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第二十二色 彼女の苦痛と彼と彼女の共通点

「貴方がまだ野球部だった頃、金澤くんとバッテリーを組んでいた頃だよ。あれも暑い夏の日だったなぁ」

「甲子園の二回戦だよ、きっと春樹にとっても忘れられない日だろうね。あの日を境に春樹は変わってしまった。あれは私にとって本当に人生を揺るがす出来事だった」


「あれ以来、春樹は笑わなくなったよね……いや、自由に笑えなくなっちゃったっていうのが適切かな? とにかく春樹の生活からは笑顔が消え去った」

「あの一球は春樹からすべてを奪ってしまった。プロ入りの約束も、掛け替えのない友達も、そして高校生活も」


「責任を感じたメンバーが部室を去って行く日、私は彼を止める事は出来なかったよ。あの時彼を止める資格があったのは、春樹だけだったから」

「誰も彼を責めはしなかった。誰も春樹に失望しなかった。きっと貴方にもう一度、マウンドに立って欲しかったんだよ」


「でも退院した貴方はまるで別人のようだった。何かに取り憑かれたかのように下ばかりを向いて、決して前を見ようとはしなかった。そんな春樹に失望した人は居たかもしれないね。かく言う私もその一人なのかも」

「仕方ない、そんな言葉、貴方から聞くことになるなんて入部試験の時には思いもしなかった。貴方の心臓は確かに動いていたはずなのに、貴方の心はもう死んだも同然だった」


「あの時、彼を責めれば良かったじゃない。誰も彼を攻める事はしなかったけれど貴方にはその権利があったでしょ? でも春樹はしなかった。出来なかっただけなのかもしれないけど、でも最後は春樹自身の意思で、彼を責めなかったんでしょ? 私はそれを誇りに思ったよ、春樹はきっと怪我なんか乗り越えてまたキャッチャーミットを広げてくれるって」


「でも春樹は二度とあのマウンドには帰って来なかった。誰も望んでない、あなた自身だって望んではいなかったはずなのに……。過ぎ去った時間は戻らないね。痛感したよ」

「あの時、私が貴方をもっと強く説得しておけば良かったのかな、今でもたまに考えることがあります。後悔したって仕方ないのに……」


「貴方の退部届けが受理されたあの日、私はマネージャーをやめたよ。私に選手をマネジメントする能力なんかないんだって、喉が潰れて笛が吹けなくなった私を助けてくれた顧問には悪いことをしたかもしれない。でもそこには私の意思はなかった」


「うちの高校で帰宅部なんて数えるくらいしかいないけど、それで良かったんだよ、私は。きっと春樹も帰宅部になって私は貴方の傷を少しでも癒せると思ったから。結局、私も罪の記録から逃げていただけ……なんて今となっては周知の事実だよ。でもきっとこれがわたしの贖罪なんだって割り切ってもいた。春樹の心臓になる事が私の願いでもあり、役目でもあったんだよ」


「だからこそ、春樹が陸上部のトラックを見た時は肩を震わせたよ。どこのどいつに入れ知恵されたのか知らないけど、あの失望の色に染まった顔を太陽の下で焼いている貴方の顔を見てどう思ったと思う? ふん、私だって忘れたわ」


「貴方が何を考えて陸上部に入ったのか、何を考えてあんな女と仲良くしていたのか知らないけれど、私の肩の荷は降りるどころか、日に日に増すばかりだった。毎朝、学校の校庭で部員たちと一緒に汗を流す春樹はただ走っているだけだったね、まるでロボットの様、でも構わなかった。誰にも心を許しちゃいないのが火を見るより明らかだったから。あの時、春樹の気持ちを理解していたのは、断言できるわ、私だけよ」


「どこかに影を降ろしながらただ淡々と地面を踏みつける貴方の姿は憎らしくも美しかったわ。まるであの時の私の様だった。神様から与えられた能力だと信じて疑わなかった力を突然、奪われてしまったあの時の私のようで、どこか過去の私を見ている様だった」

「あの空間に私はいらないときっぱりと貴方から身を引いた。貴方の荷物にはなりたくなかった。高校生らしく勉学に勤しむことにした。私がいなくても春樹は生きていけると、あの悪夢の様な日々を忘れて風になれると本気で信じていた。馬鹿みたいよね、笑ってくれて構わないわ」


「でもあの日、あの高校総体出場を機ににわかに信じがたい噂が私の耳に入ってきたわ。桐原加奈子きりはらかなことかいう女と貴方が恋仲にあるという……ね」

「許せなかったわ、あのずかずかと春樹の心に入ってきて、私の春樹を奪っていく女もそうだけど、なによりあんなに弱った顔して私の高校生活を奪ったくせに、のうのうと陸上部で成績を残し、他の女に現を抜かす貴方の事がね」


「だから私が何をしたと思う? ……何もしなかったわ。その時既にあれから一年近くが経っていたし、そこまで春樹のことばかり考えてもいられなかったしね。そこまで自分が貴方に依存しているとあの時はまだ自覚もしていなかったし」

「でもそれは間違いだった。あの頃はまだ私も未熟だったわ。春樹から何かを奪おうとまでは働かなかった。だって私は奪われた時の恐怖を知っているから。唯一無二の貴方の理解者だったんだよ? あの頃の私はまだ自分の心を支配できていたの……。それが私の今までの人生において初めての汚点」

「ある日、貴方の笑顔を偶然、本当に偶然目にした時、確信したわ。もう貴方は私の知っている春樹じゃないって事を」


「もっと早く気づくんだった。心なんて所詮しょせん、便利な道具に過ぎないんだって。だってそうでしょ? 既に私の武器は高1の頃、奪われたのだから。こんな壊れた私を誰が守ってくれるって言うのよ、武器もないんじゃ戦えない。だから決めたわ」

「貴方の心を奪うって」


 その言葉と同時に耳が壊れそうなほどの轟音を立てて、目の前の壁が二つに割れ始めた。ゆっくりと中からもう一人のアランが姿を現した。しかしその髪の色は真っ黒で瞳も獲物を狩る猛獣のように紅く鈍い。


 俺は甘かった。既にアランは救えぬ境地に達しているのだ。

 異様な雰囲気のアランが現れると、今まで機械のように心のうちを吐露していたアランは塵のように消えてしまった。

 彼女から目をそらさぬようにゆっくりと腰をあげて、二つに開いた先を見据えた。壁の先は闇そのものでこの世のものではない何かが蠢いているさまが伺えた。


「いやぁ、助かったよ春樹。まさか貴方が彼女に懇願して私を助けてくれるなんて、流石私のものね。思わぬ助け舟だったわ」

「アラン、お前……でも」

「私は貴方みたいに死にかけの吸血鬼になんて力を借りたりはしないわよ、もっと高貴で美しく私の心になりゆる存在、女王クイーン吸血鬼」


 アランの姿はもう人間のものではなかった。腕や足は真っ黒に腐敗し、口からはとめどなく鮮血が垂れている。瞳だけがギラギラと光り、異様な光景だった。


「成功したわ、見事に。貴方は陸上部をやめ、やがて私との再会を果たした。全てが私の計画通り。恐ろしいわ、私の才能が!」


 そんな友人の突然変異を目撃したにも関わらず、意外にも俺の心は落ち着いていた。久しぶりかもしれない、こんなにも他人に憎悪の念を向けられるのは。こんなにも他人の本心を近くに感じたのは。

 思わず笑みが溢れてしまった。


「なにがおかしいの?」

「いや、お前も俺と同じなんだって思ったら笑えてきて」

「なにを言っている、私と貴方では絶望的な戦力差がある。埋め合わせがきかないほどに」


 化物は口から頼りなく溢れ続ける血を腕で拭って、そのまま舌で自身の血を舐めた。真っ黒な唇を舌なめずりする。


「だからこそ、さ。自分の力に、才能に自信がないのさ。だからたかが四分の一しか吸血鬼化していない実力的には足元にも及ばない相手に対して万全を喫している。違うか?」

「ふん、戯言を。私は心などとうの昔に殺したさ。恐怖など、ない」

「どうだかな? 恐怖を支配したお前と、恐怖と共にある俺、どちらが強いか。結論は目に見えていると思うがな?」

「さぁ、春樹? 異物は異物同士で殺し逢いましょう?」


それを言うのが早いか、彼女は一瞬で俺との間合いを縮め、凶暴な拳を俺の顔面目掛けて振った。間一髪、それを交わして彼女の懐に入ろうとする。しかしそれを見事に回避して俺の腹部に強烈な膝蹴りを入れた。


 そのまま地面に仰向けで倒れると、そのまま俺の顔面に拳を何十発も入れる。既に内蔵は破裂して、人間の顔面の形を保っていないだろう。でも不思議と痛みを受け入れることができた。この痛みこそ、俺が逃げた事によって生まれたもの。生まれたものは生まれた地に戻ってくるのだ。


 遠くに彼女の咆哮の様な鳴き声が聞こえる。拳の中に生暖かい涙の様な物が混じっているような気もした。きっとまだ彼女の人間性は生きているとそう確信して俺は死ねるのだ。これほど幸せな死合わせがあるだろうか。


 痛みに耐えながら俺はアランの笑顔を思い出した。彼女の笑顔を黒く塗りつぶしてしまったのは俺で、今俺の笑顔の可能性を潰しているのがそのアラン。

 実に皮肉だ。彼女が見たいと願っていた俺の笑顔はその彼女自身に殺されるのだから。


どれほど経った頃か、やっと彼女の猛攻が止まった時、俺の感覚などとうに消えていた。滅んでいた。あるのは微かな意識と心臓の鼓動だけだった。

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