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第十六色 信条と愛情

「金澤、なんで……」


 残暑の停滞を知らせる太陽の照り付けと身体を抜けていく薫風の中、錆びついた屋上のドアを開けたのは部活を引退したのに未だ、丸坊主の男子高校生だった。

 彼の姿を見て、息を呑んだ。あの夜の記憶がありありと甦ってくる。俺はどんな顔をすればいいのか…そんな的外れでどうでもいい悩みで頭の中は埋め尽くされていた。


「…………」


 彼は無言のまま、ドアを閉めてその確かな足音だけを響かせて俺達との距離を縮めてきた。真昼だというのに俺の心臓の鼓動が苦しいほど鼓膜を振動させる。


「……よお」


 男は俺の前に少し間を空けて立つと蒼い静寂を破るように低い声をだした。その声が耳に入った瞬間、あの熱帯夜が頭の中を抜けていった。どこかの古傷が痛んだ気がした。


「……よお」

 

 オウム返しの言葉を返す。あんなに俺に憤りをぶつけてきた彼がこの場所に現れたのか、俺の知るところではなかった。しかもこのすまし顔……俺には彼の意図がわからなかった。暫くの静寂の後に口を開いたのは桐原だった。


「なんで金澤君がここに居るの?」

「最近は比較的、開放されているからな……ここ」

 

 金澤は少しにやけ顔で答える。


「最近……?」

「なぁに……お前らが気にすることじゃあねーよ」


 とバツが悪そうに頭を掻いた。その腕に巻かれていたのは太陽に照らされてより一層眩しく輝く包帯だった。金澤の突然の出現により彼の腕まで目がいっていなかった。しかしそれが確認出来るようになってからは白い包帯の存在が異様に映った。


 俺が包帯について訊こうか迷っていると、

「ん……これか?ちょっと自主練ではしゃぎ過ぎちまってな……軽い捻挫だ」

と黒く焼けた肌と対照的な白い歯を紅の唇から少し姿を見せながら言った。

 相変わらず金澤はわざとらしく苦笑いを続けたままで毬栗いがぐり頭を掻いている。


「……金澤、俺たちに用があんなら早く済ませろよ」


 友人に使うとは思えない様な敵意むき出しの声を出したのは意外にも八方美人で有名な佐山だった。


「こっちもデケェ要件抱えてんだからよ」


 佐山はなぜ執拗なほどピリピリと金澤にあたるのか、そんな事よりも俺の日に当たっている肌はついに日焼けを超えて炎症を起こしたように赤色に変色し始めていた。なんだか気分もかなり悪い。

 視界が霞んでいくなか、金澤の口から耳を疑うような発言を聞くこととなった。


「……そうだな。だいぶ切羽詰まっているみたいだし、ネタばらしといこうかな……っと」


 金澤はまるでエイプリルフールの冗談をかます様な軽い口調で言った。


司鷹しかたが戻るって、陸部の顧問にリークしたのは俺だ」


 心臓にどきりと嫌な鼓動が走った。一瞬時間が止まる。

 金澤の当たり障りのない笑顔は消えない。その笑顔が俺には悪魔の微笑みにか見えなかった。全身に悪寒が走り続ける。


「な……んでそんな事したの?」


 相手の出方を伺うようにゆっくりとした口調で質問する桐原。


「なんでって、そりゃあ――――」

「……仕返しか」


 思わず口にしてしまった。言わずにはいられなかった。……金澤は俺を嵌めようとしている。あの時の仕返しをしようと、俺に更なる絶望を与えようとしている。

 翌々冷静になって考えてみればそんな子供みたいな事のはずがないのだが、この時の俺はどうかしてたとしか思えない。


「はぁ?何を言って……」

「栄光を掴みそこねた仕返しかって訊いてんだよ!!」


 俺の声が屋上に響いて青空の中消えていく。口を挟む奴はいなかった。


「俺に傷をつけて楽しいか……?俺をいじめてそんなに楽しいかよ!?……よってかたって俺に走らせようとして……俺はもう懲り懲りだッ!!」


 怒りと羞恥に身を任せて口を走らせる。間違いなく世間から見たら俺はキチガイだろう。しかし時として冷静とは心をも蝕んでしまう物なのだ。


「おい司鷹、急にどうしたよ……。まずは落ち着いて……」

「落ち着いてなんかいられるか!お前らもお前らで俺を走らせようとばかりさせる……。こんな身体になっちまって……俺はこんなの望んじゃいない…俺は走りたくなんかない」


 目は血走って完全に頭に血が上っているのが自分でも容易に分かった。でもなんだかここで自分を誰かに見てもらわないと押し殺した本当の自分が消えそうで怖かった。

 ふと辺りを見渡してみるとどいつもこいつもポカンと俺を見ているだけで誰も俺の気持ちなんか分かってくれそうにない。そう。俺はいつまでもどこまでも孤独だ。


「金澤、てめぇ……許さねえ……」


 あの夜の出来事が確かに俺の中で心につっかえているのは間違いない事で、それから目を背けようとしても俺の罪悪感はどうしても拭えなかった。

 この際だ。俺の中にある負の念を金澤に背負ってもらおう……。そんな黒い気持ちが沸々と湧き始めたころ、俺の意識はプツリと途切れてしまった。




 目を覚ますと視界は真っ白な景色に支配されていた。あまり無覚えない風景。しかし俺の中に確かに残っている……これは。


「あっ……起きた!?」


 ゆっくり起き上がると俺はこれまた真っ白なベッドの上にいた。

 そこは病室の様だった。ああ……ここは病棟の部屋だ。そう理解するのには時間はそうかからなかった。そしてこの真っ白の静止した世界で唯一動いていたのはブロンドヘヤーの少女。

 

 虚ろ気ながらそいつが椎名アランだと頭は認識した。ぼやけていた視界が徐々に鮮明になってゆく。


「全く……新学期早々倒れちゃうんだから……緊張感足りないんじゃない?」


 ため息混じりながらもベッドの横の椅子に座って何やら手に持った物体を差し出してきた。


「はい」

「……なんだよ、これ」

「何って、リンゴだけど……?」

「これがリンゴって……」


 確かにその物体は果物のリンゴに見えなくは無かった。かなり無理はあると思うが。しかし俺が今まで人生で見てきたリンゴはこんな奇妙な形なんかじゃなかった。


「なによ?なんか文句あんの?私が折角可愛らしくウサギちゃんの形に切ってきたっていうのに……ったく」


 と文句を垂れながら俺に差し出していたリンゴを口に運んだ。


「これ、ウサギだったんだ……」


 全く分からん。どこをどう解釈したらこのボロボロなリンゴのカスはウサギに見えるのかぜひご教授していただきたいところだ。


「……じゃあウサギ以外の何に見えたのよ?」

 

 怪訝そうに俺の顔を伺うアラン。栗色の髪が窓からの秋風の中で可憐に踊る。まだ窓の向こうは薄い雲と青空が広がっていた。


「……いや、確かにウサギだよこれは……うん」


 俺の答えを待つ少女のもう片方の手にギラリと光る鋭利な物が見えたり見えなかったりしたので、俺は口が裂けてもリンゴにすら見えなっかたとはいえなかった。


「でしょー?ほらね栗松さん、ちゃんとウサギに見えたってさ!」


 俺の答えを待ってましたとばかりにいきなりドアの方を向いて大声を上げた。ここは一応病人の部屋なので静かにしていただきたい。


「……はい、ありがとう御座います…。ではっ、私もう行きますね!」


 ドアの向こうから聞いたことのある声が微かに聞こえたような気がした。その声と同時に廊下を走っていく足音。そして目の前の気持ち悪いくらいニヤニヤした少女が一人。


「いやー……青春だねぇ……。若いって素晴らしいっ!」


 一人で盛り上がっている少女は放っておいて俺はベッドから起きあがろうとしたが後ろからがっしりと腕をつかまれてしまった。


「……なんだよ。俺、そんなに具合悪いわけじゃないからもう帰るな。一応サンキュー」


 なんで現役時代ですらそんなにお世話にならなかった病棟にいたかと言えば、間違いなくこの特異な身体のせいだと思うし、別にこの身体に怒りを向ける気はない。それはこれがあの吸血少女が俺を生かすためにした施しであってこの身体に罪はないからだ。さっきの感情爆発がこの身体のせいだとは言い切れないが……。

 

 とにかく既に太陽光線のせいで身体はボロボロなので早く部屋に戻りたいのが今の願望だった。

しかし少女は手首を握ったまま一向に動こうとしない、それどころかすすり泣きの様なものまで聞こえてきた。


「おい……どうし―――――」

「……座って」


 静かに言った。


「でも……」

「いいから……座って」


 手首を握る力が強くなる。こうしてこの女子と不毛ない戦いをするのは馬鹿らしくなったので俺は小さく溜息をついてまたベッドの上に座った。しかし俯いたまま一向に喋ろうとはせず、顔を伺い知ることは出来ない。


 暫くしてやっと手を放した少女はその腕で瞳から溢れているであろう涙を拭いてボロボロのリンゴたちの乗った皿を近くのテーブルに置いた。俯いたまま口を開く。


「倒れた理由……」

「はぁ?」


 じりじりと待たされたので思わず喧嘩腰で答えてしまった。まだあの熱が完全には収まっていないのかもしれない。


「あんたが急に倒れた理由だよ……聞きたくないの?」

「ん、ああ。そういう事か……。そりゃぁ、まぁ知りたいかな?」


 しかしなんの変哲もない学校専門医が吸血鬼の日光の当たり過ぎで倒れたなんて診断できるわけもなく、俺は別に知りたくもなかった。


「……寝不足よる貧血、だってさ」

「……そっか」


 結局そんなところに落ち着くだろう。確かに最近は何かと忙しくてロクに寝てもいなかったから的外れな診断でもない。誰もこの結果に疑いは持たないだろう。

 すると少女は身を乗り出して俺との距離を縮めた。彼女の顔は俺の顔の数センチ前で止まって俺の目を見据える。彼女の甘い吐息が掛り、彼女のフローラルなシャンプーの匂いが俺の嗅覚を支配した。頭がボーッと思考が止まる。


「なっなんだよ……近いだろ……」


 俺の発言なんか無視して瞳を見つめる。キスしようとすれば直ぐのでも唇を奪える……そんな距離の中少女は言った。


「あんた……私に何か隠し事してない?」

「急に何を言って……」


 俺の目の前にいる少女の目は何か確信を持った、そんな様な目をしていた。それが今回の失神に関係性があるのは間違いなくその上で更なる証拠を手に入れた……そんな瞳。

 その隠し事とやらが俺が半吸血鬼化したとか、俺が吸血鬼の幼女と住んでいるとか、それかどうかは分からないが確かにこの少女は何かを知ってしまった様だ。

 


 一瞬躊躇したが、決心して俺は真実を語る。

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