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第七色 隠匿の彼と彼女の淡い思想

「シャワー、サンキュー」


 ほのかに甘い香りのするバスタオルで全身の垂れる水を拭きとる。白い湯気が肩から、腕から出て宙を漂う。懐かしい光景だ。


「どういたしまして。着替えは何とか私の使えないかな? 一応大きめのヤツ出しておいたんだけどさ」


 周りを見渡すと洗面所にちょこんと可愛らしいカゴが置かれて中に女子が着るとは思えないゴツいデザインのティーシャツが入っていた。


「お前の親父さん、まだこんなん集めてんのか」


 確かにサイズは十分間に合う大きさだった。逆に芽衣が着たらブカブカで色んなモノが見えてしまうような気もする。


「うん、最近は減ってきたんだけどねぇ。やっぱり私には大きすぎるし、夏の寝間着ぐらいにしか使ってないよ。ごめんね」

「別に期待してねーよ」


 カゴの更に横にはまだ袋に入ったままの新品男性用のパンツが置かれていた。


「あっ、パンツのタグは外しておいたからねー」

「何から何まで悪いな」


 袋からパンツを取り出すと確かにタグが外されて畳まれていた。


「ホントだよ……こんな朝早くに男性用のパンツを買ったのは生まれて初めてでした!」


 ドンドンと向こうからドアを叩く音が聞こえた。


「なんか店員さんに勘違いされてないかな……」


 下着を着て用意されていたティーシャツを着た。普段着ないようなデザインなので少し恥ずかしい。


「おーい、でるぞー」


 ドアの向こうに居ると思わしき少女に話しかける。


「えっ!? もう?」


 ドアを叩く音が止んだ。


「もうって、さっきから洗面所に」

「いつもの部屋にいるからっ!」


 そう言ってドアを一回叩くと何やらドタドタと階段を上がっていく音がした。


「はぁ? 何があった」


 ドアを開けると目の前には小学校高学年ぐらいの少女が手にクリームやらタオルケットやらを抱えて立っていた。


「…………」


 暫くの沈黙の後に俺は未だかつて聴いたことの無いほどの悲鳴を聴くことになった。




「で、何があったのよ?」


 衝撃の場面に出くわしてしまった少女に何とか筋の通った弁解をして、あの悲鳴で起こしてしまった芽衣の両親に許可を得てやっとの思いでベッドに横になっていた。


「俺にも分からん」


 ベッドから起き上がって部屋の窓の向こうを見る。空はボンヤリと青みを増して小鳥のさえずりが遠くから聴こえてきそうな景色だった。


「そっちじゃなくて……妹と」


 コンビニ袋からアイスを取り出して無心でそれを舐める少女は、俺の方には見向きもしないで会話を紡ぐ。


「別に。洗面所から出てきたら目の前に可奈子ちゃんがいて、俺を見た瞬間に急に悲鳴を」


 改めて彼女の方を見ると部屋の雰囲気には到底似合わないシックなデザインのソファの上で文字通り頭を抱えていた。


「忘れてた。最近可奈子のヤツ、異様に朝風呂にハマってんだった……ごめん」


 アイスを口に加えて両手を合わせる少女。それでも俺の方は一瞥もしない。


「気にしてねぇ。……確かに俺の顔を見て悲鳴を挙げられた事に対しては若干傷付いたけどさ」

「いや、別にアンタだったから悲鳴を挙げた訳じゃないでしょ。誰だって朝風呂に入ろうとして家族以外の人間に出くわしたら悲鳴挙げるわよ」


 アイスを食べ終わると残った木の棒を綺麗に隅に置かれたゴミ箱に入れて溜め息をつく。


「……アイス、食べないの?」

「あ、あぁ」


 促されて袋の中身をみる。……全部同じ種類だ。


「……あのジャージ」


 ソファにだらしなくもたれながら少女は話す。


「えっ?」


 アイスを口に加えて舌で味を確かめる。期間限定のアイスにハズレはない。


「あの血塗れのジャージだよ。誰にもバレないように黒いゴミ袋に入れて捨てといたからさ」


 ソファから起き上がってまた袋からアイスを取り出す。一体、何本食べる気なんだ…。


「あぁ。助かる」


 期間限定のアイスにかじりつく。


「えぇ!? 助かるって……それだけ?」


 いきなり顔を近づけて視線を合わせてきた。芽衣の吐息が鼻に掛かってこそばゆい。


「そ、それ以外に言う事あるか?」


 相手の奇行に屈せず黙々とアイスを口にする。ただ彼女は俺の目を見つめたまま微動だとしない。


「アンタ……」

「何だよ……ってか近いよ」


 アイスの棒が芽衣の頬に刺さる。


「眼、ちょっと赤みがかってるんだね。初めて知った」

「ただの寝不足だろ。いい加減離れてくれよ……」

「あっ、ごめん」


 頬を微かに紅潮させながら距離をとってちょこんと目の前で正座してまたアイスを頬張った。


「で、何があったのよ?」


 直ぐに正座を崩して胡座をかく少女。全く年頃の女とは思えないガサツさだ。


「だから洗面所を出た時に……」

「そっちじゃなくて、ジャージの方!」


 芽衣は何故か少し荒い口調で話す。さっきから何か変だ。


「あぁ、血塗れの、ね……」


 俺は順を追いながら丁寧に昨日の夜から起きた出来事を説明した。従姉妹とピクニックに行ったこと(ここは吸血鬼と行ったとか言うとまた話がややこしくなる恐れがあったので改訳した)帰ってきた辺りから記憶がない事。気付いたから何故かゲームセンター近くで倒れていた事。いつの間にかジャージが血塗れだった事……。



「ふーん。にわかに信じがたいわね……」


 アイスのゴミを更に三本程増やして耳を傾ける。


「訊いといてそれはないだろう」

「ごめん、ごめん。いきなり記憶喪失とか言われてもそんな事が実際あるとは思わなくて」


 無理もないだろう。未だに経験した本人ですら認められないのだから。


「確かにそうなんだが、まずは認めてくれないと」


 彼女は暫く口を閉ざしてから言った。


「……自分の事とか、憶えてる?」

「大丈夫だ。欠落していると思わしき記憶は昨日の夜の事だけ。それ以外に障害はない、と思う。少なくとも芽衣の事は憶えていたし……」


 また沈黙。


「じゃ……じゃあ、良いわ」


 何故かまた頬を紅潮させて両手で隠す芽衣。何がしたいんだかさっぱりだ。


「その一緒にピクニックに言ったって言う従姉妹さんは今どこに?」

「……わかんねぇ」

「えっ?」

「今、どこにいるか分かんない」


 急に立ち上がって部屋のクローゼットを開けて中を探り始めた。


「な、どうしたんだよ急に」


 あれでもない、これでもない、と服を身体に合わしては床に投げ捨ててはそれを繰り返す彼女。俺の言葉がは耳に全く入っていないようだ。


「おい、何があったんだ?」


 今度はこんな事してる場合じゃないと、何やら勉強机の上の物をバッグにしまい始めた。


「だから、俺の話を聞けって!」


 やっとの思いで振り返った芽衣。


「なによっ、今準備で忙しいの。見てわからない!?」


 また芽衣は作業に戻った。


「何の準備だよ」

「外に出掛ける準備よ!」


 荷物を整えると次に鏡の前に座って寝癖が跳ねている髪を丁寧に櫛でとき始めた。


「これまたなんで急に?」


 髪を両脇で止め終えると、またずいっと俺に近づいて唇が触れるすれすれの距離まで顔を近付けてきた。


「アンタの従姉妹を探すために決まってんでしょ!? よく小さい子をほったらかしに出来るわね、その神経分からないわ!」


 唾が全部かかる。……何だそう言う事か。


「そう言う事かって、何でそんな呑気な事言っていられるのよ? 今、この辺りに公共物を破壊する変態がうろうろしてるってのに!」


 公共物を破壊する変態? ……なんだそれ?


「言っとくが、その従姉妹は俺達より年上だぞ?」


 何百歳もな。……完全に信じている訳ではないが。


「はぁ?」


 芽衣は俺の言葉を聞いて手を止めた。


「じゃあなに、アンタはその年になって年上のお姉さんにピクニックに連れていって貰ってたの?」

「まぁ、そうなるかな?」


 正確には全然違うが、この際面倒臭い話は省いた方がいい。


「ぷっ……」

 

 急に頭のネジが外れたかの様に笑い出した。


「おい、また家族起こしちまうだろうが」


 それでも彼女の甲高い笑いは止まらない。


「…………」


 暫く黙って能天気な笑い声を聴いた。あの時間ほど殺意に満ちた時間はこれまでもこの先もないだろうな。



「大丈夫だよ、両親は共働き、可奈子は夏期講習。今、この家には私とアンタしか居ないから……くくっ」


 やっと笑い声が鳴り止んでまともに会話出来るようになった。


「まだ笑うか」

「いやーごめん、ごめん。まさか硬派で売ってるアンタが年上のお姉さんにピクニックに連れていってもらうなんてスケジュールがあるなんて想像出来なくってさ」


 笑いすぎて腹が痛いのか芽衣はあれからずっと腹を押さえている。


「別に売ってなど居ないが」


 拳を強く握って今にでも爆発しそうな怒りを何とか抑え込む。


「ギャグじゃないよね?」

「あぁ、大マジだ」


 改めて確認する意味などあるのだろうか?


「そっか……」


 と天井を見上げる少女。


「ぶっ」


 ギラリと女に視線を刺す。


「嘘だよ。全く、アンタにこんなに笑わされるなんて思っても見なかったよ」


 ふぅ……と小さく溜め息。


「そんな事どうでもいいからさっきの公共物を破壊する変態ってなんだ?」


 あからさまに驚いた顔を見せる芽衣。


「アンタ、知らないの? あんな爆音がしたのに……」

「だから俺は今さっきこの辺りに帰ってきたばっかりなんだって」

「あっ、そう言えばそうだったね。了解、この優しい優しい芽衣ちゃんが説明してあげよう」

「頼むよ」

「……っとその前に」


 また立ち上がる。


「今度はどうした?」


 芽衣は腹を押さえたまま前屈みで部屋の出口に向かっていった。


「アイス食べ過ぎて、お腹こわした……」

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