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第六色 不穏な気配と記憶喪失の彼

 急に降りだした小雨の中、覚えのない外国人に流暢な日本語で話し掛けられ、我に返った俺は改めてこの状況に違和感を持った。

 うちの前でこの界隈ではまず会うことのない人種がうちのチャイムをまさに押そうとしている。

 ただそれだけなんだが、この違和感はなんだろう。


「…………」


 隣の吸血鬼は家の方を見つめたままだんまりを決めてピクリとも動かない。


「あのぅ、司鷹さんですよね?」


 俺が突っ立ったままでいると外国人美女は不安そうに俺の顔を覗いた。


「ああ、すいません……そう、ですが」


 最初に感じた違和感など彼女の声を聞くと、直ぐに消えてしまいパンクして一回転する度に不快な音をたてる自転車を押して、彼女に近づいた。この時既に、吸血鬼少女は俺の近くに居なかったらしいがこれも後になって知った事で、この時は鬱陶しい少女の事などこれっぽっちも考えてはいなかった。


「良かった……。ちょっと、お時間よろしいですか?」


 その彼女の美貌に翻弄されていたのか、はたまた単に慣れない状況に動揺していたのか分からないがこの時の俺の行動は実に浅はかだったと言える。 これもやっぱり結果論にすぎないけれど。


「なんでしょうか?」


 見慣れた我が家の前に付くと自転車を停めて改めて、その外国人風の女を舐め回すように見定めた。勿論、これは不審者かどうかを見分けるためではなくただの物珍しさからくる好奇心に動かされているに過ぎない。


「あのー、そんなにじろじろ見ないでくれませんか。恥ずかしいです」

「あ、あぁ。すいません……」


 何をやっているんだ、俺は!


「で。何でしたっけ、貴女の用事とは」


 いつの間にかぶさまな事に何事も無かったかの様に俺は振る舞っていた。自分の事ながら実に情けない。


「これなんですけど」


 女性が見せてきたのはビー玉ほどの大きさの碧色の宝石だった。その宝石は何かをかたどった様な不思議な形をしていて、俺の心を惹くものがあった……目の前の彼女以上に。


「なんですか、これ……」

 この疑問を口にするのよりも早く、身体が勝手にその石に向かって動き出した。これまでの人生において、宝石に興味を持った事などなかったが、物言わぬ死体がまるで自分の魂を欲するかの様に、その手から奪わんとしていた。


 次の瞬間、腹部の上辺り、右胸やや下辺りに鋭い痛みが走った。


 依然と当たり障りのない笑顔を見せる外人を横目に痙攣し始めた手を痛みの元にもっていくとそこにはべっとりとした生暖かい感覚と固い違和感。

 意識が一瞬で遠退いていく…身体の感覚は既になくそのまま外人の足元にガラガラと崩れていった。思わず支えを取ろうとしてその見るからに華奢な真っ白な素足を掴んだ。

 ……冷たい。死人の様に冷たくどこにも生を感じない。まるであの似非吸血鬼の様に。


「穢れた血の分際で私に触れんじゃねぇ!」


 上の方から罵声が聴こえてきたかと思うと見事な体幹使いで脚払いされた。ついに地面に叩きつけられ這いつくばる。

 ……遠くから聞き覚えのある声が俺を呼んでいる気がしなくもないが、俺の視界に映るのは不気味なほど真っ白な脚と、真っ赤なハイヒールだけ。

 まだアスファルトは昼間の温かさを持っていて、なぜかやけに熱く感じた。目の前でいくつもの雫が地面に刺さって飛び散る。


 自分の血がアスファルトを侵食した頃に俺の冷たい身体は天を見上げていた。身体を持ち上げられたのか俺の視界は目まぐるしく変化する。

 こんな痛みを味わう位だったら気を失った方がどれ程楽か…。


「ちょっと血ぃ混ざってはいるが……。見当違いか、けっ!」


 意識の朦朧とする中、なぜか俺はあの吸血鬼モドキの少女に助けを求めていた。

 そのままゴミの様に道の隅に投げ捨てられついに視界も霞んできた。雨もだいぶ強くなって血に染まったアスファルトを綺麗にしていく。なんとか視線を手元に持っていくと血が滲んで汚い絵の具の様に……。


 ありえない。

 そこではまさに人智を越えた事が起こっていた。どこからともなく流れる血が逆流して俺の身体を這っていた。


「な、んだ……これ…」


 思わず声が漏れる。雨で溶かされた血が意志があるかの様に、生きているかの様に動いていた。蛇の様に俺の身体を這いずり、傷の中に消えていく。


 一瞬辺りが光に包まれたかと思うとそれに続いて耳を轟音が支配する。一気に足元の地面に多数のヒビが入ったかと思うとバキリと小さく鈍い音がしたかと思うと、とたんに地面が崩れ始めた。

 しかし残念ながら俺の気力はここまでしか持たなかった。

 

 最後に眼に映ったのは顔に真っ赤な塗料を塗りたくった顔面蒼白な少女一人。



 湿っぽい地面。頬に貼り付く濡れた髪。霞む視界―――。

 暗闇から目を覚ますとまず、俺を支配していたのは全身の痺れだった。幸い五体満足で深夜の街灯の下、マンションの植木壇に寄り掛かって気を失っていた。すっかり雨も止んでしまってあの厚い雨雲も消え、儚げな光をぼんやりと星々が満天に広がっていた。


「ん、なんでこんな所に……」


 うまく動かせない手を精一杯の力でポケットにつっこんで携帯をだす。携帯に着けていた誰から貰ったのか分からないようなストラップを除いてほぼ無傷の携帯を開く。

 午前3時24分。

 ……いつの間にか日をまたいでいた。取り敢えず最近お決まりの小さな吐息混じりの溜め息をついて改めて空を見上げた。するとぴとりと鼻頭に雫が垂れて小さな雫が更にいくつもの雫となって地面に打ち付けられた。


「冷て……」


 暫くすると身体も自由が利くようになってきた。身体も十二分に調子が良い…これ以上に無いベストコンディション。

 起き上がって自分の全身を確認するとジャージの腹部辺りが何かで真っ赤に染まっていた。所々が破れていて覚えの無い傷が不気味。一瞬、自分の血かと恐々と身体を見渡したがそんな大量出血するような傷も痛みも全く無かった。


 こんな不気味なジャージ、棄ててやろうかと思ったが実はこれを脱ぐと半裸なのでどっちにしても不審者ぶりは拭えない。そう悟った俺はこんな夜中だし、他人と会うことも無いだろうと真っ赤なジャージをそのまま着用することにした。

 辺りの様子を見ながら記憶の糸を手繰り寄せたが結局、この数時間の記憶はすっぽりと抜けたままとなる。このせいで後々とてつもなく面倒臭い厄介事に捲き込まれるなんて、予感はしていたが。


 簡単に俺の置かれた状況を説明すると、自分がこんな夜中に雨の中こんな所で寝ていたのか分からない。端に言ってしまえば今日の夜に関しての記憶が無く、軽い記憶喪失になっていた。

 俺の記憶の最後は自転車に乗って吸血鬼モドキの少女とこの街にピクニックから帰ってきた辺り。

 確か途中で自転車の後輪がパンクして押して帰っていたような、ここら辺から記憶が曖昧になってくる。

 ……そう言えばアイツの姿もない、な。



 辺りの様子を伺う限りここは家からそう遠くない場所の様だ。見覚えのあるゲームセンターが住人が寝静まる時間であると言うのに煌々と看板をライトアップさせている。実に清閑を壊す灯りだが今回となっては見覚えのあるその建物が唯一の手掛かりだった。

 だがこのゲームセンターは数える程しか行ったことがなく正直、迷子未遂な状況にある。住宅街の様子を見る限りはうちと同じ地域の筈。


「この姿で日の出を待つのは……まずいな」


 常識的な考えの元、取り敢えずは家に帰ろうと言う事になった。

 この真っ赤な(事実から目を背けていたかったがこのベットリと貼り付く嫌な感じと、鉄臭いところから察するにほぼ間違いなく血であると言う結論に至っていた)ジャージ姿で住宅街をうろうろしていると色んな人に厄介になりそうだったので出来る限り人目のつかない道を選んで帰路につくことにしたのだ。


 迷子になりながらも東の空が明るくなってきた頃には家付近にまではこれた。が、まだ早朝だと言うのに五月蝿いサイレンを響かせて警察のパトカーやら救急車が家までの道を塞いでいた。

 ちらほらとまだ寝巻き姿の近所の住人も集まり出している。

 こんな人のいる中には入れない、どうしたものかと頭を抱えているとやっぱり地元民しか知らない路地を寝巻き姿で通っていく、よく見知った顔が見えた。

 俺がその姿に唖然としていると相手も俺に気づいたのか片手に握られたコンビニ袋を風に踊らせながらその距離を縮めてきた。


「ちょっと、待て…」


 全身がハッキリと確認できるくらいの距離になってから相手の動きを両手で止めた。素直に彼女も脚をピタリと止める。俺の全身を見るとその表情が一瞬で豹変した。


「どうしたの……そ」

「何も言うな。後で事情は説明するから、まずは家に匿ってくれないか?」


 彼女は相変わらずアホみたいに俺の姿に驚愕しているがコイツはきっと俺を助けてくれる、そんな気がした。


「…………」


 俺の言葉を聞くと一回携帯を取り出して何やら画面を数分凝視した後に画面と交互に俺の顔を見て一瞬、空を見上げてから携帯を閉まって俺の言葉の返事を返した。



「りょーかいっ!」

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