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第四色 彼の同情と彼の過去の夏

「またそうめん……いい加減飽きたぁ」


 ぶつぶつと文句を言いつつ着々とざる内のそうめんを口に運んでいくにわか吸血鬼。


「黙って食え、今月は色々出費があって火の車なんだ。協力しろ、アリス」


 愚痴をこぼす小学生をあやしながら、残り僅かになったそうめんを喉に通す。既に日は沈んでいると言うのに室内は蒸し風呂の様に暑い。


「暑い……。クーラー、点けたいなぁ」


 少女はざるの中にそうめんがないと知ると途端に床に突っ伏して、ダルさをアピールしてくるのだった。その姿は長寿の威厳や尊厳とはかけ離れたまさしく等身大の子供だ。


「俺が点けるとでも思うか?」


 食器を台所に持っていこうとすると何処からか聞き覚えのあるメロディーが聴こえてきた。


「何か鳴っとるぞぉー…」


 フローリングの床の上をゴロゴロと体を転がして移動するアリス。携帯を取ろうと塗装が剥がれてかぴかぴになった鞄に手を伸ばすと、冷たい小さな手に手首を捕まれた。

 腕の伸びる元を見ると満面の笑顔を浮かべた少女が一人。


「えへへ…アイス、食べたい!」


 そうめんを食った後に冷たい物を胃袋に入れたら確実に腹を壊すが、そんな事、子供吸血鬼には関係ないのだろう。と言うか消化器官と言う概念の存在すら怪しい。


「……勝手にしろ」


 俺がそう口にした途端、飢えたハイエナの様に冷凍庫に向かって走っていった。


「代わりに風呂の後に食うなよ?」


 やっと携帯を手にして待ち受け画面を見つめる。新着メールが一件。


「えぇー!? そんなの詐欺だよー!!」


 ドタドタと俺の所に来て真っ赤なアイスをかじりながら事の不当性を主張する。


「アイスは一日二本だって約束したろ?」


 メールの送信者は金澤。内容は……ない。


「……ったく仕方ねぇな」


 そばにあった薄手のジャージを手にして携帯を閉じた。


「ねぇ、聞いてるの!? もう一本食べたい!」


 既に氷の塊は溶かされ本体の棒をあらわにしていた。


「ちょっと出かけてくっから、風呂入っとけなー」


 玄関に向かおうとするとまた手首を捕まれた。


「どこいくん? またろーどわーく行くの?」


 ついに少女はアイスの棒までバリバリと食べていた。人間じゃねぇ、いや確かに人間ではないがこうしていると本当にどこか外国の少女にしか見えなくて、たまに相手が人間じゃない事を忘れてしまうのだ。


「いんや、ちょっと友達に呼ばれてなー。あー…でも、ついでに走ってくるかも」

「そっかぁ…。…分かったー」


 と訊いてきたくせに素っ気ない返事をして洗面所に向かっていった。

 何と無く少女の振る舞いにうっすら違和感を感じながらその背中を見届けた。ふと洗面所に消えた少女の頭だけがひょっこり姿を現した。


「アイス、もう一本!?」


 ……まぁガキの考える事なんてアイスと飯の事くらいだ。


「…足し算くらい勉強したらどうだ?」


 あからさまに嫌な顔をして消えていく吸血鬼。浴室のドアが開く音が静かに響く。



 最近買ったばかりのトレーニングシューズを履いて颯爽と飛び出たは良いが外も室内以上に蒸し風呂状態だった。立っているだけで毛穴全開。

 どうやら地球温暖化は着々と深刻化しているみたいだ。


「……あっつ」


 いつも通りの道を辿って目的地に向かう。ジャージが肌に貼り付いて不快感マックスだがこれも夏の醍醐味と言えよう。

 きっと夏も終わりに駆けてラストパートを掛けてきたのだ、風は皆無で只々汗は滝の様に流れ続ける。…体重また落ちそうだ。

 ようやく目的の場所に辿り着いて足を止めた。


 ……公園。閑静な住宅街の真ん中に作られた何の変哲もない児童公園だ。最近塗装が塗り替えられたブランコや小さな砂山が出来た砂場、ジャングルジムだって至って普通だ。


 どこからか何かが風を切る音が聴こえる。何度も何度も繰り返し。

 息を切らせながら道の途中で買ったコンビニ袋をぶら下げ、目的の人物を探す。

 

 人気は全くしない。こんな夜中だ、勿論子供なんていないし酔っ払いのサラリーマンもいない。公園を囲むように植えられた木々から微かに蝉の鳴き声が聴こえる。

 蝉は一足早く夏を終わらせる気なのか例年より聴こえる数が圧倒的に少ない。

 

 去年の今頃に比べれば。


「……おい」


 その男は公園の隅の方で野球のバットを振っていた。素振り。誰がどう見ても素振りだった。


「ん、やっと来たか」


 男は俺の存在に気付くと素振りを辞めてその真っ赤に火照った顔を俺に見せた。


「…おっす」



 近くのベンチに座って夜空を見上げた。星は全く見えない。


「あぁー…運動の後の水は最高だな!」


 男はベンチに置いたコンビニ袋から一本98円の飲料水を取り出して口にしたり体にかけたりして身体を冷やしていた。ふと公園の水飲み場を探したが俺が見る限りどこにも無かった。

 俺等が子供の頃は良く水をかけあって涼んだものだが。


「さん…きゅっ!」


 と立ち上がってまたベンチの前で素振りを再開した。


「……で、何の様だよ」


 男は先の暗闇を見つめたまま顔を真っ赤にしながらバットを振り続ける。


「用って用は……無いん……だが…っ」


 空になったペットボトルを片付ける。


「…おい、これでも一応受験生なんだが…」


 また小さく溜め息。すると何かが足に当たった。街灯に照らされて表面を光られるそれは土の匂いが冷たく喉を刺した。


「…まだ持ってたのかよ、これ」


 男の方を見るといつの間にかバットを地面に置いてグローブを右手にはめていた。


「…まぁな。…久し振りに…やんねぇか、キャッチボール」


 一瞬、家に置いてきた金髪の事が頭にちらついたが丁度動きやすい格好もしていたので彼の提案を受け入れた。

 勉強漬けのストレスも少しは発散出来るかも。



 彼のボールは一直線に俺のグローブ目掛けて飛んできた。バシッと乾いた音が辺りに響く。腰を挙げてボールを返す。


「まだ現役だな。…ほら」

 

 ふわりと先に立つ音にボールを返す。


「…………」


 男は黙ったまま二球目を投げた。次は少し右にカーブして俺のミットに吸い込まれる。


 久し振りだ、この感覚。あの頃の思い出は随分色褪せていたけれどまだ俺の中では宝物の地位を獲得していた。


「ナイスボール」

「…………」


 やっぱり男は無言で鋭いボールを投げ続けた。まるで今までの互い違えた時間を取り戻すかの様に。黙々と投球を続けるのだった。

 何だかんだ30球近く投げ込んだところで男も音を上げた。



「……なぁ…」


 男はまた水を喉に流し込みながら話す。


「……ん」


 二人とも汗だくで最後の方は力任せの投げ合いになっていた。


「…何で野球辞めた?」


 静かに話すニキビ面の坊主。


「………」


 俺は沈黙を守った。


「まぁ、いいや。……じゃあ、なんでまた走らない?」


 グシャリとペットボトルが握り潰される音がする。


「……病気だ…。心臓の、な…」


 もう一本の飲料水の口を開けた。


「……嘘だな、春樹」

「………」


 また沈黙。


「……俺も嘘をついた…なぁ、春樹?」


 二人でベンチについて前を見つめ続ける。決して視線が交わることはない。


「…だろうな。あの怪我でこんな球は投げれない」


 ボロボロのキャッチャーミットを見ると一匹の蟻がその上を闊歩していた。ちょこちょこと生地の縫い目を器用に歩く。


「……怖かったんだ。また期待を背負うのが…怖かったんだ…」

 

 彼が空のペットボトルを公園に設置されたごみ箱に投げると綺麗な弧を描いて縁に当たって地面に落ちた。


「………」

「今なら何でお前が野球辞めたか、少し分かる気がする」


 はぁと大きな溜め息をついて俺の方を見る。しかし視線は合わせない。


「……そうか」


 彼の言う意味が分からない訳ではない。しかし彼の言う事を認める訳にはいかない。


風切かざぎりの奴ももしかしたら――」

 

 彼の言葉を最後まで聞かずに口を挟んだ。


「そんな事を言うために俺を呼んだのか…?」


 思っても見ない返しだったのか、そう言うと彼は立ち上がって俺に立ち向かった。


「おま…っ…。そんな事って…ないだろ…」


 彼の握られた拳が小刻みに震えていた。俺はそれを座って見ている事しか…出来なかった。


「…いい加減、過去の栄光にすがり付くのは辞めろよ…」

「……は、どうした急に…?」


 男は戸惑いを隠せない。


「いい加減、バカみたいに逃げてんじゃねぇっつてんだよ!!」


 ついに男がキレた。


「てめぇ…!!!」


 胸ぐらを掴まれてついに彼の顔が目の前に見えた。その目にはうっすらと涙が見える。


「怖かった…そんな自分勝手な理由が許されるとでも思ってんのか?ここで俺がお前は甲子園で優勝してんだそれで十分だ、って励まして欲しいのかよ?…どうなんだよ、あん?」


 それでも彼の瞳を見詰め続けて俺は口を走り続けた。その後、ゴツくて真っ黒な拳が俺の顔を殴ったのは言うまでもない。


「ダチでも言って良いことと悪い事が…」

「その減らず口を利く暇があるなら英単語の一つでもその空っぽの頭に入れたらどうだ?」


 その言葉を聞いて彼の拳がもう二発程俺の頬を傷つける。口の中をいくつも切ってしまった。


「……もう十分かよ、伝説のピッチャーさん?」


 また彼のたくましい腕が俺に向かって一直線に飛んできた。


「春樹ぃぃいい!!!」



 ……それからの事は憶えていない。ただ意識を取り戻した時には既に空は太陽が昇っていて身体中に激痛が走っていて、俺の隣にはボロボロのキャッチャーミットと金髪少女が立っていた事だけは言っておこう。

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