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第十四色 微笑と溜息

――きっと姉上は妾の事なんて、既に頭にはないじゃろうな…。結局、姉上が欲しいのは『地位』と『名誉』であり『家族』ではないのだから。

―それでも、あの優しかった姉上が架空のものだったとしても妾はあの姉上とまた一緒に暮らしたいのじゃ。人間様はよいの……人間はみな平等じゃ。それが精神的な建前だったとしても妾はそれが羨ましいぞ…。


「人間だって……大変だぜ?」


――…分かっておるわい。貴方様が普段からつく溜息には何か悲しみとはまた別の気持ちが籠っているようじゃからの…。しかし妾も王の座を受けるようになって素直に笑えなくなったの…。いつも隣国の王との歓談や臣下の前でも空の笑顔を振りまかねばならん。姉上はあんな生活がお望みなのか…。


「………」


――心気臭くなってしまったの。そんな話は別にいいんじゃ…。今は貴方様が真実を知る時。さて話を戻そう。

――結果から言ってしまえば、妾は姉上に妾の『心臓』の半分を持って行かれた。今まで貴方様の前に現れなかったのは、姉上との喧嘩に巻き込みとうなかったからじゃ。つまり姉上は既に『王の心臓』の四分の三をその身に宿しておるわけじゃ…。今も姉上は血眼になって残りのピースを探しておるじゃろうな…。


「アリスは大丈夫なのか…?」


――ん?何がじゃ?


「いや、いきなり今まで使っていた心臓が半分になるって…」


――ははっ!そんな心配をされるようになったとは…妾も堕ちたものじゃな!…しかし心配されるというのも悪くないの…。…そういえば、あんなに妾の吸血鬼話に怪奇的じゃったのに、今日は貴方様は随分と素直じゃな…何か妾のいない間にあったか?


「別に…。だけど、既に吸血鬼の存在を認めざるを得ない所まで顔を突っ込んじまっている様だしな。しかもあんな姿で生きているなんて、やっぱり人間には出来ないよ」


――ふーん…。そうかの。まぁそっちの方が妾としても理解が早くて助かるのじゃがな。

――とにかくじゃ。そんな心配はせんでいい。元々一個にならなければ、飾りの様なものじゃ。吸血鬼の再生能力の足しにもならんわい。しかも残り四分の一の『王の心臓』は既に妾の身にはないのじゃ。


「え…。どっかに隠したとか?」


――まぁそんなところじゃな。まだ姉上はたぶん、妾の身体に『心臓』があると思い込んでいる様じゃ…。まだ時間はある…何としてもこの心臓だけは取られんようにせんとな…。


 と少女は俺との距離をぐっと縮めた。もう既にアリスの息が顔にかかるほどの距離にまで達していた。


「おい、急にどうしたよ…?」


 俺が急な接近に慌てふためいていると金髪の少女は俺の右胸をそっと触った。彼女の冷酷な冷気が全身に這うようにして伝わる。


「ここじゃよ…ちゃんと機能しているようじゃ…」


 は?何を言っているんだ、アリスは。


「だから、残りの『心臓』がここにあるんじゃよ。貴方様のここにの…」


ドクンと急に心臓の鼓動が激しくなった。全身から嫌な冷たい汗が次から次へと流れてくる。少女はまた俺と距離を取って、不気味な笑みをこぼした。


「ようこそ…アンダーグラウンドへ…こっちの世界も悪くはないぞ?」


 少女の言葉が宙を浮いて俺の耳に入るまで幾分かかかった。やがて鼓膜が揺らされると俺の視界がぐにゃりと歪んで少女の顔が崩れていく。

 全身を這う血が一気に心臓に集められたかの様の膨張し鼓動を高める。呼吸も早くなって…。

 

 その瞬間だった。一瞬、何か頭の中に赤いイメージがふつふつと湧いてきて徐々に俺の頭を蝕んでいった。意識が棒の様に引き延ばされて遠くなっていく…。頭もぼおっとしてきた。手足も覚束ない。あの時と同じだ。さっきアリスとキスをした様な感じ。

 遠くでアリスが何か言っている……。


「すまないの…本当に。妾たちのこんなにくだらない喧嘩に巻き込んでしまって…」


 まただ…またアリスは謝っている…でも。もうこっちのセカイには戻ってこれない…。

 徐々に浸食していた得体の知れない赤いイメージはやがて俺の頭の中をすべて支配してしまった。視界は目まぐるしく変化し、俺の頭に…。


「ああ……。あああああああああ!!」


 どこからか頭に勝手に映像が流されてくる。あまりに膨大なイメージで頭が破裂しそうだった。視界が真っ赤になり口内が鉄臭い匂いで充満している。臭い…臭い…臭い…!


 いくつもの雑音の中、見えてきたのはやっぱり真っ赤なイメージだ。

 アリスが…何かと戦っている…。俺は…手元が…身体中が真っ赤だ…。鉄臭く、これは血だと一瞬で分かってしまう。真っ赤な血が真っ黒な天上から降る雨に流されていく…。どこだここは…。霞む視界の中、辺りを気力だけで見渡すとそこには見慣れた家とまだ割れていない道路がある。白い外灯も。


 こんなに視界は制限されているし、血塗れの身体でも不思議と痛みは少しの鈍痛だけで済んでいた。人間はあまりの激痛を感じると脳が勝手に痛みをシャットダウンする…という話をどこかで聞いた覚えがあるが、まさにそんな状況だった。手足は自由が効かない上、眼球だけを薄い意識の中、唯一見る事が出来る。雨が黒いアスファルトに落ちて弾かれる。それらが溜まって身体中から止めどなく溢れる真っ赤な液体を真下に流れる排水溝に流していく。その流れに身を任せる事しかできなかった。

まるで脳がその映像だけを意識的に俺に見せるかの様に…。


――貴様がこの男に執着を持っている事は既に調べがついている…。殺されるのが怖いか?


 急に耳に流れていた人の悲鳴に似た雑音が消え、アリスともう一人のこの辺りには似合わない服を着た不思議なオーラを放つ女性の会話が意識の端から聞こえてきた。


「なぜそんなに地位にこだわる、姉上よ。今、シヴァの名を受けたところでこんなに廃れた名など死体ゾンビ達の前では無意味に思えるが?」


やがて雨がアスファルトに弾かれる音が耳を支配されてきた。


――貴様のその凡庸な脳に分かってたまるか…。とにかく取引だ。どうやらこの男に少量の吸血鬼の因果(ヴァンパイアブラッド)を流し込んでいるらしいが、既にこの怪我だ。それもあと三十分ともたないだろうな。さてどうする?この男を助けるか、まだシヴァの名を持ち続けるか…好きな方を選べ…まぁ貴様の選択肢は一つしかないようだが。


「………」


――おっと、少しでも動いてみろ…この男の頭が飛ぶぞ…?


「くっ…卑怯な…」


――ハハッ!卑怯とな?貴様はこの行為が卑怯と言ったか?…笑わせるな。自分の嫌なことからは逃げて、人間に心奪われる…。吸血鬼ヴァンパイアの風上にもおけない愚図に卑怯などと…。それにどうやったかは知らぬが、母上から本来、私が受け取るはずだったシヴァを私から奪ったのも貴様だろう?…それこそ卑怯ではないか。


「それは違う…違うんだ、姉上、あれは…」


――もう言い訳など聞きたくないッ!!…さぁ、選べ…己の保身を望むか…それともこのオスの生を望むか…好きにしろ…。どちらにせよ、貴様から『心臓』は頂くがな。


「………」


――だんまりか?もう貴様を妹など思っておらん。ここで貴様を消すのも悪くないが…。それでは天上の母上が悲しんでしまう…。穏便に済ませたいな…私は…。


「………でして」


――ん?なんだ、聞こえないな…この最強の身体をもってしても…。


「……ここまでして」


――?なんだ…何を言っている?


「ここまでして手に入れるものに価値があるのだろうか?」


――貴様、何を…。


「誰かの生を犠牲にまでして手にいれるものに価値なんてあるのだろうか?…私には分からない…分からないよ…姉上…?」


――急に…う…っ。


 その悲しみや怒りや苦しみがぐちゃぐちゃになったアリスの声と共に辺りに黒くひずんだ重い空気が流れ始めた。感覚のない身体でもこの痛みがひしひしと伝わってくる。


「教えてよ!あの優しい姉上をどこにやった!?返せよ…春樹も…姉上も……母上も!!返せよ……ッ!!」

 その瞬間、地面が揺れ一瞬で巨大な亀裂がいくつもアスファルトを這い、地面を崩していった。身体が…落ちていく…。ここで意識が完全に途切れた気がしたが、なぜか暗闇の中に俺の感覚と心臓だけは静かに動いていた。不思議な感覚…口頭では説明のしようが無いほど不可思議な、今まで味わったことのないものだった。


――かすみいいいぃぃいい!!!


 ガラガラと地下に落ちていく瓦礫の中から鈍い女の声と悲鳴が聞こえてくる。


「春樹ッ!」


 ふとひんやりとした感覚に目を開くと、そこでは金髪で顔の所々に血を服着させた少女が俺を抱えていた。ゆっくりと降下していく…。


「ここで死んでもらっては困る…」


 と少女は自分の胸元に手刀を刺した。


「なに…を…」

「声を出すな!この状況下で貴方様を助ける方法はこれしかない…」


 と口から真っ赤な血を漏らす。その子供の様な服が徐々に赤く染められていく。


「これ以上、貴方様を巻き込みたくはなかったが…許してくれ…この罪は…一生、償いを誓うから……」

「………」

「もう少し…もう少し…もってくれ…私の最後の願いだ、神よ!」


 やがて少女の腕が身体から抜かれ、その手には真っ赤な液体に塗れた鼓動する物体が握られていた。血が真っ白な頬に毒々しく流れていく。既に少女の顔は白の領域を超えて顔面蒼白と言った様子だった。


「これを…上手くいくかは…神ぞ知る…と言ったところか…曲がりなりにも神の私が言えるセリフじゃないな…」


 と小さく微笑してその手に握られた物体を俺の腹部に宛がった。


「神よ…こんな私も受け入れてくれるか…?」


 と腹部に何か熱い感覚が走った。それがすぐに全身に伝わって、身体中の血液を燃えたぎらせる。痛みもあったがそれよりも感じたのはあの冷酷な少女の微かな温もりだった。


「アリス…これ…は……」


 今度こそ俺の意識はまたこの身体から消えていく、そんな気がした。しかしすっかり俺の身体は温もりの中だった。また頭に赤いイメージが流れてくる。


「また……逢えたらの…春樹…」



 そう言って少女は俺を暗闇の中に溶かして、彼女もまた夜空の暗闇の中に消えていった。

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