第十五色 再会と鼓動
9月1日。
ついに新学期の幕開けとなった今日。またいつもと変わらぬやり取りを少しくすんだ金髪少女と終え、またいつもと変わらぬ自転車に乗り、いつもと変わらぬペダルに力を入れて漕ぎ出す。まだまだ夏は日本に居座っており残暑は当分終わりそうにない。風は全身をくすぐる様に抜けていくが、太陽の日差しは俺の肌を刺して止まない。
変わった事と言えば俺の太陽への思いと、衣食する場所ぐらいだ。正直、そんなに環境の変化に付いていけない質ではないので住む家が変わった程度、そんなに気にするものでの無かった。あのわがままお嬢様はとてつもなく不満をぶちまけていたが、元はと言えばお前たちが壊した家なんだから文句言うなとこっちが文句を言いたい気分だった。
別に住めない訳ではなかった。そもそもあの家だって学校の所有物であり、俺たちのものではない。勿論俺たちだけがあの家の住居者な訳ではなく、他にもルームメイトがいる。そのルームメイトはこっちに帰ってくるなり無残に形を残さない玄関を見て、笑うだけ笑ってさっさと引越しの準備を始めたくらい、大雑把な性格なのだ。
学校側も不足の事態に動揺していたが、新学期までに何とか空いている別の学生寮を見つけ出し俺たちをそこに詰めた。いままであんな大きな一般住宅に住まわせてもらっただけ有り難い事で、どれだけ学校が俺に金を費やしたか…計り知れない。
大急ぎであの家は修繕工事が執り行われているらしいが、きっと次の住居者は俺たち…少なくとも俺ではないだろう。これがだけ金を時間を費やした人物は既に使い物にならないのだから。
学校に来るのは6日ぶりだった。そう…あの唐突なキスが最後の登校日。あれ以来、学校には顔を見せていなかった。補習でもない限り、嫌いな勉強をする学校は勿論嫌いなわけで、現役時代も酷いときは二か月に一回程しか登校したことがない。
ほとんど、通信教育で学校はオマケみたいなものだった。今でも学校が視界に入る度に身構えてしまうほど勉強が嫌いなわけだが、それでも流石に本気で勉強しないと本当に行く先はフリーターか最悪、浪人なんて可能性もあり得る。
うちの両親はそこまで教育熱心な親ではないが、家を出ていくためには最低でも大学を卒業するのは最低条件だった。
最近の溜息の意味もだいぶ変わってきたような気がする。問題は山積みだ。
学校に着けば一端の高校生だが、頭の中身は中学生相当だ。能無しの極みと言えよう。校庭ではまだ、夢を追い続ける健全な高校生たちが今日もこれから始業式だと言うのに練習に精を出していた。
野球部は次の春の甲子園を目指して。サッカー部は全国制覇二連覇を目指して。ラグビー部は全国三連覇をかけて…。いよいよ活気がついてくる頃だ。
あの陸上部もトレーニングに余念がない様子だったが視線の端に見るだけで直ぐにその場を立ち去った。
3年D組の教室に微かな決心と共に入るとそこにはまだほんの数人しか席についていなかった。みんな朝練なのか…。いくら練習が忙しいとはいえ、新学期の始業式くらいは出席するだろうと考えていたのだが。しかも教室にいるクラスメートはドアの開く音に俺の方に一瞬視線を送って、また目の前の参考書に視線を戻す。みな一様に難しそうな参考書とにらめっこしていた。
この学校に来る生徒のほとんどは中学の時に引き抜きにあった生徒ばかりだ。俺もその内の一人である。しかし中学と高校は世界が次元レベルで違う。
中には挫折して学校を止めていく生徒も少なくない。しかし今、この教室に残った生徒はきっと俺と同じように何かしらの障害を抱えてスポーツができなくなった生徒たちなのだろう。しかもまだ諦めのついていない生徒たち。
この時点で大学の推薦が来ない生徒はほとんどスポーツ推薦で大学に行くことを諦めている。しかし自分の力を信じて疑わない…。そんな生徒たちの集まりと化していた。
席に着くと別に何をするわけでもなく隣の窓から次々と登校してくる生徒たちを見下ろしていた。本来であれば俺も参考書とにらめっこをしなければいけないのであろうが、ルールの分からない試合ほどつまらない物はないってものだ。
次々と形だけは立派な校門から生徒たちが吐き出されていく。こんなスポーツオタクの集まりの学校のため、私立奈耶麻高校には生徒は3000人近く在学している。世にある運動系部活動を全て網羅しているといって過言ではないこの学校の生徒はみなバラバラな服装をしている。
中には律儀に役目の少ない制服をきて登校する奴もいたが、あまりの珍しさに一際目立ってしまうのが玉に瑕だ。
一人外から吹き込んでくる生暖かい風と共に時間を過ごしていると不意に肩を叩かれた。振り向くとそこには久しぶりの真っ黒に日焼けしたクラスメートが笑みとも驚愕ともとれる不思議な形相をして俺を見ていた。
「…終業式以来だな…元気か?」
俺が当たり障りのない久しぶりの会話を交わしても彼は顔をピクリとも動かさない。必要以上に不気味だった。
「おい…どうしたよ?」
心配というか同情というか微妙な視線を送るとやっと彼はその重そうな口をゆっくりと開いた。
「お前…」
なにか仰々しい。
「な、なんだよ…」
思わず溜息が出そうになるのを抑える。
「聞いたぞ!陸上部、戻るんだって!?」
いきなり俺の肩を抱いて喜びの声を揚げるクラスメート。あまりの温度の違いに口も開かない。と言うか今こいつ、何て言ったんだ…?
「まさか司鷹が戻って来てくれるとは思ってもみなかったぜ…。俺は…俺は…猛烈に感動している!」
こんな朝っぱらから何が好きでこんな暑苦しい男に抱きつかれなければならないのか…。やっと集まってきた視線も白々いい。しかし彼は全く動じずに俺に抱きついたまま離れない。
「ちょっ…近い…取り敢えず離れてくれ…!」
無理やり男を引きはがそうとすると彼はやっと正気に戻って俺から離れた。背中はすっかり嫌な汗でびっしょりだ。今のを見た生徒たちが変な噂を流さないことを祈るばかりだ。
「ああ…すまん、司鷹。でも俺は本当にうれしい!今からでも遅くはない!共に頑張ろう!」
とあまりに爽やかな笑顔と共に握手を求められた。しかしその握手には応じない。
「…なんだそれ?」
途端にきょうとんとする男。
「俺、トラックに戻るつもりはないぜ?これまでも、これからも」
彼は差し出したたくましい腕を下して、急に落ち着いたように隣の席に座わった。
「おい…司鷹…。悪い冗談はよせよ。さっき、コーチが今日から司鷹が練習を再開するっていってたんだぜ…?珍しく朝練なんかに顔だしちゃってさ」
彼が冗談を言っている様には見えない。これはどういう事だ?
「待て待て…そんな事、俺は一言も…」
その瞬間、D組教室のドアが勢いよく開かれて外から一人の女子生徒が入ってきた。女子生徒は入るなり、大声で俺に話しかけてきた。
「司鷹君!うちに戻って来るってホント!?」
今日の溜息回数は最高記録になりそうだ。
「…そんな話、した覚えねぇぞ…」
始業式を終えて生徒たちが部活に向かう頃、俺たちは屋上にいた。勿論、あの訳の分からない状況について話し合うためだ。
「はぁ!?…意味わかんねぇな…あの堅物コーチが嘘つくわけないし…」
「そもそもそんな嘘つく意味がないわよ」
短髪の男子生徒、佐山颯太は頭をガシガシと不快そうに掻いて頭を抱えた。意味が分からんのはこっちの方なんだが。
「…とにかく、司鷹君は陸上部に戻る気はないのね?」
と溜息と共にもう一人のクラスメート、桐原加奈子は言う。
「…ああ。もうあのトラックを走るつもりはない」
「そう…」
と呆気ない返事。まぁここで引き止められても困るので別にいいのだが。
「ちょっ…勝手に話、進めんなよ…。じゃあなに、コーチは嘘ついてたって結論かよ?もっと意味分かんなくなるだろ、それ」
天から降り注ぐ紫外線は俺の肌をじりじりと焼いていく。その度に全身が刺すような痛みに襲われる。
三人の中に沈黙が生まれるとどこからともなく聞きなれた声が聴こえてきた。
――貴方様よ…まだ日光に慣れていないこの状況で、焼け死ぬ気かの…妾は許さんぞ…。
心の中からそんな声が聞こえてくる。あの生意気少女の声だ。耳を通さぬ声は全く不思議な感覚だった。
「…俺だって我慢してんだよ…」
二人に聞こえないように小さな声で不平を漏らす。
「は?…我慢って何が?」
だが努力も空しく桐原に聞こえてしまう。
「へ?…ああ…いや、なんでもない…」
――とにかく…今日これ以上、日の元に肌を晒すのは危険じゃ…早く、こっちに戻ってくるのじゃ。
プツリと俺の中にあった彼女の意識が途切れる。
「…俺は……」
そう切り出したのは佐山。なにやら神妙な面持ち。
「司鷹に…戻って来て欲しい…。これが素直な気持ちだ…」
「………」
前にもこんな事を言ってきた奴がいた気がする。
「私も同じ気持ちよ…司鷹君なら、確実に全国優勝狙えるもの…。でも無理強いはできないでしょう…?」
それに続けとばかりに桐原も口々に言う。俺が陸上部を退部する時もこんなことを何人もの人たちに言われた覚えがある。使った金と時間から換算したら当然の行動だと思うが…。
「…帰るわ…」
何も返せない。俺の立場から何を言えば良いのだ。俺には既に陸上という選択肢は残っていない。しかし それをいままで世話をかけてもらった同僚やらに告げる事は出来ないのだ。この思いを伝えられるのはいつも第三者ばかり。結局それはただの愚痴でしかない。
「司鷹君…」
俺が二人に背を向けて出口に向かおうとした時、また扉が開いて中から誰かが屋上に上がってきた。この屋上は普段開いていないのにどうやって…。
錆び付いたドアから出てきたのは、あの野球部のエースだった。




