第十三色 偶然と必然
月明かりに起こされると、固い床の上に寝ていた。真っ暗で何かが不気味に蠢く、今や廃墟同然の教室。あちらこちらに血の跡がはっきりと遺されてホラー映画のセットの様だった。
ふとガラスの割れた窓から冷たい夜風が流れてきた。後頭部に残った鈍痛を押さえながら窓の方を見ると、そこには夜風に金色の髪を靡かせながら真っ暗な天上に浮かぶ三日月を見上げる小学生の姿があった。
一端に近くのぼろぼろの机に脚をぶらつかせながら小さく溜め息をついた。笑顔はそこにはない。
「……やっと起きたかのぅ…」
俺が少女の所に行こうと立ち上がると、彼女は俺が起きた事に気が付いて振り向いてその顔を見せた。
「……おう」
俺の知っている『アリス』だった。
あの何処かのアニメの真似らしい古風な話し方や、あの見た目からは想像も出来ない程の冷たいや、あの人間離れした真っ白な肌も、まるっきり俺の知っている吸血鬼だった。
「ここは久し振り、と言うべきなのかの?」
身体を完全にこちらに向けて俺と目を合わせる少女。真っ赤とはいかなくとも確かに赤みを帯びた瞳をしている。
「…俺もアリスに最後会ったのがいつかよくわかんねえな」
俺が吸血鬼に近づこうとすると彼女は華奢な白い棒の様な左腕を前に差し出して手のひらを見せ俺を止めた。
「おっと、それ以上は近づかんでくれ。…貴方様にこの醜い身体を見られとーない」
確かに右腕の辺りが巧い具合に暗闇に紛れていて様子を確認する事が出来なかった。
「…分かった」
素直に聞いて、近くの手頃な椅子に腰を下ろした。勿論この椅子も背もたれが変色していて居心地良く座れたものではなかった。
「…すまんの。こんな気味悪い場所での再会になってしまって…。これにも事情があるんじゃよ?」
俺はなるべく少女の方を見ないように努めた。久し振りで話し方を忘れたと言う訳ではなく、あの金髪の醜い姿とやらを見てやらない為だった。窓に背を向けて座った。
「…で、何の話だったかの?」
背中越しに少女の美しい声が聴こえる。
「最後に会ったのがいつだったか」
「おお…そうじゃったな…。で貴方様は妾と最後に会った日の事、覚えているのかの?」
また冷たい夜風が今度は背中に吹く。
「…確か、ピクニックに行った日じゃなかったか?…補習休んで行ったな」
空白の夜の日の出来事だ。その日に何があったのかは見当すらつかないが、あの日に吸血鬼が俺の前から消えて、うちの前(うちの玄関が)半壊したのだ。今この状況に、俺は俺の部分的な記憶喪失とそれらのイレギュラーに関係があると確信していた。
「そうじゃったな。あの日はすまなかったの…貴方様も今、大事な時期なんじゃろ?なんじゃったかな…ジュケンソウ…だったか…」
うーんとうなって見せる吸血鬼。
「…受験生な」
「それじゃ!…とにかく悪かったの、妾のわがままに付き合わせてしまって」
ハハ…と自嘲気味の空笑い声を響かせて吸血鬼は珍しく謝罪する。何か二人の間に薄い壁の様なものを感じずにはいられなかった。
「…なんだよ、急に改まって。らしくないな…」
「そうかの?妾は元々素直で優しい美少女じゃぞ?」
……なんて中身の無い会話をいくつか交し合って、俺たちはちょっと出来た距離を縮めていった。
「翌々考えてみれば、自己中だったのは妾の方かもしれんの…」
「…何を今更。そんな当たり前の事にやっと気付いたのか?」
いつの間にか身体を吸血鬼の方に向けて遠目に月に輝く彼女の金髪を見ていた。
「…本当にすまなかった。世が世なら切腹ものじゃよ、全く…」
俺は冗談のつもりで返答したつもりだったが彼女はそうもいかなかった様だ。…少し今日のアリスは変だ。
「何をそんなに気にしてんだよ。俺は全てを承知でお前を…」
「全てを承知のぅ…」
また空の笑い声が視界の端から発生する。
「遅かれ早かれ、貴方様が知らねばならん事じゃ………。今夜、この綺麗な三日月が見える今、妾の全てを話そうと思う」
そういうと吸血鬼は端の方で真っ白の両足を抱え込んで前後に揺れながら言葉を紡いだ。すっかりシリアスモードだ。
「貴方様にも妾に訊きたいことがあるみたいじゃしの…。居候として当然の行いを避けた妾への罰なのかもしれないな…これも」
三回目。
「それは…聞いた方が良いのか?無理はしなくても…」
そう俺が口にすると吸血鬼はゆっくりと首を振った。
「いや、聞いた方が良い。むしろ聞いて欲しいのは此方の方じゃよ…。妾も貴方様を撒き込みとうなかったのじゃが…。本当にすまなかったの…」
……誰があの傲慢なアリスがこうして俺に謝る日が来ると想像できただろうか。なぜかこれからアリスが話すことを聞いてしまったら元の関係には戻れなくなるような気がしてならなかった。…怖かった。
「そこまで言うのなら…聞いてやらん事もない、な」
本当は聞きたくないが。ここまで謝罪されてはこっちも遠慮できないってのが日本人だ。
「すまんの…。では、聞いてくれるか?」
――貴方様はあの日の夜の事を覚えているかの?
「………」
――やはりの…。血族拒絶か…とにかくあの夜の記憶が無い事と、妾の失踪…。貴方様の想像通りじゃよ…。関係はクロじゃ。
――説明不足かの?それともあまりに真実が単純過ぎて緩慢かの?
「いや…なんでも…ない」
――そうかの?質問はこの話を聞いてからでも遅くはないはずじゃ。
――結果から言えばただの姉妹喧嘩じゃよ。ババアの跡取りを巡っての、のぅ。
「お前、母親とは仲が悪いんじゃ…」
――相変わらず鈍感じゃの、貴方様は。…あれは嘘じゃよ、嘘。妾は貴方様に嘘をついていたんじゃ…ごめんなのじゃ…。
「なぜそんな嘘を…?」
――だって、家出の理由が跡取りをしたくないって何かカッコ悪いじゃろ?しかもただの家出とした方が話がスムーズに進むしの。とにかくすまんかった。
「なんとなく…は分かってたがな…」
――ほう…。いつからじゃ?鈍感の神の様な貴方様にポーカーフェイスの神と呼ばれた妾の嘘など見抜けるはずがないように思えるが。…まぁその話も後での。
――シヴァの名を継ぐのが妾はどうしても解せなかったのじゃよ…。元々は姉上がなるはずじゃった位じゃしの…。なぜか母上は死に際になって跡取りを妾に変えたのじゃ…。
――全く迷惑な話じゃよ。この跡取りのせいで姉上と縁を切る事になってしまったし、妾は変な規則に縛られっぱなしだし…。だから逃げてきたのじゃ…人間界にの。
「お前…姉がいたのか…」
――話してなかったかの?跡取りの話は別にして存在位は話していたように思っていたが…まぁよいか。…そうじゃ。妾には姉がいる。三百年近く年は離れているがの。
――なーに吸血鬼の姉妹としても少し離れている位で、そんなに珍しくもないわい。
――あの夜は貴方様の家にその姉上が来ていたんじゃ…。今までは派手に行動していなかったから場所の特定までには至らなかった様じゃが、貴方様と行動するようになって、人目に付くようになったからのぅ…。その中に姉上の仲間がいたか、それとも気配でばれたのかは分からんが…とにかく妾たちがこの町から離れている間にどうやら妾の隠匿先が完全に特定されたようじゃた…。
――貴方様を責めるつもりなど毛頭もない。逆に妾の様な得体の知れぬガキを匿ってくれたことに感謝じゃよ。
――たぶんその辺りからじゃろ、貴方様の記憶が飛んでいるのは。妾があえて消したのじゃ。抜かりはないはずじゃよ…あのじゃーじ以外はの。
「あのジャージもお前の仕業か」
――妾のせいにされるのはちと心外じゃが…元を辿れば妾の責任じゃな…。すまんの、あれは貴方様のお気に入りじゃったようじゃし…。
「…まぁ、しゃーねーな…。素直に諦めるよ」
――助かる。…で帰ってきた妾たちと姉上が接触したのが今はまだ直っておらんじゃろうあの路地じゃ。姉上は妾を見つけた途端に『心臓』を奪いに来たんじゃよ。
――ああ…『心臓』の話もせんとな…。
――吸血鬼には元々人間達の様な心臓はいらんのじゃよ。身体に流れる人間から吸った血液たちは独りでに妾たちの身体中を這うのじゃ。…しかし母上にはその『心臓』があった。それは妾たちの下僕である死体を使うためじゃ。死体たちは本来ない吸血鬼の『心臓』を持つ者に従う。王の血液はその受け継がれてきた『心臓』でしか保つ事が出来ないのじゃ。
――その『心臓』が王座継承の証じゃよ。元々は姉上が母上から引き継ぐはずじゃった。…しかし母上は有ろうことに妾にその忌々しい『心臓』を寄越したのじゃ。
――結局母上の死後、臣下達の話し合いの結果、妾たち姉妹で『心臓』を二分割することになった。…勿論死体たちの服従こそ手に入らなかったが妾は正式に王座に就く事となった。姉上は『心臓』の半分を持っているとはいえ、王は一人のために妾の側近として働く事となったのじゃ…。
――妾はそんな関係がこそばゆかった。姉上も妾を恨んでおったじゃろうな。いきなり自分の座るはずだった玉座を奪われたのだから。年上の兄弟に敬語で呼ばれる毎日…。ろくに会話する事も出来ない…。妾は単純にまた姉上と花を摘みに…。
――いや、この話は関係なかったの…。だから妾は逃げた。あの狭苦しい宮殿から。今、どうなっているかは知らん。当時は追手もしつこく妾は探しておったが…。もう何百年と他の吸血鬼を目にしてなかった。たぶん、姉上が納めているんじゃろう。
――しかし、姉上は半分では満足出来なかったようじゃ…。半分では死体たちの指揮はとれんからの。他の国に侵攻する事もない。だから妾を探した。そして強行したのじゃ、妾の心臓を奪うのを。




