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龍の神  作者: カズハ
-とある龍神達の冒険譚-

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20/40

清浄の龍神の冒険

某日、とある街にて――


 澄み切った秋の空が広がる午後、セオンは古物商の薄暗い店内で、埃を被った古い時計を手に取っていた。その時計は、真鍮のフレームに繊細な銀の装飾が施され、文字盤には見慣れないルーン文字が刻まれている。時を刻む針は止まっていたが、セオンが触れた瞬間、胸元の光の渦が僅かに脈動し、時計は淡い緑色の光を放ち始めた。

「これは……。」

 セオンの右手に嵌められた銀の指輪が微かに熱を帯びる。その指輪は、彼の力と闇喰の存在を認識する特別なものだ。この時計はただの古物ではない、そう直感した。

「いらっしゃい、お客さん」

 店主はセオンの手に握られた時計を見て、にやりと笑った。

「そいつは面白い品物だよ。なんでも、時を遡る力があるとか、ないとか……」

 店主の言葉に、セオンは目を細める。冗談めかした口調の中に、何かを隠しているのを感じ取った。

「面白いですね。買わせていただきましょうか」

 セオンは微笑みながら、時計を包む様に持った。その瞬間、彼の背後で店の扉が静かに開く。

「待て、そいつは俺のものだ」

 低い声が響き、黒い外套を纏った男が店内に足を踏み入れた。男の目には、どす黒い魔力が渦巻いている。

 「おや、君もこの時計に興味があるのかい?」

 セオンは男に向き直り、穏やかな声で言った。男はセオンの言葉を無視し、時計を奪おうと手を伸ばす。然しセオンの手から放たれた微かな光が、男の手を弾き飛ばした。

「僕の持ち物に、無断で触れるのは感心しないな」

 セオンの瞳が黄金色に輝く。男は怯むことなく、嘲るように口角を上げた。

「お前が何者かは知らんが、その時計は俺が過去の歴史を書き換える為に必要なものだ。邪魔をするなら、容赦はしない」

 男はそう言って、両手から禍々しい黒い稲妻を放った。セオンは涼しい顔で、彼の持つ指輪から光の膜を張る。男の攻撃は光に触れた瞬間に霧散し、セオンに届く事はなかった。

「歴史を書き換える……それは許されない。君は大きな過ちを犯そうとしている」

 セオンは静かに言った。彼の声には、抑えきれない怒りが含まれていた。

「お前ごときに、何がわかる!俺の愛する家族を、過去の過ちから救うんだ!これは正義だ!」

 男は叫んだ。然し、其の言葉はセオンの心には響かなかった。家族を思う気持ちは理解できる。然し其の為に歴史を歪め、多くの人々の運命を捻じ曲げる事は、断じて許されるべきではない。

「その正義は、君だけのものだろう?多くの人々の未来を犠牲にしてまで、君の望みを叶えるのは、只のエゴだよ」

セオンは冷徹な声で言った。彼の言葉は、男の心を深く抉った。男の顔が怒りで歪み、更に強力な黒い魔力を放とうとした、その瞬間――セオンは掌を男に向け、細く鋭い光の矢を放った。それは男の魔力を打ち砕き、男の心臓を狙って飛んでいく。男は寸での所で避けたが、矢は彼の黒い外套を貫き、背後の壁に突き刺さった。壁に触れた途端、矢は光の爆発を起こし、男は激しく吹き飛ばされた。

「ぐっ……お前、一体何者だ?」

 男は床に倒れ込み、苦しそうに呟いた。セオンは男に近づき、静かに手を翳した。男の身体から、黒い靄が立ち上り、瞬く間に消えていく。

「僕はセオン。君の中の穢れを浄化してあげよう。その苦しみから、君を解放してあげる」

 セオンの言葉と共に、男の身体を包んでいた黒い魔力が浄化され、男は安らかな表情を取り戻した。男は意識を失ったが、その顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。セオンは時計を握りしめ、店主に金を支払うと、静かに店を後にした。古物商から出たセオンは、人通りの少ない路地裏で時計を眺める。

「君は、僕と同じ清浄の力を持っているのかい?」

 セオンがそう呟くと、時計の針が僅かに動き始めた。時を遡るというより、過去の記憶を再生するかの様だ。時計の文字盤に、光の映像が映し出された。其処には、数々の悲劇が映し出されていた。

 時計の針が指し示す過去の出来事を、追体験するセオンの脳裏に、悲劇を乗り越え立ち直ろうとする人々の姿が焼き付く。家族や友を失っても、彼らは未来を信じ懸命に生きていた。だが、歴史を改変しようと企む存在が現れ、人々の希望を奪っていく。

「此のが君の使命なのか。」

 時計はセオンに、ある一つの使命を提示した。それは、過去の出来事に干渉し、歴史を改変しようとする存在を阻止し、正しい時の流れを守る事。セオンは時計が示唆する未来に、あの黒い外套の男が救おうとした家族の姿を重ねる。もし彼らの歴史が改変されたら、その先に待つのは、決して幸福な未来ではない。セオンは時計を胸元に抱きしめ、深く息を吐き出す。

「この力は、誰かを救う為の物だ。決して、歴史を捻じ曲げる為のものではない」

 セオンは時計の力を使い、歴史を修正しようとする魔性の存在を追う決意を固めた。時計の力で、セオンは時間を遡る。辿り着いたのは、時計が示す悲劇の始まりの場所。

 そこには、まだ幼いあの男が、幸せそうに家族と過ごしていた。セオンは姿を隠し、静かにその家族を見守る。家族は笑い、愛を育んでいた。だが、その幸福な時間は長くは続かない。

 魔性の存在が現れ、家族を襲う。セオンは静かに弓を構え、光の矢を放った。矢は魔性の存在を打ち破り、その場から消滅させる。家族は無事だった。歴史の改変は阻止された。

 セオンは安堵の息を漏らし、静かにその場を立ち去ろうとした、その時――

「貴方は、一体……?」

 幼い男の子が、セオンに問いかけた。セオンは振り返り、優しく微笑む。

「僕は通りすがりの者さ。君の家族に、幸あれ」

 そう言い残し、セオンは時計の力で、元の時間へと戻った。現代へと戻ったセオンは、再び古物商の前に立っていた。そこに、あの黒い外套の男が現れる。男はセオンを見て、驚きに目を見開いた。

「どうして、君が……」

 男は混乱していた。セオンは微笑み、男に近づく。

「もう大丈夫だよ。君の家族は、ちゃんと幸せになった」

 セオンの言葉に、男は信じられないという表情を浮かべた。セオンは時計の文字盤を男に見せる。其処には、男の家族が幸せそうに暮らす、未来の映像が映し出されていた。

「君の家族は、悲劇を乗り越え、未来へと進んでいる。そして、君自身も、その未来を生きているんだ」

 セオンの言葉に、男の瞳から一筋の涙が溢れ出した。男は膝から崩れ落ち、嗚咽を漏らす。セオンは静かに男の背中を撫で、優しく語りかける。

「君が願った通り、君の家族は幸せになった。だから、もう大丈夫……君は君自身の人生を、歩んでいけばいい」

 男はセオンの言葉に頷き、顔を上げた。その顔は、穢れに塗れた時の表情とは違い、清らかな輝きを放っていた。

「有難う……。」

 男はセオンに深々と頭を下げ、その場を去っていった。セオンは、男の後ろ姿を見送り、胸元で光を放つ時計に語りかける。

「君のお陰で、一つの悲劇を乗り越えられた。本当に、有難う」

 時計は応える様に、文字盤の光をさらに強く輝かせた。セオンは時計を大切に胸に抱きしめ、古物商の店を後にする。彼の胸には、再び安堵の光が灯り、清らかな風が吹き抜けていく。

 セオンの長い旅は、まだ始まったばかりだ。然し彼には頼もしい家族と、この時計の力が付いている。彼は時を超え、歴史の正しい流れを守る為に、今日もまた新たな戦いへと身を投じる。


 古物商の店を後にしたセオンは、街の喧騒から少し離れた公園へと足を運んだ。ベンチに腰を下ろし、胸元で光を放つ時計をそっと開く。文字盤には、先ほど救った男とその家族の、満ち足りた笑顔が映し出されていた。

「よかったね、君。」

 セオンは優しく微笑み、時計に語りかける。その時、時計から放たれる光の粒が、まるで意思を持ったかのように宙に舞い上がり、セオンの周囲に小さな光の輪を形成した。それはまるで、セオンの心に共鳴し、祝福を与えているかの様だ。

 公園のベンチで、セオンは時計から放たれる光の輪に包まれていた。その光は温かく、彼の心を深く満たしていく。時計の文字盤に映し出された家族の笑顔が、セオンの心に安らぎを運んだ。彼はそっと目を閉じ、清らかな風が頬を撫でるのを感じた。

「兄さん!」

 懐かしい声が、彼の耳に届く。セオンが目を開けると、目の前には愛しい妹、レイラとカミラが立っていた。

「レイ、カミラ、どうして此処に?」

 二人はセオンの隣に腰掛け、心配そうな顔で彼を見つめる。

「もう、兄さんったら……連絡もなしに、いきなりいなくなるんだから。レイも私も、どれだけ心配したか……」

 カミラがぷん、と頬を膨らませて言う。レイラは静かにセオンの手を握り、その温かさを確かめる様に微笑んだ。

「よかった、元気そうだね。セオンの気配が急に薄くなったから、何かあったのかと……」

 セオンは二人の優しさに、胸の奥が温かくなるのを感じた。

「御免ね、心配かけたね。一寸面白いものを見つけてね、それに夢中になっていたんだ」

 セオンはそう言って、胸元の時計を二人に示した。レイラとカミラは、時計から放たれる清らかな光に、驚きと興味の眼差しを向けた。

「此れは……。」

「時を遡る、不思議な時計なんだ……僕と同じ、清浄の力を持っているみたいでね。」

 セオンは時計の使命について、二人に語った。歴史を改変しようとする存在を阻止し、正しい時の流れを守る事。それを聞いたレイラとカミラは、顔を見合わせ真剣な表情になった。

「セオン、一人で無理しないで。私達がいるわ」

「そうよ?何かあったら、私達を頼って?私達、セオンの力になりたいの。」

 カミラは何時になく真剣な声で、レイラは力強くセオンの言葉に同意する。その言葉は、セオンの心に深く響いた。彼は微笑み、二人の手をそっと握り返した。

 夕暮れの空が茜色に染まる頃、三人はセオンの家に帰宅した。セオンは腕によりをかけて、二人の大好きなパンケーキを焼いた。

「美味しいわね。」

「兄さんのパンケーキ、絶品ね。」

 カミラとレイラは、ふんわりと焼き上がったパンケーキを前に、目を輝かせた。セオンはカフェモカを淹れ皆で食卓を囲んだ。

「ねえ、セオン。その時計、危険じゃないの?」

 カミラが心配そうに尋ねる。セオンは微笑み、静かに首を振った。

「大丈夫。この時計は、僕の力と共鳴してくれる。それに、僕の闇喰も、この時計に反応しているみたいだ。僕の闇喰が、助けてくれるから」

 セオンがそう言うと、彼の胸元の光の渦が、再び強く脈動した。その光は、清らかな水の流れの様に、穏やかにセオンを包み込んだ。レイラとカミラは、その光景を静かに見守る。セオンの胸元に宿る、清らかで美しい光の渦は、彼らの希望でもあった。

「じゃあ私達も、この時計の力を貸してあげられるかもしれないわね。」

 レイラが小さな声でそっと呟くと、セオンは驚いた様にレイラを見た。レイラの唐突な発言に、セオンは思わず呆けた顔をしていた。

「え?」

「セオンは、穢れに弱いんでしょう?でも、大丈夫。私達がいるから。セオンの領域は、私達が守るわ。私達がセオンの盾になるから」

 カミラは決意に満ちた瞳で、セオンに語りかける。

「セオンが戦う時は、僕達が一緒にいる。だから、もう一人で抱え込まないで」

 レイラは優しい声で、セオンの背中を撫でた。その言葉に、セオンの瞳から一筋の涙が溢れ出した。彼は二人を抱きしめ、嗚咽を漏らす。

「有難う……二人とも、本当に有難う……。」

 セオンの隣には、彼を心から愛し、支えてくれる家族がいる。此の時計の旅は、決して孤独なものではなかった。

「さぁ、冷めない内にパンケーキを食べよう!セオン、また作ってね」

「うん、勿論だよ。何時でも、何度でも作ってあげるから」

 三人の笑い声が、温かい夕食の食卓に響き渡る。時計の文字盤には、三人の楽しそうな笑顔が映し出されていた。セオンは、この大切な時間を守る為に、此れからも戦い続けるのだった。






某日、とある洞窟にて――


 セオンは、世界のバランスを保つ為に深い眠りについた巨大な竜の側で、穏やかな風に髪を遊ばせていた。彼の視線の先には、壮麗な龍神の姿があった。その巨体は、一見すると只の岩山の様に静かに横たわっているが、セオンにはその穏やかな寝息が、世界の鼓動そのものに聞こえる。

「今日も大丈夫そうだね、トワ。」

 トワ、それがこの竜の名前だ。嘗て世界を焼き尽くし、混沌の象徴として恐れられたこの存在は、今や世界の調和を司る守護者となっていた。セオンは其の力を狙う者がいないか、時折こうして確認に来るのを日課としていた。然し、彼らがこうして穏やかな時を過ごせるのも、そう長くはないとセオンは知っていた。

「そろそろ、動き出す頃合いかな……。」

 セオンの背後から、不穏な空気が立ち込めてくる。それは、穢れに満ちた瘴気だった。セオンは瞬時に警戒態勢に入る。彼の胸元に淡い緑色の光の渦が脈動し、彼の清浄の幻想と共鳴している。これは、彼の闇喰が、穢れを察知し警鐘を鳴らしている証拠だ。

「……まあ、僕が行く迄もないかな。結界を張っておこう」

 セオンが手を広げると、ロトスの周囲に目に見えない透明な障壁が形成される。光が当たり七色に輝く結界は、穢れを弾きトワを守る盾となる。セオンは此の程度の小物なら、自分の結界で十分だと判断し悠々と構える。

 然しその瘴気の主は、セオンの想像を遥かに超える存在だった。瘴気の中から現れたのは、影の様に蠢く魔性の群れ。そしてその中心に立つのは、冷酷な笑みを浮かべた魔術師だ。

「おやおや、まさか君の様な者が守っていたとはね……噂に聞く清浄の龍神よ。君さえいなければ、この世界は我々の物だったのに」

 魔術師の声が響き渡る。その声には、深い憎悪と歪んだ欲望が込められていた。セオンは僅かに眉を顰める。

「君、僕の事知ってるんだ?嬉しいけど……僕を呼び出すなんて、ずいぶん無粋な真似をするね」

 セオンは飄々とした態度を崩さない。然し其の瞳の奥には、確固たる決意が宿っていた。

「お前が持っている幻想、そして闇喰の力。それらを我々に差し出すならば、トワ共々命だけは助けてやろう」

 魔術師は嘲笑うように言う。その言葉にセオンの表情が一変する。

「……トワの事を、君は何も知らないんだね……それに、僕の力は誰にも渡さない。特に、世界を穢そうとする君達にはね」

 セオンは静かに言い放つ。その言葉は、まるで氷のように冷たかった。彼の内に秘められた怒りが、静かに燃え上がっていく。

「ならば、力ずくで奪うまで!」

 魔術師が手を翳すと、漆黒の呪文がセオン目掛けて放たれる。しかし、その呪文はセオンに届く前に、彼の胸元の光の渦に吸い込まれ霧散していく。

「…君、今のを見たかい?僕の闇喰は、穢れを喰らうんだ。君たちの力は、僕には通用しない」

 セオンは淡々と告げる。魔術師の顔に焦りの色が浮かぶ。

「ならば、この身体を滅ぼすまでだ!」

 魔術師が再び手を翳すと、今度は穢れに満ちた刃がセオンの身体に突き刺さる。セオンの身体から黒い煙が立ち上り、彼の顔に苦悶の表情が浮かぶ。

「…っ、これ程とは…!」

セオンは穢れに極めて脆弱だった。魔術師は、その弱点を正確に突いてきたのだ。セオンの身体から力が抜け、その場に膝をつく。魔術師は勝利を確信したかのように高笑いする。

「お前のような脆弱な存在が、我々の邪魔をするとはな。さあ、今すぐその命を差し出せ!」

 その時――セオンの背後から、温かな光が降り注ぐ。それは、彼の領域が発動した証だった。周囲の空間は、澄み切った空気に満たされ、清らかな泉の音が響き渡る。

「……僕は、一人じゃない。」

 セオンの言葉に、魔術師は戸惑う。その時――セオンの背後に、白い姿の聖騎士が二体、具現化する。聖騎士は其の持つ聖剣を抜き、セオンの前に立ち塞がる。

「彼らが、僕の命を護る騎士達。そして……」

 セオンは、震える手で懐から一枚の写真を取り出す。そこには、愛する家族の笑顔が写っていた。レイラ、カミラ、グレイ、そして他の皆。彼らが笑顔でいるために、セオンは負けるわけにはいかなかった。

「……僕が、此処にいる理由だよ!」

 セオンの瞳に、再び強い光が宿る。彼の心臓の鼓動に合わせて、闇喰の光の渦が強く輝き、彼の身体から溢れ出る穢れを吸収していく。そして其の吸収された穢れは、清浄な力へと変換されていく。

「な、なんだ…!?」

 魔術師は驚愕の表情を浮かべる。セオンの身体は、穢れに蝕まれるどころか、逆にその力を糧にしているかのようだった。

「僕の闇喰は穢れを喰らい、清浄な力に変える……君たちの攻撃は、僕の力となるんだよ。」

 セオンはゆっくりと立ち上がり、魔術師に微笑みかける。その笑顔は、どこまでも慈愛に満ちていたが、魔術師にとっては其れは悪魔の嘲笑にしか聞こえなかった。

「さて、そろそろ終わりにしようか。」

 セオンが手を翳すと、その手から透き通るような白銀の光が放たれ、魔術師と魔性の群れを包み込む。光は魔術師達の穢れを瞬時に洗い流し、彼らを清浄な存在へと戻していく。魔術師は苦悶の表情を浮かべ乍ら、軈て消え去っていく。彼の悪意と憎悪はセオンの浄化の光によって、完全に無力化されたのだ。

「……ふぅ、疲れた……。」

セオンは、その場にへたり込む。彼の身体は、穢れに脆弱であることに変わりはない。闇喰の力で補っていたとはいえ、無理をした代償は大きかった。

「兄さん!」

その時、セオンの名を呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、そこにはレイラとカミラの姿があった。

「もう…兄さんったら、また無茶して…!」

 カミラはセオンを抱きしめ、その身体の震えを感じ取る。レイラは、静かにセオンの頭を撫でる。

「大丈夫だよ、レイ、カミラ。僕は無事だから」

 セオンは二人を安心させる様に微笑む。然し其の瞳には、まだ疲労の色が残っていた。

「僕がしっかりしなきゃ、だね。それに……」

 セオンは、トワの眠る姿を見つめる。

「僕がトワを守らなきゃ、世界が壊れてしまうから。」

 その言葉に、レイラとカミラは何も言わず、ただセオンを抱きしめる力を強くした。彼らはセオンのその優しさと、世界の平和を守るという強い決意を知っていた。

 数日後――セオンはロトスの元で、皆と一緒にパンケーキを焼いていた。甘い香りが周囲に広がり、トワの穏やかな寝息と混じり合う。

「わぁ、美味しそうね。」

 キラキラと目を輝かせながら、カミラがパンケーキを頬張る。レイラもまた、口元にクリームをつけながら微笑んでいる。

「そうだろ?僕のパンケーキは、世界一だからね」

 セオンは得意げに笑う。その笑顔は以前よりも、どこか穏やかで満ち足りていた。トワの深い眠りは続き、世界は平和な時間を保っていた。セオンと彼の愛する家族が、その平和を陰ながら守り続けている事を、誰も知る由はない。遠い空から聞こえるセオンの聖歌が、今日も世界を優しく包み込む。それは穢れを払い、心を癒す希望の歌だった。


 セオン、レイラ、カミラがパンケーキを囲んで笑い合う、穏やかな時間が流れていた。トワの眠る洞窟には、彼らの楽しげな声と甘い香りが満ちている。カミラは美味しそうに食べ乍ら、セオンの焼いたパンケーキをもう一枚おかわりした。

「レイ、もう一枚どう?」

 セオンはにっこり笑い、レイラにパンケーキを勧める。口元についたクリームを拭い乍ら、レイラは静かに首を振った。

「有難う、兄さん。でも、もう十分だけど……ねえ、グレイは何時来るの?」

 その言葉に、セオンは少し寂しそうな表情を浮かべた。

「もう少ししたら来るみたいだよ。仕事を早く切り上げてくれるってさ。グレイは、僕が危なっかしいからって、監視役で付いてくるらしいけどね」

 レイラとカミラは、顔を見合わせ微笑む。セオンが弱点を突かれて倒れた事は、二人の心に深い影を落としていた。だからこそ、彼女らはセオンを心配しサポートしているのだ。セオンは其の事に未だ気づいていなかったが、それでも家族の存在が彼を支えている事は確かだ。

「兄さん、無理しないで……私達はいつでも兄さんの味方だから。」

 カミラの優しい言葉に、セオンの胸に温かいものが込み上げてくる。彼は二人の手を優しく握り、心の底から感謝を伝えた。

「二人とも有難う……君達がいてくれて、本当に良かった。」

 その時、洞窟の入り口から声が聞こえた。

「皆、お待たせ。」

 ロインとグレイが到着したのだ。ロインは満面の笑みで、グレイは心配そうな顔でセオンを見つめている。

「遅いですよ、グレイ。」

「申し訳ない、レイ……。」

 レイラがグレイを軽く咎める様に言うと、グレイは苦笑し乍頭を下げた。セオンはグレイの言葉に肩を竦めた。

「僕は大丈夫だよ……それより、パンケーキが冷めちゃう前に食べようか。」

 セオンはそう言いい、皆にパンケーキを配り始める。洞窟の中は、笑い声と甘い香りで満たされ温かい家庭の食卓になる

「…このパンケーキ、なんだか心が軽くなるな……。」

 グレイはポツリと呟く。それはセオンの幻想が、パンケーキに込められた事で、ほんの少し彼の心身を癒やしていた。セオンは何も言わず只優しく微笑むだけだ。

「そういえば、兄さん……トワが目覚めるのは、一体なのかしら?」

 レイラが、ふと真面目な顔でセオンに問いかける。その問いに、セオンはパンケーキを焼く手を止め、遠い目をする。

「さぁ、僕にも分からないよ……でも、トワの眠りが浅くなってきたのは確かだ。それに穢れを喰らう魔性も増えてきたし……トワが目覚める時、それは世界に本当の脅威が訪れる時かもしれない……」

セオンの言葉に、その場の空気が一瞬重くなる。しかし、セオンはすぐに明るい笑顔に戻った。

「でも大丈夫……僕達には、僕達のやり方で、世界を守る方法がある……そうだろう?」

 セオンはそう言って、改めて皆に微笑みかけた。その笑顔は、皆の心に再び温かい光を灯した。レイラとカミラは、セオンの言葉を信じ強く頷いた。グレイもまた静かに頷き、パンケーキを食べるのだった。

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