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第十九色 破壊と再生

 次の瞬間、その真っ黒な光は辺りの暗闇と融解して中から姿を現したのは、赤と黒のドレスをきた吸血鬼だった。


「…………」


 いきなり無から現れた吸血鬼はだんまりを決めて全く動かない。俺もその吸血鬼の姿を横目で確認するのが精一杯で、立つこともギリギリの状態にまで追い込まれていた。


「あなた、なにも――」

 

 目の前の血塗れのアランが言葉を発しようとした瞬間、鋭い音が辺りに響いた。その後を追うようにビチャリと何かが血の池へ落ちる音。俺の顔に何かどろっとした液体がかかった。それを確認する事はできない。アランは絶句して言葉もでないようだった。


「きっ、貴様……」


 一瞬だった。俺のぼやけた視界に真っ赤な液体が飛び散って目の前の女の姿は無くなり、それを確認するや否や、俺の視界も鮮明な物へと変わっていった。身体中の痛みもきれいさっぱり消えてしまう。一体、何が起こったのか。


 ドクン、ドクン、とまた心臓が俺の身体の中で強く鼓動を始めた。


 俺が呆気にとられて地面を染め上げる血とぐちゃぐちゃに混ざった肉片を見下ろすと、隣に立つ吸血鬼がやっと口を開いた。


「大丈夫か?」


 その冷たく平坦な口調に意識を戻された。辺りを見渡すと変わらぬ景色と異様な光景が辺りに広がっていた。真っ赤なアスファルトに広がる肉片。既に姿・形はなく、元の姿を思い起こすことは出来ない。頭では何が起こったのか大方予想がついていたが、感情が理解をしようとしない。いや、出来なかった。


「あっ、はい。ありがとうござい――」


 俺が言葉を発した瞬間、俺は首を冷たい手で絞められて、そのまま身体ごと持ち上げられてしまった。息が苦しい……。


「貴様、かすみをどこへやった? 返答次第では貴様の喉を掻っ切るぞ」


 その言葉は怒りと悲しみと苦しみといろんな感情が混ざり合っていて、想像もできない程の恐怖を俺の脳へと伝えた。


「いえで、ねている……から。くび、苦し……しん……うぁ……」


 また吸血鬼は俺の言葉を聞くと、安堵の溜息をついて俺の喉から手を放した。そのまま地面に落とされて、俺は思いっきり膝を打った。肺へと空気が入るのと共に俺は膝の痛みに悶えた。


「いっつうぅ……」


 はんっと馬鹿にした様な鼻笑いが聞こえた。

 

「全く、あんな乳臭い女のブラフなどに引っ掛かりやがって……。お前に今、死なれるとこっちが困るんだよ、ったく」


 と言って吸血鬼はTシャツの襟を引っ張って無理やり俺を立たせた。

 目の前に現れた顔。もちろん見覚えがある。あるはずに決まっている。


「なんで、貴方が、ここに」


 あの少女二人の夢に現れた女の子にどことなく似ていて、あのアリスとピクニックへ行ったあの日、俺の家の前に立っていた吸血鬼。


「別に。特に意味はねぇな。たまたま夜の見回りをしていたら、お前が如何にも馬鹿そうな女に切り刻まれていたから、またまた気分の悪かったオレがあの阿呆そうな女を消したってだけだ」

「あの女って……」


 目の前に広がるのは血の洪水とその中に浮かぶ、たんぱく質。


「お前、殺したのか、アランを?」


 今更、沸々と怒りが燃えたぎってきた。心の奥底から憎悪の様な嫌悪感と共に。理不尽な怒りだと理解はできる。でも理解したところでこの怒りは収まりそうにない。その怒りを拳を血が止まるほど強く握ってなんとか抑えていると、吸血鬼は興味無さそうに言った。


「ああ、殺したぜ。ぐちゃぐちゃにな」


 もう、歯止めが利かなかった。俺は口より先に握った拳を吸血鬼の顔面目掛けて、振っていた。


「愚かな」


 その一言の後には俺の拳を握っていた右腕はきれいさっぱり無くなっていた。呆気なく俺の腕は宙を舞って、肉片の仲間入りを果たした。ゆっくりと本来腕のあるべき場所に視線を向けると、その切れ口からは濁流の様に真っ赤な血が流れ続けている。しかし痛みは全くない。


「力の差を弁えた方がよいぞ、若人わこうど。貴様の様な亜流の化物がオレに触れられるとでも?」


 俺はそのまま膝から崩れ落ちた。自分の不甲斐なさに、圧倒的な力の前に。立ち上がる事が出来ない。

 前にあるのは絶対的な壁。アランのかたきも俺の怒りも晴らせない。


「あそこまでされてまだあの女を庇うとは……よっぽどのお人よしか、救いようのない馬鹿だな」


 そのまま吸血鬼の話は続く。


「ったく面倒臭いが一応説明しておくとだな、あの女は完全に死人ゾンビ化していたんだよ。オレのところの部下じゃねぇと思うが多分、いや、間違いなくヴァンパイアの仕業だろうがな。お前も吸血されなくて良かったな、ってお前は既に吸血鬼のなりそこないだからその心配はねぇか」


 軽々しく吸血鬼だの死人だの、この吸血鬼は何を言っているのだろうか。俺の耳には真意が全く伝わってこない。


「一旦、ヴァンパイアの血が身体に入っちまえば、もうお終いだ。生きながらヒトを襲い続ける死人になるか、自我を保って吸血鬼になるか、そのどちらかしかない。あの女に吸血鬼になれるほどの生命力を感じなかったんでね。オレとしてもあの死人にオレたちの餌を食い荒らされるのは心中穏やかなもんじゃない、消させてもらった」

「そんな理由で……」

「あん? なんだって?」

「お前はそんな理由でアランを殺したのか?」


 俺は無意識のうちに立ち上がって、吸血鬼の前に立ちふさがっていた。俺にそこまでさせるのはアランへの想いか、それとも俺の怒りか。


「お前、馬鹿か? あいつはもうダメだったんだぜ? それでお前も殺されそうになっていた。そこをオレに救われた。ならオレにせめて感謝すべきなんじゃねぇのかよ?」

「でも!」


 そんな事、分かっている。分かっていても、心じゃ理解でできない。もしそれを理解してしまったら、この理不尽な怒りを、彼女の死をどこへぶつければいいのか分からなくなりそうだから。

 俺は激情に身を任せていた。まるで化物の様に。


「なんでアランは死ななきゃいけなかったんだ! なんで、なんで……なんでなんだよおおおお!」

 深夜の住宅街にも関わらず、俺は声の限り叫んだ。アランにもこの叫びが届くように。

「…………」


 するとさっきまで饒舌だった吸血鬼は急に黙り込んでしまった。


「俺が間違っているのか? 世界が間違っているのか? なにが間違ってんだよおおぉ!!」


 俺の怒号は続く。しかし吸血鬼は何も言わない、何も語らない。


「アラン、起きてくれよ。返事してくれ」


 無意味に地面に転がる肉片たちに声をかけた。


「くそ、くそ、くそぉおお……なんで、なんでなんだよ、アラン」


 いつの間にか元の姿に戻っていた右腕で近くの外灯を力いっぱい殴った。すると外灯を支えていた柱が曲がってそのまま俺の前に倒れた。パリンと音を立てて、辺りを照らしていた明かりは消えてしまう。アランの身体が下敷きになってまた血飛沫が飛ぶ。俺はそれを見て心底怖いと思った。目から涙が止まらない。顔についた液体が溶けてもう血なのか、涙なのか分からない。


「もういいか、クソガキ? もう涙は枯れたか、あん?」


 俺が暫く黙っていると吸血鬼はやっと口を開いた。


「どれだけ泣いたって、感情をぶちまてたって、壊れた物は戻らねえんだよ」


 そうぶっきら棒に言って、彼女は辺りに散らばったアランの肉片に手をかざした。


「な、にを……」


 またふんっと鼻で笑う。


「今回は特別だ、クソガキ!」


 その言葉と共にまた辺りが黒い光に包まれて、視界が真っ黒に染まる。辺りに広がっていた鉄臭い匂いや生暖かい風がぴたりと止んで、今自分の立っている場所がどこか分からなくなる。

 その不安定な意識の中で俺はどこかで聞き覚えのある声を何度か聞いた。



「おねぇさま! 大丈夫ですか?」

「おねぇさま、大好き!」

「おねぇさまなんて大っ嫌い!」

「おねぇさま、ごめんなさい」

「おねぇさま、ありがとう!」

「おねぇさま、おねぇさま、おねぇさま、、おねぇさま…………」



「――おい、起きろ、クソガキ。なんでお前が伸びているんだ」


 俺が真っ黒な世界から目を覚ますと、そこはアスファルトの上ではなかった。しかし見覚えのある天井、と見覚えのない少女。でも少女はどこか誰かに似ている。


「ここは……っ!」


 身を起こして、辺りを見渡すと俺の隣に寝息を立てた椎名アランの姿があった。どこにも外傷はなく、さっき会った時と同じ服を着て、どこにも血の跡もなく、何事もなかったかのように安心した顔で寝ていた。


「な、んで?」


 理由なんてどうでも良かった。俺は頭で考える前に彼女を抱きしめていた。さっきよりも力強く、もう決して離さないように。その暖かさに、柔らかさに、また涙が頬を濡らした。


「ったく、感謝しろよな、今度こそ」


 その聞き覚えのある声にアランを抱いたまま、周囲を見るとそこにはやっぱり覚えのない少女が立っていた。


「君、誰?」


 俺は大した考えもなく、彼女に聞いた。


「ひどいな、命の恩人を忘れちまうなんて、さ。オレだよ、オレ」


 そのどこか面影のある無邪気な笑顔と、甲高い声に、ある人物が思い起こされた。


「お前、さっきの――」


 目の前に無い胸を張って仁王立ちをする趣味の悪い服を着た少女は奇妙なポーズを決めて、言い放った。


「そう、オレがルブ=アルファンスア=ジ=シリア」


 と少女はキメ顔で言った。そのどこかアリスに似ている口調に俺は安堵感を覚えてしまった。


「……誰だよ」

「だから、ルブ=アルファンスア――」

「名前じゃなくて、お前の正体だよ、どこかで俺と会った事あんだろ?」

「だーかーらー」


 面倒臭そうに少女は答えた。


「さっきまでお前の前に立ってたじゃん。そいつを殺した、張本人。お前の命を助けたスーパーウーマン」


 この説明で彼女の正体がわかる奴がいるのだろうか。さっきまでいたのってあの背の高い吸血鬼とアラン……。


「ってお前、やっぱりあの吸血鬼か!?」


 あり得ない考えに俺も大声を上げてしまった。よく考えなくてもそんな事はあり得ない。もう一度言う、そんなことはありえ――。


「そう、その通りさ、クソガキ。見た目はお前の方が上かもしんねぇけど、実年齢はオレの方が圧倒的に上だからな、目上は敬えよ」


 と偉そうに近くにあった綿が全部抜かれた硬そうなソファに腰を下ろした。


「あの吸血鬼がこんな少女に。ありえない、ありえないぜ、全く」


 俺は自分に俺はこのあどけない少女に騙されているんだと、馬鹿にされているんだと言い聞かせた。


「ありえないって、じゃあ、今お前が大事そうに抱いている女がこうして何事もなかったかのように寝ているのはありえんのかよ?」


「う……っ」


 そういわれると反論のしようがない。確かに目の前の少女も気になっていたが、どうして死んだはずの アランが生きているのか、そしていつの間に、俺は移動したのか、謎は山積みだった。


「そもそも、お前はオレと同じようなパツ金少女と衣食住を共にしているはずだが、どうかな?」

「く……っ」


 歯ぎしりをして答えた。どうやらこの不可思議な現象を認めなくてはいけないらしい。


「分かった。お前は、さっきの吸血鬼だ。認めるよ」


 俺が頭を抱えてそう口にすると額に硬い物が当たった。普通に痛い。


「いってぇ。なにすんだよ、お前! 痛いじゃないか」


 俺が鋭い視線をソファに送るとそこには短い足を組んで、小石を片手に赤ワインをグラスに持って偉そうに座る少女の姿があった。


「次はその女に当てるぞ、この身の程知らずが」


 その言葉にアランを即座に俺に背中に隠した。


「ふん、正直者だな。まずはその女を生き返らせたお礼に肩でも揉んで貰おうかな?」



 ぼろぼろのカーテンがなびく窓から見える東の空はもう明るくなり始めていた。

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