騎士団長は天才魔石職人を手放さない
BL中編です
王国騎士団団長アルバートは、届いたばかりの篭手を装備し、剣の柄に手をかけた。
篭手の甲と剣の付け根には、アルバートの瞳と同じ濃い空色の魔石がはまっている。
「盾、構え!」
「イエッサー!」
兵士たちが大盾を構えてずらりと並んだ。
アルバートは剣を抜き、構える。
「行くぞ!」
低い声が訓練場に響き、兵士たちが盾の向こうで腰を落とした。
――剣が空気を裂いた。
「……っ! すまん、大丈夫か!?」
中央三名が衝撃で後ろにひっくり返った。
慌てて駆け寄るアルバートの後から、エプロンに作業着姿の小柄な少年が、藍交じりの灰色の髪を揺らしながらバインダー片手にゆっくりと付いて行く。
「すみません、本気でやってもらえませんか?」
少年特有の高い声に、盾の傷を確認していた兵士たちが顔を引きつらせてアルバートを見た。アルバートは口ごもりながら少年に向き直った。
「なぜ、本気ではないと?」
少年は悪びれもせずに高い声で答えた。
「先生の新作が、その程度の威力なわけないじゃないですか」
***
その後、少年……魔石工房の職人の弟子兼小間使いであるドミニクは、アルバートの篭手と兵士全員分の盾を調整して帰っていった。
残されたアルバートは、壁に立てかけてあった古いサンドバッグ相手に軽く剣を振る。サンドバッグはぱっくり割れて砂が溢れた。
「団長、ごきげんですね」
兵士の一人が箒とちりとりを持ってやって来た。アルバートが受け取ろうとしたが、兵士は渡さなかった。
「今回の品も素晴らしいからな。ここまで軽く、手に馴染む魔石武器はなかなかない」
兵士は頷き、砂を集めた。
「アダムズ魔石工房でしたか。たしか職人とあの小間使いのドミニクの二人でやってるんですよね」
「そう聞いている。しかし納品に来るのは、いつもあのドミニク少年のみだな」
「工房主は偏屈な老婆って聞きましたよ」
別の兵士が訓練用の木剣を運びながら口を挟んだ。
「俺は天才のじいさんがドミニク拾って技術を教えこんでるって聞いたけど」
「え? 人嫌いの天才が親戚のドミニクとアレな関係って」
「アレって?」
集まってきて好き勝手に言う兵士たちに、アルバートは苦笑しながら装備を外し、片付けに向かった。
魔石を使用した武器は、扱いを誤れば使い手ごと吹き飛ばす。
実際に、去年も新人が一人片腕を失う大怪我をしていた。
それでも騎士団が魔石武器を手放せないのは、戦場での威力が桁違いだからだ。
だからこそ慎重に訓練を行う必要があり、その反動で兵たちは訓練後は気を抜きがちになる。
アルバートもそれをわかっているから、あまりうるさいことは言わずにその場を離れた。
***
新作の魔石武具がアルバートの身体にすっかり馴染んだころ、騎士団長室に渋い顔をした文官が訪れた。
「アルバート、任務だ」
差し出された書類には「アダムズ魔石工房」の文字があり、アルバートは眉をひそめた。
そこには「アダムズ魔石工房で作成している兵器を、隣国が軍事利用するためスパイを送り込んできている」という内容が暗号で記されていた。
「本当か? 隣国とは和平交渉の真っただ中だというのに」
「お前に嘘をついてどうする」
文官が肩をすくめた。
「偵察部隊から緊急案件だと上げられてきたから、持ってきてやったんだ。そこ、お前の御用達だろ」
「そうだが……いや、助かった。感謝する」
アルバートは軽く頭を下げ、書類の文字をもう三度読む。
その間に文官はポケットから携帯灰皿とマッチを取り出した。アルバートは差し出された灰皿に書類を折りたたんで突っ込み、文官がマッチで火をつけて書類を燃やす。
灰皿から火が消えると同時に、文官は目礼して去っていく。
アルバートは立ち上がり、訓練場へと向かった。
***
翌日、アルバートは軽装で城下町へとやって来た。
昨日アダムズ魔石工房が狙われていると聞いてから、アルバートは部下のうち、副団長と信頼の置ける古参数名に事情を説明しておいた。
そして今日は実際にアダムズ魔石工房へと足を運んできた。
アダムズ魔石工房は、城壁沿いの裏通りにほど近い小さな工房だった。城壁の反対側は騎士団の訓練場にほど近い場所だ。
壁は日が当たらないせいか苔むしており、扉の小窓も黒ずんでいて中がまったく見通せない。
「思ったよりも近いが、ずいぶん小さい店だな……」
アルバートはそう呟き、店の戸を叩いた。しかし、反応はない。繰り返し何度か叩く。すると、店の中からどたどたと足音がした。
そして荒々しく戸が開いた。
「うるさいぞ、ドミニク。鍵を忘れたのか?」
顔を出したのは細身の青年だった。
ひょろりとした体躯に厚手のエプロンを掛け、その下には、元は白かったのだろう汚れたシャツと、同じように汚れたデニムのボトムをまとっている。
ぼさぼさの白銀の髪が眼鏡にかかり、その奥で濃い灰色の瞳がアルバートを睨んでいた。
「誰だ?」
さほど低くはないが、うなるような不機嫌な声にアルバートは息を飲んだ。
しかし青年の睨む瞳に不審げな色が混じったことに気づき、アルバートは慌てて口を開いた。
「私は王国騎士団団長、アルバートと言う。貴殿がアダムズ魔石工房の職人か?」
鋭い瞳が、アルバートを上から下までなめ回すように見つめた。
そして唇がわずかに下がる。
「……違う。失礼する」
「待て、では職人に会わせてほしい。他国から狙われているんだ」
「そんなのはいつものことだ。失礼する」
閉まりかかる扉に、アルバートは慌てて体をねじ込んだ。
「やはり職人殿ではないか。貴殿の作品にはいつも世話になっているんだ。どうか、その命を守らせてほしい」
アルバートは懇願するように青年を見つめた。
青年はあっけに取られたようにアルバートを見つめてから、手でぼさぼさの髪をかき上げる。
「……騎士様ってのは、気障なセリフを吐かなきゃ死ぬのかよ。あーやだやだ、ドミニクのいないときに」
ドアノブにかかっていた手が離れた。青年は困ったような、怒ったような顔で踵を返す。
「そこにでかい図体で挟まっていられると商売上ったりだ。さっさと入って戸を閉めろ」
「話を聞いてくれるのか。感謝する」
アルバートは青年の背中を追って、店の中に入った。
工房内はごちゃごちゃと散らかっており、体の大きいアルバートは商品を踏まないよう、ぶつからないようにしながら青年の後についていく。
やがて奥の作業台の手前で青年は立ち止まった。自身は作業台前のすり減った椅子に腰を下ろし、アルバートの足元にあった小さな椅子を指さした。
「そこの椅子に座れ。ドミニクがいないから茶も出せないが、要件を手短に言え」
「実は、」
アルバートは昨日文官から伝えられた内容を説明した。
聞き終えた青年は小さく肩をすくめた。
「本当に、よくあることだ。僕はここから出ないし、たとえ僕が殺されて僕の作品が盗まれたとして、僕が死んだ後のことなんか知らない」
言い捨てた青年に、アルバートは思わず声を荒らげた。
「それは困る!」
青年が眉をひそめたが、アルバートは構わず続けた。
「俺はあなたの作品に何度も命を救われているんだ。そんなあなたをおめおめと殺させる訳にはいかない」
アルバートは小さな椅子から身を乗り出して続けた。
「先日の南方の防衛戦で、あなたが用意してくださった盾のおかげで何人の部下が死を免れたか。俺自身もあなたが造ってくれた剣のおかげで民を守ることができた。あなたの武具は命を救う。どうか、あなたを守らせてほしい」
「んな、大袈裟な……」
言い淀む青年に、アルバートはなおも詰め寄った。青年の足元に跪き、傷だらけの節くれ立った手を取る。
「決して、大袈裟などではない。ほんの一時でもいい。俺を、あなたの騎士にしてほしい」
青年は目尻を赤くしてそっぽを向き、手を引こうとしたが、アルバートは断固として離さなかった。
「はー……、暑苦しいったらねえな、騎士様ってのは。わかった、わかったから手を離せ。僕は男に手を握られて喜ぶ趣味はねえんだ」
「俺にあなたを守らせてくれるんだな?」
「好きにしろよ……」
そこまで聞いて、アルバートはようやく青年の手を離した。
青年は頬を赤くしたまま、そっぽを向いている。
「ところで、お名前を教えてもらえるだろうか?」
「イヴァン。長いからイヴでいい」
「イヴ、イヴ。素敵な名前だ。美しいあなたによく似合う。しかし工房名とは違うのだな」
イヴは心底嫌そうな顔で、立ち上がろうとするアルバートを見上げた。
アルバートは微笑んでイヴを見つめていた。
「アダムズは先々代の名前だ、騎士様ってのは目の前にいたら男女問わず口説かねえと気が済まないのか?」
「口説く? 俺に恋人がいたことはないが」
「ないのか? 王国騎士団と言えば、王都の娘たちの羨望の的だろうに」
イヴはわずかに目を見開いた。しかしアルバートは苦笑して首を横に振った。
「忙しくて、それどころではないんだ。年の三分の一は防衛線や辺境伯らの演習指導に出払っているし、王都にいる間も王族の護衛や衛兵の勤怠管理やその他諸々……す、すまない、愚痴っぽくなってしまって」
アルバートは我に返ってそっぽを向いた。
イヴは気にした風でもなく、手元の工具をいじっていた。白銀の髪がさらりと流れて顔にかかる。
彼の濃い灰色の瞳が見えず、アルバートは手を伸ばしかけてやめた。きっとこの警戒心の強い職人は、今アルバートが手を伸ばしてもはねのけてしまうだろうから。
アルバートが今後の予定を相談すべく椅子に座りなおそうとしたとき、工房の扉がぎいぎいと音を立てて開いた。
「先生、戻りました。……お客さんですか?」
「ドミニク、遅いぞ。そのせいで余計な厄介ごとが増えた」
イヴは椅子の背にもたれかかり、アルバートの向こう、ドミニクへと視線を投げた。
ドミニクはアルバートを見て、不思議そうに首を傾けた。
「団長さんではないですか。いかがなさいましたか?」
「実は、イヴ殿が他国から狙われているという情報が入ったから護衛に伺った。しばらくここに住まわせてもらう」
「左様ですか」
ドミニクはアルバートが拍子抜けするくらい軽い返事をして、抱えていた荷物を近くの机に乗せた。
「だから言っただろう」
イヴが顔をしかめた。
「僕の知識と技術が狙われるのなんていつものことだ。お忙しい騎士団長様にご足労いただくなんて申し訳ない。帰ってくれ」
「帰らない。事態が解決するまで、俺はあなたの騎士だと言ったではないか」
「いいじゃないですか、先生。団長さんは料理はできますか?」
「あ、ああ。野営も行うから、最低限の料理や洗濯などの炊事は可能だ」
ドミニクは保管庫に食材を入れながら「いいですね」と頷いた。
「助かります。先生はご覧の通り、とにかく生活力もコミュニケーション能力も足りてないもので」
「うるさいぞ、ドミニク」
イヴが鋭い声を出した。
アルバートが改めてイヴを見ると、髪はぼさぼさで、エプロンの紐が今にもほどけそうだ。顔色は真っ白で、手首は折れそうなほど細い。目の下は黒く、唇はかすかに切れていた。年の頃はアルバートより多少若い、二十代後半といったところだろうか。
ドミニクの方は小柄ではあるが溌剌としていて、十代になりたてくらいに見える。
「失礼だが、イヴ殿とドミニクはどういった関係だろうか?」
「ドミニクは僕がその辺で拾ってきたんだ」
「ひろ……っ?」
あまりの言い草にアルバートは絶句したが、ドミニク本人は気にもせず、床に落ちていたネジを拾い集めてカゴに片づけた。
「そうです。オレ、戦争孤児なんですよ。行き倒れていたところを先生に拾われて、先生の生活のお世話をさせていただきつつ、魔石の加工技術を教わっています」
「そうだったのか。すまない、興味本位で聞くことではなかった」
「ふん。そいつの出自なんて僕には関係ない。仕事を任せられるかどうかだ」
いつの間にか、イヴの手元にはペンと紙があり、設計図のようなものが描かれていた。
アルバートはそっと覗き込んだが、何が描かれているのかさっぱりわからない。
「団長さん」
ドミニクが手招きをした。
「先生がお仕事をしている間に、今後のことを決めましょう。団長さんはしばらくこちらにお住まいですか? それとも騎士団の宿舎から通われますか?」
「住まわせてもらえればありがたいが、イヴ殿に相談をしてからのほうがよいのでは?」
「大丈夫ですよ」
洗い終えたらしい衣類を畳みながら、ドミニクが言った。
「団長さんのことは大丈夫みたいですから」
「何を根拠に?」
「先生は、信用できない相手の前で仕事を始めません」
「……そうなのか」
アルバートは改めてイヴを見た。相変わらずぼさぼさの髪に隠れて、顔はまったく見えない。節くれだった手が休むことなく動き続けるだけだったが、アルバートはその骨ばった背中をずっと見ていたかった。
***
アルバートが工房に住み込むようになって一週間が経ち、その間ずっと甲斐甲斐しくイヴの世話を焼いていた。
なにしろイヴは放っておくと寝ることすら忘れるくらい、研究と作業に没頭してしまうのだ。
アルバートは朝起きると、まずイヴがどこで寝ているのかを確認するようになった。そのまま机で作業を続けていることも少なくないし、そのまま力尽きて机に突っ伏して寝ていることもある。
起きていればベッドに強制的に連れて行き、机や床、倉庫などで寝ていればベッドまで抱えて運んだ。
「……本当に内臓は詰まっているのだろうか?」
初めてイヴを抱きかかえてベッドまで運んだとき、アルバートは思わずつぶやいた。
アルバートは改めてその顔をまじまじと見つめた。青白い顔色、かさついた唇、クマで黒くなった目の下。抱きかかえた身体は軽く、工業油と汗の匂いがした。
アルバートはそっとイヴをベッドに寝かせて布団をかけ、寝室から出る。
それと同時にドミニクが彼の部屋から出てきて、不思議そうに室内を見回した。
「先生はどちらに?」
「作業机で寝ていたから、寝室に運ばせていただいた」
アルバートが答えるとドミニクはほっとした顔になった。
「ありがとうございます。オレでは先生を運ぶことができませんから。では今の内に掃除をしてしまいます。団長さんは食事の支度をお願いします」
「ああ」
身支度を始めるドミニクとともに、アルバートも顔を洗いに向かった。
手にまだぬくもりが残っているような気がして、つい手をそっと握りこんだ。
その後、アルバートがドミニクとともに食事を終え、掃除や洗濯を分担して進めていると、イヴが起きてきた。
髪はやはりぼさぼさで、眼鏡を手にぶら下げている。寝起きだからか、普段から機嫌の悪そうな目つきが、さらに剣呑に細められていた。
「ドミニク、飯」
イヴはあくびをしながら、かすれた声をドミニクに向けた。
「先生の机の上にありますよ」
「……本当だ。で、この熊は?」
指さされたアルバートは絶句しかけたが、ドミニクは何でもないことのように答えた。
「数日前から先生の護衛として住まわれている王国騎士団の団長さんです。先生の今朝のお食事は団長さんが用意してくださいました」
「ああ、そうだったな」
「おはようございます、イヴ殿」
「おはよ。殿とかいらんから。呼び捨てでいい。あと、僕の食事に肉を入れるな」
「ハム一切れじゃないか」
思わず目を丸くしたアルバートにイヴは肩をすくめた。
「肉を食べると腹が重くなる。腹が重いと頭が働かなくなるから嫌なんだ」
騎士団では考えられない発言に、アルバートは言葉を失いかけた。しかし同時にだからこんなにも軽いのかと納得した。
「イヴ、それならハムはよく噛んで食べてくれ。咀嚼をめんどくさがって丸のみするから腹が重くなるんだ」
「お前は僕の母親か」
アルバートは、明日からはハムをもっと薄く切って何枚かに分けて出そうと思いながら、背中を丸めて朝食を食べるイヴの薄い背中を見つめた。
昼や夜の食事もイヴは抜きがちだったため、アルバートはできる限り片手間で食べやすいものを用意するようになった。それでも食べないときは、
「これ以上食事を放置するなら、俺が手ずから食べさせる。それでも食べないなら口移しでもなんでもする」
と脅して食べさせるようになった。
イヴは顔をしかめつつも、一週間も経てば慣れたのか、
「はいはい、うるせえ母親だよ」
と言いながら、サンドイッチやサラダのクレープ、果物をすりおろしたジュースを口にするようになった。
とはいえ忙しい時などは本当に食べないので、アルバートが手で食事を口元まで運んだことも少なからずあった。
「口を開けろ」
「あー」
「ひな鳥か……」
アルバートは見ていられなくなり、つい目をそらしてしまった。その瞬間、指をかじられた。
「固い」
「あ、当たり前だろう! それは俺の指だ!」
「どおりで不味いわけだ」
イヴは淡々と言って、手元の籠手に合う魔石を選んでいた。
アルバートが指を見ると、わずかに歯の跡が残り、しっとりと濡れていた。その手を口元まで運びかけたとき、イヴが見上げていることに気づいた。
「っ、な、なんだ?」
「続き」
「続き!?」
「飯の続き」
「……ああ、そうだな」
慌ててアルバートは続きをイヴに差し出した。イヴはまた食べながら、作業に戻った。
「次はチーズが入ったサンドイッチがいい。ああ、団長殿の指は入れなくていいぞ」
「そんなもの入れるか!」
やけに機嫌のよさそうなイヴに、アルバートは顔を赤くして声を上げた。
その後の身支度もイヴはおざなりだ。
結局見かねたアルバートが髪を梳いてやると、イヴは工具から目を離さずに
「そこまでしなくていい」
と低くうなった。しかしアルバートの手を払うことも、椅子から立ち上がることもしない。
ふと、イヴが作りかけの弓から手を離して、アルバートの手を取った。
「イヴ?」
イヴは答えずにアルバートの手を握ったりさすったりしていた。
「……いや。無骨な手のわりに、繊細に動くものだと思っただけだ」
「それは」
「気にするな。髪をくくるなら邪魔にならない位置にしてくれ」
イヴはすでに作業に戻っていて、アルバートは何も聞けなかった。ただ、世話を許されたらしいことだけ理解できた。
イヴは夜になっても、自分から寝室に行くことはほとんどなかった。
アルバートが寝ようとするときには、いつも作業をしているか、机で寝ているかのどちらかだった。しかし、夜にイヴが机で寝ていたためアルバートが抱き上げようとすると、目を覚まして怒られた。
「仮眠していただけだ。まだやることが残っているんだ。寝ている場合ではない」
そのため、夜に机で寝ているときは、アルバートは毛布を取ってきてその骨ばった肩にかけるようになった。
ついでに髪を梳き、薄汚れた顔を拭いてやっていると、同じように休む支度をしていたドミニクが顔を出して噴き出した。
「団長さん、やりすぎると恋人ではなく母親みたいになりますよ」
「恋人!?」
「失礼しました。今は護衛でしたね」
「今も何もない!」
アルバートが慌てて言い返すと、イヴがのそのそと頭を上げた。
「人が寝てるときにうるさいぞ」
「す、すまない」
「おやすみなさい、先生」
ドミニクはさっさと自室へ切り上げていった。
アルバートも咳ばらいをして自室に戻る。ベッドに横になり、自分は彼に怒られてばかりだと、アルバートはつい自嘲の笑みをこぼしたが、それでも世話を焼くのをやめられなかった。
***
ある日、アルバートが魔石通信機で部下とやり取りをしていると、イヴに呼ばれた。ドミニクは完成品の配達に出ていて不在だった。
「何か?」
「騎士団から依頼を受けていた防具の試着をしてくれ」
「任せてくれ」
用意されていたのは鎧で、内側に魔石が仕込まれているという。
「軽量と身体強化の魔石を仕込んだから重くはないはずだが、着用の際は引っ掛けないように気をつけてくれ。本体を薄くしようと思うとどうしても埋め込めないから、魔石の部分が引っ掛かりやすいんだ」
「あ、ああ」
イヴは淡々とアルバートに鎧を着つけていく。
カチャカチャと金具がぶつかる音に混じって、イヴの息遣いがやけに大きく聞こえた。
「当たっている個所はないか?」
「だ、大丈夫だ……」
伸びたままのイヴの白銀の髪がはねて、アルバートの首筋をくすぐった。イヴの息や指先、視線がアルバートの身体の柔らかいところに触れるたびに、息が詰まって仕方がない。
「ちょ、イヴ」
「なんだ」
「少し離れてくれ」
「装着中だろうが」
「そうなのだが……っ」
無事に鎧の装着を終え、イヴが離れたとき、ようやくアルバートは息ができた。
「違和感は?」
「な、ないが、いや、右の脇が当たる」
「どこだ」
再びイヴの手がアルバートの身体に触れた。
「イヴ、待て……」
イヴがちらりとアルバートを見上げ、そしてフッと微笑んだ。
「なんだ、団長殿。生娘のように頬を染めて」
「何を言っているんだ!?」
「冗談だ。なんだ、暑いのか?」
「そういうわけじゃ……でも窓は開けよう。汗が止まらない」
アルバートは近くの窓に手を伸ばした。同時にイヴも窓を開けようとして、手が重なった。
「すまない……っ」
「なにを騒いでいるんだ」
イヴは首をかしげて窓を開けた。
涼しい風が工房に入ってきて、アルバートの火照った頬を冷やす。
「ああ、手に油がついたのか? 悪いな、洗ってきてくれ」
「それは大丈夫だ。それに、俺はイヴの手は好きなんだ。俺と比べれば華奢だが、繊細で、美しい手だ」
「……はいはい。相変わらずだな、団長殿は」
イヴはそっぽを向いて、アルバートの鎧の調整を続けた。
***
ある晩、ドミニクが先に寝室へと向かった後、アルバートも寝る支度を済ませ、イヴに声をかけにいった。
アルバートが作業部屋の扉に手をかけたとたん、中からすさまじい音がして慌てて扉を開けた。
そこではイヴが椅子から転げ落ちていた。
「いてえ……」
「大丈夫か!?」
「大丈夫……寝ぼけて転んだだけだ」
アルバートがイヴを助け起こしていると、ドミニクも目を丸くしてやってきた。
「何事ですか、先生」
「お前まで。悪いな、うるさくて」
「悪いと思うなら、きちんとベッドで寝てください。団長さん、先生を寝室まで運んでください」
「まだ仕事が」
「そんな寝ぼけ眼で手元が狂ったら危ないです。今夜は寝てください」
イヴとドミニクがしばらくにらみ合ったが、やがて根負けしたイヴがため息をついた。
「はいはい、わかったよ」
イヴはそう苦笑して立ち上がろうとしたが、足元がふらつき、アルバートが咄嗟に支えた。ドミニクが呆れたようにため息をつく。
「団長さん」
「承知した。イヴ、大人しくしてくれ」
「なっ、おい、下ろせ!」
アルバートはイヴを姫のように抱き上げ、そのまま寝室まで運んだ。
騒いでいたイヴも、寝室に着くころには大人しくなっていた。
「ったくドミニクは過保護なんだ。団長殿は手慣れていらっしゃるようだしな」
「ああ、イヴの世話をするのもずいぶん手馴れたものだ」
「ちげーよ」
イヴをベッドに下ろし、腕を抜こうとしてアルバートは手を止めた。
「そっちは毎晩のように貴族のお嬢様方を寝室まで運んで差し上げてるんだろうって言ってるんだ」
「いや?」
アルバートは手を止めたまま、イヴを覗き込んだ。
伸びた白銀の髪が枕に広がり、カーテンの隙間から射した月明りを浴びてキラキラと光っていた。
「俺は誰かをベッドに運んだことも、ベッドを共にしたこともない」
「……へえ」
アルバートは薄く笑うイヴの顔をまじまじと見つめた。
かさついた唇に、眠たげに細められた瞳。すっと通った鼻筋に細い眉。
何もかもがアルバートとは異なっている。
「団長殿?」
「……っ、すまない」
「いや……運んでくれて助かった。こうやってお前の体温を感じるのも悪くない」
イヴがうとうとと目を閉じ、アルバートの胸元に顔を寄せた。
アルバートにはイヴの耳が赤く見えたが、室内が暗くてよくわからない。確認する前に、イヴが再び目を開けた。
「まったく、お前の心臓がうるさくて眠れんな。……おやすみ」
「す、すまない……おやすみ、イヴ」
アルバートはイヴの背中から手を抜いた。
迷いなくその額に口づけてから、イヴの寝室を後にし、まっすぐ自室としてあてがわれた部屋へ向かった。
できる限り音を立てないように扉を閉めて、アルバートはベッドに倒れこんだ。
「……俺は今、何をした……?」
アルバートは両手で顔を抑えた。
イヴの額に口づけた。一言で言ってしまえばそうだ。
彼がどんな顔をしていたかもアルバートにはわからなかった。暗かったし、確認する余裕もなかったのだ。
顔を押さえていた手が、汗でびっしょりと濡れていた。
その手には、まだイヴの固い背中の感触が残っていた。
あの温かい背中を、俺はどうしようとしたのだろう。イヴが自分を「団長殿」と呼ばなければ、きっとそのまま吸い寄せられるように彼をーー。
「何を考えているんだ、ふしだらな」
アルバートは小さくつぶやいて起き上がった。
彼は護衛対象なのだ。……そうでなくてはならない。
ベッドに潜りなおして、きつく目を閉じる。
瞼に映るイヴはあまりにも自分に都合がよくて、その晩アルバートは寝た気がしなかった。
***
翌朝、奇妙な気配でアルバートは目を覚ました。
ベッドをきしませないように体を起こし、カーテンの隙間から日の光が差していないことを確認する。つまり、まだ夜は明けてない。しかし、夜というほどの時間でもない。
アルバートは耳を澄ませた。かすかに床がきしむ音がする。イヴでも、ましてや身軽なドミニクでも絶対にありえない、重い体を慎重に動かすようなゆっくりとした音だ。きしみ具合から察するに、おそらく二名。
音は裏口から入ってすぐの辺りだろうか。一番近いのはドミニクの部屋だ。アルバートは急いで扉へと近づき、慎重に様子をうかがった。こういう時のために、常にアルバートの部屋だけは扉を開け放しにしておいたのだ。
しかし、工房全体にイヴが仕掛けた魔石結界が張ってあったはずだ。アルバートが訪れた際は店の営業時間中だったから切ってあったと後から聞いた。
その疑問は扉から見えた、侵入者たちの持ち物で解けた。それぞれ手に魔石道具を持っている。それを各所にかざしながら進んでいるところを察するに、魔石による効果を無効化するか、魔力を察知するものなのだろう。似たような魔石道具を騎士団でも所持している。
侵入者二名は黒ずくめの装束をまとっていた。東国のシノビと呼ばれる諜報集団の装束に近いかもしれない。どちらも体格は軍人のそれだった。
アルバートは常に身につけていた短刀を構えた。いかに魔石による効果を無効にしようと、アルバートの身体能力が無効化されるわけではない。二名なら数秒で制圧できるだろう。
音を立てないように息を吐き、ゆっくり吸った。軸足を踏み込んだ瞬間、ドミニクの部屋から足音がした。
「……っ」
アルバートはつんのめりそうになる体をなんとか踏ん張って立て直す。侵入者が息を吸う音が聞こえ、ドミニクの部屋の扉が開いた。
「だ、誰ですか、あなたたちは……?」
「ガキでもかまわん。人質くらいにはなるだろ」
隣国の言葉だ。アルバートは飛び出した。しかし相手の方が圧倒的にドミニクに近かった。すくんで動けないドミニクの腕を素早く掴み、前に押し出した。
「動くな。このガキがどうなっても知らんぞ」
隣国訛りの言葉に、アルバートは止まらざるを得なかった。ドミニクの首に、短刀が突き付けられ、柄に埋め込まれた魔石が鈍く光っている。
ドミニクは真っ青な顔でアルバートを見て、そして後ろへと視線を送った。
侵入者たちがにんまりと目尻を下げる。
「そいつを返してくれ。僕の助手なんだ」
静かな声がアルバートの後ろから響いた。
「イヴ、下がれ!」
アルバートは怒鳴ったが、イヴは下がらず、アルバートの前へと出ようとした。
「そうはいかない。これ以上、その子に失わせるわけにはいかないんだ」
「ばか、お前が行ったら、あの子はお前を失うんだぞ!」
「その時はお前がいるさ、アルバート」
アルバートが手を伸ばすより早く、イヴは侵入者たちの元へと向かった。
侵入者たちはニタニタと笑ってイヴの腕を掴む。粗暴な掴み方に、さほど細くもないはずの腕がきしみ、アルバートは唇を噛んだ。
ドミニクは床に投げ捨てられ、悲鳴が上げた。
そのまま侵入者たちとイヴは裏口から出て行った。
「ドミニク! 無事か? 喉は?」
「う、ぐ、げほ……ちょっと重いですけど、大丈夫です……ご、ごめんなさい、オレのせいで先生が……っ」
涙目で縋りつくドミニクの背を、アルバートはそっと撫でた。
小さな拳は骨が浮き、華奢な肩は震えている。
「大丈夫だ。俺の部下がすでに追っている」
「え……?」
「あいつらが出て行ってすぐ、緊急用の魔具で信号を発しておいた。あいつらが持っていた魔石無効の効果範囲はそんなに広くないはずだから、城壁付近で待機していた部下たちが追えば間に合う。それより」
アルバートは涙目のドミニクを覗き込んだ。
「先ほどイヴが言っていた、『これ以上、その子に失わせるわけにはいかない』とは?」
ドミニクは目をぱちぱちと瞬いてから、小さくうなった。
「オレ、戦争孤児だって言いましたよね? 先生と同郷なんです……先生が隣国出身なのはお気づきですか?」
「ああ」
アルバートは短く頷いた。イヴとドミニクの灰の髪と目の色から、そうだろうとは思っていた。
「昔、五、六年前の領土争いで、国境近くにあったオレの村が壊されたんです。先生の作っていた魔具で」
「なっ」
「先生は、魔石を戦争に使うことに反対していて……その見せしめの意味もあって、隣国の兵士に魔石を埋め込んだ爆弾や農具を盗まれました。それで先生の故郷の村を滅ぼされたんです。採掘や、田畑を耕すために開発していたものだったのに」
ドミニクの顔はアルバートの方を向いていたが、瞳は何も見ていなかった。
きっと、その瞳に映るものはイヴにしか見えない。
「そして先生が気づいて駆けつけたときには村はなく、焼け野原と瓦礫の下で両親の死体に埋もれていたオレだけが残されていたそうです……先生はオレを掘り返して、死体を埋めて、それから流れてこの街にたどり着きました」
「なぜ、ここに居を構えたんだ? 君たちが故郷を失う原因の一つだろうに」
アルバートの問いに、ドミニクは苦笑して首を横に振った。
「ここなら、いきなり街ごと焼かれませんから」
「……そうかもしれないが」
「オレらの村を焼いたのは隣国の兵士の、それも下っ端も下っ端です。後になって、隣国の騎士団が正式に先生に武器を依頼するために、書状を用意していたと聞きましたが、手遅れでした……お互いに。そういうのが煩わしいから、オレと先生は隣国の目も手も届きにくいここにいたんです。いざとなればこの国の騎士団に守ってもらえますしね」
ドミニクの顔がうなだれた。
アルバートはドミニクの華奢な体を握りつぶさないよう、手を離した。
「……信用に応えられなかったのか、俺は」
「今回はオレが悪かったんです。団長さんは連中に気づいて捕まえようとしてくれていたのに。……初めてじゃないんですよね、オレたちが気づかない間に捕まえていたのって」
ドミニクの言葉に、アルバートは小さく首を横に振った。
その瞬間、アルバートの腹が鳴った。
「す、すまない」
「ごはんにしましょうか」
ドミニクが笑った。
「お腹いっぱいにして、お弁当も作って、先生を助けに行きましょう。……きっと待ってますよ、団長さんのこと」
「君はばかだな」
アルバートも釣られて笑った。
「イヴは君のことだって待ってるさ。大事な家族なんだから」
二人は顔を見合わせて頷いた。
***
アルバートとドミニクが身支度と朝食を済ませたころ、店の扉が叩かれた。
ドミニクが肩を震わせたが、アルバートは大丈夫だと笑ってみせた。
「俺の部下だ。イヴの居場所がわかったんだろう」
扉を開けると、三名の武装した兵士が敬礼した。
「お待たせいたしました、団長。イヴ殿の所在でございます」
見せられたメモに目を落とし、アルバートは小さく頷いた。兵士はマッチを擦ってメモを焼く。
「彼を頼む」
アルバートの指示に、台所を片づけていたドミニクが駆けてきた。
「オレも行きます」
「危険だからダメだ。また君が人質にされては目も当てられない」
唇を噛むドミニクに、アルバートはふっと息を吐いて腰を落とした。
「連中はあの二人だけではない。別の部隊がここにきてイヴの作品を盗み出す可能性がある」
ドミニクの目が見開かれた。アルバートは微笑んで続けた。
「俺の部下を数名、君に任せる。触ってはいけないものや侵入経路などを彼らに指示してほしい。それと、俺が発ったら工房内の魔石結界の再起動も頼む。君ならできるだろう」
「……わかりました。オレは先生の工房を守りますから、団長さんは先生をお願いします」
アルバートは手を差し出した。
ドミニクがその手をしっかり握って頷くのを確認し、アルバートは工房を出た。
***
イヴが捕らえられていたのは、王都から隣国との国境と反対側にある小さな港町だった。アルバートは数名の部下とともに、倉庫街へと向かう。
その中に、隣国からの輸入品を保管する倉庫の一帯があった。
じっとりと湿った潮風が倉庫の壁を濡らしている。
「わかりやすいと言えばそうだが、和平を結ぼうとしている今、ここを家探ししようとする我が国の者はいないからな」
アルバートがつぶやき、部下たちは顔をしかめた。
「だからこそ、でしょうね。我々が侵入できなければ強力な魔石武器を入手できて、和平交渉が終わる前に戦争を仕掛けられますし、侵入できればそれを理由に戦争に持ち込めます」
それを見越して、アルバートと部下たちは騎士団の甲冑を身に着けずにやってきた。
代わりに、先日イヴが新作として用意してくれた鎧を装着している。まだ正式に騎士団に納品されていないため、騎士団のエンブレムはついていない。それぞれの持つ剣や盾も、騎士団のエンブレムのついていない旧式や、個人で所蔵していた品を用意してきた。
「さて……この中のどれかのはずだが」
アルバートは唇を噛んで倉庫街を見渡した。
隣国が管理する倉庫は全部で五棟、どれも広大な敷地を有している。
「さすがにこの短時間では棟までは絞れませんでした。申し訳ない」
「いや、止むをえまい。しかし昼過ぎには貨物船の入港予定があるから、それまでにイヴを救い出さなくてはいけない」
アルバートは耳を澄ませた。
おそらく相手は先ほどと同様に魔石無効の魔具を常備しているはずだ。
「魔石通信機を使いながら周回しよう。通信が途切れた個所を調べる」
「イエッサー!」
アルバートは五棟のうち、中心にある棟の屋根の上で待機した。一番足の速い兵士が外側をぐるりと走り、通信が途切れる方角を探す。
『……団長、南から一周します』
「了解」
『……西端に到着、今のところ通信に違和感なし』
「了解」
『……北端に到着、今のところ通信に違和感なし』
「了解」
『……東端に到着、今のところ通信に違和感なし』
「了か……おい、聞こえるか……!?」
突然通信機ががさがさと異音を発した。
しばらくして異音が止み、部下の声が戻ってくる。
『南端に戻りました! 南東方面、調査します!』
「了解! 全兵士に告ぐ、南東倉庫、調査開始!」
「イエッサー!」
やがて、一か所の倉庫で複数の気配を見つけた。
倉庫を挟むようにして魔石通信機を起動したが、うんともすんとも言わない。
「……ここだな」
アルバートは部下たちと目配せをして配置についた。
「行くぞ」
「イエッサー」
扉を蹴破った瞬間、アルバートの視界にイヴの姿が入った。
倉庫の一番奥にイヴが縛られた状態で座らされ、その両脇には隣国の兵士が魔石の効果を打ち消す魔具を持って立っていた。その手前には十数名の見張りが倉庫内をうろうろと歩き回っている。
「イヴ」
アルバートの口から、低い声が漏れた。
見張りの兵全員がはっとしてこちらに顔を向けた瞬間、アルバートの前に立っていた弓兵が魔具を持つ隣国兵二名を素早く射抜いた。
この弓もイヴの作品で、同時に三射まで撃てる魔石武器だが、射出される矢自体は普通の矢なので、魔具に妨害されることなく軽々と兵士の頭を射抜く。
兵たちが持っていた魔具がからんと音を立てて床に落ちた。
同時にアルバートの部下たちは素早く腰を落とす。
「イヴ、伏せろ!!」
アルバートが吠えた。
その手の剣が横薙ぎに払われ、手前の見張りの兵が一掃された。斬撃を追って一番足の速い兵がイヴの元に駆け寄り、縛られた彼を担いで倉庫から飛び出そうとして……倒れた。
兵の足からは血が噴き出ている。
「団長! 彼を!!」
倒れた兵が叫んだ。
アルバートは素早くイヴに駆け寄った。それと同時に背中から撃たれたが、威力が低く鎧を穿つほどではない。
どさっと音がして、弓を持ったままの隣国兵が二名落ちてきた。
アルバートがイヴをかばったまま振り向くと、入口で待機していた弓兵が倉庫の二階に弓を向けていた。
「団長、応援が来る前に!」
「ああ、全員、撤収!!」
倒れていた兵を他の者が回収し、全員で倉庫から離脱した。
***
「イヴ、無事でよかった……」
倉庫街から港町に設置された騎士団の詰め所へと移動し、アルバートは震える手でイヴを縛っていた縄をほどいた。
「あ、ああ……驚いたな」
「なにがだ?」
アルバートはイヴの腕や手に怪我がないか確認した。いくつか掴まれたところや縛られていた箇所がうっ血しているが、軽症ばかりだった。
室内にはアルバートとイヴ以外は誰もいなかった。
騎士団の兵たちは隣国の兵士の捕縛や、他の隣国所有の倉庫の検め、王都への報告で出払っていた。
足を撃たれた兵も今は手当てを受けて別の部屋で休んでいた。
「いや、こんなにすぐ助けにくるとは思わなかったから」
「来るさ、そりゃ」
「なぜ?」
イヴが困った顔でアルバートを見上げた。
アルバートは苦笑して、ドミニクから預かった軽食をイヴに差し出した。
イヴは目を細めて、それを両手で受け取る。食べ終えるのを待って、アルバートは櫛を持って戻ってきた。
「失礼」
イヴのぼさぼさの髪に、アルバートは櫛を通した。
「痛い」
「ちゃんと風呂に入れ。髪くらい自分で梳け。いや、その前に伸ばしすぎだ。帰ったら切ってやる」
「お前が?」
「ああ」
「なぜ?」
「最近知ったんだが、俺は好いた相手の世話をするのが好きらしいんだ」
アルバートの言葉に、イヴがくすくすと笑った。
「なんだ、団長殿は自分で気づいていなかったのか。あんなに甲斐甲斐しく僕の世話をしておいて」
「イヴ」
「うん」
「俺の名前はアルバートという」
「そうらしいな。なあアルバート。僕に言うことがあるんじゃないのか?」
イヴがにやりと笑って振り向く。
窓から入ってきた潮風が、梳かれたばかりの彼の髪を柔らかく揺らした。
アルバートはイヴの前に回り込んで膝をついた。
「イヴ。お慕いしている。どうかこの俺を、あなたの恋人にしてほしい」
「謹んでお受けしよう、アルバート」
イヴが差し出した手を、アルバートが取り、口づけた。
それを見てイヴは目を細めた。そして空いた手で自身の唇を指した。
「ああ、こっちにしてくれてもいいぞ? 昨晩の続きだ」
「んなっ!?」
真っ赤な顔のアルバートに、イヴはにやりと笑って身を乗り出した。
「それとも、未経験の団長殿には荷が重いのか?」
「……そ、そっちはどうなんだ」
アルバートはイヴの手を握りしめたまま言った。
イヴはいたずらっぽく笑ったまま、椅子から降りて腰を落とした。
そのまま顔を寄せ、一瞬触れてすぐに離れる。
「さあ、どうだろうな」
アルバートは耳まで赤くしたまま、イヴを抱き寄せた。
「あなたが無事で本当によかった……っ」
「泣くなよ、団長殿」
「本当に心配したんだ」
アルバートの泣き言に、イヴが笑った。
「僕はそうでもなかった」
「……なぜ?」
「アルバートが来てくれると思っていたから」
その静かな声に、アルバートは肩を震わせ続けた。
***
その後、王国の調査兵が遣わされ、アルバートは引き継ぎをしてイヴと共に王都へと戻った。
イヴを工房に送り届けてから騎士団の詰め所に戻り、数日間は各所への報告に追われた。
ようやく落ち着きを取り戻してから、アルバートは再びアダムズ魔石工房へと足を運んだ。事件が解決したから、荷物を引き上げなくてはいけない。
「団長さん、おかえりなさい!」
扉を叩くと、ドミニクが笑顔で出迎えてくれた。彼に「おかえりなさい」と出迎えてもらえるのもこれが最後かと思うと、アルバートの目頭が熱くなる。
奥の作業机では、いつもどおりイヴが何かの図面を引いていた。
「イヴ、長いこと世話になった」
「ああ、まったくだ」
イヴは顔も上げずに答えた。
「まったく、でかい図体で長々と居座りやがって。邪魔ったら仕方ない。ドミニクもすっかり懐いちまって、アルバートがたった数日いないだけでめそめそし通しだ」
「先生の方こそ!」
ドミニクがくすくす笑いながら、床に散らばっていた図面を拾い、棚に片づけた。
アルバートは言葉を見つけられずに、イヴの後ろに立っていた。
「だがまあ、あそこはアルバートの部屋だ」
「……えっと」
「やっぱり、鎧は本人に直接着せた方が、魔石と鎧の馴染みを確認しやすいし」
「イヴ、それは」
ゆっくりとイヴが顔を上げた。その困ったような、怒ったような顔がどういう意味なのか分からず、アルバートは口を開いて閉じた。
イヴはアルバートの顔を見てクスリと笑った。
「ご覧のとおり、この工房はそれなりに広い」
そのまま部屋を見回すイヴに、つられてアルバートも工房内を見回した。
「護衛が一人くらいいても困らない」
イヴが再びアルバートを見上げる。
さすがにアルバートにも意味がわかった。跪き、イヴの手を取る。
「お側に、置いていただけるだろうか」
「喜んで」
アルバートはイヴの手の甲に口づけた。
***
数日後、アルバートはアダムズ魔石工房の自室に引っ越しを済ませた。元々は城の敷地内に騎士団の本部があり、その隣の官舎にアルバートは住んでいた。だから荷物という荷物はないし、官舎の団長室も有事に備えて最低限の荷物はそのままにしたから、引っ越しは一瞬で終わった。
引っ越しのあと、ドミニクは
「歓迎会をしなくてはいけませんね」
と言って鼻歌交じりで買い物に出ていった。
イヴは振り向きもせずに鉄靴に魔石をはめ込んでいる。
しかし、アルバートが荷物を片づけ終えて部屋から出ると、イヴが立ち上がった。
「新作の試着をしてくれ」
「喜んで」
差し出された鉄靴には銀色の魔石が埋め込まれていた。
「この魔石の効果はなんだろうか」
「……特にない」
「ない?」
アルバートが首を傾げると、イヴは困ったような、怒ったような顔でそっぽを向いた。そのままぼそぼそと話し出した。
「僕の故郷の村の言い伝えで、自身の瞳と同じ色の魔石を渡すと、その者が無事に帰ってくるという……願掛けのようなものがある」
アルバートは、やっとイヴのその顔が照れた顔なのだと気が付いた。
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