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第ハ色 彼の後悔と晩夏の太陽

「あちぃ」


 長かった、とても長かった夏休みもあと3日となった本日8月28日。

 一日で最も気温が高くなる午後3時14分。日差しが痛い。

 アスファルトに溜まった熱がさらに身体を熱し、遠くには陽炎がメラメラと立ち上がっている。何とか暑さから目を背けようと試みるがこの異様なほど肌を痛めつける紫外線の前では敵ではなかった。


 どこかの家から風鈴の涼しい音が聴こえてくるがそれも陽炎を揺らす熱風によって打ち消されてしまう。

 芽衣に昼食までご馳走になってしまったのでせめてのお礼として晩御飯の買い物にお供することになったのだが、とにかく感謝の気持ちは熱風に飛ばされてしまったのだった。


「アイス、食べないの?」


 俺の隣にぴったりとくっついてアイスをかじりながら芽衣は嬉しそうに笑った。


「……お前こそさっきアイスの食いすぎで腹壊したくせによく食べる気になるな」

「好きだかんね!」


 芽衣はこの真夏の日差しにも負けない笑顔を向けてくる。今はむさ苦しいとしかいえない代物だが……。

「あっそ」


 ふと芽衣に目をやるとありえない速度で食べ干して既に全裸となってしまったアイスの棒をありえないと言う目で見つめていた。


「当たった………」


 急に足を止める芽衣。


「はぁ? …なんだって?」

「だから当たったの!!」


 閑静な住宅街で近所迷惑も考えずに叫ぶ女子高校生。前にも後ろにも人の姿はなく、さすがにこの暑さの中に繰り出そうなんて考えるのは俺達くらいだった。


「腹に?」

「違うわよ! ア・イ・スよ!」


 ただでさえ暑さでぶっ倒れそうっていうのに付き添いの少女がたかがアイス一本で狂い出して、散々な一日だ。


「良かったな。……ほれ、早く帰るぞ。折角買った野菜達が傷んじまう前にさ」


 なんて主婦みたいなセりフをかましてやる。アイスが当たった程度で狂喜円満してしまうとても残念な高校生は置いといて早く買った物を冷蔵庫に入れないと俺のアイスまで溶けちまう。

 歩を進めようとすると後ろから何者かにこれまた女子とは思えない力で手首を掴まれた。


「だから、なんだって……」


 振り返ると案の定、アイスの棒を親の形見の様に大事そうに持った、少女が口をへの字にして俺の手首を頑なに握っていた。


「取り替えてくる」

「そんなん後にしとけよ。いつだってできるだろ? それよりも今は」


 俺の言葉を聞く前に少女はどこかを指差した。なぜかうつむいて俺と目を合わせようとしない。

 芽衣の指が指す先にはあの児童公園があった。


「待ってて」


 どうやらあの公園で私がアイスの当たりを取り替えてくるのを待っていて。という意味らしいがなんて言葉足らずなんだ。


「だからそんなの今度に」

「いいから待ってて!!」

「っ……」


 突然、ヒステリックに叫んだかと思うと芽衣は俺に買い物袋を渡して陽炎の中に消えていった。


「なんだってんだ……」




 今日は稀に見る真夏日だ、きっとそうに違いない。いつの日だったか、この公園で一夜を過ごした時だってこの公園は児童達で溢れかえっていた。その公園に今は俺一人しかいないのだから。児童たちが残したのであろう砂山も今は砂漠の中に埋もれるピラミッドにしか見えない。

 食べるつもりのなかったアイスを水分欲しさに口にしながら空を見上げると、淡い夏特有の青空のなか真っ白な雲が優雅に流れていった。あの丘から吸血鬼と見た空を思い出す。昨日の出来事のはずだったが、もう遠い日の事の様に感じた。


「アイツ、どこ行ったんだか」


 アリスと出会ってから一日の大半を一緒に過ごしていたからか、出会ってからそんなに経っていないがあの笑顔が恋しくなってきた。別にロリコンの趣味はないのだが。


「春樹ーーっ!」

「アリスかっ!?」


 ふとどこからか吸血鬼の声が聴こえたような気がして辺りを思わず見回した。けれどもアリスの姿はどこにも無かった。


「なにやってんだ、俺」


 言うことは聞かないわ、飯は大量に食うわ、ガキみたいにやかましいわ…正直、最初はさっさと出て行って欲しくて何度も家に帰るように説得していたが、今となってはアリスがいない事の方がイレギュラーな気ですらしてくるから不思議だ。


 考えてもみれば、野球の推薦でこの学校に通うために親元を離れてもう二年以上たっていた。最初は親も反対していたけど必死の説得で何とかあそこまで行けたんだ。

 それなのに、今の俺は何やっているんだろう。


 親は俺を労わってくれたけど、やっぱり期待を裏切った事には変わりないのだ。志半ばで野球も陸上を辞めて、今は補習の毎日……本当に自分事ながら笑ってしまう。


「はぁ」


 溜め息つくと幸せが逃げるなんて、ルームメイトの佐山さやまは言っていたが溜め息をつかずには居られないほど、今の生活は堕落している。  それこそ高校生という貴重な時間を全て部活に捧げてきた俺が今から受験勉強を始めたところで行けたとしても私大になってしまうのは確実なわけで、また親には迷惑をかけてしまうのだ。


 陸上だって好きでやっていた訳ではなくただ走っている時だけは余計な事を考えずに済んだから始めただけ。オリンピックにでて金を取るとかそんな立派な目標はなくて皆みたいに色んな事をいっぺんにするのが嫌で、怖いだけだった。


「俺が陸上を捨てたんじゃない、陸上が俺を捨てたんだ」


 ぽつりと青空に向かって口にしてみた。


 最近はこれが口癖になっていた。俺が走るのを辞めたんじゃない、陸上が俺に走るのを辞めさせたんだ、こう思っている方が楽だった。

 いくら惰性、好きでやっていた訳ではないと言っても俺の生きる意味と言っても過言ではなかった陸上を辞めた事によって俺の心にはぽっかりと穴が開いてしまっていた。

 今や一緒に走っていたメンバーに出会う度にその心が締め付けられるように痛むのだった。


 汗で張り付くTシャツの心臓の辺りをぎゅうと掴んで呼吸を整える。最近は走っても痛まなくなってきた心臓だがアイツの顔が頭をよぎる度に鼓動が早くなる。


 ドクン……ドクン……ドクン……。


「俺は……」


 何かが口から出そうな気がしてもやっぱり出ないのだった。昔からずっとそうだった。自分の言いたい事が言えなくて、結局周りに流されて生きてきた。

 陸上だって自発的にやろうとしたわけではなく、しつこい先輩の入部勧誘からのものに相違ない。あの先輩には感謝すればいいのか、こんな身体にした怒りをぶつければいいのか分からない。いつまでも自分一人じゃ何もできない力不足の高校生なのだ俺は。


「はぁ」

「まーたため息ついてる!」


 声のする方を見上げるとさっき買ったのと違うパッケージのアイスを持った芽衣が立っていた。満面の笑みだ。


「あれ、お前の持ってるアイス、さっきのと違くないか?」


 ふっふっふっ……と不気味な笑みを浮かべる芽衣。


「よくぞ訊いてくれた、ブレスマンよ!」

「ブレスマンって」

「これはだな、アイスではないのだっ!」


 天高く手に持つアイスを持ち上げる。


「……さて、早く帰ろう」


 俺が冷酷に無視を決めると少女は懇願ばりに俺に張り付く。


「あーん待ってよぉー。私の話聞いてからにしてぇー」


 またもや立ち上がった俺の手首を掴んでベンチに座らされる。なぜか得意げだ。


「……手短にな」


 仕方なく女子高校生の与太話に付き合う事にした。野菜の事はもう知らん。別に俺が食う訳ではないしな。自業自得だ、こんなの。


「ずばりっ、これはアイスではないのだ!」


 やっぱり天高く今度はふざけたポーズ付きで持ち上げる。また思わず溜め息が出そうになった。ここまで能天気だとこっちまで笑えてくるな。さっきまでのシリアスシーンが台無しじゃないか。


「それはもう聞いたよ」


 なんだか全く立ち見が増えない駅のロータリーで大道芸をする似非ピエロみたいだ、芽衣。


「では、ブレスマンッ! これはずばりなんだと思う!?」


 シンキングタイムもどこかの民族の様なダンスを見せる。バカみたいだ、と言うのは真剣に踊っている彼女に申し訳ないが、バカはバカのためにある言葉なのでここではバカっぽいとだけ表現しておこう。


「……ミニクッションだろ」


 えっ、とまるで正解出来ないであろうクイズにまさかの正解者が現れた時の様な顔をして俺と目を合わせる。


「ファイナルアンサー?」


 ……面倒くさいなこの女。今に始まった事じゃないが。


「ファイナルアンサーだ」


 暫くの間二人の間に沈黙が続く。芽衣は俺の目を見つめたままピクリとも動かないし、俺もそれに対抗すべく微動だとしなかった。蝉の鳴き声がどこからか小さく聴こえてきた。


「せ、正解っ!」


 パラパッパラーと自前のファンファーレを口にしてからそのアイスのクッションを俺の方に投げてきた。


「なんだよ、これ」


 ふふん、とすっかり上機嫌の葉湯ヶ崎さん。


「クイズの景品だよ!」


 思わずクッションを見つめる。アイスのキャラクターなのか分からんがそこにはいかにも萌え路線に走った、目の異様に大きな幼女と目があった。ただのありがた迷惑だ、こんなのもらっても。


「あげるよ、それ」

「いらねーよ」


 と素っ気なく元の持ち主に返す。すると途端に機嫌を悪くする高校生(女子)。


「はぁ? こういう場合は素直に貰っとくってもんでしょ、普通!」


 怒り爆発だ。


「その普通がわかんねぇよ、俺には」


 ちょっと皮肉も込めて彼女に言葉を返す。


「あんたね……だから高校生になってまで彼女作れないのよ!」


 なぜかちょっと芽衣の声が上ずっている様な気がした。今回は我慢できなくなって溜め息がでた。


「余計なお世話だ、ったく……用は済んだろ。行くぞ」


 やっとの思いで腰を持ち上げるとまたまたもや手首を掴まれるた。さっきより心なしか力が入っていなかった。


「今度はなんだって」


 また溜め息をついてから面倒臭そうに振り向くと少女は声も立てずに泣いていた。

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