドレスに憧れるのをキャットは意外に思った。

 しかしすぐにフィレンザも世が世ならプリンセスだったと思い出して納得した。

「確かにフィレンザなら似合うよね」

「あら、キャットだって」

「私があの格好したら出来の悪いみやげ物の人形みたいになると思う」

「そんな、キャット!」

 フィレンザはキャットに反論しようとして、何を想像したのか途中で笑い出してしまった。でも別にキャットは気を悪くしたりしなかった。

 ああいった古典的でデコラティブなスタイルが自分に似合わないことはよく分かっていたし、自分に似合う服が世の中にたくさんあることももう知っていた。


 例えば今日のドレスがそうだ。

 キャットはまた、自分のドレスを見下ろして微笑んだ。

 あの点の厳しいリックまでが誉めてくれた(らしい)このドレスを着た姿を、チップに見て欲しかった。

 

 キャットは自分のドレスから今度は石造りの高い天井に視線を移し、先程の結婚式を思い返した。

 素晴らしく感動的だった。この天井に向けてラテン語で歌われる讃美歌の和声が響いたときには、美しさに涙が出そうになった。

 二人の姿は入堂と退堂の時以外は遠くてほとんど見えなかったし、新郎の家族として同じ場にいたはずのチップの姿も全く見えなかったけれど、キャットが見逃した光景はTV中継で全世界に配信されているはずだ。後で録画したものを見ればいい。

 この厳かな空気を肌で感じミサに参加できたことを、キャットはとても幸せに思っていた。

 

 午餐会に招待されたゲストはパレードのルートを迂回して王宮まで車で移動する。カルロは車を呼びに、フィレンザは化粧直しにとその場を離れた。

 キャットが一人になった時のことだった。

 

「君、前にどこかのパーティで会ったことあるよね」

 いきなり腕を掴まれたキャットは反射的に身を引こうとしたが、相手はびくともしなかった。

「名前を訊いたと思うんだけど、どうしても思い出せないんだ」

 アンの友人にしては若い、しかしキャットよりは年上の男性が、キャットの腕を掴んだまま言った。

 キャットには全く見覚えのない相手だ。しかしどこかのパーティで以前に会ったことが絶対ないとは言い切れない。キャットは、さっきリックに言われたことを一生懸命思い出してみた。

 

 連れから離れるなという最初の忠告は、こんな目に遭うまですっかり忘れていた。今となってはどうにもしようがない。

 知らない男に話しかけられても相手をするなという二番目の忠告はこの場の役に立ちそうだが、相手をしないために具体的にどうすればいいのかまでは分からなかった。もしかしたら本当に誰かに紹介されたことのある相手かもしれないのに、道端で声をかけられた時のように聞こえない顔で無視するというわけにもいかない。

 俺の知り合いだと言われたら仲が悪いと言えという最後の忠告に従って、リックの知り合いかどうか尋ねてみようかとも思ったが、それは相手をするなという言葉と矛盾するような気がした。

 

 この場にリックが現れて、何か本当に役に立つアドバイスをくれないだろうか。今度こそちゃんと聞くから。

 頭の中では様々な思いがぐるぐると回っていたが、うまい返答を思いつけず、キャットは腕を掴まれたまま視線を泳がせた。

 

 ふわりと、スパイシーなコロンが香った。

「カテリーナ?」

「カルロ」

 ほっとしたキャットが名前を呼びかえすと、カルロはイタリア語でキャットに話しかけながらさりげなくキャットの反対側の手を取った。カルロが腕を掴んだ相手に同じようにイタリア語で何かを問いかけると、相手は戸惑った様子で手を離した。

 カルロはそのままキャットの手を引いてその場から連れ出してくれた。

 

 声が届かない距離まで離れてから、カルロは英語に切り替えた。

「魅力的に装うなら、男のあしらい方も身につけなくては。美しい女性を愛するのがイタリア人だけとは限らない。君の恋人はイタリア語でしか教えなかったのか?」


 キャットが首まで真っ赤になった。

 決してカルロに魅力的とか美しい女性とか言われたせいではない。

 

 チップに教わった『イタリア男に口説かれた時のうまい断り方』の意味を帰国してから知ったキャットは、叫びながらチップにクッションをぶつけて部屋を追い回した。つまりそんな内容だ。

 英語で同じことを言うことなどできるわけがない。イタリア語でも、意味を知った今はもう二度と言えない。

 あれはキャットが意味を知らずに、照れもせずに言うからこそ有効な呪文のようなものだった。

 できればあの時の記憶をカルロの頭から抜いて自分のと合わせてチレニア海の底に沈めたいくらいだ。

「キャット」

 フィレンザがやってきたのを見て、キャットがカルロとつないでいた手をぱっと放した。それを見たフィレンザがカルロにイタリア語で何か言い、カルロが笑った。

 キャットがフィレンザに訊いた。

「何て言ったの?」

「長生きできないわよって」

 キャットの目が飛び出しそうになった。

 キャットはフィレンザに詰め寄った。さきほどの男性は片手で腕を掴んだだけだったが、キャットは両手でフィレンザに掴みかかって叫んでいた。

「何で知ってるのっ!?」

「だってカルロが教えてくれたもの」

「…………お願い、忘れて」

 キャットはか細い声で言うとフィレンザから手を離し、顔を覆った。

 

 チレニア海に沈みたい。

 いや、むしろフライディを沈めたい。

 

 その時、カルロの車が目の前にやってきた。

 とても今この兄妹と同じ車に乗り込む気分にはなれなかったが、連れから離れるなというリックの忠告を無視してまた報いをうけるのは嫌だった。

 

 キャットは、次のデートでチップをプールに突き落とす場面を想像して、とりあえずこの場は自分の気を鎮めることにした。


 もっとも想像の中でもチップはちっとも困った顔をせずに嬉しそうに水しぶきを上げていたけれど。

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