新たな始動
王宮から戻ったエリックは、息をつく暇もなく店へと直行した。
今回の北の開拓地戦への対応で人手も物資も大きく割かれ、店の在庫はほとんど空に近い状態になっていた。
棚はスカスカ。
売れ筋だった商品も軒並み品切れ。
「これはまずいな……」
エリックは眉をひそめる。
まずやるべきは、生産体制の立て直し。
そして、それだけでは足りない。新しい目玉商品も必要だ。
シェリーが帳簿を見ながら言う。
「このままだと一週間も持たないよ」
リオが腕を組む。
「でも逆に言えば、今なら何出しても売れるタイミングでもある」
エリックは頷いた。
「……なら、やるか」
⸻
街の空気は不思議と穏やかだった。
今回の騒動の顛末は、すでに市民や貴族の間にも広まっている。
「例の商会、大変だったらしいな」
「北で戦ってたんだろ?」
そんな声があちこちで聞こえる。
そのおかげで、商品の不足について表立った不満はまだ出ていない。
だが、それはあくまで“今だけ”だ。
エリックは心の中で冷静に判断する。
(この猶予は長くない)
だからこそ――今、勝負をかける。
⸻
作業場。
エリックは新しい試作品に取りかかっていた。
「液体石鹸……いけるはずだ」
固形ではなく、液体。
手に取りやすく、泡立ちも調整しやすい。
さらに――
「香草も入れてみるか」
乾燥させた香草を細かく砕き、抽出液に混ぜる。
ほのかに立ち上る香り。
シェリーが鼻を近づける。
「……いい匂い」
リオも覗き込む。
「これ、絶対売れるやつ」
エリックは静かに頷いた。
「よし、これでいこう」
⸻
翌日。
店の一角に新商品が並べられた。
当初予定の木の容器ではなく、透明なガラスの容器。
中に入った淡い色の液体。
そしてほのかに漂う香り。
通りがかりの女性客が足を止める。
「……何これ?」
エリックがすぐに応じる。
「手洗い用の石鹸です。液体タイプになります」
「液体?」
女性は半信半疑で手に取る。
「試してみてもいいですか?」
「どうぞ」
店の外に用意された水桶で、女性は手を濡らし、液体を少し取る。
こする。
――泡が立つ。
「えっ」
さらに香りがふわっと広がる。
女性の目が見開かれる。
「なにこれ……すごい……!」
泡はきめ細かく、洗い上がりもさっぱりしている。
そして何より――
「いい匂い……!」
次の瞬間。
「これ欲しい!!」
声が店中に響いた。
⸻
そこからは早かった。
「何あれ?」
「新商品らしい」
「香り付きだって!」
口コミが一気に広がる。
女性客が次々と来店。
試す。
驚く。
買う。
爆売れ。
棚に並べても、すぐに消える。
補充しても追いつかない。
シェリーが叫ぶ。
「在庫足りない!」
リオが笑う。
「嬉しい悲鳴だな!」
エリックは黙々と作り続ける。
(これは……当たったな)
⸻
数日後。
王都中で噂になる。
「香りのする石鹸があるらしい」
「液体で使いやすいって」
「どこの商会だ?」
名前が広まるのに時間はかからなかった。
⸻
ある日。
店に一人の客が訪れた。
フードを深くかぶった女性。
顔はよく見えない。
だが、仕草はどこか上品だった。
「これを」
彼女は迷いなく液体石鹸を指さす。
エリックが差し出す。
「ありがとうございます」
女性は何も言わず、代金を置き、静かに店を出ていった。
リオが小声で言う。
「なんか只者じゃなかったな」
エリックも同意する。
「……ああ」
だが、その時は深く考えなかった。
⸻
翌日。
店の前に騎士が現れた。
甲冑の音。
周囲がざわつく。
「エリックという者はいるか」
店内が一瞬で静まり返る。
エリックが出ていく。
「……私ですが」
騎士が短く言う。
「王城へ来い」
その一言で、血の気が引いた。
(やらかした……?)
シェリーが青ざめる。
「な、何したの……?」
リオがぼそっと。
「終わったな」
「縁起でもないこと言うな!」
⸻
王城。
重厚な扉。
広い謁見の間。
エリックは緊張で固まっていた。
そして――
そこにいたのは。
昨日のフードの女性だった。
ゆっくりとフードが外される。
現れたのは、美しい顔立ちの少女。
騎士たちが一斉に跪く。
エリックの思考が止まる。
(……王族?)
シェリーも固まる。
リオも固まる。
女性が微笑む。
「あなたの石鹸、素晴らしいわ」
王女だった。
エリックの頭が真っ白になる。
⸻
王女が続ける。
「香り、使い心地、どれも見事でした」
「は、はあ……」
まともに返事ができない。
「そこで提案なのだけど」
一瞬の間。
「王家御用達にします」
空気が止まった。
⸻
城を出た後。
リオがぽつりと言う。
「終わった」
エリックが顔を向ける。
「何がだよ」
リオがにやりと笑う。
「勝ち確」
シェリーが深く頷く。
「うん、もう負けないやつ」
エリックはようやく実感する。
(……とんでもないことになったな)
⸻
一方。
ガルド商会。
重苦しい空気の中、幹部が机を叩きつけた。
「なんだあの商会は!!」
報告書が散らばる。
「石鹸」
「パン窯」
「ガラス」
「容器入りの液体石鹸――香り付き」
すべての項目に「売上増」の文字。
しかも。
「王家御用達……だと……?」
幹部の顔が歪む。
「ふざけるな……!」
部下が恐る恐る言う。
「対抗策ですが……」
「潰せ」
即答だった。
だが、部下は首を振る。
「もう無理です」
「なぜだ!」
「王家がついてます」
沈黙が落ちる。
誰も何も言えない。
圧倒的な後ろ盾。
手を出せば――終わるのは自分たちだ。
幹部は黙り込んだ。
…すでにこの時点で打つ手は尽きていた。




