第三色 過去の栄光と彼女の約束の接吻
「……おう」
取られたイヤホンを受け取ってポケットにしまう。別に彼女を蔑ろにまでして聴きたい曲でもない。
「…元気ないねぇ…」
これまた素晴らしいブロンドヘヤーをお持ちの少女は奇抜なデザインのバッグから教科書やら筆入れなんかを出しながら俺に微笑を見せる。
「…今日に始まった事じゃねぇ」
彼女の方には視線をやらずに依然と閑散とした前方の席達を見渡した。
「…うん……」
俺の聞き間違いでなければ今の彼女は過去のそれと随分と相違あるものだった。
「喉、もう大丈夫なのか?」
うん…と何とも歯切れの悪い返事を返す金髪少女。
「やっぱり楽器は吹けないけどね」
とあからさまな苦笑いをした。見なくなって分かる。
「そっか…」
それでも彼女とは目を合わせたくなかった。
「日常生活には支障がない程度までは回復したって…。まだ大きな声とか危ないらしいんだけどさ」
すると肩に生暖かい感覚を感じた。
「やっと顔、合わせてくれたね?」
振り向くと俺の頬に細長い人差し指が触れた。
「………」
ニッコリと当たり障りのない笑顔を振り撒いて頬に当たる指に力を加える。
「ぶにゅーぅ…」
瞳の奥には父方の血が残っていてボンヤリと蒼混じりのグラデーションをしている。
暫くそんな他愛もない会話をした。
「ほーれ、席に…って流石に着いてるか。…出席とるぞー」
扉の古錆びた音と共に姿を現した初老の男はマイクを取り出して出席を確認し始めた。
一時期は学校の名を背負って戦っていた戦士達の名が次々と呼ばれていく中、終始俺は彼を見つめていた。
「司鷹、居るかー」
我に戻って自分の存在を伝えた。しかし彼は俺の日常にはかけ離れた存在でなぜ彼がここに居るのか理由が見当たらなかった。
「えーっと…こんな感じでお願いしますね」
さて、こんな感じとはどの様な感じなのかさっぱりだが特別教務主任の男がそう言うと彼は前にでて挨拶を始めた。
「五組…風切悠斗。宜しく」
この学校でこの名を知らない生徒は間違いなく居ない。もしかしたら全国の高校でもそんな生徒は居ないのかもしれない。
風切悠斗…その名を全国に轟かせたのもそんな昔ではないと記憶している。彼が全国高校サッカー選手権で決勝戦で異例のハットトリックを成し遂げた次の日の学校の噂は彼の事で持ち越しだった。
一時期は校門前にマスコミが大量に押し掛けてきたとかそんな事も少なからずあったのだ。
一躍時の人となった彼は大学には進学せずにそのままプロになるとかメディアは報じていた様な気もする。
そんな負け組の俺等とは無縁の彼が何の用か…見当も付かない。
彼が教務と講堂に入ってきてから一帯はざわつきを止めなかった。つまりは皆そんな反応をせざるを得ないほど彼はこの学校のスターなのだ。
「あの……」
ふと後ろの方からひ弱そうな声が聞こえた。このざわつきの中でよくそんな声が通るなと思ったら元野球部のエースだった。
「…なんだ、金澤」
そのまま立ち上がって彼は近くのマイクを取った。
「なぜ…風切君がここに…」
……至極当然の質問だった。
つまりはこう言う事だ。彼、奈耶麻高校のエースストライカー風切悠斗はサッカーが出来ない身体になってしまった。
簡単な事だ…交通事故による下半身不随。彼のサッカー人生はここで潰えた訳である。
そもそも彼が交通事故にあった事すら聞いていなかったし、車椅子に乗った彼の姿を見たのも初めてだ。
俺が教務の口から出る言葉に唖然としていると隣の彼女は言った。
「風切君の事…知ってた?」
小さな声でそっと呟く。勿論知らない。
首を横に振ると気の毒そうに車椅子の戦士に視線を戻した。
「今まで風切の事を君達に報告しなかったのは彼の要望でもあったのでな。…それにこんな事が世間に知られればまたマスコミの良い餌になっちまうしなぁ」
がしがしと不精そうに頭を掻いて彼を指定の位置に移動させた。丁度授業のチャイムが鳴る。
未来の栄光を約束された男は今や自分一人では満足に移動する事も出来ない身体になってしまった。もしかしなくても不憫に思われるだろう、世間からは憐れみと悲しみの視線をうんざりする程プレゼントされる事だろう。
しかしそんな苦しみをその肌で感じてきたのがこの講堂にいる生徒達なのだ。誰も憐れみの視線なんか送ってくれない。
あぁ、君もか。君も世界の不憫さを呪うが良い。と俺は彼に言ってやりたい。
きっと後ろに固まった彼等もそう思っているに違いない。彼等も栄光を一回は掴んだ人達なのだから。ただ掴む力が少し足りなかった。それだけ。
いつの間にかこの否みな程冷房の効いた部屋で、逃げ続けた勉強と向き合わなくてはならなくなっていた。
他にも道はあるのか…それすらも見失ってしまったのだ、自分の後光で後ろに潜む影なんて全然気づかなかった。
彼がこうして我々の前に姿を現したと言う事はそれなりの非難も願ってもない同情の嵐にも立ち向かうと言う覚悟があっての事だろう。
考えもしなかっただろう、自分がこんな連中と薄暗い部屋で勉強させられるなんてな。
今日の講習は午前で終わってしまった。終わりのチャイムが響くと同時に車椅子に集まる一部の同情のメンバー。
少しは居るんだな、こう言う奴等も。
俺が帰りの支度をしているとまた金髪少女が話し掛けてきた。
「久し振りに一緒に帰らない?」
彼女は既に鞄を手にしていた。
「アランは良いのか?」
「何が?」
惚ける少女。
「何がって、風切だよ…。お前、結構好きそうだったじゃん。アイツの事」
嫉妬でも何でもない。風切は全校生徒が認めるスターだ。
……いや、正確にはだった。かな。
彼のファンだって多く存在して可笑しい事はない。
「あぁ…風切君ねぇ…。あんなろくに歩く事も出来ないスターに興味はないわ」
素っ気なく傍目に周りのファンと思わしき女子に囲まれた風切を見た。やっぱり彼の顔は笑っていたけれど、目には取り巻き達すら映っていない様だった。
「…冷たいな、お前」
確かにアランの言う事も分からなくもないがそれは言い過ぎな気もしなくもない。
「世間なんてそんなもんでしょ…っ」
そう言って先に講堂を後にした。俺はその言葉に返す言葉が見付からずにただ呆然とその場に立ち尽くしていた。そんな事分かりきっていたつもりだったのに…。
「春樹はどこの大学に行くことにしたの?」
アランとの帰り道。相変わらず燦々と降り注ぐ日差しが肌をと言うか影を貫く。更にアスファルトの照り返しのオマケ付だ。
「ん、んー。まだイマイチ決まってない…今の成績じゃ、卒業出来るかも怪しいしな」
喉が渇きすぎで焼けそうだ。早く帰ってアリスに昼飯を作らなくちゃいけないのに、その前に俺がぶっ倒れそうだ。
「…飲む?」
アランが差し出したのはそこいらの自動販売機で買える普通の飲料水だった。しかし今の状況がそれを命の綱と眼には映し出される。
「…わりぃな」
とか言って一気に中身を飲み干した。冷たい液体が全身に広がっていく。
「…やけに冷たいな…」
この暑さなら氷が入っているならまだしもただのペットボトルじゃ直ぐに中身が緩くなりそうなものだが…。
「まだ足りない?」
そう言って全く同じ飲料水を鞄から取り出すアラン。中身の量とかもさっきのと似ている。
「…いや、もう大丈夫だ」
この暑さでボケただけだな。とにかく早く帰ろう。
「…私…国立大を受けようと思ってるの」
急に真剣な口調で話し始めた。
「…いいんじゃねーか、アランなら行けなくもないだろ?」
額から流れる汗が目に滲みる…。
「へへ…ありがと…自信ないけどさ、頑張ってみるよ」
空には雲一つもない。あるのは真っ青な空と直視できない程輝く太陽だけ。
「だから春樹も頑張って!」
そう言ってその場にピタッと止まった。
「ん…どうし…」
俺の頬に柔らかい感触が当たる。少し暖かくてしっとりとした感覚…。一瞬何が起こったのか分からなかった。
「しょっぱいなぁ…。じゃ、私今日買い物して帰るから!また明日ね!」
そう言って翻して灼熱のアスファルトの上を駆けていった陽炎に消えていく金髪少女。
「………」
急に何なんだと言う疑問と共に俺の頭の中はあの柔らかい感触で一杯になっていた。
暫くその場にボーッとしていると何者かに袖を引っ張られている事に気付いた。
我に帰って視線を下げるとそこにはまたしても金髪少女(小)が眉間に最大級の皺を寄せて、嫌悪感剥き出しで口を開けていた。
「遅い!早く昼飯を作るのじゃああ!」
ポコッと腰を殴られた。少し痛かったが子供の駄々を聴いても何とも思わない程、俺の頭の中はあの淡い感覚で一杯だったのだ。




