第二十色 拙い追憶と彼女の高貴なる野望
またしてもあの廃校舎に俺と眠り姫と吸血鬼はいる。俺はこれほどまでの頻度でここに通っている事実についてなにか不思議な縁を感じ始めていた。
相変わらず窓は割れ放題、机はカビだらけ、床には穴が開いていた。今回、籠城している教室はあのアリスと再会した部屋の丁度一個下の部屋だった。しかしどの部屋も既に人の生活できる環境ではない。
「おぉ、なかなかやるじゃねぇか。気持ちいいぜ」
吸血鬼の肩はやけに凝っていた。始めは鋼でも揉んでいるのかと思うくらいに硬かった。しかし不思議なことに同じ吸血鬼である、アリスに比べて妙に身体の作りやほんのり感じる体温が人間に似ているのだった。
「ったく、助けてもらったのは有り難いが、俺はまだお前を許しちゃいないんだからな?」
吸血鬼は俺の言葉を聞いて意味深に深い溜息をついた。
「許すも何も、あの女はもう生き返ってんじゃん。何が気に食わないんだよ」
薄汚い床で横になっているアランに視線を向けた。静かに胸を上下させて寝息を立て、死んだように寝ている。
「……こいつ、俺と同じだろ?」
アランを起こさないように、彼女に聞こえないように俺は子供の吸血鬼の耳元で小さく呟いた。
「よく分かったな。こいつももう人間じゃない、っつてもこいつの中に混入した吸血鬼性はほとんど皆無に等しいけどな」
しかしアランはお構いなしに声を張り上げて大きく言った。薄暗くかび臭い教室に彼女の声が響き渡る。
「やっぱり。アランももう、完全な人間には――」
「そんな事はねぇ、な」
ピシャリと俺の言葉を遮ると吸血鬼は肩に乗った俺の手を振りほどいて、立ち上がった。振り返って背伸びして俺と視線を合わせる。
「暫くしてりゃあ、混ざった吸血鬼の血も薄くなって元の人間に戻れるだろう。王族の血を人間様と一緒にされちゃあ、困るな」
そう言うと、肩に掛った髪を振り払いながらはにかんで、サッシの錆びた窓際に立った。その姿にあの少女の姿が思い出される。東の空からの明るさでなんとか彼女の行動を知ることができた。早朝と言う事もあって、窓から入ってくる風が肌を刺す。
「…………」
アランの寝姿に俺は何も言う事が出来なかった。いくら見た目が人間であるとはいえ、今彼女は一部吸血鬼と化している。それは俺の責任でもあり、目の前に座る吸血鬼によっておこされた事。しかしもし吸血鬼が居なかったら、俺も今ここにはいないはずだし、アランが生き返る事もなかった。そう考えると怒りの矛先はどこにも向ける事が出来なかった。
「それはあの糞忌々しい化物どもに向ければいいんじゃねぇか?」
とにやりと笑って吸血鬼は窓の外を指差した。俺も窓から辺りを見渡すと、この廃校舎の周りに早朝にしては不審なほど、多くの一般人が集まっていた。人々は何をするわけでもなく、ただその場に立ち尽くしている。共通点の類は一切確認できない。
「なんだ、これ?」
「まぁ、いいや」
俺の質問には答えようともせずに、無視して吸血鬼は近くにあった足が一本折れている
椅子に深く腰掛けた。
「オレはルブ=アルファンスア=ジ=シリア。性別は人間で例えるならオンナ。霞のおねぇさん、だ」
吸血鬼は遠い目をして言葉を続けた。
「ネタ晴らししちまえば、オレは薫お姉様の妹にあたる。つまり、次女ってこったぁ」
「急にどうしたよ」
俺は不信感を募らせながら彼女の言葉に耳を傾けた。
「いや、ね。もし、お前だったらどうしてたかなって、さ」
彼女の自分勝手な発言に、ますます頭の中が混乱してきたのは言うまでもない。
「は? な、なにが?」
当然の質問だった。
「まぁ、取り敢えず聞けや。聞けばわかるさ」
そう顎をしゃくらせて吸血鬼は言った。
「敵を知るは戦において基礎中の基礎。これなくして奴を出し抜くことは出来ないさ」
「だから敵ってだれだよ、あと戦いってなんだ?」
俺が質問ばかりしていると沸点が氷点下の吸血鬼は簡単にキレてしまった。
「さっきからうっせぇよ! お前はオレの話を黙ってきいてりゃいいんだって!」
その子供の様な見た目からは想像もできない威圧的な顔も手伝って俺は思わず身を竦めた。
「分かったからそんな大きな声を出すな。アランを起こしちゃうだろ?」
「こんな奴、オレじゃなきゃ絶対助けないけどな。くそっ……」
小さく愚痴を吐いてまた椅子に脚を組んで座った。そのスカートからはみ出る肌の美しさといったら神秘的な物だった。
「とにかく、オレの話を聞いてから文句は受け付ける。まぁ、お前の文句なんか受け付ける気ゼロだけどな」
そんな事を言って吸血鬼は話を始めた。
「オレは三姉妹の次女に生まれた……ってか正確には誕生させられた、だけどな。そんな事はどーでもいいんだ。今回の話の中で、一番重要なのは……ってお前、ウチの王位とか分かるか?」
もうなんか口にしたらすぐにでも突っかかってくる勢いだったので俺は何も言わずただ頷いた。
「なら話は早いわ。ウチは吸血鬼の中でも屈指の権力を持った貴族だ。そんじゃそこらの化物とはわけが違う」
そう言って吸血鬼は外に視線を向けた。空はすっかり明るくなって、遠くに太陽が顔を出している。
「知っての通り、ウチのトップはベルディ=リリィ=シヴァだった。あのばばぁの継承は本来はオレたち三姉妹に平等にあるはずだったんだけどな、オレにだけそれは許されなかった」
「理由は至ってシンプル、オレがあのばばぁに楯突いたからだ。あの日以来、オレは貴族としての位を失って、普通の吸血鬼として生活してたんだわ」
俺は彼女のもしかしたらアリスよりも幼い顔を観察しながら話を聞いた。
「まぁ今回みたいな争いになるのは全然予想可能な未来だったし、オレもそれに今更、加担する気はねぇよ。三姉妹の三つ巴ってのも面白そうだがな、あいにくオレは王位とかそんなんに興味はねぇ。オレは楽しけりゃあ、なんだってかまわねぇんだ」
吸血鬼はまるで自分に言い聞かす様に、一言一言に確かな意思をもって話しているのだ。
外からは鳥のさえずりが、新聞配達のバイクの音が聞こえ始めていた。こんな時間まで一睡もしていないのに、俺の睡魔は全く襲ってくる気配がない。
「じゃあ、なんでこっちの世界にやってきたんだよ」
俺も彼女の意図に分からぬ解説に業を煮やしてついつい質問をしてしまった。俺も声をだしてからしまったと思ったが、吸血鬼はこちらをきつく見るだけで何も言わなかった。
「ってかたぶん霞も王位とか興味ないんじゃねぇかな? 昔からあいつはおねぇちゃん大好きって感じだったからな。オレの事なんか覚えちゃいないだろうがさ」
そういうと吸血鬼は少し寂しそうに笑った。その仕草は外見と口調には全く似合ってない。
「オレは薫か霞か、どちらの味方もする気はねぇ。もしかしたらこの二極化によってウチが滅んじまうかも知れねぇが、そんな事知ったこっちゃぁない。もうオレはシヴァの名前をとうの昔に捨てたんだからな」
でも、と吸血鬼の長ったらしい話はまだ続く。
「オレもここで死ぬわけにはいかない。……分かるか、この意味が」
さっぱり、俺は心でそう答えて首を横に振った。
「だから、さっきからオレたちを囲んでいるのが薫の部下だって意味だよ、それぐらい察しろ」
そんなのむちゃくちゃだ、絶対分かる訳がない。ましてや相手は見た目は一般市民。どんなテレパシーだよ、それ。
「あいつ、『王の心臓』を既にほとんど持ってやがるからな。もう人間は操り人形だろ」
吸血鬼は椅子から立ち上がって身体を動かし始めた。
「その『王の心臓』ってのはそんな事もできんのか?」
その一部が自分の中に宿っていると考えるとさらに恐ろしい。
「副作用さ。本来は死人を動かすためのモンだからな。完璧には動かせないだろ。だから人間が寝ている時間を狙ったのかもしれない」
「なるほど、ね」
やがて彼女はシャドウボクシングを始めた。なかなかの腕前に見える。
「安心しろ。お前にはそんな力は一切やどっちゃいないから。最低でも半分は欲しいかな」
「え、欲しいって?」
「だーかーらー、あいつから奪うんだよ」
「何を?」
「心臓を」
「マジで?」
「マジで」
「本当に?」
「本当に」
「なんで?」
その質問にはだんまりだった。
「あいつらがオレに反応したのか、お前の『王の心臓』に惹きつけられたのか、定かじゃないが、今、外に出れば間違いなくあいつらにフルぼっこだ」
と外を見下ろしながら言う。確かにとてつもない数のぐんぜいだった。細い道は脱力人間で溢れかえっている。
「だったら、瞬間移動とかは?」
俺はアリスを家に帰そうとした夜に経験したあの瞬間移動を思い出した。あれなら外に出ずにここを脱出する事ができる。
その言葉を聞くと吸血鬼はビキビキと音が出そうなほど、顔に怒りを込めて静かに
「このオレに力を使えと?」
そう言って、床のアランを指差した。
「じゃあ、この俺に戦えと?」
俺は自分の拳を握ってみた。頼りない程、力が湧かない。走る事だけには自信があった時期もあったが、それも過去の話。今の司鷹春樹には何もない。あるのは独りの吸血鬼だけ。
「男は根性だろ? っても初心者のお前に洗脳状態にあるあいつらと戦えってのも酷だから、オレが道を開けたらその足で逃げろ。オレは逃げる事が何よりも嫌いだが、この際、背に腹は代えなれない。薫の場所は何とかして聞き出すからよ」
彼女の偽りのないその言葉に俺の心はどこかで悲鳴を上げていた。そんな綺麗事は聞き飽きたと。いままでも逃げる場所なんて俺にはたくさんあったのだ、いまさら逃げる事に躊躇する事はない。そう自分に言いつけた。
「やっぱ、あいつのところ行くんだ……」
俺は相変わらず眠ったままのアランをゆっくり背中に担ぎ上げた。まずはこいつを安全な場所に送る事が第一だ。
「お前もリベンジしたいだろ? お前のお気に入りがあそこまで傷ついたのをみてお前は何も思わねえのか?」
いよいよ準備万端と言った様子で、吸血鬼は臨戦態勢で全開の窓の前に立った。
その姿にどこか俺の想いが引っ張られたのかもしれない。結果論から言えば俺の行動は間違いではなかったが、この時、俺が一体を考えていたのか今になっても分からない。ただ一つ言えるのはあの家で待つ吸血鬼の存在が日に日に大きくなっている事ぐらいだ。
「奪った『心臓』はどうする?」
背中に担いだ重さになぜか顔がにやけた。
「……山分けだ」
その彼女の小さな背中が俺にはどうしようもなく、あの我儘吸血鬼にしか見えなかった。




